128_紅い解体新書③
「実行」
通信上の誰もが一瞬だけ黙った後、ヴェスナだけが手を叩いて笑い、グレゴールの顔は歪んだ。
「正気か……? アレを相手にしたが最後、アナトミアの”器官”が幾つか潰れる可能性すらあるんだぞ……」
「誘導の可能性を認識。罠の可能性を認識。アナトミアが舞台装置となる可能性を認識」
ノアは、ひとつずつ事実を並べる。
「それでも実行」
「理由は?」
危険は見えている上に、罠も認識している。それでも進むだけの理由が、ルシアンには見えなかった。
「成功した後、得られるものが大きい」
白い少年は言った。
「ラビット、第三者。全てが我々の回収対象となる。アナトミアがエリュシオン全域に影響を持つ程の功績に成り得る」
「では、仕掛けられた罠ごと噛む。そういうことですか」
セレスが静かに言う。
「そう」
「噛み砕けなければ?」
「吐き出す」
「俺は、吐き出す前に腹を裂かれる方に一票入れるぜ。《肺》は反対だ」
「《左目》も反対に入れる」
「《胃》は賛成だよぉ」
「《右腕》は勿論賛成だとも」
「《舌》は棄権しますわ。荒事はどうぞお好きになさって下さい」
「記録する。《胃》賛成。《右腕》賛成。《肺》反対。《左目》反対。《舌》棄権。”器官”を失ったとしてもアナトミアは無くならない。”器官”は作り直せばいい」
最悪、組織は作り直せばいい。
そう言いきったノアに各々が反応を返すが、そのうちのひとりであるベルナルドは小さく笑った。
「さすが《脳》だねぇ。実に合理的だ」
「合理的? ただの狂気だろ」
「この組織で、その二つを分ける意味があるかなぁ?」
《脳》統括の決定により、アナトミアという怪物は動くことが決まった。
与えられた餌だと分かっている。それが罠だと分かっている。そして、誰かが自分たちを誘導していることも。
それでも《脳》が噛めと言ったなら、牙は閉じる。
それがアナトミア。
共有投影に、赤い承認印が浮かび上がる。
その印の下で、賞金首掲示板の金額がまだ点滅していた。
まるで、誰かが画面の向こうで笑っているように。
「目的を再設定する」
一つ、ラビット商会の拿捕、または機能停止。
二つ、エリーの生体確保。優先度、最上位。
三つ、ラビットⅡの拿捕。破壊は最終手段。
四つ、ハイデマリー、リタの確保。優先度、中。
五つ、オキタの戦力評価。交戦時は戦闘記録取得を最優先。
六つ、賞金額を操作した第三者の痕跡取得。
七つ、可能であれば、オキタの無力化。
「作戦担当は《右腕》」
「喜んで」
「資金と回収後処理は《胃》」
「任されたよぉ」
「情報支援は《左目》」
「了解」
「政治的後始末が発生した場合、《舌》」
「必要最低限で対応します」
「輸送は《肺》」
ノアの視線が、グレゴールへ向く。グレゴールは、長く息を吐いた。
「……最低限だ」
声は低い。
「中継ルートと退路は用意する。だが、現場には近付けねぇ。オキタ、いやデスペラードが出てきたら即時撤退する。これは譲らねぇ」
「許可。《肺》は撤退判断権を持つ」
ノアは言った。
「ただし、回収対象の輸送可能性が残る限り、完全離脱は禁止とする」
「クソが」
グレゴールは吐き捨てた。その声には、怒りよりも諦めが混じっている。
「では会議終了とする」
ノアがそう言った次の瞬間、白い少年の映像は消えた。
続いて、セレスの映像が薄れる。
「必要があれば呼んでください。必要がなければ、呼ばないでください」
セレスは最後まで興味の薄い声だった。
自分の舌が必要ない案件には味見すらしない。その距離感を、他の面々も嫌ってはいなかった。
セレスが退席した後、ルシアンが無言で通信を切った。
彼の仕事は基本裏方だが、彼がどこまで正確な情報を拾えるかが作戦の成否に直結する。その義眼の奥では、すでに膨大な検索が始まっている。
そして残っている面々はヴェスナ、ベルナルド、グレゴールの三人。
「良かったじゃないかグレゴール君。再会は人生を豊かにするぞ」
「お前が代わりにメリダの夢を見てくれるなら、いくらでも豊かになってやるよ」
「夢? 私は悪夢なら歓迎だ」
「だろうな」
グレゴールは椅子に深く沈み込んだ。
その横で、ベルナルドは再度エリーの画像を見つめている。
「ふふ、楽しみだねぇ。エルフは長持ちする。適切に扱えば、資産として非常に優秀だよぉ」
ベルナルドは、エリーの画像を眺めたまま言った。
「精神の傷は構わない。けれど肉体は綺麗なままで頼むよぉ。特に耳だ。そこに傷を付けた者には、僕から請求書を送る」
「注文が多いなぁ、ベルナルド君。仮に私が傷を付けたらどうなるのかな?」
「君の右腕を一本、担保に貰おうかなぁ」
「はっはっは! それは困る!」
「おまえら二人を同じ船に乗せるくらいなら、まだ燃料漏れを抱えて飛ぶ方が落ち着くぜ」
「よろしく頼むよぉ、グレゴール君。彼女は丁寧に運んでほしい」
「お前ごと貨物室に詰めて真空に晒してやりてぇよ」
「僕は繊細だから、取り扱い注意で頼むねぇ」
「安心しろ。注意深く蹴り出してやる」
そこまで話したところで、ベルナルドが通信を切った。通信の最後、同じ場所にいるルシアンから何か話しかけられているようだった。
ヴェスナはグレゴールにほんの少しの気遣いのために黙っていたが、ベルナルドも抜けた後はもう黙っていられないと声を上げて笑った。
「いいねぇ。《肺》は怯え、《胃》は飢え、《左目》は覗き、《舌》は不快な味を覚え、《脳》が決めた。そして《右腕》は殴りに行く」
「狂人が詩人気取りか」
「いいや、解剖医気取りさ」
彼女は、共有投影で点滅する賞金額を見つめる。
「さあ、ラビット商会を開いてみよう。中に何が詰まっているか、実に楽しみだ」
椅子の上でくるくると回るヴェスナを眺めながら、グレゴールだけがまだ通信に残っていた。
その背後で、部下の声が飛ぶ。
『船長、検査網を抜けました!』
「……そうか」
『次の航路は?』
グレゴールはすぐには答えない。
彼の視線は、もう消えたはずの共有投影の中にあるオキタという名前をまだ見ていた。
「メリダ方面の軍記録を洗え」
『軍記録ですか?』
「第88TSF連隊。オルトロス中隊。オキタ。デスペラード。ゼネラル・エレクトロニクス戦の噂も拾え。酒場の戯言でも、整備士の愚痴でもいい。全部だ」
『了解。けど、何があるんです?』
グレゴールは、艦長席の肘掛けを握り締めた。
「昔、災害にあって死に損なったことがある」
『……その災害が、また来るんですかい』
「来るんじゃねぇ」
グレゴールは低く言った。
「こっちから近付くんだ。馬鹿どもが、金と女と好奇心に鼻面引っ張られてな」
そこで通信が切れた。
最後に残ったのは、ヴェスナ・ブラキウムだけだった。
いや、正確には彼女は映像ではない。ここはカーテリゼーション、《右腕》の本拠地だ。
彼女だけは、生身でこの円形会議室に座っている。
ヴェスナはしばらく無人の卓を眺めていた。
五つあった立体映像は消え、骨で組まれたような卓と、赤黒い肉を思わせる壁面投影だけが残っている。
やがて彼女は、堪えきれなくなったように笑い出した。
「はーーーっはっはっは!」
笑い声が、空の会議室に反響する。
あまりの笑い声に、会議室前の扉に控えていた部下が通信越しに声をかけた。
『頭? どうしました?』
「いや、実に良い会議だった。良い報告、良い反対意見、良い欲望、良い恐怖。そして良い誘い文句だった」
『誘い文句ですか?』
「ああ」
ヴェスナは立ち上がり、壁面へラビット商会の情報を再表示した。
ラビットⅡ。船。興味なし。
ハイデマリー。商会長。興味なし。
リタ。傭兵。興味なし。
エリー。エルフ、ベルナルドの餌。興味なし。
オキタ。興味あり。
その名前を太く、赤い花丸で囲んだ。
元帝国宇宙軍メリダ星系外縁方面艦隊、第88TSF連隊、オルトロス中隊長。
元トップガン。少年兵として三年ほぼ無休で戦い続けた異常な戦果の持ち主。
現在はセクレトの試作TSF、デスペラードを受領。
ゼネラル・エレクトロニクスの暗部を退けた男。
「素晴らしいじゃないか」
ヴェスナは、オキタの名前を指先でなぞる。
「軍人だった君は、どんな顔で戦っていたのかな。命令で? 義務で? それとも、何も考えずに?」
彼女の唇が薄く歪む。
「今はどうかな? 仲間を守るのか? 昔のように、必要な部分だけ壊すのか?
それとも―――怒るより先に、殺す順番だけが綺麗に並ぶのかな?」
ヴェスナはうっとりと目を細める。
「見たいなぁ」
その声は、どこか恋にも似ていた。
ただし、彼女が触れたいのは肌ではない。青年が発する暴力の内側だ。
「ネウラ」
『はい、頭』
「選抜する、《右腕》の動ける連中を集めたまえ。馬鹿はいらない。臆病者もいらない。だが、死にたがりは少し欲しい」
『了解です。目標は?』
「ラビット商会」
『ああ、この間遭遇した連中ですか』
「……おや? どこかで会っていたのかい?」
『頭もいたでしょ、忘れたんですか?』
「……しまった、なにも思い出せない」
ヴェスナは笑顔で答えた。
「まあいい。狙いはそれと、元トップガンの亡霊だ」
『亡霊?』
「そうとも。メリダの外縁で《肺》を壊しかけた、帝国宇宙軍の亡霊だ」
白衣の裾を翻し、ヴェスナは会議室の出口へ向かう。
「今はセクレトのデスペラードに乗っているらしい。実に良い名前だ。絶望を運ぶ機体とは、なかなか洒落ている」
『やばそうですね』
「だから行くのだよ」
大仰な扉を、今度は内側から開く。
暗黒星雲の奥、帝国軍の目も届かない闇の中で、レッドギルド=アナトミアの《右腕》が動き始めた。
掴むために。
砕くために。
そして掴んだものが刃であれば、どちらの骨が先に折れるか試すために。
ヴェスナ・ブラキウムは、心底楽しそうに呟いた。
「さて」
人間の尊厳を玩具にする女は、まだ見ぬ戦場に向かって笑った。
「ラビット狩りと行こうじゃないか」
「……ところで、私が恋する彼には、一体どこに行けば会えるんだい?」
『知りませんよ。そこからですか?』
「そこからだねぇ」
『《左目》の旦那に聞いてください』
「よし、まずは目玉を借りよう」




