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死にたい騎士の不運  作者: eleki
死にたい騎士の鎮魂歌

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16/27

復讐

 雨は結局一晩降り続け、翌日の昼頃になって、ようやく一時的に弱まった。

 シンは一晩ゆっくり休んだから今度こそ大丈夫だと起き上がりはしたが、顔色はよくないままだった。引き留めても無駄であろうということは理解していたので、グランツは口出しをぐっとこらえ、ただそのそばに控えていようと決める。

 クリノスの生き残り、リハの方は、かなり回復したようだった。

「小屋に閉じ籠もってたからリハの中で日数の経過が曖昧だったんだけど、クリノスが襲撃を受けて今日で七日くらい経ってるんだと思う。それと集落の状態を考えると、襲撃は一定の条件が揃った日に行われているはず」

 寝所で食事を取りながら、シンがそう説明した。

「一定の条件というのは、日取りや、天候というあたりか?」

 戦場でも、いつどんな条件の時に相手に仕掛けるかを重要視するので、グランツにも何となくわかる。シンが「そんな感じ」頷いた。

「そうなれば、次の襲撃は五日後の深夜だ。おそらくヴェロスたちはこの近くに潜んでいると思う」

「では――五日以内にみつけ出して、捕らえてしまえばいいということだな」

 潜伏している兵を探し、先手を打って捕らえる。作戦として馴染みのあるものなので、グランツは落ち着いた心地になる。

 神々だの魔術だの呪いだのという言葉には腰が引けてしまうが、敵の兵士と戦うというのではれば、こちらは『元』本職なのだ。

「このあたりの地図はないのか? 地形を見れば、敵の動きをある程度読めるかもしれない」

「広範囲のものなら神殿で所有してるものがある。パトゥサ周辺の詳細な地図は作ってない、だそう。まあ住み慣れた者からすれば、今さら地図なんて必要ないんだろうけど……」

 呟きながら、シンがこめかみを指で押さえるような仕種をしている。まだ頭痛が続いているらしい。

 たまらず「大丈夫か」と訊ねかけたグランツを制するように、シンが片手を上げて見せる。

「俺にも地図なんていらないはずなんだけどね。いつもなら。……どうも、調子が悪い。気配がまるで探れないんだ」

「やはり儀式が後を引いているのか……」

「いや、何ていうか――この場が」

 シンが小さく首を振っている。頭に纏わりついた不快なものを振り払おうとするような仕種だった。

「正体のわからないものに思考を邪魔されてる感じがする。いつもなら聞きたくもないのに聞こえてくる神々の声が、今はものすごく濁ってるんだ。人の気配もわからない。たしかにケレイスで一度目の儀式をしたあたりから、調子がおかしいんだけど」

 パトゥサに着いてからさらに不調だということは、傍で見ていてグランツにもわかる。

「普段ならそこそこの範囲内、こと、人の決めた境界線の内側――たとえば集落の柵累の中に自分がいれば、その中の人の気配って、わかるんだよね。具体的な思考までは読み取れないけど、大雑把な感情くらいはわかる。けど、今はまったく……パトゥサに今何人の人がいるのかすら、わからない」

 シンはかすかに戸惑っているふうでもあった。

「いつもなら百わかるところが、七十三くらい……」

 微妙な数字だ。変に具体的なところで、シンの『調子の悪さ』がグランツにも伝わってくる。

「とにかく、天気が落ち着いてるうちにさっさとヴェロスたちをみつける。放っておけば、酷い嵐が来る」

 シンの口ぶりからして、この悪天候はどうやら彼らの神々のご機嫌(ヽヽヽ)に関わっているらしいと、グランツは察した。

「だが嵐の中なら、やはり火矢が使えないだろう?」

「その代わり、ヴェロスもパトゥサの人たちも、下手すれば要塞の人たちも一緒くたに水害に遭うかもね」

 どちらにしろ、ヴェロスを止めないわけにはいかないらしい。

 支度をしたシン、それにフォスと共に、グランツもディリティリオの住処を出た。この小屋――家は、ディリティリオ一人で暮らしているらしく、飯炊きの女は彼に雇われた者で、家族ではないようだった。

 十五、六歳の少年が一人住まいをしていることが、グランツには不思議だったが、アクリオスの風習では普通なのかもしれないとも思う。何しろシンも同様なのだ。アクリオスのしきたりのほとんどがグランツにとっては謎ばかりだ。頭痛が続くらしく眉間に皺が寄っているシンにいちいち訊ねることもないかと、口を噤んでおいた。

 預けておいた騾馬を引き、集落の入口に向かうと、すでに神殿兵たちが待ち構えていた。ミラともう一人の雑役係は留守番だ。ヴェロスや、彼といるであろう異国の――ヴルカーノ人と遭遇すれば、戦いになるかもしれない。

 騾馬に跨がり、パトゥサの集落を囲む柵累を出たシンが、少し進んだところで後ろを振り返った。

「――」

 シンはどこか不審そうな顔をしている。

「シン殿?」

 呼びかけると、小さく首を振ってグランツの方を見た。

「今日は俺が先導する。グランツさんは一緒に来て」

 シンは神殿兵三人には自分とグランツのあとに着き、フォスには最後尾を守るよう指示すると、騾馬を走らせ始めた。グランツは言われたとおりその隣につく。

「やはりパトゥサの男手をいくらか借りた方がよかったのではないか? まともな兵がいないとはいえ、人手はあるに越したことは内だろう」

 出発前にもシンに告げたことを、グランツはこらえきれず、もう一度提案した。

 ほとんどの集落がそうであるように、パトゥサにも軍隊など存在せず、万が一敵に攻め込まれた場合は、男たちが農具を手に自警団を作るつもりで暮らしているらしい。

 一行の中で、まともに戦闘要員として役立つのは、自分とフォスだけだ。神殿『兵』と言いつつ、神職者でもある三人は戦力としてまるで期待できないのは、以前破落戸に襲われた時に思い知っている。

 あの時破落戸どもを蹴散らしたのは、シンの魔術だった。この細身の少年から信じがたく巨大な大蛇が飛び出してきて、文字どおり人と馬を吹っ飛ばした。

「シン殿の魔術をもってすれば、いかな大人数が一斉に襲いかかろうと、君に傷ひとつつけられはしないのかもしれぬが――それも、君の体調が普通であればのことなのではないか?」

 普段ならわかるものがわからない、とシンが言っていたのだ。普段なら使える魔術が使えぬ状況にあるということくらい、グランツにも察しがつく。

「今日はひとまず、様子見だよ。うまくすれば明後日には神殿からの増援が着くだろうから、とりあえず敵の位置だけたしかめておきたい」

 そう言ってから、ちらりとシンがグランツの方を見る。

「俺が魔術が使えないとしても、ロード・グランツは、俺に運命の恋人ができるまで俺のこと守ってくれるんじゃなかったっけ?」

「ロードはやめてくれ」

 咄嗟に言い返す途中で、グランツはシンの口許が笑っていることに気づく。それから真っ白だったはずのその頬に、ほんのわずかながらに赤味が戻っていることにも。

 どうやらグランツを底意地悪くからかえる程度には、体調が戻ってきているらしい。

 からかわれて安堵するのも我ながらいかがなものかとは思ったが、グランツは実際、ほっとした。

「勿論、フォス殿でも足りぬところは私が守る。君にはめでたく君の運命の人と巡り会えたあとに、私を殺してもらわねばならぬからな」

 その約束は、グランツの胸にしっかりと刻みつけられている。死にたくても死ねない自分。剣を持つ相手に自分が倒されることを、グランツは期待できない。何しろ強すぎる。

 だが、魔術を使ってもらえるのならば、話は別だ。グランツからは理解できない力になど、抗うすべがないからだ。

「わかってるわかってる。ちゃんと七転八倒の苦しみを与えた上でようやく死ねるよう、ほどほどに手加減しながら、長い時間をかけて殺してあげるつもりだから」

「そうか……! まったく、ありがたい……!」

 改めて請うまでもなく自分の望みを把握してくれているシンに、グランツは感激した。そう、ただ殺されるだけでは、自分の罪を贖うことができるなどと思えない。ノルベルトの苦痛を、無念を、悲しみを、絶望を、同じくらい、いやそれ以上の強さで味わいながら死ぬことが、今のグランツの何よりの希望だ。

 喜ぶグランツのことを放っておいて、小雨の降る中、シンは時々あたりを探るように首を巡らせながら、騾馬を進ませている。

 迷っている様子がまるでないので、もしかすると出発前に言っていたように人の気配がわかるほど、回復しているのかもしれない。グランツはまた少し安堵した。

「大陸の人が野営地を選ぶとしたら、どんな?」

 走りながら、シンがグランツに訊ねてくる。

「潜伏する必要があるとすれば、森の中か岩陰か。大陸の……ヴルカーノの『兵士』がアクリオスに入り込んでいる可能性はあるのか?」

「特定の商品を扱う商人と、個人的な護衛だけしか船を下りることを許してない。大きな帆船以外が島に近づくことはできないし、まとまった人数が艀で上陸っていうのも不可能だから、護衛のふりをした人が少しずつ入り込んで、どこかに潜んでっていう感じなんだろうな」

「ヴェロス王子が手引きをしたということか……」

「だろうね。前も言ったけど、ヴェロスはクレオ様の正妻の子とはいえ一市民として以上の何の権利も持たない、というか職にもついていない与太者だけど、クレオ様個人の資産を譲り受けてはいるから、金回りはいい。その金に目が眩んだ取り巻きもそこそこいるから、全員揃いも揃ってヴルカーノの口車に乗ったんだろうな」

「集落を狙うのは、要塞を守る手数を減らすためだろうか?」

「かな。アクリオスに正規軍がないのは言ったとおりだし、外側から攻めていけば要塞が墜ちると思ってるのか。あるいは見せしめにいくつか集落を潰して、残りの集落の無事と引き替えにアクリオスで何らかの権利を得るつもりなのか……どっちにしても、やっぱり、無駄な労力だけど」

 口調は軽いが、シンの表情は少し不愉快そうではあった。

「ヴェロスにもその腰巾着たちにも魔術は使えない。金で惑わされた呪術師がいるってことだ。集落にあの呪いをかけられるくらい、多少なりとも神の力を得ているというのなら、どうして無駄だってことをわかろうとしないのかがわからない」

「それだけ、ヴルカーノの提示した条件がよいということだろうな」

 シンの言うように、神々から報いを受けるかもしれないという前提があってすら、それを上回る魅力的な餌が与えられたのだろう。呪いをかけた魔術師に。

 ――シャリエにおいて、ヴルカーノに国を奪われるという事態よりも、己の利益を選んだ者たちが、続々とノルベルトを裏切ったように。

「私とて、わかりたくもない心理だ」

 小さく吐き捨てて、グランツは手綱を握る指に力を籠めた。

 他国のことに口を出すべきではないとわかっている。だからそのヴェロスや仲間について、愚かだと罵ることは堪える。だが腹立たしい、悔しい心地を消すことはできなかった。身が灼けるようだ。

 グランツが自分の感情に気を取られている間にも、シンが着々と騾馬を進めていく。休むこともなく、随分長い時間を走り続けた。

 その森近くまで辿り着いたのは、そろそろ夜になろうとする時刻だった。

 雨は小雨のまま強くも弱くもならず、少し離れたところにある森は、立ち止まったグランツたちの目には煙って見えた。

「――あそこにいる」

 断定的な口調でシンが言った。

 神殿兵たち三人、それにフォスも、シンとグランツの真後ろまで追いついている。

 森は広く、常緑樹と下生えが鬱蒼と茂っていた。窪地のような場所になっていて、背後の小高い丘へと続いて広がっている。グランツたちがいるところも森から少し高い位置にあり、相手から気づかれないように、木陰や岩陰に騾馬を潜ませた。

 グランツには、そこはただの森に見えた。もう少し近づかないことには、本当に誰かが潜んでいるかなんて確信が持てなかったが――わずかに細めた目で森を見遣るシンの表情には、迷いがない。

「ヴェロスの気配は嫌ってほどわかるな。あとはよく知った金魚の糞が三……四人。それ以外の、異国の者の気配は……十とちょっと、ってところかな」

 そこにいる異国人が本当にヴルカーノの者で、しかも職業軍人であれば、十人という人数はパトゥサやケレイス規模の集落を襲うためには充分だ。外敵を知らないこの国の人々は、戦に慣れていない。縄張り争いで原始的な武器を振り回す程度の小競り合いしか経験がないのだ。パトゥサや、その前に立ち寄ったスフェラの集落も、敵に備える造りをしていない。

「神経は尖ってるけど、極端な興奮状態にはないから、やっぱりすぐに動く感じではないな。次に襲撃するタイミングを待っているんだと思う」

 淡々と語るシンの横顔に、グランツはひそかな溜息をつく。まったくウディヤというのは便利なものだ。向かい合っていなければ具体的な思考がわからないと言っていたが、大まかな感情がわかり、それ以外の現状を正確に把握、分析して答えを出せるのなら、命の危険を冒して斥候に出る必要がない。

 ただ、長年己の目と嗅覚を頼りに戦場を渡ってきたグランツとしては、シンの言葉だけでは少し不安ではあった。この期に及んで相手の魔術を信頼していないわけではないが、落ち着かない。

「この地形であれば相手に悟られぬようにできる自信はある、よかったらもう少し近くまで行って状況をたしかめて来ようか?」

「変だな」

 申し出たグランツの言葉を無視して、シンが怪訝そうに呟いた。

 と同時に、背後でガチっと歯を鳴らす音が聞こえて、グランツは無意識に振り返った。神殿兵たちが、苛立ちを顕わにして森の方を睨みつけている。

 ――そうか、彼らには公用語がわからないのだ。

 そのことにグランツは思い至った。シンは当然のように公用語を使っている。神殿兵たちは、大陸で使われる言葉は単語レベルでしか理解できない。シンの様子と、漏れ聞こえるヴェロスの名などから、目の前の森に同胞を襲った憎むべき敵が潜んでいることがわかっているのに、シンが具体的な命令を出さないから、動きようがなく、苛立っているのだ。

「シン殿、彼らにもきちんと説明を――」

「魔力を持つ者がいない」

 森の方へと意識を向けていたシンは、グランツの呼びかけには反応せず、半ばうわの空で言った。

「え?」

「呪術師を連れていないんだ。なのになぜ、ヴェロスたちは集落に呪いがかけられたのか……」

 シンの呟きは自問に近い。かすかに目を細め、さらに森の中の様子を探っていることがわかったので、グランツはその集中を妨げないよう、言葉をかけずにおいた。

「――ああ……呪具を持っている。なるほど、お膳立ては別の場で行って、あとは呪いの影響を受けない……異国人が場を整えて……」

 言う途中で、シンがまた酷く痛む頭を押さえるような仕種で、目許を片手で覆った。

「最悪だ。アクソスたちが激怒するはずだよ、祈りもなく仕組み(システム)だけで術を行ってる。集落の人々の死で犠牲を払っているから、呪いは発動せざるを得ない」

 シンは公用語で話してくれているはずなのに、グランツにはさっぱり意味がわからなかった。

 とにかく、シンにとってはかなり都合の悪い状況であるということだけは理解できる。

「させるつもりはないけど、これ以上同じ術を使われては、神々の怒りを収めるのにどれだけ労力が必要になるのか……クソッ、どこの――だ、絶対見つけ出して、――が――でも、――にしてやる……」

 シンの忌々しげな呟きが、最後の方はまったく聞き取れなくなった。どうもアクリオスの俗語らしいとはわかった。

「だ、大丈夫か?」

 怒りのせいか、シンの顔が青ざめている。頭に血が昇るという状態を通り越しているようだ。グランツがそっとその肩に触れると、すぐにシンの体から力が抜けて、諦めたような溜息が漏れた。

「動きがないか見張りながら、神殿から来る増援を待って、攻め込もう。気分的には森ごと焼き払ってやりたいけど、ヴェロスくらいは無傷で捕らえないとなあ」

 相手が武装しているのなら、お互い被害もなくヴェロスたちを捕らえることは不可能だろう。

「そうだな、もしよければだが、神殿兵の作戦に関して少し助言させてもらえれば、なるべくスムーズに捕獲が可能かもしれ――」

 軍人相手では、神殿兵がいくら数に恃んでも、シンたちの被害が大きくなることは目に見えている。

 親切心からシンに申し出る途中、何気なく森の方へと視線を向けたグランツは――不意に、全身を硬直させた。

 ――森の木々が小さく揺れ、中から、外を窺うようにしてそっと出てくる影がある。

 兵を乗せた馬が二騎。

 鞍に跨がるのは、遠目にわかる、アクリオスの人々とは違う出で立ち。

 それを見た瞬間、グランツは、体中の血が沸騰するような心地を味わった。

 黒い袖なしのコート、鎖帷子、手甲、裏地の赤い黒いマント。

 額にスパイクのついた黒い馬面。

 正規軍の装いではない。紋章も見当たらない。それでも何度も剣を交わしたグランツにはわかる。

 あれは――戦場で黒騎士と呼ばれる、あの国の――。

「……ヴルカーノ……ッ!」

 シンからその可能性を示唆された時から、覚悟はしていた。

 自分の敵が。

 主を殺した、奪った、仇が。

 いずれ目の前に現れるのだろうということを。

 だが今、実際にその国の者を、騎士を見たグランツは、魂の底から燃え上がるような怒りと、これまでに感じたことのない憎しみに全身を支配された。

 あまりに激しいその感情に、自分がどこにいるのか、何をしようとしているのか――自分が何なのかすら、忘れかけた刹那。

「グランツさん!」

 強い声と力が、グランツの頬をひっぱたいた。

「!?」

 勢いで仰け反り、どうにか騾馬から転げ落ちるのを堪え、驚いて振り向くと、シンがグランツのことを睨みつけている。

 シンはぎょっとするほど近くまで騾馬を寄せていて、片手でグランツの胸倉を掴み、射貫くような目を向けてきた。

「しっかりして。いい大人がめそめそぐずぐずしない。つけ込まれるよ」

「あ……あ、ああ」

 泣いていたつもりはないし、実際慌てて目許を擦ってはみたが雨以外のもので濡れている感じはしない。だが厳しい口調と眼差しで言われ、グランツは大人に叱られた子供の態で、シンに向けてこくこと頷きを返した。

 シンはグランツを殴りつけたせいで痛むらしい片手を振りながら、反対の手をグランツの胸倉から離し、再び森へと目を向けた。

 グランツは馬上で体勢を立て直し、シンと同じ方を見遣る。

「向こうも斥候か、あるいは別のところにいる仲間と連絡を取るかってあたりかな。別の場所にも潜んでいるならそこも押さえないと。フォスにつけさせよう」

 そう言って、シンが背後にいる護衛を振り向いた時、唐突に神殿兵が一人、動いた。

 頭で考えるより先に、何かまずいと直感して、グランツは反射的に相手に手を伸ばす。

 だが間に合わなかった。神殿兵は怒りを滲ませた雄叫びを上げながら、手綱を押さえようとしたグランツの手を振り払い、森に向けて騾馬で丘を駆け下り始めてしまった。

「あーあ、もう」

 シンは軽く舌打ちしただけで、さほど慌てる様子もなく、再び護衛を振り返った。アクリオスの言葉で命令すると、フォスが頷いて、先の神殿兵を追いかける。

 グランツは自分も加勢するべきか、躊躇した。

 残りの神殿兵二人も、仲間の突然の行動に驚いて戸惑った様子で、お互い顔を見合わせている。

「仕方ないな、片、つけちゃおう」

 シンが残った神殿兵たちにもアクリオス後で指示を下し、二人は緊張した面持ちで頷き、森に向けて駆け出して行った。

 その後すぐ、シンが彼らに続いたので、グランツもその後を追う。

「どうするのだ、ヴルカーノ兵にこの手勢で――」

「ヴェロスは無傷で捕らえる。力を貸している呪術師のことを聞かなければならないし」

 極めて冷静に、シンが言った。

 シンが落ち着いていることよりも、落ち着いているのに、なぜ彼が神殿兵の行動を止められなかったのか、グランツは少し不思議になった。兵たちが血気に逸っていることはグランツですら気づいていたし、シンもグランツが取り乱したことには気づいて、止めてくれたのに。

 ――もしかしたら自分が取り乱したせいで、シンの意識が神殿兵にまで向けられなかったのかもしれない。

 そう気づくと、グランツはヴルカーノ兵を前にああまで動揺した自分が、恥ずかしくなった。

「今の段階でヴルカーノ人が自分たちの素性を明らかにするわけにいかないだろうから、ヴェロスさえ押さえればここからは逃げるだけだ。他に仲間がいて合流されたら面倒だけど、今はとりあえずこの場だけでも収める」

 シンたちの足を引っ張ってしまったのであれば、自分がそれを挽回しなくてはならない。そう思って、グランツはシンの言葉に頷き、騾馬を急がせた。

 森のそばでは、すでにヴルカーノ兵二騎と、神殿兵三人に、フォスが加わり戦闘が始まっている。ヴルカーノ兵の攻撃を、フォス一人が抑えている。他の三人は、意気だけは軒昂としているが技が追いつかず、闇雲に長剣を振り回しているだけだ。ヴルカーノ兵が繰り出す剣を、フォスが神殿兵たちを庇いながら払っている。

 シンは彼らを無視して、森の中へと飛び込んでいった。

 グランツも、この場はフォスに任せ、シンを守るためそのまま彼の後について行くつもりだった。

 だが剣を振るう黒衣の騎士を見た瞬間、再び、体の芯から湧き起こる激烈な感情に――我を忘れた。

 無意識に、腰の剣を抜く。フォスの反撃に気を取られているヴルカーノ兵の脇を騾馬で駆け抜けざま、剣を一振りした。

「……ッ……!」

 重たい手応え。ヴルカーノ兵が短い叫び声と共に馬から落ちる。グランツの一撃は相手の胴を打ち、鎖帷子の上から骨を砕いた。一人目はアクリオスの神殿兵の剣伎の拙さに油断していたのだろう。だが二人目は、仲間が倒されたと見るや、すぐにフォスからグランツへと目標を移し、馬の向きを変えた。不格好な騾馬に跨がるグランツを一瞬怪訝そうな眼差しで見遣り、剣から戦斧に持ち替える。迷いなくグランツの頭部目がけて、重たい戦斧が振り回された。

 グランツは軽く身を逸らしてぎりぎりのところで斧を躱す。

 全身の血は沸き立っているのに、グランツは自分の心が冷酷に澄み渡っているように感じていた。残忍な衝動のままに剣を振るい、戦斧を握る相手の腕を両断する。絶叫が上がった。

 ――うるさい。

 その叫び声が不愉快で、グランツは返す刃でヴルカーノ兵の首を落とした。

 重たく濡れた音がして、雨でぬかるんだ地面に兵の頭部が落ちる。息ひとつ乱さずそれを見下ろしてから、グランツはふと神殿兵たちが自分を遠巻きにしていることに気づいた。

 まるでシンを見る時と同じ眼差しだ。怯えと嫌悪。グランツの剣も体も血に濡れている。

「……あ……?」

 そして、愕然とした。

 ――いつの間に(ヽヽヽヽヽ)?

 ヴルカーノ兵を二人倒したことを、勿論理解している。だがやけに現実感が乏しい。殺すつもりなどなかった。首の落ちた兵は勿論、骨を砕いた最初の一人も、地面に俯せに倒れて身動ぎもしていない。

 手応えは嫌というほど剣を持つ手に残っている。なのになぜ自分がそうしてしまったのか、うまく思い出せない。

 呆然としていたグランツが我に返ったのは、森の中へ入っていくフォスの姿を見たからだ。

 ――そうだ、シン殿を追わなくては。

 森の中にはさらなるヴルカーノ兵がいるはずだ。以前に破落戸たちを吹っ飛ばした魔術があれば、シン一人でそうそう危険があるとも思えないが、何しろ今の彼はあの時より弱っている。神殿兵の行動を止められなかったほどに。

 グランツは剣を振って血糊を払うと、自分も森の中へと飛び込んだ。

 雨にぬかるんでいるせいで、森の中は酷く走り辛い。手入れのされていない下生えに騾馬が足を取られ、思ったほど速度が出せなかった。ヴルカーノ兵の馬を奪ってくればと悔やみながら、シンの姿を探してとにかく騾馬を走らせる。

 フォスよりも馬の扱いに長けているグランツは、どうにか彼に追いつき、それを追い越してさらに先を急いだ。

 木々の密度はあまり高くはない。しばらく進むと、木々が円形に伐採されている一画が目に飛び込んできた。切り倒された木の代わりのように、枯草色の布がいくつも敷かれている。

 ヴェロスたちの野営地だ。グランツは剣を握る手に力を籠めた。素早く周囲へ視線を走らせるが、人の気配は感じられない。シンほどではないが、戦場にあれば、グランツも少しの物音や五感以外の感覚で敵や味方の居場所を察することはできる。

 ――逃げたのか?

 警戒しつつ、グランツは野営地へと飛び込んだ。地面に広がっているのは、どうやら倒れた天幕のようだ。火を熾した後も見える。

 グランツは騾馬から降り、野営地中を、その体を盾代わりにして進んだ。

 小さく物音が聞こえた。身構えて視線を向ければ、人ではなく、騾馬の姿が野営地を囲む低木の奥にあった。あの騾馬には見覚えがある。

「シン殿の……」

 鞍にはシンの姿がない。嫌な予感がして、グランツは自分の騾馬から手を離し、シンの騾馬の方へと駆け出す。

 すぐに、低木の合間に膝をついているシンの姿をみつけた。

「シン殿!」

 シンは腕を押さえ、蹲るようにしてその場にじっとしている。グランツはそのそばへと駆け寄った。

 腕を押さえる指からは鮮血が滴り落ちている。

「シン殿、大丈夫か!」

「――ヴェロスたちに逃げられた」

 何ということのない調子で、シンが応える。

「ここをみつけて、全員まとめて術で吹き飛ばしたんだけど……駄目だな、あまり力が出なくて。最初に立ち直った兵に、斬りつけられた」

「とりあえず、止血しよう」

 シンならば、どんなに深い傷であっても放っておけばすぐに傷が塞がることはわかっている。だが心情的に放っておくことなどできず、グランツはシンの隣へと自分も片膝をついて身を屈めた。

 傷口を見ようとして、眉を顰める。

 シンの指の間から滴る血は、彼の身に纏う濃紺の法衣に染みこんでいる。

 強くなってきた雨のせいもあるのかもしれない。だが血の染みは思ったよりも広範囲に亘っていた。

 グランツは自分の体で雨からシンを庇いつつ、指を退けさせ、腕の傷口を調べた。

 切れ味のいい剣で撫でられた感じだった。それほど深い傷ではない。肉は見えているが骨までは達していなかった。

 だが出血が酷い。『この程度の傷で?』とグランツは少し不審になった。儀式の時、シンは自分の心臓を貫く傷を負ったのに、見る間に血が止まり、傷が塞がっていったのだ。

「シン殿、治癒法を使う余裕はあるか?」

 問いながら、グランツはシンの呼吸が異様に深いことに気づいた。小さく歯の根が鳴っている。

「……血が……止まらない……」

 雨音に掻き消されそうに小さく、掠れた声が、色をなくしたシンの唇から零れた。

 最後まで言い切らないうちに、シンの体が前のめりに傾ぐ。

 咄嗟にグランツが支えた時にはシンの全身は完全に弛緩していた。

「シン殿――?」

 呼びかけに、シンは応えない。

 意識を失ったシンの腕からは、止めどなく血が流れ続けている。

「シン殿!」

 名前を呼ぶグランツの腕の中で、シンはもうぴくりとも動かなくなった。

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