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33話『近づく距離』

 ピロリロリン…

 ピロリロリン…


 ――出ないか…。


 ディーノさんへの電話を諦めかけたその時――。


「Hi~~」

「ディーノさん!」

「どうしたの?里実さんとのデート中じゃないノ?」


 後ろが妙に騒がしい。

 どこかで飲んでいるのだろうか。


「すみません、お忙しいのに…」

「いいヨ、いいヨ。今日は男同士の会食でちょうど退屈してたところだから」


 口ぶりからもやる気のなさが伝わってきた。


「あの、その…デートの合間での電話なので端的に言いますね」

「ウン」

「里実さんといい感じなんです」

「ウン」

「だから…どうしたらいいでしょうか?」

「……What?」

「彼女のこと、好きになりそう…というか」


 俺がそう告げると、ディーノさんは少しだけ沈黙した。

「う~ん」と唸りながら、何やら思考を巡らせているようだ。


 そして、俺が予想だにしなかった返答をした。


「……それの何がいけないの?」

「…………え?」

「だから、好きになったらいけない理由は?」

「それは、俺が麗香さんを好きだから…」


 ディーノさんは俺の言葉を遮るように、「ずっと思ってたことなんだけど」と、言葉をかぶせた。


「なんか……キミからは“麗香さんを好きでなくちゃいけない”っていう、使命感を感じるのネ」

「……!?」

「キミにとって、麗香さんが特別なのはわかる。でも、それって本当に異性に対する“好き”で合ってるのかナ?」

「……」

「キミの麗香さんに対するそれは、憧れに近い感じがするけど?」


 俺は何も言えなかった。頭が真っ白になる。

 何も考えられない――いや、考えたくない。


 無言でいると、ディーノさんは俺を励ますように言葉をかけた。


「この前、“好き”って言葉の使い方にはいろいろあるって話したよネ?好きって本当に簡単な言葉だけど、とっても深い。里実さんに対する好き、麗香さんに対する好き、彩音さんに対する好き…キミにとって、そのどれも全く違うニュアンスの“好き”だと思うヨ」

「……」

「だから、一人ひとりと一緒に時間を過ごしていく中で、キミにとってどんな意味合いでの“好き”なのか、答えを探してみればいいんじゃない?」


 ディーノさんが言っていることは、頭の中では理解した。

 だが、心がその理解に追いつかない。


 麗香さんに対する気持ちが恋ではない可能性を指摘され、激しく動揺している。


 恋ではないのかもしれないという気持ちと、それを否定したい気持ち――両者が心の中で、激しく拮抗した。


「混乱させてごめんネ」


 長く沈黙していたからか、ディーノさんは俺に謝った。


「いえいえ!確かに…麗香さんに告白することを目的にしていたので、麗香さんを好きでいなくてはならないっていう義務感はあったかなと思います。だから…麗香さんを理由に、里実さんから逃げようとするのはやめます」

「ウン。いろんなしがらみを取っ払って、心のまま、その時の感情に身を委ねてごらん。そうしたら、おのずと答えも出るヨ」

「わかりました!」

「それじゃ、頑張ってネ~~」


 そうして、ディーノさんとの電話を切った。


 ――ちゃんと、里実さんと向き合おう。


 走って、彼女のもとに戻った。


「……すみません…だいぶお待たせしてしまって…」


 俺は息を切らしながら、必死で謝る。


「いえ!全然、待ってないです!体調悪かったりしないですか?大丈夫ですか?」


 時間にしておよそ17分。お手洗いにしては長い時間だ。

 それなのに、「全然」と言って、俺の体調にまで気を配ってくれる。

 彼女の優しさが、じんわり染みた。


「はい!もうめちゃくちゃ回復しました!ありがとうございます。レストランの予約時間ギリギリなので、少し急ぎめに行きましょう!」


 そうして俺たちは足早に、目的の店がある大手町へ向かった。


 そして――18時ジャスト。

 高層ビルの15階に構えるレストランに到着した。


「わぁ……素敵なお店……!」


 レストランに入るなり、里実さんは目の前に広がる空間にくぎ付けになった。


 それもそのはず。ここはデートレストランとして定番の一軒。

 ラグジュアリーなムード満点で、全国展開のレストランチェーンとは一線を画している。


 もちろん、もともと知っていた店というわけではない。ディーノさんレコメンドだ。

 彼曰く、告白シーンでもよく利用される店らしい。


 彼女には、事前にレストラン情報を伝えていない。

 サプライズだった。


「こんな大人なお店に来たの、はじめてです…」


 里実さんは店内をじっくりと、目に焼き付けるように見渡した。


「今日、日中は暑かったですけど。夜は気温が下がって夜風が心地いいかなと思って…ソファテラスの席を予約してます」


 そう言うと、彼女は目をまん丸にして、言葉を失っていた。


 およそ1週間と少し前。レストラン選びをする時――。

 どうしたら、自信なさげな彼女を安心させ、喜ばせられるか、真剣に考えた。


 そして、わかりやすく値段もムードもラグジュアリーなお店を選ぶことで、彼女に対する誠意や真剣さが伝わるのではと考えた。


 と同時に、その時は自分の中に生じた矛盾とも葛藤した。


 誠意や真剣さ、とは何なのか。


 結果として、俺は麗香さんに告白する。だから、自分が里実さんに向ける態度は、誠意であるはずがない。彼女は本気で自分と向き合おうとしているのに――。


 はじめは、恋愛経験値を上げるという、軽い気持ちでマッチングアプリを始めた。

 だが、“恋愛に発展できない相手”に対してどう向き合うべきか――ずっと悩み続けてきた。


 だから、いままではどこかモヤモヤとした感情を常に抱えながら、女性たちと接してきた。


 だが――。


『相手を好きになってもいい』


 先ほどのディーノさんとの会話を通してそう思えた瞬間――自分の中でせき止めていた感情や言動の制約がとれ、一気に解放された気持ちだ。


 足かせがなくなった今の俺は、自分でも何をしでかすやら想像がつかない。


 この先の里実さんとの時間は――自分のむきだしの本能、ありのままの気持ちや言動にゆだねてみようと思う。


「いらっしゃいませ」

「18時から予約している大河内です」

「お待ちしておりました。ご案内いたします」


 広い店内を、店員さんは慣れた様子で歩を進める。


 続こうとしたが、里実さんはその場で立ち止まったまま。

 きらびやかな店内の余韻を、まだ楽しんでいるようだった。


「里実さん?」


 声をかけると、彼女はハッとして、やっと現実に戻ってきたように見えた。


「直さん……」

「???」

「私、今とっても幸せです」


 彼女は俺から目線をそらさず、ニコッと微笑んだ。


 俺は、ふんわりとしたベージュのワンピース姿の彼女の腰に、手をあてた。

 ためらいは一切なかった。


 一瞬、里実さんはびくっと身体をこわばらせて俺を見上げた。


 だが、動じない。


「さぁ。行きましょう」


 俺は、彼女を自分のほうへ優しく引き寄せた。

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