49話『刺激』
『ごめんね。乗り換え間違えちゃった…』
『5分くらい遅れる!』
『本当にごめんなさい』
週末の土曜日。
17時50分――。
六本木駅で里実を待っていると、到着が遅れるという連絡が来た。
『全然大丈夫!』
『2番出口に向かってね!』
『改札出たところで待ってる』
彼女に返事を打ち終えてすぐ、スマホをポケットに勢いよく押し込んだ。
――はぁ……。
全然落ち着かない。
俺はキョロキョロと辺りを見渡す。
ディナーの時間帯ということもあって、駅には多くの人が行き交う。
相変わらず、ダボダボのパーカーにスニーカーといったラフな装いの人は見当たらない。
俺も当然、服装や身だしなみはバッチリ。
おそらく、この街にも違和感なく溶け込めているはず。
だが――心の余裕は一切ない。
5日前――。
里実との3回目のデートで巣鴨はNGとの指示を受けた俺は、ディーノさんにデート場所についてLINEで相談をしていた。
『ブックカフェをとても喜んでくれたので、前とは別の場所を提案するとかはどうですかね?代官山とか豊洲とかにもあるみたいで』
『そのあたりなら、おしゃれなレストランもありそうですし』
ディーノさんは二つ返事でOKしてくれると思ったのだが――。
『う~ん。また同じような雰囲気でデートするってことでしょ?』
『刺激が足りないなぁ…』
ディーノさんが「刺激」という言葉を使ったのを見て――俺は、彼がなにか突拍子もないことを提案してくるのではないかと直感した。
『刺激とか必要なくて、里実とはまったりとしたデートを…』と、慌てて打ち込んでいたのだが……。
俺が打ち込むより先に、ディーノさんがメッセージを送信した。
『『Lv.∞』に里実さん、連れてきたら?』
『あそこはお酒もフードも充実してるし』
『あ!僕が面談してあげるよ!!!』
ディーノさんは続けて、可愛らしいウサギが万歳をしているスタンプを送ってきた。
メッセージのテンポやトーンから、彼が完全にその気になって楽しんでいるのが手に取るようにわかった。俺が反論しても、彼はきっとこの提案を押し通す。俺に拒否する選択肢などないのだ。
俺はその提案をしぶしぶ承諾した。
ディーノさんに里実を会わせたら、どんな化学反応が起こるだろうか――。
里実は誰に対しても優しく誠実だ。それはレストランでの店員さんへの態度や振舞い方で、十分伝わっている。だから、ディーノさん相手でもきっといつもと変わらず、うまく対応できるだろう。
だが――ディーノさんはどうだろう。
あの人の行動は予測不能だし、それが女性に対してだと、なおさらわからない。
突飛な言動に対応できるだけの柔軟性が俺にあるなら、問題ないのだが――。
うまい返しができず、里実にがっかりされてしまう可能性だってある。
彼が作り出す空気に飲み込まれないようにしないといけない。
そして、俺を緊張させる要因がもう一つ。
レイナさんだ。
彼女は間違いなく『Lv.∞』の常連客。遭遇したっておかしくない。
レイナさんとは、ディーノさんに恋愛相談をしたあと、LINEで少しやりとりをした。俺からデートのお誘いをしようと思っていたのだが、彼女から先に連絡をもらった。
『ふたりで飲みにいかない?』
ストレートなお誘いだった。
『ぜひ行きましょう。いつがご都合いいですか?』と、俺もシンプルに返した。
お互いの気持ち、キスしたことなどには一切言及せず――余計なやりとりは何もしなかった。
いや――できなかった、が正しいかもしれない。
彼女とのデートの約束は、来週の水曜日。
それを前にして、今日――里実とのデート中に遭遇してしまうリスクがあるのだ。
俺は地面に向かって、小さく「はぁ」とため息をついた。
18時3分。
「直!」
里実が俺を呼ぶ声がした。
正面を向くと、里実が少し息を切らしながら目の前に立っていた。
「ごめんね…遅くなっちゃって…」
「全然!気にしなくて大丈夫だよ!」
俺たちは『Lv.∞』に向かってゆっくりと歩き出した。
「うわ~でっかいビルがたくさん……!」
地上に出ると、里実は目を丸くして、キョロキョロと辺りを見渡した。
彼女が六本木に来るのは、今日がはじめてだという。
「俺も半年ちょっと前にはじめて来たときは、同じこと思ったよ。ビル高っ!おしゃれ!都会!って」
「なんか……六本木を歩いている人たちみんな、別世界の人に見えちゃう。背高いし、スタイルもいいし……」
里実は「私もあんな風になれたらな~」と続け、羨ましそうに港区女子を見つめた。
「……あの人にはあの人の、里実には里実にしかない魅力があるんじゃない?」
俺は彼女にそう声をかけながら、自分自身にも言い聞かせていた。
俺もはじめてこの街に来た時は、劣等感を感じた。
過去を後悔し、たられば、ばかりを想像した。
でも――今は、自分よりも明らかにイケてる港区男子を見ても、相手に嫉妬して焦燥感を抱くこともなくなった。
ない物ねだりをしても仕方がない、他人は他人と割り切れるようになった。
ディーノさんのおかげで――自分に自信がついたから。
「これから行くお店って、直の行きつけなんだよね?」
「まだ数回しか行ってないから、行きつけってほどじゃないかもだけど…大切にしてるお店なんだ」
「そっか。すごく楽しみ……!だけど……緊張する…」
「港区らしいおしゃれな感じだけど、そんな身構えなくても大丈夫だよ?店員さんもすごくいい方だし」
「そうじゃなくて……」
里実はひと呼吸置いた。
「ディーノさんっていう……直の飲み友達の方……初対面だからさ」
俺はびくっと身体をこわばらせた。
恋人になってから友人に彼女を紹介する、という状況であれば自然だが、交際前の女性を紹介するというのは何とも奇妙な話だ。
しかも、ディーノさんとはずいぶん年の差があるうえ、イタリア人だからなおのこと不自然さがある。
「本当はふたりきりが良かったんだけど…里実と会ってみたいって粘られてさ……ごめんね」
「ううん、全然いいの!むしろ、直が私のこと紹介してくれて嬉しいから。ただ、海外の方とあまり接点がない人生を送ってきたから、英語も得意じゃないし……変に緊張してるっていうか……」
「ディーノさんは日本語ぺらっぺらだから、心配しなくて大丈夫だよ。何より、本当に優しくて素敵な人だから、すぐ打ち解けられると思うよ」
ただ純粋に、ディーノさんや俺が大好きな場所である『Lv.∞』のことを、里実にも気に入ってほしいと思った。
里実は「うん。直の飲み友達だから、人間性は心配してないよ?」と言って、笑った。
「この螺旋階段を下った先だよ」
まさか俺が――女性を連れ立って、この店を訪れることになるとは。
はじめてこの場所に足を踏み入れた時の俺では、想像もできなかったことだ。
「それじゃ、行こうか」
俺は右手を差し伸べ、里実の左手を取って螺旋階段を下った。




