騎士と神子は旅をする
はっきりと目の当たりにしなくとも、その集落が今どんな姿をしているのか、グランツには嫌というほどわかった。
まばらに草生す荒れ野の向こうで、煙のような影が揺らめいている。
騾馬で近づくほどに鼻を突く臭気。血と煙の臭い。
同じだ――あの集落と。
グランツはそっと、隣で同じく騾馬に乗って進む少年を見遣った。
濃紺の法衣に包まれた細身の体。青みがかった黒髪は頭からすっぽりと被ったフードによって隠され、鼻から下もマスクで覆っているから、見えるのは涼しげなその目許だけ。
藍色の瞳からその感情を読み取ることが、グランツにはできない。
それは相手の少年、シン――ウディヤと呼ばれる者にとってならば、容易いことなのだろうが。
シンはグランツの見守る先で、ふと空を振り仰ぐように、騾馬の手綱を握ったまま細い頤を持ち上げた。
グランツもその動きに釣られて空を見上げる。
鈍い鉛色の雲が見渡す限りに拡がっていた。これからグランツたちが進もうとする方角へ向かうにつれ、少しずつ重たい色が塗り重ねられていくようだった。
時折低く雷鳴が響いている。もう数日こんな天気が続いていた。雨の降りそうで降らない空。
ゆっくりと、まるで這うように嵐が近づいているような、そんな薄気味の悪さ。
「臭いなあ……」
空から進む先へと視線を戻しながら、シンがうんざりしたように呟いた。
「大丈夫か?」
独り言のような調子だったが、気懸かりで、グランツは横から訊ねる。
シンが億劫そうな仕種で頷きを返し。
「臭くて気分が悪いだけだから」
グランツにとって心配なのは、その『気分』の方だったが、かといって何をどうしてやれるわけでもないので、ただ「そうか」と頷くことしかできない。
まったくこの土地で、自分は役立たずだと、グランツは自分で自分に呆れる。
この国、アクリオス。
土地の者は『神々の国』と称していた。峻険な山の裾に建造された堅牢な城塞都市。グランツにとっては『最果ての国』とでも呼びたくなるような場所だ。
世界の中心をなす三つの大陸からは遠く離れ、グランツ自身、故国からここまで自分が無事辿り着けたのは奇蹟だと思う。
いや、無事というには、途中海賊に襲われたり、嵐に襲われたり、船が難破するなど、到底平坦な旅ではなかったのだが。
今、荒れ地で騾馬を並べて進むグランツとシンの前方では、アクリオスの神殿に属する兵が一人、同じように騾馬に跨がっている。ここからでは見えないが、さらに二人の兵が、先遣として目的の村落に向かっているはずだ。
振り返れば、背後には、十を少し過ぎたばかりに見える幼い少年が二人、雑役係としてついてきている。二人とも、疲労と憂鬱の混じった浮かない顔をしていた。きっと先を行く三人の神殿兵たちも、同じような表情をしているだろうと、グランツには想像がついた。
少年たちの後ろにもう一人、ぽつりと影のように見えるのは、シンの護衛を務める青年。彼だけはおそらくいつもどおりに無表情を通しているだろう。フォスの表情が揺らぐところを、短いつき合いとはいえ、グランツは一度も見たことがない。
一行は、アクリオス内に点在する集落の視察を目的とした旅をしている。
こうして異国の地で異国の聖職者と共に旅をする、その数奇さに思いを馳せると、グランツはわけもなく涙ぐみたい気分になった。
そして祈るようにかつての主の名を呼ぼうとしてから、思い留まった。
――シン殿の前では、できうる限りノルベルト様の名を口にすまい。
ひそかにそう決意したことは、シン自身にも言うつもりはなかった。シンを思い遣って決めた行動が、また彼の自尊心を傷つけることになるのではと、心配だったからだ。
再び見遣れば、シンはただ黙然と騾馬を進ませている。
フードに隠されてよく見えはしないのに、その顔色がかすかに青ざめていると感じるのは、彼の持つ重い運命をグランツが知ってしまったせいなのだろうか――。
視線に気づいて、シンがちらりとグランツを見返した。
「うるさいよ、グランツさん」
「!? こ、心を読んだのか?」
ぎょっと、グランツは声を上げる。
うろたえるグランツの様子を見たシンが、可笑しそうに肩を揺らした。
「じゃなくて、視線が。じろじろ見過ぎ、鬱陶しい」
酷い言われようだったが、それでもシンが笑ったことに、グランツは少なからずほっとする。
「い、一応、遠慮がちに見ていたつもりなのだが」
「何て言うか存在がうるさいんだよね、グランツさんて……」
まったく本当に、酷い言われようだ。
「面白いからいいけどさ」
うるさいだの鬱陶しいだの言いつつ、シンは気を悪くしているふうでもない。
そのことに内心で安堵するグランツを横目で見遣って、シンがもう一度、可笑しくて仕方がないというように肩を揺らして笑った。
◇◇◇
カレル・グランツがシン・ウディヤと呼ばれる少年と出会ったのは、半月ほど前のことだ。
グランツは、生まれ育った場所、西の大陸にあるシャリエ王国では名高い騎士だった。いや、シャリエ国内のみならず、西方大陸の外にまで『ロード・グランツ』の名は知れ渡っていた。
疾風迅雷の剣さばきで敵を倒す、不撓不屈の騎士。
何よりも主を愛した、高潔な男。
だがグランツが愛し、忠誠を誓ったシャリエ王ノルベルトは、敵国ヴルカーノの前に斃れた。
シャリエはヴルカーノの支配下となり、玉座にはノルベルトの代わりに、ヴルカーノ王コルノが就いた。
主君が目の前で処刑された時、グランツは両手足を拘束され、なすすべもなくただ、それを見ていた。
ノルベルトがこの世から去ったのであれば、もはや、自分の生きる意味もない。
グランツにとって、騎士であることが、騎士としてノルベルトのそばにあることが、人生のすべてだった。
ノルベルトの命が失わると同時に、ロード・グランツの魂もまた、死んだのだ。
後は肉体を殺すだけだと、グランツは死に場所を探してシャリエから旅立った。
そう、グランツは心から、全身全霊をかけて、熱烈に、死にたかった。
だが死ねなかった。ノルベルトに誓ったのだ。王の騎士として、決して敵に背を向けることなく、命を落とす時は、すべての力を振り絞り、それでも相手に敵わぬ時だけであると。
自殺ももってのほかだ。だからグランツは自分を殺せるほどの相手を探して西方大陸を彷徨い、しかしヴルカーノの追っ手にも山賊にも殺してもらえず、あてどもなく北方諸島に渡り、そこからこのアクリオスに辿り着くまでの間も、海賊や嵐や難破に襲われたというのに、怪我のひとつも得ることができないままだった。
挙句、アクリオスで最初に出会ったシンという少年が、グランツの『夢』を阻んだ。
――あなたがそれほど死にたいのなら、俺はあなたを生かすよ。
出会ったその日、シンはグランツに向けて、そう宣言した。
十六歳という若さでありながら、アクリオスにおける、どうやら王を除いた最高位の聖職者。人の心を読めるばかりではなく、グランツには理解できない、摩訶不思議な『魔術』を使って、致命傷すら癒す力を持つ存在。
それがウディヤだ。
アクリオスの中で、グランツの生殺与奪の権はシンのものになった。
シン・ウディヤのおかげで、グランツは三度も死に損なった。
シンに連れられ、彼の『荷物』として視察についていくことになったグランツは、その旅のさなか、シンの孤独な心に触れた。
――自分がノルベルトを愛したように、シンが愛する人ができるまでは、そばでシンを守ろう。
やがてグランツは、そう決意するようになった。
そしてシンは、そうなった時、必ずグランツを殺してくれると約束した。
ノルベルトの命が絶たれた時に、希望などこの世界から消えてしまったと思ったグランツの、それがたしかな希望になった。
なってしまったのだった。




