125_レッドギルド=アナトミア《左目》《胃》
明日も同じ時間に投稿します
―――惑星デミエル
―――高級カジノホテル べラシオン V.I.Pルーム
窓の外では、デミエルの眠らない歓楽街が毒々しいネオンを瞬かせていた。
その喧噪から切り離されたベラシオンのV.I.Pルームで、二人の男が向かい合って座っている。
二人が向かい合うテーブルの上には、年代物の酒と無数の財務データを映し出す立体端末。アナトミアがこの宇宙で関与する金と欲望、その濁流の一端がそこに可視化されていた。
席に座るひとりは銀のメッシュが入った黒い短髪に、片側だけレンズ状の義眼で覆われた細身の男。
灰色を基調としたスーツを着こなし、黒い手袋を嵌めて首より下の素肌を見せないその男は、エリュシオン銀河系の通信記録を胃もたれする程持っている男、レッドギルド=アナトミア《左目》統括、ルシアン・オルクス。
もうひとりは、ワイン色のスーツを纏った肥満体型の男。
指には高額な指輪、腕には金時計。派手な装飾にもかかわらず下品さはなく、むしろ老舗ホテルの支配人めいた気品を漂わせている男は、レッドギルド=アナトミアの資金を管理する《胃》統括、ベルナルド・ガスター。
ルシアン・オルクスが静かな冷気を纏うなら、ベルナルド・ガスターはその真逆。にこにこと人の良さそうな笑顔を絶やさず、柔らかな声色で他者へ接する男だった。
「組織運営費は昨月比で4.1%増加。エリュシオン銀河系内は横這いだが、銀河系外での利益が伸び始めている。蒔いた種が芽吹き始めたか」
ルシアンは空間投影されたグラフを眺めながら淡々と言う。
「ティマイオス社から委託販売を請け負っている”オプーナ”がねぇ、想像以上に当たっちゃってるんだよ」
期待していなかったんだがねぇ、そう言い、ベルナルドは楽し気にグラスを傾けた。
「《肺》の連中が上手くやっている結果だな。銀河系外では販路を裏に限定する必要がないと言っていたが、あの運び屋共は自分たちが思っているほど器用な連中ではない。安全性は期待しない方がいいだろう」
「はは、相変わらず厳しいねぇ。
でもあの液体が何で出来ているのか、僕も知らないんだけどねぇ」
ベルナルドは肩を揺らして笑い、さらりと言った。
部屋の中の誰も表情を変えなかった。テーブルの上の数字は伸びている。ならば、アナトミアにとってそれは問題ではない。問題とは、利益を損なった時に初めて名前を与えられるものなのだから。
グラスを傾け、琥珀色の酒を喉へ流し込むベルナルドを一瞥したルシアンは、無言のまま端末を操作する。空間投影されたグラフが切り替わり、別の数値群が浮かび上がった。
「それについてだが、興味深いデータがある」
「ん?」
「”オプーナ”利用者の暴力衝動増加率が、それ以外と比べて22%上回っている」
「……」
「加えて、摂取量の上昇に伴う判断能力低下と被暗示性の上昇も検証済みだ」
「それだけだと、よくあるトリップだと思うけどなぁ」
頬杖をついたベルナルドは、並べられた数値を見てつまらなそうに呟く。だが、その顔には隠し切れない好奇心も見えていた。
「でも《左目》の君が”興味深い”なんて言うんだ。それだけじゃないんだろぉ?」
「そうだ」
ベルナルドの問いに当然だと、ルシアンは即答した。
「ある一定の摂取量を超えた所で、説明のつかない現象が発生した」
「うん」
「この動画を視ろ」
投影された動画ファイルには、全身を震わせる男の姿が映っていた。
汗まみれの男は、まるで何かに怯えているかのように辺りをしきりに見渡し、焦点の合わない眼で虚空を見つめている。
その男の前へ、透明な液体の入ったグラスが差し出された。
男はそれを見た瞬間、飢えた獣のように飛びつき、我を忘れたようにそれを飲み干した。
そして少しの間を空けた所で、男の様子が一変した。
『違う、違う違う違う。私では、我々では、ああ、申し訳ございません、カミよ、どうか――――――』
錯乱したように叫びながら、男は何も存在しない空間へ向かって跪いた。
録画されたファイルには男以外誰も映っていない。男の目の前には誰もいない。
しかし、男には何かが見えている。
許しを乞うように何度も地面に頭を擦り付け、涙と鼻水を垂れ流しながら虚空へ祈り続ける。
『ああそんな! 私を許してはくださらないのですか!?』
「ここだ。ここで脳波形の乱れが最大値に達した」
映像を一時停止し、解説を入れるルシアン。ベルナルドが頷いたのを見てから映像を再開した次の瞬間、男の身体が急激に老化していく。
皮膚は縮み、髪は抜け落ち、全身からは白い蒸気が吹き出す。そうして、ものの数秒で老人となった男は、そのまま干からびた死体へと変わった。
「ああ、貴重な商品が……検証とはいえ、勿体ないことするねぇ」
そこで動画が止まった。事前に知っていたルシアンとその部下はともかく、ベルナルドの部下はその光景に息を飲んでいた。
「……きっと、もっと売れるねぇ、これは」
ベルナルドは黙ったまま、普段に無い真剣な眼つきで停止した映像を見つめている。
そして数秒後、小さく喉を鳴らして笑った。
「はは……いやぁ、すごいすごい。まるでB.M.Iに呑まれた末期患者みたいだぁ」
「この男はB.M.I施術を受けているが、たかだかステージ2だ。呑まれるような段階じゃない」
「じゃあさっきのはどう説明するのかなぁ? 意味は分からないがカミ? とやらに何かされたのぉ? それとも、オプーナは強烈な幻覚作用のある薬物で、過剰摂取すると身体組織の破壊が可能な遅効性の毒なのかなぁ? だとしたら、この薬物はもっと売れるよぉ?」
「成分を解析したが、通常の薬物反応は無かった」
薬物障害で気をやった人たちを見て来たベルナルドはそう予想するが、ルシアンはその仮説に淡々と否を突き付けた。
「既存薬物との一致率は3%未満だ」
「それは?」
「分類不能、人類製ではないということだ」
「じゃあ未知の老化剤の類かなぁ?」
「恐らく違うだろう」
顔を下げるルシアン、その義眼レンズが低く明滅する。
「彼らの脳波から特異な波形が観測されている。これだ」
ルシアンは被験体の脳波形を表示した。だが、被験体の波形は健常者のそれと比べて異常だった。
数値が高い、などではない。波形は乱雑で、稀に見られるノイズとも思えない。
では一体何が起きているのか? ベルナルドの目には、それが本来ひとつしか存在しないはずの脳へ、別の何かが割り込んでいるようにも見えた。
それを認識したベルナルドの笑みは、ほんの僅かに薄くなった。
「高濃度摂取者には共通点がある。恐らくだが、全員”同じモノ”を視ている」
我々の目には映らないナニカ。それを言外に認識した護衛のひとりが息を呑んだ。
ベルナルドは懐から葉巻を出し、指先で転がしながら興味深そうに目を細めた。
「身体活動にまで作用する類の幻覚、ねぇ。彼はいったい、何を認識したんだろうねぇ?」
ベルナルドの問いに答える者はいなかった。
唯一答えられるルシアンは、停止した映像の男を見つめたまま動かない。
思考を巡らせ、まともではないと思いつつも一度考えた仮説について反芻する。
向かい合うベルナルドは、そんなルシアンを急かすことはしない。ルシアンが思考へ沈む時間を、ベルナルドは嫌っていなかった。
手持無沙汰になったベルナルドが手に持った葉巻を吸いきり、次の一本を懐から出した所でルシアンは顔を上げた。
「この個体が”何か”を認識したのではない、とするなら……」
「うん」
「……説明できる仮説が、ひとつある。本来なら採用したくない類の仮説だが……」
「何かな?」
「……逆に、そのナニカに認識された、あるいは認識されていることに気付いたのだとしたら」
ルシアンの仮説に、ベルナルドは深い笑みを浮かべた。
仮にそれが真実だとしたら、それは心底堪らない話だと。
「それは面白いねぇ。薬物は普通、現実から逃げるために使うものだろぉ? まさか逃げた先で、向こうのナニカと眼が合うなんてねぇ。……お前たち、ちょっと濃縮したやつ飲んでみるか?」
座ったまま振り返るベルナルドに、護衛たちは顔を青くして拒絶した。笑うベルナルドを気にする様子もなく、ルシアンは端末を閉じた。
「ティマイオス社には問い合わせが必要かなぁ?」
「もう問い合わせたが、案の定何も出てこなかった。勿論、それで引く私ではないが」
「おぉ、《左目》の面目躍如だねぇ。それでぇ? 何が分かったんだい?」
「この症状が上層部、それもほんの一握りの人物しか知らない極秘扱いになっていること。そして、コードネーム」
「ほう。して、その名前はぁ?」
「《神の眷属》。帝国の禁書群にも、同じ単語が存在していたな」
「はっはっ! つまり僕たちは今、神とやらの商品を売りさばいている訳だ。これで売れなきゃ嘘ってもんだねぇ!」
「訂正しろ。まだ神とやらが存在する確証は無い」
「ははっ」
ベルナルドは干からびた死体の映像を眺めながら、囁くように言う。
「でも、その何かはそう名乗ったんだろぅ?」
ベルナルドが得意気に言った所で、二人の端末から時間を知らせるアラートが鳴った。
その音で、ようやく部屋の空気が現実へと戻る。もっとも、停止した映像の中の死体だけは、まだ誰もいない虚空へ頭を垂れていた。
巨大レッドギルド=アナトミアの幹部会が始まろうとしている。
レッドギルド=アナトミアの構成組織
《右腕》:制圧や強襲、組織の暴力を担当する
《左目》:情報収集や監視、スパイ活動が主任務
《胃》:組織の運営費を稼ぐ商売人であり、金庫番




