134_酔客の顔
ひとり部屋の外へ出たアンドーは、そのままエレベーターへ向かわなかった。
東棟最上階から続く静かな廊下を酔った客のような足取りで歩く。早すぎず、遅すぎず。高級ホテルの絨毯に靴音を吸わせながら、時折壁に飾られた絵画や案内表示へ目を向ける。
その視線は泳いでいる。だが、見ているものは酔った客のそれではない。
天井に埋め込まれた監視カメラの角度、廊下の端に立つスタッフの足運び、非常口の位置、すれ違う警備員のジャケットの膨らみを確認して、全て見ていないふりをする。
そのまま曲がり角を一つ抜けたところでベラシオンの警備員が2人、何気ない顔で立っていた。アナトミアが用意した監視員、そう判断したアンドーは何食わぬ顔で近づいて行く。
「お客様、どちらへ?」
「旨い酒に酔っちまってな、ちょいと外の空気を吸いに」
アンドーは悪びれもせず笑った。
片手にはスイートルームから持ってきたグラスを持ち、中には琥珀色の酒が底に少しだけ残っている。
「……館内のバーでしたら、こちらからご案内できますが」
「いやいや、若い者に迷惑はかけんよ。ワシにも好みというものがある。ホテルの上品な酒もいいが、たまには耳が悪くなるくらい五月蠅い場所で飲みたくなる夜もある」
警備員の一人が笑顔を浮かべるが、無防備に近寄っては来ない。もう一人は愛想笑いもせず、アンドーの足元と手元、上着のふくらみを順番に見ている。
アンドーはその視線を、酒の匂いがする笑みで受け流す。
アナトミアを害するならまだしも、今のアンドーはただの酔っ払い。ベラシオンの支配人直々にスイートルームを与えられたVIPの一人、夜の相手を探しに行く中年の客でしかない。
互いに本心を隠したまま警戒している。だが向こうは動けない。少なくとも、今この場でVIPの一人を力ずくで止めるだけの理由を持っていない。
「外出なさるのでしたら、正面ロビーからどうぞ」
「そうするよ。美人と待ち合わせしとるからな、迷子になったら格好がつかん」
「それはいいですね。では良い夜を」
「そちらもな」
礼を言い、アンドーは歩き出す。
エレベーターで下層へ降り、煌びやかなロビーを抜ける。客の笑い声、グラスの触れ合う音、上品な香水と酒の匂い。金と欲望に塗れたベラシオンの空気を背に、アンドーは夜の街へ出た。
そのままの足で歓楽街を練り歩く。手に持っていたはずのグラスはとうに捨てたが、アンドーは上機嫌を隠さずネオンの下を行く。
デミエルの夜は、ベラシオンの中よりもずっと騒がしい。
海沿いの大通りには浮遊広告が幾重にも重なり、極彩色のホログラムが空中で踊っている。そこに表示されているカジノやクラブ、ショー、酒、女、甘い飲料の宣伝が、通行人の目に光を叩きつけていた。
道路を走る高級車のボディがネオンの光を反射し、歩道では着飾った客たちが笑い、怒鳴り、抱き合い、次の快楽を探している。
アンドーはその中を、少し背中を丸めて歩いていく。
時折女の尻を追っているように見える視線を周囲に配り、尾行の有無を確認する。ショーウィンドウの反射、車の黒い窓。客引きに声を掛けられては何食わぬ顔で指を立てて交渉し、悔しそうにその場を立ち去る。三度曲がり、二度立ち止まり、一度だけ屋台の酒を買ってからアンドーは目的の店へ向かった。
店の名前は《ノイズ・オーキッド》。
ベラシオンから数ブロック離れた歓楽街の一角にある、音と光が過剰なクラブだ。
入口の前には派手な服を着た客たちが列を作り、耳の奥を叩く低音が扉の外にまで漏れていた。壁面には巨大な花のホログラムが咲いては散り、散った花弁が広告文字へ変わる。
入口でセキュリティのボディチェックを受けた後、受付へと向かう。受付の女は明らかに酔っているアンドーを見るなり、少しだけ眉を上げた。
「酔っ払いは帰んな」
「そう言ってくれるな。美人2人に呼ばれてな、名前は出さなくても分かると思うが」
受付の女は端末を確認し、無言で赤い光の通路を指した。
「奥のラウンジへ」
「どうも」
中へ入ったアンドーの身体を、音が殴りつけてくる。壁は怪しい光に照らされ、踊る客たちの影が天井まで跳ねている。酒と香水と熱気が混ざった、呼吸するだけで酔いそうな空間だ。
ステージの上では半透明のダンサーが実体の客と絡むように踊り、天井から降る光の粒が汗ばんだ肌とグラスの縁に貼り付いている。
誰もが誰かを見ていて、誰も見ていない。音と独特な雰囲気、騒がしい祭りを楽しむ場所、それがクラブだ。だから密会には向かない。だからこそ、密会に向いていた。
アンドーは踊る客の間を縫うように進む。肩がぶつかれば笑って謝り、女に手を振られれば軽く返し、酔客に絡まれれば冗談で流す。そうして奥のラウンジへ入ると、音が急に一枚薄くなった。
壁に埋め込まれた防音素材が、外の騒音を遠い雷のように変えている。
赤紫の照明が落ちる半個室のソファ。その奥にお目当ての女が2人座っていた。彼女らは昼間スーツ店でアンドーらを接客した店員たちだ。
一人は落ち着いた栗色の髪を後ろでまとめたカミラ。
もう一人は銀に近い淡い金髪を肩口で揺らすヴァネッサ。
今の2人はスーツ店の制服ではない。
カミラは黒いドレスに薄いジャケットを羽織り、ヴァネッサは白に近い灰色のワンピースを纏っていた。どちらもクラブに馴染む格好だ。少し高い酒を飲み、危ない男を待つ女に見える。
昼間との違いは、柔らかい笑みを浮かべていないことだ。
「むっふっふ、2人揃ってとは豪勢なことで。ワシもまだまだ捨てたもんじゃないな」
アンドーはソファの前で立ち止まり、だらしない笑みを浮かべた。
「そろそろ若作りにも無理があるのでは?」
「お前は相変わらず辛辣だな、カミラ」
まるで旧友に会ったかのように2人は笑い合った。
「まだ、私の名前はまだ覚えていたんですね」
「忘れるほど耄碌しとらんよ」
カミラはグラスを置き、周囲へ視線を走らせた。
秘密の会話をするためにわざわざ高いクレジットを払って抑えた半個室。踊る客の影が届かないか? 防音壁に問題はないか? 天井の照明は最低限か? 半個室の外に立つクラブスタッフに聞かれず、外から見えないか。
改めての短い確認の後、彼女は小さく息を吐いた。
「座ってください。立っていると目立ちます」
「おいおい、これから美女2人を侍らす余韻に浸らせてくれてもいいだろう? それともすぐにおっぱじめようってか? クック、見た目通りエロいねぇ」
「口を閉じて座れ、という意味です。それとも座りたくなるようにしましょうか?」
「ふん、可愛くない奴め。昔より命令が上手くなりおって」
「貴方の下で学んだことですよ」
その言葉に、アンドーの笑みがわずかに薄くなる。
アンドーは向かいのソファへ腰を下ろした。背もたれに深く体を預け、外から見れば完全に遊びに来た男の姿勢を作る。
それを確認したヴァネッサが、テーブルの上に小さな遮音装置を置いた。グラスの底で覆うと、偽装されたそれが淡く一度だけ光る。クラブの重低音が更に遠くなった。
「お久しぶりです、アンドー隊長」
カミラの一言で、酔客の顔をしていたアンドーから笑みが消える。目元の皺はそのままに、瞳の奥だけが冷えた。
「その呼び方はやめろ。今のワシはただの整備員だ」
「エリュシオン銀河系方面軍陸戦隊、第7強襲降下隊。私の隊長だった人です、違いますか?」
「長い長い、そんな古い肩書きは体に悪いわ。おまけに酒も不味くなる」
「昔から美味しそうに飲んでいませんでしたよ」
「イイ女を侍らすとな、それだけで何でも美味くなるもんだ。酔っ払いなら失言も失敗も見落としも、全部酒のせいにできて都合もいい」
「変わっていませんね。お酒のせいにしたことがないところも含めて」
カミラは呆れたように目を細めた。
ヴァネッサはそのやり取りを黙って見ていたが、やがて小さく肩を竦める。
「本当に知り合いだったのね」
「だから言ったでしょう。この人は男としては最低ですが、腕は本物です」
「おいおい、評価が前後で殺し合っとるぞ」
「事実ですから」
アンドーはテーブルの酒を勝手に取り、グラスへ注いだ。
ヴァネッサが止めるより早く、一口飲む。
「で、わざわざ昼間にスーツ屋でワシに色目を使った理由は何だ。まさか本当に一夜の相手が欲しかったわけでもあるまい」
「半分はそう見せるためです」
「残り半分は?」
「貴方に接触するためです」
カミラの声は低かった。そこに昼間の柔らかさはない。客に布地を合わせ、笑顔で世辞を言っていた女ではなく、任務中の軍人の声だった。
「ふん、さしずめ少数ユニットでの潜入工作か……なるほど、じゃあそっちのお前さんは帝国軍情報局か? ということはカミラ、お前さんも今は情報局の人間か」
ヴァネッサを一瞥したアンドーが言う。言い当てられた2人の目が僅かに動いた。
「……やはり分かりますか」
「こんな場所に、それもバックアップ要員も用意せずにおれば想像くらいつく」
アンドーは周囲を見渡しながらそう言い、頭の中では昼間の採寸を思い出していた。目の前の2人はオキタや双子の肩幅、腕の可動域、腰回り、靴底の減り方を眺めていた。服屋にしては見る場所が露骨過ぎたが、悪意は感じ取れなかったためあの時は何も言わなかったが。
「で? 引退したジジイに今更何の用だ?」
ソファに深く腰掛けながら短く問う。カミラとヴァネッサは顔を見合わせたあと、答えたのはヴァネッサだった。
「オプーナと言う単語に聞き覚えは?」
アンドーはグラスを傾ける手を止めなかった。それは昼間にデミエル名物だと聞き、飲んでいた甘い飲料の名前だ。
「飲み物じゃないのか?」
「表向きはね。裏では暴力事件、記憶障害、異常な依存症が出てるの。それも複数の星系で同じ症例がね。問題は、そのどれもが普通のオプーナじゃないってこと。濃度を弄られている」
「濃くすりゃ薬になるってか」
「飲料、菓子、香料、吸引剤。形はいくつもありますが、中身は同じです。通常使用では問題ありませんが、一定値を超えると薬物としての顔を出します」
「……おいおい、ワシらは昼間に飲んどるぞ」
オキタの顔、エリーの顔、ハイデマリーの顔が順に浮かび、最後に全員が何も考えずに乾杯していた光景が浮かんだ。アンドーはそれを思い出して笑った。笑うしかなかった。
「まあ、過ぎた事を言っても仕方がない。
……それで、どこまで探った?」
「アナトミア系列のベラシオンを中心に他の高級カジノ、歓楽街、港湾設備、医療系ダミー企業です」
「随分と歩き回ったな。案外人員に余裕があるのか?」
「まさか! 全部探るのにかなりの時間を要しましたよ。
そこまでして、ようやく確度の高い情報を得ることができたんです」
真剣な元部下の話に、アンドーは酒を呷りながら黙って続きを待った。
「惑星デミエルの地下、そこに巨大なオプーナの保管場所があることが判明しました」
半個室の外では、相変わらずクラブの音が暴れている。重低音が床を揺らし、壁越しに歓声が漏れ聞こえてくる。天井から降り注ぐ赤や青の照明が、テーブルの酒瓶にちらちらと反射している。
その中で、酒を呷り続けていたアンドーの手が止まった。さっきまで勝手に酒を注いでいた手が、グラスをそっとテーブルに置いた。
カミラは何も言わず、その反応を見ていた。ヴァネッサも軽口を挟まない。
冗談で流せる話ではない。それだけは、三人とも分かっていた。
「規模は分かっているのか?」
つい先程まで酒に吞まれていた男とは思えない雰囲気を纏ったアンドーが問う。
「詳細は不明ですが、デミエルはテラフォーミングされた惑星です。開発元のティマイオス社に惑星開発記録を提出するよう帝国軍から令状が出ましたが、紛失したとの回答しか返って来ていません」
「衛星軌道上から惑星へのスキャンは」
「実行済みです。ですがご存じの通り、デミエルは札付きやアウトローにとって貴重な、大手を振って闊歩できる惑星です。地上から衛星軌道上に至るまで多数のジャミング装置が設置されており、正確なスキャンは出来ません」
「ティマイオス社へのハードネゴシエーションは?」
「上からの圧力で、その手の行動は制限されました。上が何を考えているか分かりませんが、ティマイオスには手を出すなの一点張りです」
アンドーの問いにカミラは首を横に振った。
「フン、いつも通りのパワーゲームだろうさ。変わりゃしないな、連中の愚鈍さは」
それを聞いたアンドーは、唾を吐くようにそう言い捨てた。その顔は嫌悪感に塗れている。
「だから少数ユニットでの潜入捜査が限界ってわけ。その潜入捜査に、貴方のような強襲専門の男に声を掛けるのは止めろって言ったんだけど……」
「黙ってヴァネッサ。強襲降下隊を、ただ派手に降りて撃つだけの部隊だと思ってるなら間違いよ。貴女が私を認めてくれるなら、その隊長だったこの人が普通じゃないことくらい想像つくでしょう」
「はーいはい、分かってるわよ。何回聞かされたと思ってるの。
ところでオジサマ、カミラはこう言ってるけど実際どれくらい出来るの?」
ヴァネッサの問いにアンドーはしばらく黙っていた。
動かないアンドーに、ヴァネッサが何か言い返そうと唇を動きかけるその前に、カミラがその肩を掴んで止めた。ヴァネッサが怪訝そうに眉を寄せるが、そのカミラも何も言わず、アンドーの右腕を指差した。
アンドーの右腕には、いつ抜いたのか銃が握られていた。深く腰掛けた太腿の上、銃口だけがヴァネッサに向けられていた。
「……私の認識が甘かっただけってこと。気分を害したなら許してちょうだい」
アンドーは何も言わず、銃を懐へ戻した。
「保管場所への侵入経路は掴んでおるのか?」
「候補は三つ。港湾地下倉庫群、ベラシオン系列の保税倉庫、もう一つは医療物資搬送用の冷却施設です。そこから地下へ続く道があります」
「随分あるな」
「だから困っています。こちらの人員だけでは同時確認ができません」
「それだけの証拠があってなお、突入命令は下らんのか」
「彼らを説き伏せるだけの証拠がないの。決定的な証拠を掴もうと侵入した偵察班は2日前に消息不明になった。昨日には連絡役も死体で見つかっているわ。表向きは薬物の過剰摂取だけど、恐らくは……」
ヴァネッサは悔しそうに視線を伏せた。
「探ろうとした者たちへの見せしめ、か。使われた薬物はオプーナか?」
「分かりません。未知の薬物反応ですが、高濃度のオプーナではないかと」
「何にせよ、表の軍を動かすには一手足らんというわけか」
そこまで聞いたアンドーは深い溜息を吐いた。ほぼ黒にも拘らず帝国の正規軍を動かすには情報が足らず、情報を得るために踏み込むには戦力が心許ない。
そんな状況に、元とはいえ部下だった女が罠と分かって探りを入れようとしている。やるせなさに、アンドーは酒を呷ることしか出来なかった。
「だからこの状況を何とか出来る人に頼ることしか、私には思いつきませんでした」
カミラは期待を込めた目でアンドーを見た。
「アンドー大尉、貴方に協力を要請します」
「おいおい……ワシは引退した、今はただの整備員だぞ」
元部下の頼みとはいえ、軍から離れて久しい。今更頼られることに、心の底から意味が分からん。アンドーは頬を引き攣らせながら呟くが、カミラも引かない。
「ただの整備員は採寸中に出入口の外を警戒しません。クラブの壁の厚さなんて測りませんし、ヴァネッサを見て情報局の人間だと見抜くことなんて出来ません」
「イイ女の正体を見抜くのはワシの趣味だ。それにな、今更ワシが出張って今の仲間を危険に晒すわけにはいかん」
「隊長……」
「すまんな。今のワシには、こうやって酒を飲みながら元部下の悩みを聞くのが精一杯だ」
カミラの声が鋭くなるが、アンドーは肩を竦めてそれを受け流す。
短い謝罪だが、それだけで諦められるならカミラもアンドーにコンタクトを取っていない。
「話は変わりますが、裏の賞金首サイトでラビット商会の名前が売れていますね」
それまでカミラの話を受け流していたアンドーだったが、その発言にグラスへ伸ばし掛けていた手を止めた。
「ラビット商会がベラシオンに入ったことは、アナトミアにとっても想定外でしょう。我々も、隊長たちはすぐにデミエルから離脱すると踏んでいましたから」
「それについてはワシも同感だがの、残念ながら我らが商会長にセオリーなんてのは通用せん。見えている地雷原でも慎重に渡れば大丈夫、などと言いながら、気付いた時にはタップダンスし始める阿呆だからの」
そこが気に入っておるんだが。などと言いながら笑うアンドーを見て、カミラも少し昔を思い出したように笑った。
「ですが……いいのですか? 逃げ切れる保証はない場所に飛び込んでしまって」
「……」
声のトーンを落としたカミラに対し、深く腰掛けていたアンドーは少し前屈みに座り直す。指を組み、少し睨みつけるようにその視線を2人に送った。先程までただの、酔っ払いにしか見えなかった男から発せられる圧力に、カミラとヴァネッサは知らず息を飲んでいた。
「っ、隊長に力を貸して頂く対価として、交換条件を提示させて下さい」
「……やる気はないが、交換条件とやらは聞かせて貰おうか」
「デミエルからの撤退支援。並びに情報局として一度だけ、どんな内容でも無条件でラビット商会の味方をします」
「ほぅ……」
アンドーからすれば、デミエルからの撤退はどうにでも出来ると想像している。
ただ、その後に提示された”どんな条件でも一度だけ、無条件に味方する”という対価には、アンドーも思わず前のめりになってしまった。帝国の裏で暗躍する帝国情報局を知っている者からすれば、それは破格の内容だからだ。
「隊長と出会えたのは偶然です。ですがラビット商会がデミエルから撤退していない、この状況は絶好の機会なんです」
「ワシらがアナトミアの目を集めているからか」
「はい。表でラビット商会が騒げば、裏の監視は薄くなります。これを逃せば、もう二度とチャンスが来ないかもしれません。だからどうか、話だけでも聞いてくれませんか?」
頭を下げるカミラ。アンドーはそんな元部下を見て、深い溜息を吐いた。
このまま断ったとしても、2人は諦めたりしないだろう。何よりそう育てたカミラがいる以上、2人だけでも強行偵察に出ることがアンドーには容易に想像できた。そして、たった2人だけで立ち向かったその顛末も。
「はぁ……ったく、ワシも甘いな。ハイデマリーやオキタのことをとやかく言えん」
「では!」
「まだ話を聞くだけだ。カミラ、お前さんはワシに何をさせたい?」
目を輝かせる元部下に苦笑する。
「明日の深夜、宇宙用の港湾設備に併設されている保税倉庫に中継貨物が入ります。その貨物の中身がオプーナである可能性が高いと見ています」
「輸送船か、それともマスドライバーを使っての打ち上げが狙いか。帝国軍の警備艦が駐留しておるのに素通りが許されているとは、さすがエリュシオンと言った所だな。港湾労働者組合の連中は中身を知っとるのか?」
「分かりません。ただ、彼らが知ってて取り扱っているなら少々厄介なことになります」
「あの連中は融通の利かん脳筋揃いのうえ、自分たちの縄張りを荒らされるのを極端に嫌うからの」
「そこらのマフィアよりもマフィアらしい存在よね。なんであんな連中が帝国に認められた組合なのかが分からないわ」
「ま、敵に回さんならそれに越したことはない」
そう言ってアンドーは顎を撫でた。
その仕草はいつもの整備員のものだったが、目だけは別だった。鈍い鉄の色をしている。
「仲間に話すかどうかは、ワシが決めるぞ」
「はい。ですが、本来なら民間人を巻き込むべきでは……いえ、私が言えたことではありませんね」
「全くだ。なら何故ワシに話した、と拳骨を落とす所だったぞ」
「フフ、隊長の拳骨を久しぶりに感じるのも悪くはありませんね」
「気色悪い奴だな。ワシはドMは好かんぞ、ワシがドMだからな」
「聞いてませんよそんな事。ただ貴方を民間人扱いするほど、私は恩知らずではないだけです」
カミラの声に、かすかな熱が混じった。
「昔、貴方は私を死体袋から引っ張り出しました」
「また古い話だな」
「私にとっては違います」
「日常を送る選択肢を与えてやったのに、結果的には部下を拾っただけになったがな」
「その部下が今、頼っています。アンドー隊長、どうか力を貸しては頂けないでしょうか」
再度頭を下げて懇願するカミラに、アンドーはただ黙った。
ヴァネッサは2人の間にある過去へ踏み込まない。ただ、半個室の外を警戒していた。
少しして、アンドーは息を吐く。
「カミラ」
「はい」
「ワシは今、ラビット商会の整備員だ。軍人じゃないし、お前の隊長でもない。命令系統も違う。昔の部下に頼まれて、はいそうですかと簡単に首を突っ込める立場じゃないのは分かっておるか?」
「分かっています」
「……なら、これだけは覚えとけ」
アンドーは立ち上がり、カミラの隣に腰掛けた。
外から見れば、酔った男が女へ身を寄せたようにしか見えないが、その声は低い。
怒鳴ってはいない。けれど、それを見ていたヴァネッサには半個室の温度がわずかに落ちたように感じられた。
「ラビット商会を駒として見ることは許さん。あの連中が、今のワシの居場所だ。使い捨てにするつもりなら、情報局だろうが帝国軍だろうが関係ない。ワシはお前たちの敵に回る」
凄むアンドーの姿にカミラは息を呑んだ。
背筋に走った冷たい感触に、ヴァネッサの手が反射的にテーブルの下へ隠していた銃へと伸びた。
アンドーはそれを見て、少しだけ笑った。
「ククッ。安心せい、今のは脅しだ」
「……殺されるかと思いました」
「もう少しで撃つところだったわ……」
「脅しだからの」
最悪の開き直りだった。だが、カミラは目を逸らさなかった。
「使い捨てにはしません。それだけは絶対に約束します」
「情報局員の約束か、何の信頼もおけんの」
「元部下の約束として誓います。貴方や、貴方の今の仲間を捨て駒にはしません」
アンドーはじっとカミラを見た。
数秒間見つめ合った後で、アンドーは鼻を鳴らす。
それを合意と受け取ったカミラは再度、深く頭を下げた。
「ありがとうございます」
「礼はまだ早いぞ」
「いいえ、それでも言わせて下さい」
カミラは小さなデータチップを取り出した。
手のひらに収まる薄い金属片。表面には何の刻印もない。
「それに候補地が記されています。消えた班の足取り、オプーナ流通に関与している企業リスト、ベラシオン系列倉庫の搬入時間です」
アンドーはチップを受け取り、袖口の内側へ滑り込ませた。
仕草は自然だった。外から見た人がいても、ただ袖を直したようにしか見えないだろう。
「場所と時間は?」
「明日の23時、港湾ブロック東門にお願いします」
「随分と雰囲気のない待ち合わせ場所だな」
「ではホテルのベッドで待ちますか?」
「お、いいのか?」
「冗談ですよ」
「ワシは本気なのに……」
「ふふ、そんなつもり無いでしょうに」
カミラは笑い、ヴァネッサは小さく頭を押さえた。
「ねえ、本当にこの人で大丈夫なの? オジサマが普通じゃないのは分かったけど、ラビット商会には他にも元軍人がいるんだし、そっちでもいいんじゃない?」
「いいえ、アンドー隊長が最適です。こういう仕事で、あの人以上に汚れ役を分かっている人を私は知りません。次点でリターナ元中尉ですが、彼女はオキタ元中尉の傍から離れないでしょう」
「オキタに話せば助けてくれるのは間違いない。だがそうなると当然リタも来るし、エリーは置いていくと拗ねる。ひょっとすると、双子の片割れも保護者面でついて来るぞ」
「あら、一気に大所帯ね」
「潜入が強襲に変わるならそれもありだが、そうなるとデミエル宇宙港が最悪無くなるぞ」
最強クラスのP.PホルダーとB.M.I強化兵。それが無慈悲に暴れまわる絵面を想像して、アンドーは鼻で笑った。それはもう潜入任務ではなく、ただの災害派遣になる。
半個室の外で、クラブスタッフがグラスを運んでいく。
三人は一瞬だけ言葉を止めた。スタッフの足音が遠ざかっていくのを確認したすぐ後で、バッテリーの限界を知らせるように遮音装置の淡い光が小さく揺れる。
「では、私たちは戻ります」
「おう、服屋の姉ちゃんに戻っとけ」
立ち上がったカミラとヴァネッサに向かって、アンドーは置いてあった高そうな酒瓶を掲げた。
「ここの料金は多めに支払っておきますので、どうぞご自由に。隊長もただの酔っ払いに戻ってください」
「おーらい」
ヴァネッサが先に立ち上がり、半個室の外へと出ていく。
カミラも続こうとして、ふと足を止めた。
「隊長」
「今のワシはただの整備員だ」
「では、アンドーさん」
「何だ」
「ラビット商会は、信頼できますか」
アンドーは少しだけ考えたあと、口元を緩めて穏やかに笑った。
「馬鹿ばっかりだ」
「……そうですか」
「いい奴らだ。ワシには勿体ない」
カミラは目を細めた。
それ以上は言わず、ヴァネッサと共に光の揺れるクラブの奥へ消えていく。
半個室にはアンドーだけが残された。
ソファにもたれ、テーブルの上に残った酒へ手を伸ばす。グラスを傾けたところで、中身が空だったことに気付き、少しだけ不満そうな顔をした。
それから袖口に隠したデータチップへ指を触れる。
「さて、どうしたもんかねぇ」
呟きは誰にも届かない。
防音壁の向こう、音と光に溺れる客たちの歓声に溶けて消えた。
「こりゃあ、若い衆に怒られるかな?」
そう言って、アンドーは再び酔客の顔を作った。
背筋を少し丸め、女の尻を追いかけるどうしようもない中年の仮面を被って半個室の外にいるスタッフを呼んだ。
「おいスタッフ、女の子呼んでくれい。あと酒! じゃんじゃん持って来てくれぃ!」
ただの下ネタと酒好き整備員にも、歳を重ねただけの歴史があるんじゃよと。




