騎士は神子の儀式をみつめる
辿り着いた集落、クリノスの惨状を見た時、グランツ、そしておそらく他の八人も、『やはり』と思ったことだろう。
やはり、クリノスも、何者かによる襲撃を受けた後だ。
六日ほど前に見た集落、ケレイスの状況とまったく同じ眺めに、それでもグランツは言葉を失った。
燃やし尽くされた家屋や、家畜小屋や、集会所や、食料の貯蔵庫や、水車小屋や――。
それを焼く炎から逃れようとする姿のまま絶命している、男、女、子供、赤ん坊、家畜。
炎はとっくに収まっているはずなのに、あちこちに揺らめいている黒い靄は、シンがいうところの『瘴気』。
鼻をつく血の臭いの許は、水路を流れる白毛の猿、『神獣』の死骸。
その眺めを目の前にして、騾馬に跨がったまま動きを止める一行の中で、真っ先に動いたのはシンだった。
シンは身軽な動きで騾馬から降り、手近な木に手綱を結わえつけると、片手を腰に当てて、改めて集落の様子を見遣った。
「儀式の支度をしないとな」
まるで食事の支度を、とでも言うようなあっさりした口調で言ったシンに、グランツはハッとなった。
シンがグランツにもわかる公用語ではなく、アクリオスの言葉で、おそらく同じことを神殿兵と雑役たちに告げる。アクリオス語がわからないグランツにも、彼らが短く口にしたのが、了承の返事だということくらいわかった。
神殿に仕える者たちは、慌ただしく騾馬から降り、慣れた様子で、クリノスの入口正面で天幕を支度し始めた。
グランツは何とも言えぬ気持ちでそれを見守る。余所者が手を貸すことを神殿兵たちは嫌がったし、そもそも、手伝う気がグランツには起きない。
シンには、またあの『儀式』が待ち受けているのだ。
それがウディヤの責務だと、シンは言う。クリノスはただ人の手により襲撃を受け潰滅しただけではない。『呪い』がかけられ、その呪いに辱められた死体は、正しい死を迎えられないのだと。
グランツの前では公用語を使ってくれているはずなのに、シンの説明は難解だ。
だが実際、『儀式』とやらを目の当たりにしたグランツには、嫌でもその意味がわかった。シンはアクリオスを守る神々に祈ることで、呪いを祓うことができる。ケレイスに渦巻いていた黒い瘴気は、シンが儀式を行ったあと、綺麗に消え去った。強烈な血と煙の臭いも。
祈りには対価が必要だ。
小剣で自らの体を傷つけ、心臓を刺し貫くまでの苦痛と引き替えに、シンは人々の願いを神々に託す。神々はそれに応え、シンの願いを叶える。
そうすることでしか呪いを祓う手立てがないとわかっていても、シンがそんな目に遭うことが、グランツは嫌で仕方がなかった。正気の沙汰とも思えない。
「もう一回言うけど。グランツさんは、見なくていいんだよ」
自覚のないまま、グランツはよほど険しい顔をしていたのだろう。隣で神殿兵たちの働きを眺めていたシンが、笑いながら言った。
前回儀式を行う前にも、シンはグランツに向けて同じことを告げた。
笑っているその顔に、グランツの胸は引き裂かれるような痛みを感じる。
「いや――君の儀式に差し支えがないのなら、今度も……今度こそきちんと、見守る」
決然たる態度で、グランツは宣言した。
初めてシンの儀式を見た時、グランツは取り乱し、わめき立て、止めようと暴れた。それはシンの護衛であるフォスに阻まれたものの、粛々と行われるべき儀式の妨げになったはずだ。
「それで何が変わるわけでもないことは承知だが……私だけ君の苦しみから目を逸らし、一人のうのうと天幕の外にいるわけにはいかない」
「アクリオスのことだし、グランツさんがそんな義務感を背負わなくてもいいんだけどね」
思い詰めて語るグランツに比べ、シンの方は可笑しそうに肩を揺らし、気軽な口調になっている。
だがその声音が平然としていればいるほどに、グランツの胸は痛むのだ。
以前、儀式が嫌だと言って泣いたシンの姿と声は、未だにグランツの脳裡を支配している。
あの時グランツは、十六歳という年齢にしてみればやけに落ち着いて、大人びた言動をするシンの、本当の心に触れたような気がした。
「いいんだ。私の前でくらい――強がらなくても」
心を込めて言ったグランツをちらりと横目で見遣って、シンは一瞬物言いたげな、複雑そうな表情になった。
だが結局は何も言わず、小さく肩を竦めて、集落の方へと視線を移す。
「ケレイスの状態からして、他にも同じような状況の集落があるのは覚悟してたとはいえ。……何だか、誘われてる気がする」
シンの呟きに、グランツは眉を顰めた。
「君が――『ウディヤ』がか?」
「かな。個人的な恨みって線もあるけど、まあ俺が俺である限り、同じことか」
半ば独り言のようなシンの声音に、グランツはさらに眉根を寄せた。
「もしや、君はすでに犯人に目星がついているのか」
「ひとつふたつ、心当たりはある。やり方からして、関わっているのは神の力を継ぐ者、その力の使い方を知る者、それでアクリオスの神殿に所属していない者だ」
シンのような魔力を持ち、シンのような魔術を行うことができ、シンとは違って公式の神職者ではない者、ということらしい。
「その、君のような力を持つ人間は、アクリオスにどのくらいいるのだ?」
グランツの国では、というよりアクリオスのある群島以外の大陸や諸島では、『魔術』などお伽噺の中以外で存在しない。その奇蹟を自らの体で確かめねば、グランツだって信じることはできなかっただろう。
その信じがたい魔術は、正式に神殿に仕える兵たちのみならず、雑役係の少年たちすら使うことができるようだった。
何しろグランツにとって常識外の力だったので、この国においてどのような状態が普通で何が普通でないのかすら、よくわからない。
「俺ほどの力を持つ者は俺だけ。さらに桁外れに強力なのが『神聖王』だけど、それもまあ神の座に片脚突っ込んでるようなものだから論外として――生まれつき力を持つのは大体全体の一割。意図して魔術を使えるのはさらに一割、ってとこかな。その中のほとんどが神殿に所属してる。給料がいいからさ」
その数字が多いのか少ないのかも、グランツには判別がつかない。シャリエであれば、国に一人いるのだって大変なことだろうと思う。
「ほとんど、ということは例外もあるのだな。たとえば、アクリオス外の集落にいる聖職者などだろうか?」
アクリオス人のほとんどは城塞内で生活しているが、中には城塞の外で村落を作ったり、遊牧して暮らす氏族も存在する。彼らは契約として王の庇護を受け、天候の問題などで充分な衣食住を得られない時にはその保障を受ける代わり、群島内にある他国の者が城塞に攻め込もうとするならば、それを食い止める役割を担うという。
グランツは十日ほど前、シンたちと共に、そのうちのひとつ、スフェラという集落に立ち寄った。スフェラには小さいながら神殿があり、神職者がいた。彼らも『生まれつき力を持ち、意図して魔術を使える者』なのだろう。そして、城塞の外で暮らしているのだから、その中の神殿に所属する者ではないのかもしれない。
「そう。中にはアクリオス内の神殿で修行してから、集落の神職者として派遣される人もいるけどね。それ以外の人は野良巫覡っていうか、呪術師っていうか、神殿とは関わりなく、独学で術を行ってる。で、大抵は長老兼巫って感じで集落をまとめてる。この国では、神に近い者ほど人の上に立つ権利を持つって仕組みになってるから」
話すシンの横顔は、どことなく皮肉げにも見えた。その胸の裡が、グランツにはやはり測りがたい。
「この襲撃に関して、城塞の神殿に仕える者は、確実に無関係だ。何しろ俺が気づかなかったからさ。……というか、割合正しくウディヤの役目や力についてを知る人間なら、そもそもこの俺に逆らおうだなんて気を、冗談でも持つはずがない」
ウディヤという存在を、アクリオスの人々は怖れている。怖れ、敬い、遠巻きにしている。シンの孤独はそのせいだ。また皮肉っぽく口許に笑みを浮かべるシンが哀れで、グランツは精一杯彼を励ましながら、抱き締めてやりたくなったが――他の聖職者たちの手前、こらえた。次期の王であるシンも、彼らにとってほぼ神と同義だ。自分たちの神を抱き締める異国人など、不敬の極みであろうし、彼らの精神衛生上よくない。
「つまり、どこかの集落の長老格が、ここやケレイスの惨状を導いた……というわけか。しかし、一体何のために? こうまで徹底的に焼き尽くされ、その、呪いまでかけられては、自分たちが土地を奪って縄張りを増やすためというわけではあるまいし」
「最終的には城塞を手に入れるつもりだと思うんだよね」
ごく簡単な口調で言ったシンに、グランツはぎょっとした。
「そ、そうなのか」
「うん。城塞っていうか、王の座っていうか。クレオ様はどうせ放っておいたって近々死ぬから、俺をおびき出して殺して後釜に座る気なんだろうな」
王が死ぬ、などとやはり軽々しく口にするシンに、グランツはますます驚く。
「神聖王は、死なぬのではなかったか」
以前シンがそう言っていたのだ。アクリオスの王は、首と胴体を切り離したとしても命を落とすことはないと。ウディヤであるシンは、治癒法という信じがたい魔術でグランツの致命傷を治した。王はそのウディヤよりも、さらに強力な魔術が使えるというのだ。
「怪我ではね。老いれば死ぬ。病でも。クレオ様はもういつ死んでもおかしくない歳だし、二年くらい前からずっと重い病で臥せってる」
「……」
相槌に窮して、グランツは限界まで眉の間に皺を刻んだ。
――どうしても、思い出す。
守れなかった主。目の前で死んでいったノルベルト。シャリエはヴルカーノの属国となっただろうか。それともすでにその国の名も失われただろうか。
いずれにせよノルベルトのものであったはずの玉座は、すでに他人の手に渡ってしまった。
緋色の椅子に傲然と腰掛ける己の姿を、ヴルカーノ王コルノはグランツたち敗戦の将に見せつけた。その記憶が呼び覚まされ、グランツは神経の焼き切れそうな心地を味わう。
「クレオ様の病は公式には臥せられてたけど、さすがに人前に姿を見せられない時期が続いたせいで、そろそろみんな勘付いてる。だからまあ、こういう事態に陥ったと。……やっぱり、ヴェロスかなあ。アルクダにそれほどの度胸もないだろうし」
最後にシンが口にしたのは、どうやら人の名だ。
「それが『心当たり』か?」
「ヴェロスはクレオ様の正妻の息子。アルクダはクレオ様の元側近で、神事の最中に居眠りして失脚して労働階級に落ちた男。ヴェロスは異国かぶれしたおかげで『王の息子、王子たる自分に継承権がないのはおかしい』って騒ぎ立てて、でも誰にも相手にされずに、ここのところ要塞内でも姿をみかけなくなった。アルクダは長年尽くしてきたクレオ様がつまらないことで自分を上層階級から追放したことを、相当恨んでる」
シンの口調が残念そうですらあることに、グランツはもう何度目か、何とも言いがたい気分になる。
シンはきっと、普通の少年になりたいのだ。王の座など望んでいない。
それは傍目で見ているグランツにも嫌と言うほどわかった。
「でもヴェロスは神事に一切関わってこなかったから、どこでこんな呪いの方法なんか覚えたのか疑問だし、神事を知るアルクダが、それを知ってなお唯人である自分が王になろうと思い切れるはずないし」
言いながら、シンが小さく笑った。笑ったあと、一瞬にしてその眼差しが冷淡なものへと変わる。
「ヴェロスでもアルクダでも、誰が相手でも同じことだけど。相応の報いが返るだけだ」
呟く声にも、突き放すような冷たさが宿っている。聞いているだけで身が凍りそうな響きだが、グランツにとって怖ろしくはない。
ただ、十六歳の少年がそんな顔をすることが少し悲しかった。
「――さておしゃべりはここまでにして、俺はそろそろ禊に行く。グランツさんは適当にしてて」
天幕は着々と形作られている。シンはそう言い置くと、自分の騾馬の方へ戻った。
「シン殿、それなら私も――」
一緒に行く、と言いかけたグランツの横を、風のように小さな影がサッととおり抜けた。ついでに足を踏まれた気がする。軽いので痛くもなかったが、グランツの足を踏みつけてシンの許へ駆け寄ったのは、雑役係の少年、ミラだ。
ミラはシンの実の弟でもある。兄の、というよりもウディヤのそばに異国人がいることを、まるで快く思っていないのがありありとわかる態度だ。なにしろグランツは、おそらくシンに馴れ馴れしくしたことを理由に、ミラたちに一度殺されかけたことがある。
「あれは惜しかったな……」
呟くグランツの見遣る先で、ミラは騾馬に跨がるシンの前に跪き、視線は地面に落としたまま、何か言っている。アクリオスの言葉がグランツにはわからない。おそらく供を申し出ているのだろう。
シンはミラに言葉を返してから、騾馬でその場を立ち去っていった。前回同様、儀式に備えて身を清めるため、清水の流れる川に向かったのだ。ミラがすぐにその後を追う。浴布や着替えを運ぶためだろう。
兄弟でありながら、シンとミラの間には常にある種の緊張感が感じられる。緊張しているのはミラの方だけだ。シンは、グランツの目から見て諦めているように感じる。ミラは神の子、ウディヤとしてのシンに傅き、シンは兄としてではなくウディヤとしてミラに接している。ミラは一度もシンと視線を合わせない。敬っているからではなく、怖れているせいだとシンは言った。誰もがそうだ。アクリオスに暮らす人々のすべてが、シンに対しそんな態度で接する。
――これでは、私の態度が不敬だと怒る人が出てくるのも当然だ。
そう考えてから、グランツはふと首を巡らせ、シンの護衛の姿を探した。
フォスは天幕作りを手伝うでもなく、シンの後を追うでもなく、一人まだ騾馬に跨がったまま、シンの走り去っていった方をただみつめている。
表向き護衛を務めているフォスの本当のもうひとつの仕事は、『監視』なのだと、シンからは聞いていた。
ウディヤが、その重い運命に抗って、アクリオスを捨てることがないように。
王に命じられてシンを見張っているのだと。
そのせいなのか、フォスはシンを守るべき立場でありながら、シンに命令を受けぬうちは、決して自分から動こうとしない。シンのそばに控えるでもなく、大抵少し離れたところから、じっとシンの姿を見ているだけだ。
フォスはミラや神殿兵たちほどシンを怖れていないように見える。寡黙すぎるほど寡黙で、シンとも、神殿の人間とも、必要以上に話しをしようとしない。勿論グランツとも。
神殿兵たちが天幕を完成させ、グランツとフォスだけがぼんやりとその作業を眺めているうち、沐浴を終えたシンたちが戻ってきた。儀式用のものらしい、純白のローブに着替えている。その白さがグランツの目には痛かった。
ミラと、それに馬から下りたフォスも、天幕の中に入っていく。
グランツだけはその場に立ち尽くしたまま、シンがゆっくりと天幕に向けて歩く様を見ていた。
シンがふとグランツの姿に目を止め、口許だけで笑って見せた。水を浴びたせいか、それとも別の理由からか、顔色は青白い。
グランツは黙ってシンのあとに続き、最後に天幕に入った。入った途端鼻腔を刺激するのは、覚えのあるきつい香り。感覚を麻痺させるためのものだとシンから聞いた。
神殿の人間たちは、口々に、低い声で呪文を唱えている。グランツには意味のわからない、歌にも似た響き。これからシンが行う儀式の効力をより高めるためのもの。
神殿兵とミラたちは、熱っぽい眼差しでシンの一挙手一投足をみつめている。狭い天幕に広がる香の煙と熱気の中で歌うように言葉を呟き続けているうち、半ば催眠状態に陥っているのだ――とグランツはいやに冷静な心で考えた。
シンも呪文を呟きながら、小さな台座に恭しく置かれた丸い包みに手を伸ばす。彼のローブと同じく純白の布でくるまれたもの。
布を解くと現れるのは、同じく白い、髑髏。
かつての神聖王のものであると、シンが言った。
――俺もそのうち死んでああやって骨だけになって、なお儀式に引っ張り出されるんだよ。
笑って教えてくれたシンの顔を思い出し、グランツは天幕の片隅で、ひとりぐっと両手の拳を握り締めた。今すぐ、やめろと喚きながら、また暴れ出したくなる衝動と必死に戦う。
なぜ神殿兵や、シンの身を守るべき役割を担うフォスや、血縁者であるミラすらが、平然としているのか。グランツにはどうしても理解し難い。
彼らは知らないのだ。この儀式がシンにとってどれほど苛酷であるのか。
儀式でつけた傷は、治癒法を使って治すことが許されない。シンは痛みと失血のショックに、その後たとえどれほど傷が腫れ上がっても、熱が出ても、ただ耐えなければならない。治癒法どころか、医者の手当てをすら受けられず、自力で天幕を出られるようになるまで、誰もウディヤを顧みる物はいない。
だからいつもたった一人で猛烈な苦痛に耐え、次に人々の前に出て行く時は、平然とした顔を作るのだ。
その真実を、この国で、グランツだけが知っている。
「――、――、――」
シンの詠唱の声が、一際高くなった。腰に提げていた小剣を鞘から抜き、どこかにいる神々とやらに見せつけるように刃をひらめかせる。
一瞬の躊躇もなく、シンが自分の体を傷つける様子を、グランツは涙に滲む視界でみつめ続けた。




