34話『トラウマ』
席へ向かう道中――。
里実さんは、エスコートされるのが慣れていないのか、終始ぎこちなさそうにソワソワとしていた。
もちろん、俺だってそうだ。
恋愛経験ゼロなのだから、当然、女性をエスコートすることに慣れているはずもない。
でも、なぜだろうか――板についたように自然とできている気がする。
おそらくだが、ディーノさんのおかげだろうと思う。
日ごろから、しごく当然のこととして行う彼の所作。
何度も、何度も、見てきた。
手をあてる腰の位置、触れる強さ、相手との距離感――それが正解なのかどうかはわからないが、ディーノさんから学んでいるという確たる事実が、俺に自信を与えた。
「こちらのお席になります」
そこは、15階から望む景色が一望できる特等席だった。
高層ビルが立ち並ぶ東京の街並み、そして、雲一つなく星が点々と輝く空。
「綺麗……!」
里実さんは再び、目の前に広がる光景に目を奪われた様子だった。
もともと1週間前の天気予報では、今日は雨だった。
それが一転、昨日、晴れ予報へと変わっていた。
天気など気まぐれなものだといままでは気にも留めていなかったが――俺の背中を押してくれているのだと、都合よく捉えている。
「座りましょうか」と声をかけ、俺たちはソファ席に横並びで座った。
「夜景、とっても綺麗ですね」
「はい……私…大学進学を機に田舎から出てきて、東京に住んで6年以上になるんですけど…こんなに素敵な景色を見たのははじめてです」
「俺もです。大学で田舎から出てきたけど、東京らしい都会的な経験ってほとんどしてなくて。巣鴨のおじいちゃん、おばあちゃんとしゃべる日常が当たり前だったから」
「そっか。直さんは巣鴨住まいでしたね」
「ほんっと、毎日飽きないですよ。『財布なくした!』とか、『歯が取れた!』とか、『ぎっくり腰で動けなくなった!』とか。何かしら事件が起きて」
「え~~!楽しそう!詳しく聞きたいです!」
目の前には幻想的な夜景が広がり、手元の食事は高級フレンチにシャンパンと、圧倒的なラグジュアリー空間に身を置きながら、俺たちはその場にふさわしくないド田舎トークで大いに盛り上がった。
『自分の話は一切せず、相手を質問攻めにする』
百花さんとの初デートの時――ディーノさんから、自分語りはNGだと教えられた。
だが、その助言を無視して自分ばかりしゃべってしまっているなと、話の途中で気づいた。
そこから、彼女に質問を何度か投げかけたのだが…彼女はそれに対して質問で返してくるので、自然と話の主導権が自分に戻ってきてしまった。
どうしたらいいやらと、考えていたのだが。
会話をしている時の彼女の視線、ふるまい、表情などもじっくりと観察した結果――それが彼女の気質なのかもしれないと感じた。
女性は自分の話を聞いてほしい、語りたい人が多いと、ディーノさんは言った。
だがきっと、里実さんは例外なのだと思う。
それは、俺にとって最高の誤算だった。
本来、自分はどちらかというと自分を語りたいタイプ。
ディーノさんからの助言もあり、ずっとそんな自分を抑えて女性たちと接してきた。
だが、里実さんが話をするよりも聞きたいタイプなのだとしたら――間違いなく自分と相性がいい。
「デザートのご用意をしてもよろしいでしょうか?」
時間はあっという間に過ぎ、コース料理もいよいよラスト一品となっていた。
「はい」と店員さんにお願いする。
「あっという間ですね」
「そうですね…本当に夢のような時間で…」
里実さんはそう言うと、何かを考えているのか口を閉ざした。
――どうしたんだろう…?
しばらくして、彼女は俺のほうに身体を向けて視線を合わせた。
「今日…私のために素敵なデートプランを組んでいただきありがとうございました」
「いえ……」
「正直、自分でも不思議なほど直さんの前では自然体でいられます」
「……俺も同じです」
「それに……一緒にいると、すごくドキドキします」
俺はその先の言葉を想像し、身構えた。
「直さんのこと……特別な存在だと思ってます」
どう受け止めて、どう言葉を返そうか思考しようとした。
だが、考える間もなく、彼女はそのまま言葉を続けた。
「でも……私からちゃんと“好き”の言葉を伝えるまでには、もう少し時間がほしいんです」
里実さんは「もちろん、直さんが私とまだ一緒にいたいと思ってくれてるならですけど」と前置きしつつこう続けた。
「以前、新卒で入社をした会社で職場恋愛をしていました。会社の先輩です」
「……」
「でも、浮気をされて別れました。浮気相手は、親友だと思っていた同期でした」
「……」
「彼には『親友と違って、お前からは女を感じない。つまらない』と吐き捨てるように言われました。親友と彼氏を失い、新卒で入社した会社は1年弱でやめて、今の会社に勤めてます」
彼女はトラウマを抱えている気がする――。
ディーノさんの言葉が、彼女の告白と重なった。
彼女の自信のなさの根源に触れたのだと思った。
「今は傷もだいぶ癒えて…一歩を踏み出したいと思ってアプリに登録しました。でも…まだ恋愛をするのが怖いと思ってしまう自分がいます」
「……」
「だから、私のわがままで申し訳ないんですけど…」
「待ちます」
俺は彼女の言葉を遮った。
「え……?」
「あなたの心が追いつくまで待ちます」
彼女の肩をそっと抱き寄せた。
「だから…一緒にいましょう」
彼女は俺の右肩に、身を預けるように頭をもたげた。
「ありがとうございます……」
彼女は右目から、綺麗な一筋の涙を流した。
ちょうどその時――遠くから、デザートを持った店員が近づいてくる姿を捉えた。
「デザート、きたみたいですよ」
そう声をかけると、里実さんは涙の跡を手でぬぐいながら、定位置に戻った。
そして、「楽しみ!」といつもの優しい笑顔を浮かべた。
帰り際――。
「敬語、そろそろやめません?」
彼女ともっと親密な距離感を築きたいと思い、提案した。
「同い年なのに、敬語ってなんかくすぐったくて」
「確かにそうですね…」
「「…………」」
「直!」「里実!」
ほぼ同じタイミングでお互いの名前を呼んだ。
「敬語じゃなくて名前…」と言いながら、俺たちは顔を見合わせて笑い合った。
「そうだ!全然、写真撮ってなかった…。一緒に写真撮らない?」
その瞬間――俺はハッとした。
――写真……。
麗香さんの顔が瞬時に浮かんだ。
この数時間、完全に麗香さんのことを忘れていた。
それは里実さんとしっかり向き合えていたという証でもある。
だが――その事実が、俺に大きな罪悪感の種を植え付けた。
「……もちろん。写真…撮ろうか」
俺は写真に写った自分が、うまく笑えていたのかどうか――不安になった。




