131_《左目》は賭博場にて兎を見る③
あらすじ変えました。そのうちプロローグも変えます
ハイデマリーの声が、ベラシオンのカジノフロアを突き抜けた。
それはもう、歓声というより爆発だった。
卓を囲んでいた客たちの肺から一斉に熱が噴き出す。拍手が弾け、口笛が飛び、笑い声がシャンデリアの硝子飾りを震わせた。今日負けた客までが、悔しさより先にその場の熱に呑まれて笑っている。
ハイデマリーの隣、老紳士の葉巻から灰がぽとりと落ちた。宝石を首にも指にも耳にも飾った女がグラスを高く掲げる。護衛を四人連れた富豪が、信じられないものを見たという顔で腹を抱えた。
『マリー様!』
『もう一回やろう!』
『いや、もうやめろ! 伝説のまま終われ!』
勝手な声が飛び交い、そのどれもが酔っていた。酒にではない。金にでもない。今この瞬間、自分が何かとんでもない夜に居合わせているという錯覚に客たちは酔っていた。
ハイデマリーは、椅子から半分立ち上がるようにして両手を掲げた。その前へ、ディーラーがチップの山を押し出す。
ざらざら、かちかち、積まれたチップが擦れ合う音に満面の笑みを浮かべる。光を受けたチップの縁がきらめき、青、赤、黒、金の円盤が、ハイデマリーの前で山脈を作っていく。
『見たか! これがウチや!』
ハイデマリーは勝者の顔で叫んだ。
『ラビット商会! 豪運のマリー様やでぇ!』
煽るハイデマリーの名をギャラリーが呼ぶ。その瞬間、カジノフロアの熱はただのゲームの盛り上がりを超えた。豪運のマリー、ラビット商会という響きがベラシオンの夜に刻まれていく。
その喧騒を、ルシアンは監視映像越しに見ていた。
全額ベットからのスクイーズ。1点差の勝利と客の熱狂。
全ては偶然のように見える。だが、偶然にしては出来すぎていた。
カジノが客へ見せるはずだった夢を一人の客が奪い取り、自分の名札を貼ってより派手な形でフロアに叩き返した。ベラシオンが用意した舞台の上で、主役の座だけを横取りされた格好だ。
「ふん……派手にやったな」
ルシアンが呟く。その声には怒りはない。だが、心中愉快でもなかった。
彼の眼には計算外の駒を見た時の、薄く冷えた興味だけがあった。
背後に控えていた部下の一人が、乾いた声で報告する。
「バカラ卓三番周辺、立ち見を含め120名を超過。上階ラウンジからも客が降りてきています」
「基準値を大幅に超過。警備班より、周辺導線の一部が詰まり始めているとの報告が」
「分かっている」
ルシアンは短く遮った。映像の中で、ハイデマリーはまだ笑っている。
リタは片手で額を押さえていた。表情は薄いが肩に出ている、完全に頭が痛い者のそれだ。
あれなら放置しても問題はないと、ルシアンは別のカメラを確認する。
喧騒から少し離れた場所では、オキタは呆れた顔をしていた。だが、口元にわずかな笑みがあった。腹立たしさと諦めと、少しの誇らしさが混ざった身内を見る顔だった。
その隣でエリーがぴょんぴょんと跳ねている。彼女にとってはチップの金額よりも、ハイデマリーが周囲に称えられていることの方が嬉しいらしい。
エレンとアレンは、呆然としながら拍手していた。双子らしく同じ角度で首を傾げ、同じタイミングで手を叩いている。
そして、アンドーは少し離れた場所にいた。
ハイデマリーの偉業に拍手し、満足気に笑ってもいる。だが浮かれていない。この熱狂の中で、アンドーだけはまだ周囲を見ていた。
ルシアンはその一点を見逃さなかった。
「予定より派手になったが、この状況を利用する」
ルシアンは、ゆっくりと息を吐く。
勝者に声をかける理由としては十分すぎる。
いや、十分どころではない。
今のハイデマリーはベラシオンの夜そのものを盛り上げた客だ、特別優待を出しても不自然ではない。ホテル側が上客候補を囲い込む、宣伝になる客をもてなす、今夜の熱を次の利益に変える。優遇するための理由はいくらでも作れる。
映像ではチップの山が、ハイデマリーの前へさらに積み上がっていく。それは勝利の報酬であり、同時に罠へと続く金色の道だった。
その時、別の監視窓が点滅した。
「統括、エリーとオキタに動きがあります」
「どうした」
「クレーンゲームに向かっています」
監視室の空気が、一瞬だけ妙な形で止まった。
「……ベラシオンは高級カジノだぞ」
「隣接するアミューズメント区画です。来賓のご家族も居られるからと、ベルナルド様が先月から準備を……」
また奴か。いや、確かクレーンゲームの高額景品に時価1000万クレジットはくだらないアンティーク時計があったはず。コインではなく、直接物欲を満たすために動いたのか。エリーのデータを更新する必要がある。
そうルシアンが想像した矢先、部下が思いもよらない報告を上げた。
「対象は景品にある、ウサギのぬいぐるみを指差しています」
ルシアンは返事をせず、顎だけで映像の切り替えを促した。
画面が変わると、エリーがガラスケースの前に立っていた。
その中には丸っこいウサギのぬいぐるみが山のように詰まっている。白い体に長い耳、やけに澄んだ黒い目。子供向けの景品特有の安っぽい愛嬌を振りまくだけのオモチャだ。
しかし、それを見つめるエリーは真剣そのものだった。
隣に立つオキタの腕を掴んで揺らしている。されるがままのオキタが財布を出しているが、表情から察するに、既に色々と諦めているようだった。
『オッキー早く! あの子がボクを呼んでるよ!』
『ぬいぐるみは喋らないんだけどなぁ……』
『ほら、目が合った!』
『全部こっち向いてるだけだって』
『でも見てよ、あの子だけ助けてって顔してると思わない? ほら早く、さっき換金したコイン入れて!』
『ナチュラルに財布扱いされることに慣れた自分が悲しい……』
オキタがクレジットを入れて後ろに下がると、エリーがお礼を言って筐体の前に立つ。ボタンを押すとアームが動き、銀色の爪がゆっくりと降りていく。ぬいぐるみの耳をかすめて胴を掴み、持ち上げる。
ほんの数センチ動かした所で、ウサギのぬいぐるみはぽてりと落ちた。
エリーの肩が、分かりやすく跳ね上がった。
『ちょっ、アーム弱くない!?』
『天井でもないだろうし、そんなもんだろ』
『天井って何!? オッキーもう一回!』
『はいはい、分かってますよお嬢様』
妹に突っかかれる兄の構図に、ルシアンは一瞬黙った。そのままこの映像を見せられている自分の立場について、少しだけ考えた。
「……取らせてやれ」
「はい?」
「取らせろと言った」
「クレーンのアーム強度を上げますか?」
「いや、いきなり取らせるな。三回失敗させた後、四回目で取らせろ」
「なぜ三回も?」
「一回目で取れると不自然だ。十回失敗するとオキタが台を疑う……いや、どうでも良いからこの茶番を早く終わらせることだけ考えろ」
「承知しました」
二回目、失敗。
三回目、失敗。
エリーの顔がどんどん険しくなっていく。最初は挑戦者だった少女が、三度目には救助に失敗した兵士のような顔になっていた。仏のような顔でコインを入れるオキタの顔からは、財布の中身を守る者の光が消えつつある。
『オッキーもう一回! 次はいける気がする!』
『うんうん、わかるわかる』
『あの子を置いていけないよ!』
『わかるわかる』
四回目。今まで通りアームがぬいぐるみを掴むが、今度は落ちない。
ゆっくりと出口まで運ばれ、ケースの中を軽快なBGMをバックに横切っていく。そのまま運ばれ、最後にぽとりと取り出し口へ落ちた。
エリーの顔が、ぱっと明るくなった。
『取れたよ! オッキーありがとう!』
『おお、よかったな』
エリーがウサギのぬいぐるみを抱え、満面の笑みを浮かべる姿が監視映像に映った。ルシアンはその表情を見て、視線を横の部下へと流した。
「ベルナルドには知らせるなよ」
「承知しています」
部下の返事は早かった。早すぎるくらいだった。
直後、また別の監視窓が点滅する。
「統括、アンドーが移動しています」
ルシアンの表情が変わった。
「どこへ向かっている?」
「カジノフロア外周、スタッフ通路付近です」
映像が切り替わると、アンドーは相変わらず何もしていない顔で歩いていた。
視線は適度に泳ぎ、観光客らしく周囲を眺めている。肩の力も抜けていて、歩幅も自然だ。あまりにも自然すぎて警戒する理由がない。
だが歩いている場所が悪い。カジノフロアの死角であったり、警備員の交代地点、スタッフ用通路の出入口、監視カメラの重なりが薄い場所など。
ルシアンには、アンドーが非常灯の配置や壁材の継ぎ目、天井裏へ点検口が続く箇所を確認しているように見えたが、確証は持てなかった。
《左目》統括のルシアンの観察眼を持ってしても確信を持たせない。アンドーは偶然の散歩のようにそれらを辿っていた。
「止めますか?」
「……いや、まだいい。カメラをもっと寄せろ、奴の視線を捉える」
ルシアンは言った。
「しかし、このままでは導線を確認されます」
「スタッフに自然な雑談をさせろ、観光客への案内としてだ」
「内容は?」
「喫煙所、化粧室、両替所、上階レストラン。その程度でいい、必要以上に情報を与えるな」
「承知しました」
スタッフが笑顔を浮かべながら、アンドーへ自然に声をかけた。バカラ卓が随分騒がしいが、貴方は見に行かれないのか? そういった類の話を振る。
騒がしいのは好きだが、騒ぎすぎるのは好きじゃない。それが身内ならなおさらだ。そう言ってアンドーは穏やかに応じ、人当たりのいい笑みを浮かべてグラスを軽く持ち上げる。
少し草臥れた大人。だが、映像を注視していたルシアンには分かっていた。
アンドーは、声をかけてきたスタッフの歩幅を見ていた。利き手と袖口を確認し、腰の通信端末の位置を見た。恐らく、背後のスタッフ通路が開閉した時の音も拾われている。仮にアンドーが身体をB.M.Iで強化していた場合、その音の反響から通路の奥行きまで測った可能性すらある。
商人でしかないベルナルドでは絶対に気づけない。ルシアンには確信があった。
あの男は全てを商品価値として見る。だからエリーを眺め、リタを観察し、ハイデマリーを称える。エレンとアレンのリングの反応を確信し、脅威となるオキタからは少し距離を置くだろう。
だが、アンドーは見落とす。そして見落とした代償に喉を押さえられ、その太い首を狩られるだろう。
ルシアンはその光景を想像し、少しだけ気分が良くなった。
「ベルナルドは絶対にフロアへ入れるなよ」
「現在入浴中とのことです」
「……そんな情報を俺に上げなくていい」
映像の中では、ハイデマリーの勝利がまだ渦を巻いている。
リタは彼女の背後に立ち、集まりすぎた客を目だけで捌いていた。そろそろ面倒になったのか、口は出さないが手が出そうになっている。近づきすぎた者の視線を受け止め、無言の圧で押し返している。刃物ではないが、近づけば切れる空気を纏い始めていた。
そんな台風の目に、エレンとアレンがスロットの小当たり分を抱えて戻って来た。
『やあ、ハイデマリー氏。随分と勝ったみたいで何よりです』
『金額としては幾らほど勝たれたのですか?』
『途中からは倍々やっとったからな……合計なんぼやろ?』
『お陰でこっちは気が気じゃなかった』
『よくそこまで増やせましたね、ミス・ハイデマリー』
『シズ? 今まで何処にいたの?』
今まで何処で何をしていたのか。シレっとすぐ傍に現れたシズに、リタが目を細める。その目にはお世話様係をなすりつけられた恨みが籠っていた。
『うひゃー、まだ人掃けてないんだね』
『ハイデマリーの爆勝ちは遠くからでも目立ってたからな。まだ何もゲームしてないけど、この状況は追い出されたとしても仕方ないか?』
そこへ、オキタを伴ったエリーがウサギのぬいぐるみを抱えて戻ってきた。
『エリー、なんでぬいぐるみなんか抱えとん?』
『さっき向こうのアミューズメントで獲ったんだ』
『子供か!? カジノなんやから、ポーカーでもルーレットでもやればええのに勿体ない』
『もっと言ってやってくれ。お陰で俺まで遊べてないんだ』
『う、それはごめんだけど……でもほら、オッキーだってさ、ずっとボクから離れなかったのが悪いんじゃないかな?』
『お前をひとりにした方が心労で倒れそうになるわ』
『ボクのこと子供扱いしてない? 立派な大人! レディーだよ!』
『年齢だけの話やろ! 行動も伴わんかい!』
集まったラビット商会を眺めながら、ルシアンは考えを纏めていた。
ラビット商会は纏まっているようで纏まっていない。散らばっているようにも見えるが、なぜか最後には一つの塊に戻ってくる。
誰かが明確に統率しているわけではない。なのに、群れとしての形だけは崩れない。
船乗りの癖か? それとも傭兵の癖だろうか。
それとも、死線を共有した者たち特有の、言葉にしない縄張り意識か。
「……面倒な連中だ」
ひとまずの結論として、ルシアンはそう呟いた。
「頃合いだ、支配人を向かわせろ」
「承知しました。対象者名義はハイデマリーでよろしいでしょうか?」
「いや……」
ルシアンは映像の中のラビット商会を見る。
勝者として腕を掲げるハイデマリー。それを止めようとして失敗しているリタ。スロットのチップを抱えて笑うエレンとアレン。ぬいぐるみを抱いて笑うエリー。周囲を見ているオキタ。無言のシズ。そして、騒ぎの外側で仲間を見ているアンドー。
「個人ではなく、団体に貸す。誰か一人の欲ではなく、全員に便利だと思わせる」
「承知しました」
「部屋は東棟最上階、海が見える部屋を抑えろ」
「監視設備は如何いたしますか?」
「通常設備のみでいい、追加は必要ない」
部下が一瞬だけ手を止めた。
「よろしいのですか?」
「過剰な監視はすぐにバレる。奴ら相手なら数分も持たないだろう。それにお前は忘れているのだろうが、最上階はリングの制約を受けない階層だ。P.PホルダーとB.M.I強化兵の能力が万全に使える場所での監視など何の意味もなさん」
ルシアンは映像を切り替えた。
東棟最上階のスイートルーム、中は広いリビングと複数の寝室。専用バルコニーからは海と歓楽街の両方が見える。
壁は白と金を基調にし、床には厚い絨毯。天井には柔らかい間接照明。大窓の向こうにはデミエルの夜が広がっている。海に映るネオンが、まるで色のついた油膜のように揺れていた。
観光客ならまず断らない。まして、彼らは人数が多い。小島の拠点に戻るより、本島での足場として使える部屋があれば便利だと考えるはずだ。それでも警戒するだろうが、商会長のハイデマリーがあの性格だ。便利なものを遠慮なく使うだろう。
ルシアンがそうあたりを付けた数分後、カジノフロアにベラシオンの支配人が現れた。
ベルナルドからベラシオンを任せられている男だ。
歩き方には無駄がない。背筋は伸び、表情は柔らかい。客に媚びているようには見えず、しかし客を持ち上げる術を知っている。礼儀を装った職業的な仮面を巧く張り付けている。
彼はラビット商会の前で丁寧に頭を下げた。
『失礼いたします。ラビット商会の皆様でいらっしゃいますね』
ハイデマリーが片眉を上げる。
『何や? 勝った分を返せ言うても嫌やで』
『とんでもございません。むしろ、当ホテルよりご提案がございます』
リタの目が細くなるのと同時に、エレンとアレンのリングが淡く光った。支配人の思考を読もうとしたのだろう。
だが、二人はすぐに目を見合わせた。P.Pが遮断される環境下では心を読むことができない。リタもそれを理解したのか、視線だけで二人を制した。
『皆様のゲームを拝見いたしました。初めてのご来館でこれほど場を盛り上げていただけるお客様は、当ホテルとしても大変ありがたい存在です』
『場を盛り上げた? 騒ぎを起こしたじゃなく?』
アレンが苦笑しながら言った。
『つきましては、ベラシオンより特別優待として、東棟最上階のスイートルームをご用意させていただきたく存じます。もちろん、ご宿泊費は当ホテル負担でございます』
『ほっほう、そりゃええ話やね?』
ハイデマリーは既に半分乗っている顔だが、その隣でリタの頬がピクリと動いた。
『スイート? え、タダで泊って良いの? マリーやるじゃん!』
エリーが宇宙ウサギのぬいぐるみを抱えたまま、ぱっと顔を輝かせた。
『はい。最上階のお部屋でございます』
『いいじゃん! 窓から街、見えるかな!?』
『もちろんでございます。デミエルの夜景を一望できます』
ルシアンはそのやり取りを聞きながら、指先でテーブルを軽く叩いた。
いい流れだ。怪しむ者は出たが、ラビット商会の行動を牽引するハイデマリーとエリーが乗り気になっている。
今頃は宿としてではなく、本島での行動拠点として使えると考え始めている頃だろう。遊ぶためだけの部屋ではなく、活動するための足場としてベラシオンのスイートが使える。それも無料でだ。ラビット商会のような一か所に留まらない連中には、その方がよっぽど刺さるだろう。
『オキタ、ちょっと来て。マリー、……、……』
リタが小声で何か言った。コントロールルームでは拾えない声量だが、恐らく”怪しい”とでも言っているのだろう。
「ホテルの滞在費無料だけでは押し切れないか? ……支配人、聞こえるか? 連中にベラシオンホテルの全設備を無料開放すると伝えろ。飯もサービスも全てだ」
『ああ失礼、お伝え忘れておりましたことが一つ。無料となるのは滞在費だけではありません。当ホテルのレストラン、バー及び全てのサービスが対象となります。これが私どもカジノホテル・ベラシオンが皆さまへお贈りする、感謝の気持ちでございます』
『そらそうやろ。ウチがおるんやから』
『はい、大変華のあるお客様です』
『分かっとるやん』
オキタが頭を抱えた。リタがその肩に手を置いて首を横に振っている。
『どうしたご両人、そんなにこのホテルが気に喰わないか?』
そこへアンドーがやって来て、リタとオキタの肩を抱いて諫める。
『ホテルの心意気ってやつを考えてやらんとな。何もこの人も無欲でワシらを泊めようとは思っとらんさ。目立つ客を泊めてホテルの宣伝にしたい、そう思う気持ちはワシも分かる。違うかい?』
『お恥ずかしながら、その通りでございます』
支配人は即答した。疑ってくる相手には、下手に善意を装わない方がいい。こちらも商売なのだと、落としどころを見つけようとしてくれたアンドーに同意した。
『ハイデマリー、どうする? お前さんが決めればいい。こいつらはこの通り……まあ、完全じゃないが納得はしとるようだし』
『ウチは最初から賛成やで。無料の最上階スイートを断るアホがおるかいな』
オキタは小さく溜息を吐いた。そのオキタの背中をバシバシと叩きながらアンドーが言う。
『なぁに、気に入らなかったら出りゃいい。小島を引き払うわけじゃないんだ、本島で休める場所が増えると考えたら楽だろ。ワシも歳だからな、座れる場所が欲しいから良かった』
完全な移動ではなく追加の拠点として使う。
アンドーの態度にリタはまだ不満そうだったが、最終的には肩を竦めた。
『……分かった。ただし、部屋は私とシズで先に確認する』
『ウチも行くで』
『マリーは来なくていい』
『なんでや。ウチのスイートやろ』
シュバっと、エリーが手を上げる。
『ボクも行く!』
『エリーも後』
『えー!』
『えーじゃない。安全確認が先』
『じゃあ入口で待ってるよ』
『それはもう来てる。
とりあえず、案内して貰える?』
支配人は恭しく頭を下げた。
『もちろんでございます』
映像の中で、ハイデマリーが勝ち誇ったように笑う。
アンドーが不愛想なオキタの肩を抱き、エレンとアレンがそれを見て微笑んでいる。
エリーはウサギのぬいぐるみを抱えたまま、少しだけ夢を見ているような表情でホテルの上階を見上げている。
ルシアンはその顔を見て、無表情のまま通信インカムを耳から外した。
「第一段階完了。以降は《右腕》が来るまで過度な干渉は避けるよう、全員に通達しておけ」
「今後の監視体制は如何いたしますか?」
「警備班には過剰接近を禁じろ。ベルナルド配下の者がフロアに入った場合、即座に俺へ回せ」
「ベルナルド様を止めますか?」
「当然だ」
そう言い、ルシアンは立ち上がった。
小島にいた兎たちは、アナトミアの庭に足を踏み入れた。だが、兎は臆病なだけの生き物ではないことも理解した。
「勘違いするなよ、ベルナルド」
ルシアンは、誰に聞かせるでもなく呟いた。
「これはお前の玩具箱じゃない」
監視映像の中で、ラビット商会が支配人に案内されてカジノフロアを離れていく。
さっきまで彼らを取り囲んでいた客たちが、名残惜しそうに道を空ける。ハイデマリーは手を振り、エリーもぬいぐるみの前足を持って振り返す。エレンとアレンは興奮を隠せず、小声で部屋の話をしている。リタは最後まで周囲を見ていた。シズは支配人の足音を記録しているように歩く。
その最後尾で、オキタが一度だけ振り返った。
カメラを見たわけではない。だがルシアンには一瞬、その視線が合ったように見えた。
映像越しに男の目が細くなる。
疑っている。確信でもないが、何かがあると勘付いている者の目。
「フ……面白い奴だ」
その声には、ベルナルドのような濁った欲はなかった。
代わりに盤上の駒が予想より鋭く動いた時の、冷たい愉悦があった。
「せいぜい使わせてもらうぞ、ラビット商会」
ベラシオンの夜は、まだ深くなる。
華やかな灯りの下で、誰かの幸運に見えるものが、静かに罠の形へ整えられていった。
そんな罠の形を整えていたのは、アナトミアだけではない。
狡猾な兎たちもまた、支配人の後ろで暗い笑みを浮かべていた。
「うひひ、作戦通りやな」
「そうなんだが、まさか本当にハイデマリーが勝つとは思わなかった」
「運が良かっただけ」
「なんやとぅ!?」
「ねえ! ボクだけ役が子供過ぎない!? このぬいぐるみどうしたらいいの!?」
「いいではありませんか。お陰でスイートですよ、スイート」
「しかも全設備無料。楽しむだけ楽しみましょう」
「避難経路も把握できたしの。悪いな、シズ」
『ミスター・アンドーが引き付けてくれたお陰です。人相も全て記憶しました』
「まさかレッドギルドのおひざ元でタダ遊びしようとは……恐れ入ったぜ、ハイデマリー」
「うひひひひ」




