117_肉は裏切らない
「おーい、そろそろ昼飯の準備はでき、た……は?」
言葉が止まった。砂浜の一角から、儀式みたいな煙が立ち上がっている。
リタとシズがBBQの準備をしていると聞き、飲兵衛のアンドーとハイデマリーから逃げて来た俺と、ついて来たエリーは揃って立ち止まった。
おかしい。ラビットⅡの倉庫で埃を被っていたのは安物のBBQセットだったはずだ。
なのに目の前には、工業炉みたいな金属箱が何台も並んでいる。
「何これぇ?」
思わず、といった様子でエリーが困惑している。俺もそう思う。
その横では、シズが調理の補助をしながらビーチパラソルや椅子を広げている。
『準備完了。温度管理、安定。現在摂氏110度』
シズはホログラムを浮かべて温度管理? もしているようだが……。
「何をしているんだ?」
その中心にリタが立っていた。肌面積の多い真っ黒のビキニで、抜群のプロポーションを惜しげもなく晒している。そんなリタが腕を組み、煙の中で微動だにしない姿からは無駄な凄みを感じる。
「これは低温燻煙処理」
『ブリスケット熱処理プロセスです。ミスター・オキタ』
「ひとつ聞くが」
俺は煙を吐き出している装置を指差した。
「BBQだよな?」
「違う。低温燻煙処理」
「料理だよな?」
「処理」
あ、頭が痛い……誰だこいつに料理を任せた奴。
俺たちだよ!
「俺の知ってるBBQはこう、網の上で肉を焼くやつなんだが……」
これは全く違う。箱の横から温度計が三本出ているし、よく見ると温度計どころか排煙塔や圧力バルブまで付いている。どう見ても調理器具じゃない。
「おいおい、随分と本格的じゃないか」
「なんやこれ、こんなのウチの倉庫にあったか?」
俺たちが何をしているのか気になったのだろう、アンドーとハイデマリーがグラス片手に近づいてくる。
「ロッジに置いてあったから引っ張ってきた」
『ロッジにいた管理AIから、置いてある物は好きに使用して良いと許可を貰っています。足りなければ本島から届けて貰えます』
「私は肉担当。シズは魚介類」
リタは短く答えた。
「今は低温で長時間燻しているところ」
「どれくらいやるの?」
『最低6時間です』
いま何時だったか……腕に巻いている小型の端末で時間を確認した所で、全員黙った。エリーだけが良く理解出来ていないのか、首を傾げている。
「それ……今日食べられる?」
「夕方には最高の肉をお届けできる」
リタは迷いなく言った。
「そのために朝から仕込んだ」
「仕込んだ!?」
「肉は裏切らない」
フンス、と腕を組みなおすリタ。こいつは肉の哲学者か何かか?
持ち上げられた自己主張の大きいモノから目を逸らして、俺は金属蓋に手を付けた。蓋を少し開くと、ふわっと流れてきた匂いの爆弾が鼻の中で弾ける。
「肉だ……それも、かなり美味そうな」
しかも、ただの焼き肉の匂いじゃない。甘さとスパイス、それにスモーク。普通のBBQじゃ絶対に出ない匂いだ。
BBQは特別な雰囲気と環境でより旨くなる。タレさえ上手ければどんな不味い肉でもそれなりに旨く食える。そう思っていたが……これは涎が止まらん!
「……これ、エグい匂いがするぞ」
「こんなん食べんでも分かる、旨いヤツやん!」
隣に来たアンドーとハイデマリーが辛抱堪らんといった表情でゴクリ、と喉を鳴らしている。
「ブリスケット」
リタが言う。
「牛胸肉」
エリーがぴょこんと跳ねた。
「肉!!」
フンスフンスと鼻を荒げながら煙の方をじっと見つめている。商会一の捕食者の目だ、つまみ食いに走るつもりか?
「まだ食べられない」
「えええええ!」
手を伸ばしたエリーの手を払いのけながらリタが言う。
ハイデマリーは別の蓋を開けて、煙の中を覗き込んでいる。
「りーさん、ちょっとだけでもアカンの? お腹空いてんねんけど」
「ダメ」
即答だった。
「これは戦い」
肉と戦う女は初めて見た。ビシッと指を立てて宣言するお前は、いったい何と戦っているつもりなんだ。
『本場では“BBQは科学と忍耐の競技”とされています』
「競技なん!?」
アンドーが笑い出す。
「温度管理が重要」
リタは真顔のままだ。いや、ちょっと得意気になっているな。
『現在の内部温度、九十三度。予定通りです、指揮官』
「うむ、よろしい」
おいおい、肉焼きに階級が出来てるよ。シズが横から操作パネルを展開して共有している様が、完全に作戦指揮のそれにしか見えない。どこまで本気なんだコイツ。
ガチ勢二人に慄いていた所で、エリーが俺の腕を引いてきた。
「ねえオッキー」
「何だ」
「リタ、こわい」
「同感だ」
邪魔立て、横槍、つまみ食いなど言語道断。近寄るな、という圧が煙よりも濃い。
つまりはアレだろ、リタはBBQを作るテキサス親父みたいになっちまったってことだ。そりゃ誰も逆らえねぇわ。何も言えなくなった砂浜に、ゆっくり煙が流れていく。
風は無いのに、煙は妙な方向へ流れていた。
「よし、ワシはパーペキに理解した」
アンドーはシズが新しく設置したビーチチェアに横になった。煙を肴にでもするつもりなのか、次のビールを開けている。
「夕方まで飲むか」
「せやな」
『簡単な魚介料理なら既に出来上がっております。こちらを肴にどうぞ』
「「「「それを先に言え!!」」」」
群がる様に跳び付く俺たち一人ひとりに、シズは皿に盛りつけた料理を手渡してくれた。串焼き、貝のバター焼き、刺身だ。普通に居酒屋が開けそうな量じゃないか。
『申し訳ありません。本格的な魚料理はミスター・アレンとミスター・エレンが釣った物を調理するつもりでしたので。こちらは本島からロッジに届けられていた物を調理しました』
「十分やで。シズ、ありがとなー」
『フードプリンターを使い、ミスター・オキタが執念で作り上げた醤油とワサビはこちらに』
「サンキュー! 地球人たるもの、それが無いと始まらないからな」
調理中の二人と釣りに行っている二人を除いた俺たちは、渡された料理を口に運んだ。
爆発する魚介の旨み、感動的な塩加減。一口噛んだ瞬間、思わず目を見開いた。
「うまっ……!」
「せやろ?」
ハイデマリーが得意げに胸を張っている。ビールジョッキ片手にゲソを齧っている姿は完全にオッサンだ。
「お前が作ったんじゃないだろ?」
「ウチのシズが作ったんやで? つまりウチや」
意味が分からない。でも旨いから許す。
隣ではアンドーが串焼きを丸ごと口に放り込んでいた。
「むぐ……!」
三秒沈黙。それから拳を握りしめる。
「これは酒が進むやつだ!」
「さっきから進みっぱなしだろ?」
「まだ序章だ!」
「流石に無くなるぞ? つーか、1日で無くなるんじゃねーの?」
「無くなったら本島から送って貰えばいい。なあシズ、それも出来るんだろう?」
『可能です。そう言われると思い、既に追加分を発注済みです』
「パーフェクトだ、シズ」
『感謝の極み』
どこまで行く気なんだこの男。ラビットⅡの自室にある酒も殆ど持って降りてきているみたいだし、下手すりゃこのリゾートで自慢の酒棚がすっからかんになるんじゃないのか?
「これ美味しい! ねっとりして甘いよ!」
そんなことはいざ知らず。
酒に手を伸ばしていないエリーが、刺身の皿を抱えて目を輝かせている。ワサビ醤油にちょんと付けて口に運んでは、美味しさに身悶えている。
「旨いか?」
「……!!」
「言葉にならない旨さなら高級魚だろ」
「じゃあもっと食べる!」
凄い勢いで口に運んでいる所すまない。適当に言ったけど、お前の判断基準が雑すぎるから放っておくことにするわ。
「リタは何か食べるか? いるなら適当によそうけど」
そんな騒ぎにも一切参加せず、煙の前から動かないリタに聞くが、本人は首を横に振るだけだった。まるで戦場の砲兵みたいに温度計を見つめている。
「内部温度、九十四度」
『安定しています』
「よし」
……邪魔しないでおこう。
「じゃあ少しお腹も膨れたことだし、遊びに行こうよ!」
ぐわし!っと再度俺の腕を掴んできたエリー。
俺が誘いを断るとは微塵も考えていないような満面の笑みを浮かべているが、残念だったな。少し腹も膨れた今、俺はこれから肌を焼いたチャラ男になるつもりなのだ。
何故なら、その方がモテるから。ガキンチョに付き合っている暇など無いのだ。
「俺は少し横になって静かにしたい。具体的にはビーチチェアに寝転がりながら、シズの作ったカクテルを飲みつつ、ビキニ姿のリタを眺めていたい」
「いやん、えっち」
「なっ、なにシレっと変態みたいなこと言ってんのさ! ほら行くよ! ジェットスキー置いてあったから一緒に乗ろ!」
「ジェットスキ~? 何ふざけたことを、俺はもう酒を入れて――力強!?」
「一緒に行くの!!」
「行ってら~」
「溺れんなよ~、助けに行くの面倒だからな~」
「お前らァァァァァ――――――――!?」
エリーに引き摺られるように、エリーと俺は再び海へと走り出した。




