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宇宙の傭兵SF冒険譚  作者: 戦慄の大根おろし
紅白
130/143

127_紅い解体新書②

長いので切ります。残りは19時に投稿します

※胸糞注意


「個別案件に移行する」


 ノアの言葉と同時に、画面にひとつの情報群が表示された。そこにはエリュシオン銀河系に入ってきた船籍とその乗組員が載っていた。


 共有されたこのリストは、どの船、あるいはどの個人に幾ら懸賞金が懸けられているかを示す、云わば賞金首掲示板だ。

 ただし、傭兵ギルドや帝国軍が掲示している表のものではない。この掲示板はアナトミアのような巨大レッドギルドから小規模の宙賊、表で活動出来なくなったもぐりの傭兵や企業私兵、賞金稼ぎが覗く非合法の首値市場になっている。


 その中でもクレジットを抱えていそうな商船、または賞金額が高い人物で、つい最近エリュシオン銀河系に入ってきた新入りとして、一つの商会がピックアップされていた。


 その商会の名前は、ラビット商会。


 登録上は独立系の小規模商会。商会の立ち上げこそエリュシオン銀河系だが、主な活動領域は帝国中央のゼノンシス=コア銀河系となっている。主業務は商品輸送と販売、危険宙域の突破、荒事を含む物資調達。規模に対して依頼成功率は高く、直近の評判も悪くない。

 経歴上は至って普通、少し優等生よりな組織にしか見えない。


「へぇ、良い船に乗ってんじゃねぇか」

『船長不味いですよ! 簡易ですけどスキャン来てますスキャン! その通信解析されちゃいますよ!?』

「っと、すまん。そういう訳で少し中座する」


 部下から入った泣きに対応するため、グレゴールは通信を一時遮断した。


 他の面々は共有投影に表示された船舶情報へと視線を移していく。


「ラビットⅡ、読みはセカンドかなぁ?」


 ベルナルドが首を傾げる。


「セクレト・アスティエロが用意したフラグシップ艦、それも強襲揚陸艦とは穏やかではありませんね。帝国側が新造艦の使用を容認している点も気になりますが」


「何にせよ、小規模の個人商会には不釣り合いな船だ。セクレトとの関係を隠そうともしない点も、これでは返って不気味に見える」


 ベルナルド、セレス、ルシアンがそれぞれの見解を以てラビットⅡへの所感を言う。

 セクレト・アスティエロから公開されている船体規模、推進器、装甲材、内装のグレード、通信設備、整備性は通常の商船とは明らかに異なる、戦闘を主任務としたものだ。民間商会が気軽に持てるものではないことは明白だった。


「売れば高いだろうねぇ」


 ベルナルドは実に楽しそうに言った。荒事に直接関わらない彼にとって、ラビットⅡは商品としての価値しかない。


「あるいは、売らずに使ってもいい。高級品というのは、転売益だけが価値ではないからねぇ」


 彼の視線は船体情報の上をゆっくりと滑っていく。

 装甲材、推進器、通信設備、内装グレード。ベルナルドにはこの船にどれだけの価値があるかは分からないが、珍しい物がどれだけの価値を生むかは知っている。


「綺麗に持ち帰れれば解体しても良いし、アナトミアの看板として飾っても良い。部品だけ抜いても良い。高いものはねぇ、壊れてからでも使い道があるんだよぉ」


 ベルナルドは柔らかく笑う。その笑みは、値札を貼る手つきに似ていた。


「気の早い奴め」


 ルシアンはそんなベルナルドに溜息を吐いたが、その意識は既に別の項目へと移っている。

 ラビット商会、構成員情報。


 商会長ハイデマリー。賞金なし。

 専属傭兵エリー、賞金額200万。

 専属傭兵オキタ、賞金額100万。


 そこまで目を這わせた所で、ルシアン・オルクスの義眼が小さく明滅した。


「―――待て」


「何かなぁ?」


「掲示板の更新が走った」


 ルシアンは端末を操作する。共有投影の端に表示されていた賞金額の欄が、一瞬だけ砂嵐のように乱れた後に更新されていく。


 商会長ハイデマリー、賞金800万。生死問わず、ただし生体の場合は追加報酬。

 専属傭兵エリー、賞金額2000万。生死問わず、ただし機体確保の場合は追加報酬。

 専属傭兵リタ、賞金額2000万。生体確保推奨。

 専属傭兵オキタ、賞金額5000万。生体確保推奨。

 追記:オキタ搭乗のデスペラードの戦闘映像記録に高額加算。


 四つの名前の横に並んでいた数字が、同時に点滅する。

 ルシアンは最初、桁の読み間違いかと思った。

 個人で千万単位に届く賞金首は、裏の掲示板ではそうそう出回らない。何故なら、ある程度の情報網を持っている者なら、この掲示板の存在には気付けるようになっている。


 つまり、狙われる側も知ろうと思えば知れる情報ということだ。

 だから本当に高額な標的ほど、表立って首値市場には流れない。依頼者は不特定多数を煽るのではなく、名のある連中に直接話を持ち込む。


 だが、これは違う。


 ラビット商会にも、お前たちは狙われているのだと伝える意図が透けて見えるやり方だ。今まで無名だった個人商会が、まるで水面下から押し上げられるようにその価値を膨らませていく。


 ハイデマリーの賞金額が跳ねる。

 リタの賞金額が跳ねる。

 エリーの賞金額が跳ねる。

 そして最後に、オキタの賞金額が一拍遅れて跳ね上がった。


 それは単なる増額ではない、掲示板の空気そのものを変える上昇だ。

 この首は価値がある、この船は狙うに値する、今すぐこの商会に噛みつけ、早い者勝ちだぞ。数字がそう叫んでいる。釣られて動く連中は多いだろうと、ルシアンはラビット商会の生存率を静かに下方修正した。


「……これはまた、ずいぶん露骨ですね」


 賞金増額の意図を理解したセレス・リングアが、初めてわずかに目を細めた。


「誰が上げたのかな?」


「匿名だ」


 ヴェスナが問うが、ルシアンは首を横に振った。


「だが、経路が妙だ。複数の匿名口座を経由している。銀河系外の投資銀行、債務奴隷市場の決済網、軍需系ペーパーカンパニー、慈善財団の休眠口座まで挟んでいる」


「ふふ、慈善財団だって? 善意で首に値段を付けるとは、実に文明的じゃないか」


 ヴェスナが楽しそうに笑う。


「冗談を言っている場合ではない」


 それに対して、ルシアンの声は冷たい。


「この経路は隠蔽目的というより、追跡者の視線を散らすためのものだ。金額を上げた主体は正体を隠したい。だが同時に、増額そのものは見せたい」


「つまりぃ?」


 ベルナルドが問う。


「この金額を上げた連中の意図は不明だが、ラビット商会を狙わせたがっている。初動でこれだけのクレジットを動かせる連中だ。失敗したとみると、更に賞金を跳ね上げる可能性すらある」


 通信回線に長い沈黙が降りた。ルシアンだけではない、ベルナルドもセレスも、ヴェスナでさえ誰かの掌の上に居る感覚を覚えた故の、長い沈黙だった。


『―――すまねぇ、今戻った。クソッタレの帝国軍め、要らねぇ真似しやがるからああなるんだよ。……おい、何かあったか?』


「やあグレゴール君、お仕事ご苦労。いやなに、私たちを嵌めようとしている連中が裏に入り込んでいるようでね。どうしたものかと各々考えていたところだよ」


「罠か?」


 グレゴールが低く言った。


「可能性は高いねぇ」


「だったら終わりだ。その案件は捨てろ」


「それも含めて、お前も統括の一人として意見を言え。判断材料になる」


 ルシアンは賞金額の推移()()を表示する。

 更新前と更新後。増額率。入金時刻。経由口座。賞金条件。

 機体情報、特にデスペラードの映像記録に高額加算。


「おい」


 グレゴールの顔色が変わる。


「この、デスペラードって奴の戦闘情報にクレジットを出す奴がいるのか」


「そのようだ」


「ふざけんな、それが目的だろ。他は完全に餌じゃねぇか」


 グレゴールはそう吐き捨てた。


「金を積んで、俺たちみてぇな連中を向かわせて戦闘記録を取らせる。生き残った奴から情報を回収する。そういう仕組みだろうが」


「生き残れば、だねぇ」


 ベルナルドが穏やかに言う。


「笑い事じゃねぇ」


「笑ってはいないよぉ。命を懸けるに見合う価値を見つけられるか。仕事ってのはそういうものだろぉ?」


 そう言って微笑むベルナルドの興味は、ラビット商会の詳細へと移っていた。そこに映っているのはターゲットとなる人物の画像。ベルナルドは濁った視線はその中のひとつ、エリーへと注がれていた。

 跳ね上がった賞金額は市場価値の証明になる。誰かが値段を吊り上げたのなら、彼女にはそれだけの意味がある。


 ベルナルドの欲望は、警戒ではなく執着の方へ傾いた。


「むしろ、僕はこれで確信したよぉ」


「何をだ」


「このエリーって子には2000万の価値があるってねぇ」


 ベルナルドは囁くように言う。共有されている画面にはエリーの情報が並んだ。本人像に経歴プロフィール、嗜好、搭乗機体に戦闘記録まで。スペースコロニーで隠し撮りされたような画像と共にありとあらゆる情報が並べられていく。


「誰かが彼女に高い値段を付けたのさぁ。彼女は高い、いや、値段以上の何かがあると僕は踏んだねぇ。市場が叫んでいるんだよぉ。奪え、隠せ、所有しろ、とねぇ」


「市場じゃねぇよクソ豚。誰かの誘導だっつってんだろ」


「エリーちゃんになら、誘導されるのも悪くないねぇ」


「悪いに決まってんだろうが!」


 グレゴールの怒声が、貨物船の艦橋に響いた。

 背後の部下が何事かと覗き込むが、グレゴールは構わず続けた。


「いいか、これは餌だ。値段を吊り上げて食欲を煽ってる。にもかかわらず、本命はデスペラードとやらの戦闘記録ときた。完全に見物料じゃねぇか。俺たちは見世物の犬にされかけてんだぞ」


「訂正。我々は犬ではない」


「怪物でも餌に釣られりゃ罠に落ちるだろうが」


 訂正を入れるノアの声はいつも通り平坦だったが、それがグレゴールの短気をより煽ることとなった。


 グレゴールは噛みつく。


「《脳》統括、これ以上連中に探りを入れるのは止めろ。言っておくが俺の勘だとか抜かすつもりはねぇ、物流屋としての真っ当な判断だ。増額のタイミングが良すぎる。こっちが覗いた瞬間に跳ね上がるなんざ、誰かが見てる証拠だ」


「《左目》統括として、《肺》統括の意見に同意する」


 グレゴールに続き、ルシアンは《脳》に向かってそう宣言した。その一言に、ヴェスナが珍しいものを見たと目を向ける。


「ルシアン君がグレゴール君に同意とは。今日は星の並びが悪いのかな?」


「グレゴールの臆病風に流されたわけではない。

 お前も知っての通り、この掲示板の秘匿性は高くないが匿名性は高い。完全ではないがな。今回の増額はその匿名性の高さを逆手に取り、誰かが閲覧を検知した直後に実行された可能性がある。

 ここまで想像出来る以上、罠に飛び込むような馬鹿をするのは御免被る」


 ルシアンは端末から目を離さず、自分が判断した内容を並べていく。


「《左目》は、誰かが我々を狙っていると想定しているのですね?」


 セレスが問う。


「断定はできない。我々ではなく別の誰かに向けた罠である可能性も依然として高い。だが、少なくとも閲覧者を選別しているのは間違いないだろう。単に賞金を上げたのではなく、特定の目が見た瞬間に価値を跳ね上げていると感じた」


「つまり、我々を含めたレッドギルドにラビット商会への襲撃を促している」


「そうだ」


 セレスは静かに指を組んだ。


「嫌な舌触りですね」


「珍しいなぁ、君が嫌がるとは思わなかったよぉ」


 ベルナルドが言う。


「嫌がるでしょう。こちらが言葉を選ぶ前に、誰かが台本の余白を埋めている感覚が拭えないのですから」


 常に奪う側であるアナトミア統括にとって、台本は自分たちが書くものだ。自分たち以外が書いた台本の上で踊らされるのは、世界から外れ、自分たちのルールの中で自由に生きているアナトミアの統括たちが最も嫌うものだった。


 だがそれを考慮してもなお、賞金首掲示板に踊る数字は、彼らの欲望へ直接指を差し込んでいるのも事実だった。


「私はそれほど嫌いではないがね。何せ、私が躍る台本はいつも君たちが用意してくれるのだから。今回もきっとそうなるんだろうし」


「お前は楽しけりゃ何でもいいんだろ」


「何でもではない。退屈なものは嫌いだ」


 気狂いが、そう吐き捨てたグレゴールにヴェスナは微笑み返した。


「餌が本物なら噛む価値はある。罠だとしても、罠ごと持ち帰れば利益になる。……おや? 今回は得しかしないんじゃないか?」


「持ち帰る前に死ぬんだよ」


「君は本当に生き死にの話が好きだね。今も危険な運送をしているのに、どうして慣れないのか不思議でならないよ」


「とはいえ、ラビット商会を狙う場合はその背後関係が気になります。

 セクレトとの関係は明白。であれば、セクレトに恨みのある企業か。あるいはすでにやり合っている企業が控えていることになります」


 さりげなく言うセレスだが、誰もそれ以上踏み込まなかった。

 セクレトは帝国経済御三家に数えられる超巨大企業、恨みは相当に買っている。それでも表立って喧嘩を売れるとなると、その企業は2社に限られる。

 もしその相手が御三家の場合、帝国そのものを揺るがす企業間戦争が待っていることを意味する。アナトミアとしても、世界を割るような戦争に関わるならば、それなり以上の準備が必要になる。確証のない巨大企業の名は、軽々しく会議の卓へ置くには重すぎた。


 政治や交渉を担当するセレスにも、情報を扱うルシアンにも、帝国中央のきな臭い動きは届いている。御三家同士の企業間戦争。その可能性をこの場で口にするには、まだ材料が足りなかった。


「空論で語っても意味がない。まずは一般情報を確認してからだ……ベルナルドは勝手に見ているようだが」


 ルシアンは端末の階層を切り替えた。賞金額の点滅は隅へ追いやられ、ラビット商会の公開情報と裏市場に流れる断片情報が並ぶ。


 ラビット商会代表、ハイデマリー。

 経歴には曖昧な部分が多いが、業績や過去の接触記録から、単なる素人ではないと推測できる。


「この商会長も悪くないねぇ」


 ベルナルドが目を細める。


「ハイデマリーちゃん。こういう女を好む層は確実にいるよぉ。気品より愛嬌、傷付けるより隣で飾る方が価値が出るタイプだねぇ」


 ベルナルドは画面の中のハイデマリーを眺めながら、指先でゆっくりと頬の輪郭をなぞった。

 触れているわけではない。だがその仕草だけで、通信内の空気が一段ぬるくなる。


「こういう子は、いきなり壊してはいけない。最初は綺麗な部屋に置いて、優しく扱って、自分がまだ大切にされていると勘違いさせるんだよぉ」


「……何の話をしている」


 ルシアンが低く言う。


「保管方法の話さぁ」


 ベルナルドは、何が分からないのかという顔で笑った。


「人間はねぇ、扱い方ひとつで表情の出方が変わるのさぁ。泣くまでの時間も、諦めるまでの時間も、縋る相手を間違えるまでの時間も」


 そこで彼は、ハイデマリーの画像を指先で少しだけ傾けた。


「そういう変化を見るのは、とても楽しいんだよねぇ」


「いい趣味してるぜ、ほんと」


「褒め言葉として受け取るよぉ」


 続いて、別の人物情報が拡大される。


 専属傭兵リタ、専用TSF操縦者。

 階級は中尉、共和国への出向記録有。戦闘記録は少なくない。荒事に慣れた傭兵たちの間では名前が少しずつ出回り始めている。


「この青髪の子も良いねぇ」


 ベルナルドの声に、更に湿り気が混じった。

 リタの戦闘記録を見ているはずなのに、彼の目は武装にも機体にも向いていない。画面の中の少女が、どこまで耐えるかを想像していた。


「若いのはそれだけでいい、勢いがある。壊れやすそうに見えて、簡単には壊れないしねぇ。こういう素材は、扱い方次第でいくらでも価値が伸びるよぉ」


「実際、荒事に慣れているようですが」


 セレスが淡々と言う。


「だから良いんだよぉ」


 ベルナルドは嬉しそうに目を細めた。


「最初から怯えられたら、すぐにつまらなくなるからねぇ。けれど、自分には芯があると思っている子は違う」


 ベルナルドはリタの戦闘記録ではなく、静止画のメモとを拡大した。


「折れるまでに、音がするんだぁ」


「お前、リタを戦力として見てねぇな」


 グレゴールが吐き捨てる。


「もちろん見ているよぉ。戦力として強いなら、なおさら良い。強い子が、自分の強さでは何も守れないと知る瞬間は、如何ともしがたい味があるからねぇ」


 ベルナルドの露骨な趣味に、グレゴールの顔が汚水でも飲まされたように歪んだ。


「最悪だな」


「褒め言葉として受け取るよぉ。それよりもほらぁ、次はエリーちゃんだぁ」


 ベルナルドは意に介さない。

 そして、次の情報が表示された瞬間、彼の目つきが変わった。


 専属傭兵エリー、専用TSF操縦者。

 階級は中尉。推定年齢、不明。種族、希少種(エルフ)


「エリーちゃんの市場価値は、極めて高いだろうねぇ」


 ベルナルドが自身の顧客とのやり取りを並べる。その内容は『もしエルフの少女が手に入ったら幾らで買うか?』という内容だった。

 僅か数分前にそう書き込んだにもかかわらず、そこには買い手候補がずらりと表示されていた。貴族、企業役員、蒐集家、特殊嗜好クラブ。どれもこれも、表向きは清潔な顔をしている連中ばかりだった。


「みんな、とても欲しがってる。その気持ちはよ~く分かるよぉ」


 ベルナルドが囁いた。

 その声は、先ほどまでの商売人の声ではない。もっと個人的で、もっと飢えている。


「でも、この子は駄目だよぉ」


「駄目?」


 セレスが問う。


「売るつもりがないんだぁ」


 ベルナルドはエリーの画像から目を離さない。その目からはまばたきが消えていた。

 彼が画像を触る指先が、先程より少し遅く動いている。


「売れば高い、間違いなく高い、高すぎるほど高い。けれど、こういうものは手放した瞬間に損なんだよぉ。クレジットに替えたら終わってしまう。資金は増えるても、彼女はいなくなる」


 ベルナルドは手に持っていたグラスを音もなく置いた。

 その指先が、投影されたエリーの輪郭をなぞる。


「彼女は売りものじゃない。飾って、しまって、取り出して、試して、またしまうものだ」


「……試す?」


 セレスが問い返す。


「うん」


 ベルナルドは穏やかに頷いた。


「どこまで耐えるのか。何を残しておけば壊れずに済むのか。そういうのは、実際に手元に置いてみないと分からないからねぇ」


 その指先が、投影されたエリーの耳の輪郭をなぞる。

 画面の中の光に触れているだけなのに、そこにいる全員が、汚れた手が肌へ伸びていく錯覚を覚えた。


「エルフの女はねぇ、ただの女じゃないんだよぉ。長命種で、肉体的な劣化が遅くて、希少性が高い。だから長く置ける。長く遊べる。長く、反応を見ていられる」


 ベルナルドはそう言いながらグラスの縁を指で撫でた。画面の中のエリーの耳、その輪郭を撫で上げてでもいるような手つきで。


「《胃》の統括というより、お前は欲の塊だな」


 グレゴールが吐き捨てる。


「胃とはそういう器官だよぉ。入れたいものを選び、飲み込み、消化する。けれど、すぐに消化してしまうのは三流だ」


 ベルナルドは微笑む。


「本当に良いものは、ゆっくり味わう。逃げないようにして、壊れないようにして、飽きるまで何度でも確かめる」


「胸糞悪ぃ」


「胸で済むなら健康的だよぉ」


 ベルナルドは、エリーの画像を拡大した。


「彼女は僕のものにしたい。売却益ではなく、所有益としてねぇ」


 捕えた後に、自分が飼う。嬲って、泣かせて、価値が落ちない範囲で何度でも手元に戻す。

 ベルナルドはそれを誰に言うでもなく、決定事項のように口にしていた。


「彼女は、きっと長持ちするよぉ」


「……もういい、黙れ。これ以上は耳が腐る」


 ねっとりとしたその宣言に、通信内の空気が少しだけ濁った。

 ベルナルドはその濁りすら、芳香のように味わっている。彼の欲は、もうエリーを手に入れた先へと向けられている。




 だが、その場の全員がエリーに視線を向け続けていたわけではない。

 グレゴール・プルモだけは、他の船員の名前を見ていた。


 スクロールして次の船員名簿に視線を移す。



 そして、その名前が拡大された瞬間、グレゴールの喉が鳴った。



 オキタ。元帝国宇宙軍所属。

 元メリダ星系外縁方面艦隊、第八十八TSF連隊所属。

 オルトロス中隊、中隊長。

 元トップガン。現在、ラビット商会所属。



 それは乾いた音だった。宇宙服の通信越しに聞いた、誰かの最後の息にも似た音と共に、グレゴールの顔から血の気が引いて行く。


 ―――オルトロス中隊のオキタ。


 その名前を、グレゴールの身体は頭よりも先に思い出していた。


「……やめろ」


 口にするつもりは無かった声が掠れて出る。

 《肺》統括としての判断でも船長としての命令でもない。喉の奥に残っていた古い悲鳴が勝手に漏れ出た。グレゴールは慌てて奥歯を噛み締めるがもう遅い。通信越しに、今の声が恐怖から出たものだと伝わってしまっていた。


「……この案件は捨てろ」


「おや? おやおやおや?」


 ヴェスナが目を輝かせる。


「どうしたグレゴール君。《肺》の統括が、急に呼吸を忘れたような顔をしているじゃないか」


「ッ冗談じゃねぇっ! なんで、よりにもよってあのバケモンがこんなとこにいやがる!?」


 グレゴールは共有投影を睨みつけ、震える指でオキタの名前を差した。


「オキタ……ああそうだ思い出した、オキタ中尉だクソッタレ! そいつがいるならこの案件は終わりだ! ラビット商会には絶対に手を出すな! 絶対にだッ!!」


「理由」


 ノアが短く問うが、グレゴールは答えなかった。いや、答えられなかった。肩は震え、まるで長距離を走り切った後のように深い息を繰り返している。


 話せないグレゴールに代わり、ルシアンが静かに端末を操作した。


「待て、この人物だけ詳細に経歴が記されている」


 共有投影の一部が切り替わる。


「オキタ中尉。元帝国宇宙軍メリダ星系外縁方面艦隊第八十八TSF連隊オルトロス中隊。階級は資料によって揺れがあるが、中隊長としての作戦参加記録が複数確認できる」


「中隊長?」


 ヴェスナが首を傾げる。


「若そうに見えるがね」


「元少年兵だ」


 ルシアンは淡々と言った。


「少なくとも記録上の彼は少年兵として三年間、メリダ星系外縁方面で戦闘に従事している。休養記録は極端に少ない。ほぼ無休と言っていい」


 共有投影に、作戦記録が並び始める。


 迎撃任務。

 強襲任務。

 護衛任務。

 宙域制圧。


 スクロールされていく毎に、グレゴールの表情が歪んで行く。


 敵拠点破壊。

 拿捕作戦。

 撤退支援。


「ほう、大したものだ」


 ヴェスナが面白いと呟く。


 撃墜数。

 撃破数。

 生還率。

 部隊損耗率。


 記録された数字が、次々と積み上がる。その量に、セレスが信じられないと眉を上げた。


「これは、通常の少年兵の戦歴ではありませんね」


「通常の軍人でもこうはならないだろう」


 ルシアンが言う。


「戦果が異常だ。だが、それ以上に特筆すべきはその戦闘技能の方だ」


 映像ファイルが開かれる。古い軍用ログだが、誰が挙げたのか戦闘記録が映像として残っており、ルシアンはそれを再生させた。

 そのログには、宙賊艦隊と帝国宇宙軍所属の1個TSF小隊が交戦している様子が映っていた。帝国軍側の先頭を行く機体には、オルトロス1と注釈が記されている。


 オルトロス1は万全の迎撃態勢を整えた宙賊艦隊へ突入し、ほとんど速度を落とさないまま複数の敵機を撃破していく。

 撃つ。避ける。斬る。沈める。

 艦隊が為す術も喰い破られていく様は、最早戦闘などと呼べるものではなかった。敵を認識し、必要な手順を選び、排除する。ただの処理とでも言える戦闘機動が淡々と記されていた。


「……何だ、これは」


 グレゴールではない。言ったのは、ベルナルドだった。

 彼はエリーの画像から視線を外し、戦闘ログを食い入る様に見ている。


 そこには、金の匂いとは別種の価値があった。

 兵器としての価値と、殺戮技術としての価値。

 そして、敵に回した時の損失としての価値もまた、彼の頭の中で弾き出されていく。


「この記録だけではない」


 ルシアンがさらに端末を操作すると、別のログが開かれた。


「メリダ外縁、違法輸送船団制圧記録。標的は三隻の偽装輸送船。積荷は軍用B.M.I部品および債務奴隷。帝国軍は小隊規模で追跡を開始したが、実際に接敵したのはオキタ機のみ」


 グレゴールの顔が、明らかに強張った。


「やめろ」


「記録を確認する」


「やめろって言ってんだ」


 グレゴールの声には怒りよりも恐怖があった。

 だがルシアンは止めなかった。共有投影に、古い戦闘ログが再生される。


 ノイズの多い映像は見れたものではなかったが、誰も文句を言わなかった。先程の映像を見た全員が、食い入るように戦闘ログを見ている。

 撮影者は艦内にいるのか、襲撃を受け混乱している場面から始まった。廊下に鳴り響くアラート、船体が衝撃に揺れ、損傷したのか艦内放送に怒号が走る。


 そして場面が切り替わり、船外カメラに映ったのは一機のTSF。帝国軍の主力機が、たった一機で白い光を引きながら、三隻の輸送船団へ接近する所で映像が乱れた。


「映像には残っていないが、生き残りがログを残している。それによると、最初の三十秒で護衛機は全滅」


 ルシアンが読み上げる。


「次に二番船の推進器が破壊され、航行不能に陥る。離脱を図る三番船の逃走進路を予測し、船首側を切断。破壊の際、積荷区画の損傷は限定的。最後に一番船の操舵系、通信系、指揮系を局所破壊。これらを1機で行い、船団を完全停止させている」


「……」


 グレゴールは何も言わず、俯いたまま動画から目を逸らしていた。


 見なくても知っているからだ。何故なら、彼はその場にいたから。

 運悪く、グレゴールはその船に乗っていた。乗っていたその船で、真空へ吸い出される仲間の声を聞いた。逃げ場を失った艦橋の中で、上官たちが奴隷を盾にしろと喚く声を聞いていた。


 そして、その全てが何の意味も持たず、ただ必要な部分だけを正確に潰されていくのを体験した。


「……アレは、俺が知る中でも一等の化け物だ」


 グレゴールが震える声で低く言う。


「迎撃態勢を整えた俺たちを、たった1機で全て潰した。船を沈めるでもなく、全員殺すでもなく、必要な場所だけを壊した。人質も、交渉も、泣き声も関係なかった」


「軍人としては優秀ですね」


 セレスが静かに言う。


「まるで災害だねぇ」


「ベルナルドの言う通りだ。あれは人間じゃねぇ。

 少なくとも、俺が戦場で見たオキタって野郎は人間じゃなかった」


 そこまで言って、グレゴールは一度口を閉じた。思い出したくもない過去を、喉に引っかかって離れない痰を吐き捨てながら思い返す。


「命令を受けて動く災害だ。こっちが何を積んでるとか、誰が乗ってるとかそんなのは関係ねぇ。……関係、なかったんだよ」


 ガチガチと、グレゴールは奥歯を鳴らした。


「邪魔なら壊す。必要なら残す。ただそれだけだ」


 息も絶え絶えに言うグレゴール。


 それとは打って変わり、今まで黙ってログを眺めていたヴェスナは、すぐには笑わなかった。


 共有投影に残されたオキタ機の軌道を細い指でなぞる。

 侵入角、破壊順序、通信系を殺すタイミング、推進器だけを潰す手際、積荷区画を残したまま船団の呼吸を止める精度。


 ヴェスナにはそれが、戦闘というより手術のように見えていた。

 麻酔のない手術。祈る時間も、拒む時間も与えない手術だ。


「……綺麗だ」


 ヴェスナの声は、いつもの軽さを一瞬だけ失っていた。


 グレゴールが顔を歪める。


「綺麗だぁ?」


「そうだよ。強い、では足りない。上手い、でもまだ浅い。これは分かっている者の壊し方だ」


 ヴェスナは白衣の袖口から覗く自分の右手を見下ろした。

 細い指が嬉しそうに震えている。恐怖ではない。怒りでもない。

 久しぶりに、退屈ではなかった。


「壊したいから壊すんじゃない。壊す必要がある場所が見えてしまうんだ。骨の継ぎ目、血管の逃げ道、装甲の薄いところ、指揮系統の呼吸点。そこを押せば全部が止まる。そういう答えが先に見えてしまう」


 そこで彼女は、子供のように笑った。


「ねえ、グレゴール君。これは孤独なんだよ。分からないかな?」


「分かりたくもねぇよ」


「だろうね。だからこそ、彼に会ってみたい」


 ヴェスナは自分の右手を開き、閉じた。

 何かの首を掴むように。あるいは壊れやすい標本を持ち上げるように。


「言葉では駄目だ。映像でも足りない。こういう相手は、触れなければ分からない」


 小さく、鼻歌が漏れた。


「壊してみたい。壊されてみたい。どちらが先に相手の構造を理解するのか確かめたい」


「……おい狂人、俺の話は聞いてたか?」


「もちろん聞いていたとも!」


 席から立ち上がり、ヴェスナは腕を広げて笑う。


「元トップガン、少年兵として三年ほぼ無休。異常な戦果に、異常な戦闘技能。しかも、ただ強いだけではない。敵を壊す場所が分かっている。あれほどの解剖は私でも難しい!!」


「美しくねぇよ!」


「美しいさ! なにせ、暴力に無駄がないのだからね!」


 恍惚の笑みを浮かべ、堪らないと身体をくねらせるヴェスナ。

 グレゴールはそんな狂人に舌打ちした。


「理解できるなら反対しろよ……」


「理解できるから会ってみたいのさ。触れて、壊して、壊されて、それでも同じ形が残るのか確かめたい」


 ヴェスナは悪びれずに言った。


「ルシアン君、現在の戦力情報は?」


「……少し待て、今から潜る」


 そう言い、ルシアンは手元の端末を広げ、更に深い階層へ潜った。

 調べるのはオキタの現在情報だ。

 セクレトとの機体開発、その後に受領したデスペラード。その名が表示された瞬間、賞金増額の意図を汲み取ったルシアンの義眼が強く光った。


「デスペラードはセクレト製の次世代試作機だ。軍の次期主力TSF選定計画において、対ヴォイド戦闘試験で多大な戦果を挙げている」


「セクレト製の試作機! ほう、してその性能は?」


 ヴェスナが身を乗り出す。


「不明点が多いが、一般的な傭兵が乗るTSFとは比較にならない。つい先日エリュシオンでも配備が始まった最新鋭機に匹敵、あるいは一部性能では上回る可能性がある」


 ルシアンが新しい記録を開く。その情報には、複数の黒塗りと非合法ルートから吸い上げた断片が混じっていた。


「つい先日、オキタは大企業ゼネラル・エレクトロニクスの暗部と交戦している」


 ゼネラル・エレクトロニクス。

 その名前が出た所で、場の空気が一段階冷えた。あり得ないと思っていたセクレト対ゼネラル・エレクトロニクスの可能性が一段と濃くなっていく。


「いま、暗部と言いましたか?」


 セレスがわずかに声を低くする。


「聞いたことがあります。ゼネラル・エレクトロニクス社外秘の私兵部隊。非合法研究部門に属し、帝国の遺失技術を扱う部隊が存在していると。……まさか、それを退けた?」


「それはあり得ないよぉ。幾らなんでも戦力が違いすぎるからねぇ」


 それだけはあり得ない。そう言い切るベルナルドを他所に、《脳》統括のノアがルシアンに向き直る。


「《左目》に結果の提示を求める」



「―――ゼネラル・エレクトロニクス側が、ラビット商会を相手に撤退している」



 ひゅっ、とグレゴールの呼吸を最後に、その場が完全に沈黙した。

 今度の沈黙は先ほどとは違う。グレゴールのように恐怖によるものではなかった。

 数字を扱う者、政治を扱う者、暴力を扱う者、情報を扱う者。その全員が同じ結論へ辿り着くまでの沈黙だった。


 巨大企業の暗部と戦い、それを退けた。

 それはもう、単なる腕利きと済ましていい次元の話ではない。


「もちろん、ラビット商会側には他の戦力もいた」


 ルシアンが補足する。


「エリー、リタ。両名とも専用TSFに搭乗し、戦闘へ参加している。だが、今回注視すべきはオキタだ。彼がデスペラードを受領した後の戦闘記録は、旧軍属時代の評価を更新する必要がある」


「つまり?」


 ヴェスナが楽しそうに問う。


「不用意に正面から当たれば、《右腕》でも無視できない損耗を出すことになる」


 あらゆる可能性を考慮し、断定することのないルシアンが珍しくそう言い切った。ヴェスナはその言葉を誉め言葉のように受け取り、喜色を浮かべた。


「素晴らしい……」


「オイ気狂い、お前は何も分かっちゃいねぇ。手を出すと死ぬぞ」


 そう言ったグレゴールの視線が、一瞬だけ後ろの部下へと流れた。さっき帝国軍のスキャンに泣き言を入れていた部下。若い航法士に通信士。替えの利く人員ではあるが、死ぬときにはは決まって情けない声を出す。グレゴールはそれを知っている。

 知っているからこそ、ベルナルドのようには笑えなかった。


 だが、そんなグレゴールの忠告に、ヴェスナの笑みは深くなる。


「フフ、だから素晴らしいのだよグレゴール君」


 ハァ、ハァと頬を染めるヴェスナに向かって、グレゴールは今度こそ本気で怒鳴った。


「だから言ってんだろうが! 手を出すな! ラビットⅡが高く売れる? エルフが欲しい? 商会長もリタも価値がある? 知るか! そいつがいるなら全部餌だ。餌に釣られて近付いた奴から食われるぞ!」


「食われるのは、僕ではなく現場の兵隊だろぉ?」


 そのグレゴールに向かって、ベルナルドが穏やかにそう言った。統括とはいえ、自分の命令に従う部下の命を何とも思わないベルナルドに、グレゴールの目が鋭くなる。


「お前、本気で言ってんのか」


「もちろん」


 ベルナルドは笑っていた。


「兵隊は減れば補充できる。船は沈めば買えばいい。失敗した部隊は帳簿に記載されるだけだし、生き残りから得られた情報はクレジットさぁ」


「狂ってやがる」


「ようは帳簿の付け方次第なのに、失礼な言いようだなぁ」


 ベルナルドは、画面の隅に並ぶ三人の女の画像を見ている。

 ハイデマリー、リタ、エリー。

 それぞれ別の棚に置くように、彼は指先で画像の位置を並べ替える。


「ハイデマリーちゃんは、丁寧に怖がらせると良い顔をしそうだ。リタちゃんは折るまでに時間がかかる。エリーちゃんは別格だねぇ。長く保管して、長く遊ぶ価値がある」


「お前、本当に人間を何だと思ってやがる」


 グレゴールは、自分の手が綺麗だなどと思ったことはない。

荷を奪ったこともある。人を見捨てたこともある。泣き声を聞こえないふりをして、船を出したこともある。

 だが、人間を棚に並べる趣味は彼にはなかった。


「人間だよぉ」


 ベルナルドは不愉快を隠そうともしないグレゴールに向かい、不思議そうに答えた。


「人形ならつまらない。機械なら味気ない。人間だから良いんじゃないか。嫌がって、怯えて、怒って、諦める」


 そこで彼は、うっとりと目を細めた。


「たまに、希望を持ち直す」


 ベルナルドは笑った。


「そのたびに、また楽しめる」


「……殺してやりてぇ」


「乱暴だなぁ。僕は壊さないように楽しむつもりなのに」


「それが一番最悪なんだよ」


「そうかなぁ」


 ベルナルドは本気で分かっていない顔をした。


「壊して終わりなんて、もったいないじゃないか」


「……もう一度言うが、お前狂ってるよ」


「ここに正常な者がいるのかなぁ?」


 ベルナルドは周囲を見回すように、通信越しの統括たちへ微笑んだ。


「僕は正直なだけだよぉ。欲しいものを欲しいと言っている。君も正直だろう? 怖いから近付きたくない。実に人間的だとは思わないかい?」


 グレゴールの顔が怒りで歪み、その拳が艦長席の肘掛けを強く叩いた。

 背後の部下がびくりと肩を震わせる。


「危険度を再評価する」


 ルシアンが言った。


「ラビット商会そのものの価値は賞金を見ての通りだ。だが同時に、第三者による誘導の可能性が極めて高い。その第三者による作戦対象であると同時に、我々自身が舞台に挙げられる恐れがある」


「反対理由が増えたな」


 反対しか考えていない、それどころか関わり合いたくない、同じ宙域にいることすら嫌だとグレゴールが言う。


「ああ、そうだ」


 自分も反対だと、ルシアンは淡々とそれを認めた。

 グレゴールが歯を噛み締める。その視線は白い少年へ向いている。


「おい、《脳》統括。何度も言うがこれは誘導だ。俺たちは誰かに見られてる。賞金額も、条件も、タイミングも全部おかしい。ここで乗ったら、こっちは他人の盤面に足を踏み入れることになる。アナトミアは誰かの台本には載らねぇ、そうだよな?」


 しきりに反対しろと迫るグレゴールに対し、《脳》統括のノア・セレブルムは何もない白い空間で瞬きひとつもしなかった。何を考えているのか理解できない能面のまま、グレゴールに向き直る。


「《肺》統括の提案は認識済み」


「だったら!」


「実行」


 ノアによる意思決定、その言葉はあまりにも短かった。

 その二文字にグレゴールの肺から空気が抜ける。怒鳴るために吸い込んだ息が、声にならないまま喉の奥で潰れる。


 こいつらは分かっていない。

 いや、違う。

 分かった上で行くのだ。


 だからこそ、グレゴールは背筋に冷たいものが走るのを止められなかった。


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グレゴールくんかわいそう⋯
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