死にたい騎士の身の上話
シャリエ王国は、西の大陸の中心にある長い歴史の国だ。
西の大陸には大小数十の国があり、シャリエは自国の領土や属国の権利を常に周辺の国々と争い続けていた。
騎士の国とも呼ばれるこの国の守りは堅く、たびたび現れる好戦的な王の攻勢により、歴史を重ねるたび少しずつ領土を増やしていった。
グランツは貧しい騎士の家系に生まれついた。王都からは遠い田舎の土地で特産品に恵まれ国に納める税に困ることがなかった上に、前代の王が戦争を嫌う気質だったせいで、領主は派兵に不熱心だったから、グランツの父は大きな戦役に出撃たことがない。
状況が変わったのはグランツが十四の歳、先王が斃れ、まだ二十歳に満たない新王が起ち、その隙を狙った東の大国ヴルカーノがシャリエの属国に攻め入った時。
従騎士として田舎騎士団の出兵に参加したグランツは、初陣でその頭角を現した。
主人に甲冑を着せたり、その尻を馬に押し上げたりすればいいだけの立場だったはずなのに、奇蹟的、相手にしてみれば悪夢のような偶然の連続で、敵小隊の隊長を討ち取ってしまったのだ。
その後三つの戦場に出る間に、数々の幸運と偶然が、本来ならば王軍に参加するどころか王の声を直接聞くことなど叶わない身分だったはずのグランツを、沖天の勢いで『王の最も信頼する騎士』という立場にまで押し上げた。
爵位と領地を与えられるまでに、成り上がり、王に取り入った野心家と、陰口も面と向かった誹謗も散々浴びせられた。
それ以上に、武勲や謙虚な態度を讃える声を受けた。
だがグランツにとっては、そのどちらも大して重要ではなかった
身に余りある名声を与えてくれたのシャリア王ノルベルトに対する感謝と、尊敬と、愛情だけが、グランツをさらなる騎士の高処へと向かわせた。
ノルベルトは若さ故の無謀もなく、思慮深く、だが臆病とは程遠い、誰もが認める賢王だった。金色にたなびく髪と深い緑の瞳が美しく、その聡明さと美貌を誰もが愛した。
――王のためなら、この命を捨てても惜しくなどない。
全軍の指揮を執るため常に前線に出ることを強いられる王の、盾となり剣となり馬で血腥い戦場を駆けることが、グランツの幸福であり生きる理由でもあった。
時には瀕死の傷を負っても王を守り抜くことだけが、グランツの誇りだった。
王と出会ってから十数年の間に、グランツの名は国内のみならず近隣諸国にまで知れ渡り、ロード・グランツがいる限りシャリエを落とすこと能わずと語られた。吟遊詩人はこぞってグランツの活躍を歌にした。
グランツの剣伎と智略は、すでにノルベルトに――ひいてはシャリエにとってなくてはならないものにまでなった。
真摯に王に仕えるグランツの姿は尊ばれ、騎士の規範、男のあるべき姿として、すでに彼を悪し様に言うものは存在しなくなっていた。
そして半年前、グランツにとって、いや、全シャリエ国民にとっての悪夢が訪れる。
ヴルカーノによる数度目の侵攻に、王軍が敗れたのだ。
ノルベルトは捕らえられ、グランツたち――シャリエの民の前で処刑された。ノルベルトの首はシャリエ王城の中庭に掲げられ、彼の座っていた玉座には、ヴルカーノの王が就いた。
あの光景が、グランツの脳裡から、眼裏から、たった今目の当たりにした景色であるかのように離れない。
執務室にあっては穏やかで、戦場にあっては勇猛果敢、美しく、気高く、誇り高く、無骨なグランツの語彙では表現しきれない完璧な王ノルベルトが、その輝きに満ちた瞳を暗い瞼で隠し、槍に貫かれ、血濡れた髪をべっとりと額や首に張りつかせ、その明らかな死を人々に晒した。
ノルベルトが彼の愛した、彼を愛した国民の前で、野蛮な敵による最大級の辱めを受ける姿を、グランツは絶望の中でただみつめることしかできなかった。捕らわれ、縄を打たれ、王城中庭の石畳に膝をつかされたグランツの目の前で、ノルベルトの処刑は行われた。
死にたかった。自分も殺せと何度も叫んだ。血を吐く思いだった。手足は縛められていたが、いっそ舌を噛み切って自分で――という誘惑に従うこともできなかった。グランツの持つ信仰、ノルベルトの崇めた神の教えが、自殺を許さなかったからだ。
最後には哀願して地面に突っ伏し、騎士としての誇りもなく泣き叫ぶグランツに与えられたのは、だが処刑よりも拷問よりも辛い慈悲だった。
ヴルカーノ王コルノは、騎士グランツを自らの軍に最高の栄誉を持って迎えることを、自国と、シャリエに向けて宣言したのだ。
◇◇◇
「だが、そんな話に首を縦に振れるわけがない……ヴルカーノは我が主の仇だ。嬲り殺しも覚悟の上で、いやそれを願う気持ちで相手の要求を撥ね付けた私を、ヴルカーノの王は驚くほど丁重に扱い、大量の金と共に解放した……」
「なるほど、あの英雄ロード・グランツまで見せしめに殺してしまっては、これからシャリエを乗っ取ろうとするヴルカーノに対する反撥が強くなるからなあ。コルノは英雄を殺して力で抑えつけるより、あなたに敬意を払う様子を見せることで、シャリエの人たちの余分な敵愾心を封じ込めようとしたわけだ」
途中途中泣きじゃくりながら、長い時間をかけて話し続けていたグランツは、感心したような少年の声を聞いて少し我に返った。シンに説明するというよりは、自分の罪を吐露するような気分で話し続けていたのだ。
グランツは掌で涙を拭いながら頷いた。
「王軍の将たちは、私以外ほとんどが戦場で命を落とした。私一人が生き恥を晒し続けることなど許されるはずがない、城下に向かえば、きっと王を守れなかった無能な私を人々が石を持って追うだろうと希望を持っていたのだが――」
大きく、グランツは天井を仰いでしゃくり上げた。
「皆は私を許した。ヴルカーノ王の魅力ある誘いを断固として拒否したことで、私を賞賛する者までいた。私は……私はただ、ノルベルト様の御側に行きたいだけだったのに……勿論、中には悪し様に罵ってくれる者もいた。だが多くは私に亡命の手引きを申し出たり、ヴルカーノを追い払うための義勇軍を集めることについて相談を持ちかけてきたり……だが……だが、私は、ノルベルト様の御為以外に二度と騎士を名乗るつもり……など……」
グランツは、じっと自分の両手を見下ろした。剣を持ち続け、胼胝だらけになった指や掌。分厚いグローブのような皮膚。決して美しくなどない手。
この手を、ノルベルトは握り締め、優しく摩り、私のためによく働いてくれていると、いつもそう労ってくれた。
「本当なら、二度と剣を持つつもりだってなかった。けれどノルベルト様から賜った剣を捨てることなどできず、城下の人々に金を渡し逃げるように国を出たところで、ヴルカーノ王の刺客に襲われ……」
狡猾なコルノが、やすやすと英雄を手放すはずがなかった。彼にとってグランツは最も恐るべき存在だったに違いない。コルノは自軍の兵士にシャリエ王軍の残党を演じさせ、グランツ暗殺を命じた。
「何だ、じゃあそこで殺されておけばよかったのに。死にたかったのなら」
明快な声で、シンが言う。
「……ノルベルト様に騎士の誓いを立てた時、私は決して敵に背を向けないことを宣言した。恐れ多くもあの方の手ずから剣を賜った時には、それを握る時誰よりも勇敢であることを誓った。ただ斬られるわけにはいかないのだ。私が命を落とす時、それは私のすべての力を出し切り、魂の声でノルベルト様の御名を叫び、そうして……そうして……」
筵に突っ伏し、グランツはまた噎び泣いた。
死ねない自分が悲しくて仕方がない。
誰と戦っても、大勢を相手にしても、ひとたび剣を握ればグランツの伎倆は相手を容易く凌駕する。弓が相手でも槍が相手でも同じだ。卑怯に背中から狙われた時も、生来持ち得、戦場で培われた鋭敏な感覚がそれを察知して、無意識に体が回避し反撃した。
「何度も追っ手がかかっても、それらすべて返り討ちにしてしまった。シャリエから離れ、大陸の果てに移動する間、追い剥ぎや山賊にも遭ったが殺してもらえず、逆に捕らえて彼らの狼藉に苦しむ者から讃えられる羽目になった。死に場所を探していただけなのに、いつの間にか放浪の騎士として山賊退治の依頼まで受けるようになり、もう西方大陸に私の求める場所はなくなってしまった……」
仕方なく、グランツは船に乗り、別の土地を求めて海へと乗り出した。
そこでも海賊に襲われたが、慣れない海の上であろうと、破落戸の集団などロード・グランツの敵ではなかった。
「嵐に襲われて船が難破し、筏でたった一人何日も漂泊している時は、これでいよいよノルベルト様のところへ行けると思ったのだが――気づけばこの土地に辿り着いていた。見も知らず名前も知らぬ場所でこのまま朽ちてしまおうと思い、だが道端で屍をさらしてはここに住まう者の迷惑になろうかと、目についた森の奥へ奥へと進んでいき、あの白い猿どもに襲われたのだ」
「それほど死にたいのなら、この国の人間の前であれを『猿ども』なんて言うといいよ。まあ公用語を聞き取れる人はそういないから、口にしたところで無視されるだけかもしれないけど」
シンの言い回しの意味がすぐには理解できず、グランツは眉を顰めた。
シンが笑う。
「あれは神獣だよ、この国の主神アクソスの祝いと呪いを受けた、『傷つけてはならぬもの』。そしてあなたが入り込んだあの森は、聖域とされる、神職の者以外が『踏み込んではならぬ土地』。それをまあ、あなたは好き放題剣を振り回すもので、皆あなたを殺して谷に落とすか谷に落として殺すかのどちらかにしろってさ、拾ってきた俺に詰め寄ってきて大変なんだから」
「……!」
グランツは反射的に、伏せていた顔を上げてシンを見遣った。
シンが、グランツの期待に輝く瞳をじっとみつめてから、たまりかねたように噴き出した。
「本当に、自分が殺されるかもしれないってことをこんなに歓迎する人、見たことないよ。なあ、フォス」
「……」
シンが呼びかけるのを聞いて、グランツは今さらこの部屋にもう一人人がいることを思い出した。フォスと呼ばれた青年は、終始置物のようにじっとしているだけで、相槌も打たないし、表情を動かしもしない。その様子に、シンも軽く肩を竦めただけで、文句は言わなかった。
「そうか、それでは、私はこの国の者たちによって処刑を」
「されない。っていうか、させない。俺が」
神の慈悲に縋る子羊のように瞳を潤ませながら言ったグランツに返ってきたのは、さっぱりとした笑顔、さっぱりとした口調で放たれたシンの言葉だった。
グランツが思わず、膝を乗り出してシンの方へと詰め寄る。
「なぜだ! 私は君たちの尊ぶ土地や動物を犯した大罪人なんだろう!」
「あなたがそれほど死にたいのなら、俺はあなたを生かすよ」
微笑みながら、シンがグランツの剣幕に怯んだ様子もなく、そう断言する。グランツの方が狼狽した。見ず知らずに等しい少年に、そんなことを宣言される謂われなど思いつかなかった。
シャリエにいた頃、コルノに解放された後、グランツを見た城下町の司祭は『死んではならない』と繰り返し言った。グランツの死にたい心を見抜き、それは神の御心、神の代理者であるとされた亡き王の御心に背くことだから、どんなに辛くても生き抜かなければならないと。
だがシンは、たとえこの年若さながらの聖職者だとしても、グランツの国の信仰とは関わりがなく、むしろ彼の国の信仰によってグランツの処刑を望める立場にあるようなのに。
「な、なぜ」
「興味があるんだ。たった一人にそれほど自分の心を預けることができる人間ってやつに」
ふと、そこでシンの笑みの性質が変わった。
決してシャリエの聖職者たちがグランツに見せた深い同情と憐れみの色合いではなく、言っていみれば底意地の悪い、皮肉で、なのに羨望にも見える複雑な表情。
「あなたは俺が喉から手が出るほどに欲しいものをもう持っている。その上、さらなる望みまで果たされるのはいかにも悔しい。要するに嫉妬だよ、ロード・グランツ。憎らしいほどだ」
「ロードと呼ぶのはやめてくれ」
グランツにはシンの表情の意味も、言葉の意味も、微塵も理解できなかった。ただ確かに彼が言うとおり羨ましげな表情をしていることに混乱して、この場所で問題にするほどでもないことを咎めてしまう。
「失礼、では、ただのグランツ」
強い語調のグランツに気を悪くしたふうもなく、シンが慇懃に言った。外見上の十六、七歳という年齢より、その物腰がやけに大人びて見えた。
「たとえ他の者が全員あなたの処刑を望んでいたとしても、俺がたった一人それを拒めばあなたの願いは叶わないんだよ、残念ながらね。俺の言葉に逆らえる奴はたった一人、神聖王クレオだけだ」
王を『奴』呼ばわりして、少年は明るく笑っている。グランツはやはりその態度が理解できず、当惑した。
「なぜ……そんな、君のような子供が」
グランツが訊ねても、シンは笑うばかりで応えてはくれない。
どうもからかわれている気がして、相手の目論見どおりグランツがまごついていると、部屋のそばに人の近づく気配がした。シンが、グランツにはわからない言葉で戸の外に向けて短く呼びかける。この国の言葉だろう。男の声で返答があった。いくつかやり取りした後、シンが「やれやれ」と言った風情で立ち上がる。
「港で余所の商船が荷下ろしの手数料について文句を言って暴れてるらしいから、ちょっと行って収めてくる。ついでに王に頼み事をしてくるから、あなたはここで休んでるといいよ、グランツさん。フォス、グランツさんを外に出さないようにね」
そう言い置くと、シンは脱ぎ捨てていたローブを羽織ってフードを目深に下ろすと、顔の半分をマントで覆い、音のない歩みで出口へ向かった。ローブの長い裾が床を掃くように撫でて部屋の外へ出ていくまでを見送ると、グランツは一度大きく頭を振る。やたら喉が渇いていることに気づいた。そういえばずっと泣きっぱなし、喋りっぱなしだった。床に置かれていた茶杯が目について手に取り、煽るように中の茶を飲む。甘い香りがした。飲んだことのない茶だった。この国の飲み物なのだろう。
「……ここは、何という名の土地なのだろう」
茶杯を手にしたまま、グランツは相変わらず端然と座すフォスに向かって訊ねた。王、と先刻シンは言っていた。だとすればここは王国だ。
少し待ったが、返事がないので、シンはやや気後れしながらフォスの顔をきちんと見上げた。フォスもグランツのことを見ていたが、その瞳には感情といったものがまったく見当たらなかった。
もしかしたら公用語が通じないのだろうか、とグランツは気づいてさらに戸惑った。シンという少年は流暢な公用語を口にしていた。が、先刻部屋を訪れた男とシンのやり取りがグランツには聞き取れなかった。あれがこの土地の言葉なのだろう。グランツには公用語と母国語の他にも多少わかる言語があるが、ここがどういった地方なのかすらわからなければ、そのうちのどれかで話しかけてみることも困難だ。
「神々の国、アクリオス」
それでも適当な言葉でもう一度訊ねてみるかとグランツが口を開くより少しだけ早く、フォスが素っ気ない口調で言った。どうやら質問が聞こえなかったわけではないらしい。
「……アクリオス……」
グランツには覚えのある名ではなかった。少なくともシャリエと国交のある国ではない。頭に思い起こした四つの大陸のうち、どの辺りに位置するのかもわからない。グランツが船で海に乗り出したのは西方大陸の最北の港、北方大陸に向けてあてもなく進むつもりが、途中の嵐で遭難したから方角は見失ってしまった。
とりあえず、公用語を使う範囲の国ではあるようだから、思ったほど故国より遠くはないらしい。グランツは嬉しいような、悲しいような、とにかく胸の締めつけられるような気分になった。
痛む胸を拳で押さえるグランツのことを、フォスがじっと見ている。その視線を浴びているのはなぜか酷く居心地が悪く、グランツは無理に話題を探した。
「……あのシンという少年は、聖職者だと言っていたのに、なぜ港の揉めごとに呼ばれるのだ?」
本人の申告どおりシンが聖職者であるのならば、彼がいるべきなのは神殿や教会だ。
「彼は、公用語が巧みである。彼は、商船組合に頼られている」
答えたフォスの言葉遣いはいやに固く、そして拙い。シンほど流暢に公用語を扱う人間がアクリオスには少ないということだろうか。
「成程、通訳代わりというわけか……」
「不吉である」
とりあえず納得して一人頷くグランツの耳に、再びぶっきらぼうなフォスの声が届いた。その内容に、グランツは少し驚いて目を瞠る。
「何だって?」
「シン・ウディヤに、関わってはならない」
鋭い眼差しでグランツを見据えながら、フォスが言う。
「不吉……そう、不吉か……」
その瞳を見返すことができず、項垂れて、グランツは呟いた。亡霊、とシンはグランツを見て言った。確かに、亡霊に等しい自分と、この国で大切にされているであろう聖職者が近くにいるのは、不吉と評するしかない状況だ。
「……君はあの少年の近侍なのか?」
愛想もなく、いやに落ち着いた風体をしているフォスの年齢がグランツには読み切れなかったが、少なくとも自分よりは年下だろうと判断し、目下の者に向ける口調でグランツは彼に訊ねた。だが飾りの少ない黒ずくめの服に、革の袖なし胴衣を着込み、腕と臑に厚い布を巻きつけている姿は、聖職者の供にも、この家の下働きにも見えない。
「護衛である」
だからフォスの返答にグランツは納得した。剣の一つも身につけていないのは、服の内に投げナイフでも仕込んでいるのか。
グランツの剣は、枕元にそっと置かれていた。
その鞘に指で触れ、グランツは凝りもせずはらはらと涙を落とす。
「ノルベルト様……」
泣き出したグランツにフォスは何も言わず、グランツは再び絶望に浸り身悶えした。




