過ぎ去りし日々の主君(きみ)よ
これまはだ、
騎士と神子が出会うよりもっと前のお話
夜宴の主役は、陽の高いうちに行われた馬上槍試合の勝利者だった。
王より下賜された長剣を佩き、周囲からの賞賛の眼差しや言葉に明るい笑顔で応えているのは、この国の英雄。
シャリエの王城、その広間では、西方大陸一とも呼ばれる騎士カレル・グランツ卿を、他の貴族たちが十重二十重に取り巻いていた。
グランツが歩むごと、人の輪も共に移動する。
広間に集まる人々の中でも群を抜いて高い背丈、がっちりとした広い肩幅。筋肉質のしなやかな体を包むのは、王直下の騎士の証である青緑色の騎士装束に純白のマント。マント留めに彫り込まれた、猛々しく歯を剥いた双頭の戦馬に跨がる神の姿はシャリエの国章。マントの下の胸には、いくつもの戦役で武功を立てた証となる勲章がずらりと並んであるはずだったが、グランツはそれを見せつけるようにマントを翻す動きは見せなかった。
あえて見せびらかすような真似をしなくとも、この場にいる人々――いや、シャリエで暮らすすべての人々が、彼の戦いにおける功績を、その強さを、知っていたからだ。
共に戦った騎士はその目で、王城に集まる人々は騎士らの語る言葉に、市井の人々は吟遊詩人の朗唱する歌や旅芸人の演じる寸劇に。
剣のひと振りで数十の敵を薙ぎ払い、眼差しひとつで戦馬が身を凍らせその場にひれ伏すと言われるロード・グランツの絵姿は、健康と豪勇の守りとして男児の生まれた家を相手にして飛ぶように売れた。
グランツは美しい若者だった。
輝くような金色の髪に、明るく澄んだ緑色の瞳。鍛え抜かれた体軀のみならず、その容貌の端正さも、宮廷に集まる人々、特にご婦人方の視線を集める理由になっている。
晩餐室での食事を終え、グランツが人々を引き連れながら移った広間では、すでに宮廷お抱えの楽団が円舞曲を奏でている。
自分の手柄話を聞きたがる貴族たちがひとり、またひとりと軽快な曲に惹かれるように離れていって、広間の中央で踊り出す様子に、グランツは密かに息を吐き出した。
それから、辺りを見回して壁際のソファに腰を下ろす自分の妻をみつけると、大股に彼女の方へと歩いていく。
「ルイゼ、気分は大丈夫か?」
あっという間に人いきれで蒸し暑くなった広間の中、傍らの侍女に扇で顔を扇がせていた黒髪の女性が、視線を上げて夫の姿をみとめると口許だけで微笑んで見せた。
「ええ、閣下。お気遣いありがとうございます」
広間にいる他の貴族たちよりも暗い陽に焼けたような肌に、くっきりした印象の目の縁を持つルイゼは、元々はシャリエの隣国の人間だった。シャリエとの同盟が結ばれると同時にやってきた高位貴族の娘で、誰の目からどう見てもグランツとの婚姻は政略的なものだったが、王都では特別珍しい話ではなかったし、若い夫婦は特別不幸そうにも見えなかった。ただ、ルイゼは病弱を理由に社交に消極的だったので、数えるほどしか足を運んだことのない宮廷の舞踏会場で親しく会話をする相手もない。今彼女の周囲にいるのは侍女だけだ。
「今日も具合が悪いようでは、ダンスは無理だな?」
訊ねたグランツに、ルイゼが微笑んだまま頷く。
「そうね、とっても残念だけど」
妻の返答に、グランツは言葉にも表情にも出さず、安堵した。
座ったルイゼとソファのそばに立つグランツに、声をかけようとする者はいない。先刻までグランツを取り巻いていた人たちも、ダンスや世間話に興じて、今は夫婦に近づこうとはしなかった。
ルイゼは口許をハンカチで押さえてしまい、グランツは気分の優れない妻に話しかけることも憚られて、黙り込んだ。
少しすると、広間の入口の方からさざ波のように衣擦れの音が広がってくることに気づき、グランツは素早く背筋を伸ばす。
見遣った方に緋色のマントをつけた若い男の姿をみとめた瞬間、グランツの双眸は喜びにきらめいた。晩餐の途中で席を外した王が再び皆の前に姿を見せたのだ。
シャリエ王ノルベルトは、サッと身を屈め大きな衣擦れの音を立てて挨拶をする貴族たちに鷹揚な微笑みを向けながら、ゆっくりとグランツの方へと歩み寄ってきた。
「シャリエの英雄が、また寂しいことだな」
グランツの目前までやってくると、ノルベルトはどことなくからかう口調で言った。
拳に胸を当て小さく顎を上げる軍人のやり方で敬礼してから、恥じ入る顔で、頭を垂れた。ルイゼと侍女もグランツの背後のソファから立ち上がり、深く膝を曲げている。
「訓練は続けているのですが、実戦につき合ってくださるご婦人がおらず――妻も、体調が優れぬものですから」
舞踏会で、ロード・グランツは踊らない。踊れないのだ。馬と槍と剣の扱いでは誰にもひけを取らないグランツだが、歌舞音曲の類の一切が苦手だった。ちょっと下手、という表現は生易しい。致命的に下手なのだ。舞踏会で女性を誘って踊らない男は戦場で敵に背を向ける男と同じくらい意気地のなさを蔑まれるものだが、グランツに限っては、少なくとも面と向かって踊らない彼を嗤う者はいない。特に半年前、若くて美しい騎士をどうにかして自分のものにしようと積極的に近づいきたた伯爵家の未亡人の、爪先の骨を砕いてからは。
「次はジョストではなく舞踏の試合でも行おうか。初めてロード・グランツが他人に勝利を譲る瞬間が見られるわけだな」
「陛下の御名を冠する試合であれば、たとえどのような競技であろうとも、このカレル・グランツ、最後の血の一滴が枯れ果てるまで戦い抜き、必ずや勝利を手中に収める所存です」
王の軽口に、グランツは熱心な口調で答えた。それを聞いたノルベルトが愉快そうに肩を揺らして笑い、その軽やかな笑い声に、周囲の貴族たちが振り返って微笑ましげに目を細めている。
ノルベルトは今年でようやく三十歳を迎えたばかりの若い王だ。先王が病で斃れ、玉座に就いた時は、二十歳にも満たなかった。
若すぎる戴冠ではあったが、父王は生来病弱で他に子供もなく、近しい血筋の者は戦役で死んだため、ノルベルトは生まれついた瞬間から必ず王位を継ぐ者として教育を受け、その自覚と誇りを持って育った。
シャリエは大陸の列強に名を連ねる大国で、長い歴史の間に何度も他国との戦争を繰り返している。特に東の大国ヴルカーノとは、領土問題で数え切れないほどの衝突が起こっていた。そのヴルカーノから、争いごとを嫌う先代のせいで奪われた領国のいくつかを取り戻すことに成功したノルベルトを、シャリエの国民たちは熱烈に支持した。
騎士の国シャリエでは、王も強い軍人でなくてはならない。重要な戦いの場には自ら赴く必要のあるノルベルトを、そのそばで守ることが、王宮付きの騎士に叙任された時以来、グランツにとって何よりの幸福だった。
「おまえは戦馬に跨がっている間はまるで舞うように槍や剣を振るうのに、舞踏会場に降り立てばその足取りが乱れるのだから、不思議なものだな」
ノルベルトがまだ可笑しそうな顔でそう言った。グランツは恥じ入るばかりだった。
「村の踊りであればそこそこできるのですが、ここで披露するわけにもまいりません」
貴族の子女であれば、子供の頃から宮廷ダンスを体に叩き込まれて当然なのだろうが、グランツは王都に来るまで舞踏曲などまともに聞いたこともなかった。今でこそ数々の武勲を讃えられ叙爵しているが、生まれはシャリエの田舎村だ。父親は士爵で、貴族ではなかった。
グランツは何度も思う。本来ならば辺境の地で起こる他国とのくだらない小競り合いの中で命を落としても不思議ではなかった自分が、なぜ王宮の中で、王の間近で、直接言葉を交わす栄誉を与えられているのか。常識で考えれば、絶対に起こるはずのない奇蹟だ。
――だからこれは、運命なのだ。
この世に生を享けたことも、馬を操る能力に長けていることも、剣や槍の技術が神憑りとまで言われるほど優れているのも、すべてが、今この時にノルベルトを守るために自分に与えられた運命なのだ。
その運命に導かれてノルベルトの前に辿り着いたのは、必然であり必定であるのだ、と。
「……カレル様」
そして今日も自分の運命について思いを馳せ、ひそかに拳を握り締めるグランツの背後から、そっと呼びかける声があった。ルイゼだ。そういえばすぐ後ろにいたのをグランツは忘れていた。
「やはり人に酔ってしまったようなので、わたくしは、お先に失礼いたしますわ」
「そうか、では、馬車の待合まで送ろう」
「いいえ、陛下とお話の途中でしょうから。侍女がおりますので、お気遣いはご無用です」
「すまない」
自分の体調がよくないというのに、夫の立場にまで心を配る妻の優しさと聡明さに、グランツは内心で感激した。お互い二十二歳の時に結婚して今年でまだ三年目、慣れない異国で心細いだろうに、グランツは一年のほとんどを戦場や訓練所や軍議室で過ごし、ごくごく稀にルイザと共にこうして社交のために宮廷へ足を運ぶ時も、ノルベルトのそばに侍ることが多く彼女の面倒を見てやれない。
王の忠臣であり立派な騎士であることはともかく、夫としては失格だろうと、グランツにも自覚はあった。
ルイゼはノルベルトに向けて短く辞去の挨拶を述べ、再び深く膝を折り曲げて礼をすると、侍女を伴って広間を出ていった。
「――相変わらずのようだな、おまえの奥方は」
ノルベルトがグランツに向けて微笑みかける。
「は……騎士の妻としてはもう少し健康で気丈でなければと、私も夫として汗顔の至りですが……しかしルイゼは、優しい女なのです」
ノルベルトは滅多に社交界に姿を見せることもままならないルイゼの病弱さに、呆れているのだろう。言い訳のしようもないが、それでも妻の細やかな心配りがあるところだけはわかってほしくて、グランツはそう言った。
真摯に訴えるグランツに、ノルベルトが優しい表情でまた笑う。
「そうか。おまえがそう感じるのなら、それでいいのだろうな」
ノルベルトがそう言った時、彼の目前に数人の男たちが歩み寄り、恭しく胸の下に腕を当てて深く体を折り曲げる、文官の挨拶をした。ノルベルトが鷹揚に小さな頷きを返す。
「陛下、内密のお話はお済みで?」
中でも一番年嵩の男が声を潜めながらノルベルトに近づき、訊ねる様子を見て、グランツは微かに眉を顰めた。
内密の――というのは、ノルベルトとグランツとの会話を指しているわけではない。彼らは自分の孫ほどの年齢のグランツには目もくれていなかった。先刻の晩餐会の途中、ノルベルトは急使の到着がした報せを受けて、中座していたのだ。
タイミングからして、シャリエの東にある小さな同盟国フラックと、その隣国との戦況についてだろう。隣国はヴルカーノの持つ公国で、小競り合いは毎度のことだったが、最近は少しずつヴルカーノが国境線を広げてきている。数週間前にその戦いが激化したという報せを受け、シャリエの宮廷騎士団からも小隊がいくつか派遣されたばかりだった。
「報せ告げるべき内容であれば、そうする。夜会の最中におまえたちの手を煩わせるような用件ではなかった」
ノルベルトはあくまでやんわりと優しく言ったが、グランツの眉間の皺はますます深くなった。
男たちは政務官だ。戦況が気になるのも無理はないだろうが、必要があれば議会が招集され、ノルベルトの言うとおり彼の方から状況の説明があるはずだ。だからグランツはあえてノルベルトに急使が運んできた情報について訊ねることはしなかった。それは身の程をわきまえない行為だ。
だが男たちは食い下がった。
「恐れながら、状況によっては、武力ではなく、我々の経験と智慧が必要となることもあるかと思いまして」
ちらりと、そこで初めて、ノルベルトに話しかけていた男がグランツを一瞥した。瞳に嘲るような色が宿っている。男はノルベルトの祖父の代から評議会に出入りする貴族だった。男がノルベルトに向ける、どこか教え諭すかのような口調が、グランツにとってはたまらなく不愉快だった。不遜にもほどがある。
「戦術は騎士に分がありましょうが、戦略はより広い視野を持つ我等が議すべき領域ではなかろうかと」
年嵩の男が言い、他の者たちも大きな頷きを繰り返している。
「グランツ殿は、確かに槍や剣を振り回すのがお得意のようだが――」
男たちの視線が自分の帯剣を撫でたことに、グランツは背中の産毛が逆立つほどの不快感を覚えた。
王宮の夜会に、衛兵以外が武器を持ち込むことは原則的に禁じられている。だがグランツばかりは特例でそれを許されていた。男たちにはそれが気に食わないのだ。グランツが帯剣していることではなく、それをノルベルトから認められているという事実が。
「さて、いよいよかの国との情勢が緊迫してきた今、我がシャリエの盾となるべき騎士を集めて槍試合とは、さすが陛下は剛胆でいらっしゃる」
「……ッ」
耐えかねて、グランツは剣の柄へ手を遣りそうになった。
それをノルベルトが眼差しひとつで抑え、男たちに向けて穏やかに頷いてみせる。
「そう、我が国にはこの英雄がいる。東からの脅威に怯える気持ちはわかるが、守りはグランツに任せて、おまえたちはおまえたちの仕事を全うすればいい」
今度は、男たちが密かに歯軋りする番だった。もう一度彼らが口を開くより先に、ノルベルトがより完璧な笑顔を彼らに向けた。
「たしかに智略はおまえたちに恃むことになるだろう。頼りにしている」
「……は、ありがたき、お言葉」
王自ら『頼りに』という過ぎた讃辞を下されて、男たちにそれ以上嫌味を口にすることができるはずもなかった。
三人はすごすごという言葉が似合う態度で、それでも最後にグランツに侮蔑の視線をくれることは忘れず、ノルベルトの前を去っていった。
椅子に座ることだけに慣れたその矮小な背中を睨みながら、グランツはノルベルトの前でなければ唾棄したい気分で一杯になる。
くだらぬと、そう思う。
今こそ文官と武官が手を取り合ってシャリエを守り、ノルベルトを支えるべき時なのに。
彼らは自分の手柄を立てることを、他人にそれを攫われないことばかりに執着している。
「よく我慢してくれたな、グランツ」
唇を噛み締めるグランツに、まるで子供を宥めるようなノルベルトの囁きが届く。
グランツは男たちを睨みつけてばかりいた自分の大人げない態度を思い返すと、急に恥じ入る気分になって、目を伏せた。
「申し訳ありません、私が――陛下の御側にいることに何の問題もない出自であれば、誰にもお気を煩わせることがないものを……」
ノルベルトが、今度は可笑しそうな笑い声を立てる。
「私が私の騎士を側に置くことに、何の問題があるというのか。おまえはおかしなことを言うな、グランツ」
ノルベルトはそう笑い飛ばすが、だからこそ、あの男たちも、他の者たちも、彼の騎士と彼自身を影で嘲笑うのだ。
グランツのような、王都の士官学校出でもない田舎生まれの男が、宮廷の騎士として取り立てられるようなことは、ノルベルトの治世が訪れるまであり得なかった。シャリエでは何より家柄が重んじられる。血筋が王家に近く、古ければ古いほど高い地位を得ることができる。
グランツは彼らの得たがる地位や名誉や褒賞が欲しいわけではなかった。だがノルベルトを守る立場にそれが必要ならば、誰にどんな中傷を受けようと、たとえ密かな陰謀を張り巡らされようと、失脚を望む者たちの思惑にむざむざと乗ってやるつもりもない。
「少し風に当たろうか」
ノルベルトに誘われて、グランツは広間のバルコニーに出た。
ドアを閉めてしまうと、音楽や人々の笑い声や囁き声は遠くなり、唐突に、グランツにこの世で自分とノルベルトのふたりきりであるかのような錯覚をもたらす。
「先程の急使は、フラックとヴルカーノの公領との小競り合いの件ではなく、シャリエの東南の国境地帯におかしな動きがあるという報せだった」
しばし気の遠くなるような味わっていたグランツは、だが囁くようなノルベルトの声に、一瞬にして体中の神経を緊張させた。
「おかしな……とは?」
「身元の知れない傭兵たちが、守備隊に接触しようとしているようだと。ヴルカーノの息がかかっているかもしれない」
その危険性について、急使が報せに来たらしい。
グランツは素早く頭の中で近辺の勢力図を広げ、わかる限りの自国と他国の兵を配置した。
「しかし、国境の守りは万全です」
そして力強く、ノルベルトに頷いて見せる。
「東南の国境では、勇猛なバレンハーク伯が守備に当たっておられます。ヴルカーノのコルノが率いる王軍が攻めてくるならばともかく、やつの息がかかった程度の傭兵団など、取るに足らぬ。破られることなどあり得ません」
バレンハークはグランツと何度も同じ戦場で戦ったことのある立派な騎士だ。古い家柄の者なのに、先刻の男たちのようにグランツを侮ることは決してなく、自分に勝る戦功を讃えてくれるほどの人柄なのだ。
「……そうか」
ノルベルトが小さく、グランツに頷きを返す。
「……だが近々、おまえに国境を視察してもらう必要があるかもしれない。おまえの言うことを信じていないわけではないが――」
「いいえ、皆までおっしゃらないでください。私は陛下のご命令に従うだけです。陛下のお望みとあらば、いずこなりとまいります」
ノルベルトはすべてにおいて慎重で、その慎重さを弱腰と受け止める愚かな者もいることは、グランツも知っている。
だがグランツにとっては、自分がわかっていればよかった。ノルベルトはあさはかな他者などが及びもつかないような深謀遠慮の持ち主で、勿論自分如きの一騎士に、その考えに否やを唱える必要など一切あり得ないのだと。
「王城の警備にはアドレイの隊を残しておきましょう、私が鍛え上げた選りすぐりの兵ばかりです。真の騎士だけで構成されております。必ずどんな敵からも、陛下のことを、私に成り代わり命を賭してお守りいたします」
また力強く、グランツはそう断言した。
頭の古い者たちは、血や家柄よりも、力や人柄を重く見て地位を与えるノルベルトのやり方に、強く反撥している。
だがグランツや、ノルベルトに重用される他の騎士たちは、グランツと同じようにノルベルトのすべてを信じ、王と国のためにすべてを投げ出す覚悟でいるはずだ。
グランツはそう信じている。
自信と誇りに満ちた表情のグランツを見遣り、ノルベルトが微かな笑みを漏らした。
「私にとっての真の騎士とは、おまえだけだ、グランツ」
そして次に聞こえたノルベルトの言葉に、グランツは卒倒しそうなほどの驚きと、気がふれそうなほどの幸福に襲われる。
「……おお……何と、勿体ないお言葉……!」
本当に、このまま死んでしまうのではないかと思ったほどだ。
「そ、それだけでこのグランツ、このまま天まで駆け昇れそうな心地です……!」
喘ぐようにそれだけ言うのが精一杯で、後の声は、噎び泣きに呑み込まれて消えた。
「それは困るな。先に天に逝かれては、私がひとりになってしまう」
「いいえ、いいえ、ノルベルト様が私の名をお呼びになれば、天だろうと、国境だろうと、たとえ遠い異国の地であろうと、私が火鳥よりも早く御側に駆けつけます。たとえ何が私の行く手を阻もうと、狼の牙で噛み殺し、軍馬の蹄で骨を砕き、この身が朽ちたとて、右腕ひとつ残っていれば、陛下より賜りしこの剣をふるい、必ず御身をお守りいたします……!」
感極まって、最後にはグランツの声は叫ぶようなものになった。
窓を閉めていても広間の中にその叫びは届いただろうが、グランツが感極まってノルベルトへ忠誠を誓うのは割といつものことだったので、特別気にする貴族たちもいない。
とにかくグランツは心を籠めて、熱心に、自分の内にある真実の言葉を口にした。
微笑み頷くノルベルトの仕種も、真実の心から出たものに見える。
その時たしかに、グランツは思った通りのことを誓い、願い、自分がその言葉を破る日が来るだなんて、夢にも思わなかったのだ。
――だがそれから二年も経たないうちに、シャリエは敵国ヴルカーノの戦力と、自国の貴族たちの裏切りにより、その終焉を迎えることになる。




