第9話 揃えない振付
相楽ユウトの「振付を揃えない」という宣言は、レッスンスタジオに重たい静寂を落とした。
犬系獣人のニコの背後で揺れていた赤い尻尾が、ピタリと動きを止める。彼女の顔には、明確な困惑が浮かんでいた。アイドルがダンスを揃えない。それは芸能界の常識、彼女が過去のユニットで叩き込まれてきた絶対のルールに対する、完全な破壊だった。
「……マネージャー、正気ですか?」
カレンが呆れたようにため息をつき、ミラが「グループとしての視覚的統一性が崩壊します」と触角を激しく明滅させる。
だが、ユウトの表情は真剣そのものだった。
目前に迫っているのは、プロジェクト初のプロモーションとなるミュージックビデオ(MV)の撮影だ。低予算の中で制作されるこのMVで、彼女たち七人が「一つのグループ」として機能していることを世間に証明し、推しポイントを獲得しなければならない。
「正気だ。全員で同じ動きをするから、歩幅や呼吸の差がノイズになる。だから、それぞれが自分を一番美しく見せられる動きをしてくれ」
ユウトはホワイトボードに、七つの点と、それを結ぶ矢印を描き出した。
「バラバラの動きを一つに繋ぐのは『視線』だ。自分のパートが終わる瞬間、必ず次のパートを歌うメンバーへ視線を送る。観客は自然とその視線を追いかける。動きではなく、視線のバトンリレーで七人を一つのパッケージにするんだ」
ユウトの提示した理屈は、確かに一理あった。
しかし、実際に音楽を流して動いてみると、スタジオはたちまち無法地帯と化した。
持ち前の運動量で猛スピードで駆け抜けるニコが、優雅にターンを決めようとしたシルヴィアと激突しそうになる。定位置の水槽を想定したルナのスペースに、重い足取りで移動しようとしたゴルガが踏み込みかける。
「きゃっ!」「危ない!」
ぶつかり合う声と乱れる足音。ユウトは頭を抱えかけた。理論と現場の物理的な制約が、全く噛み合っていない。
「ストップ。音を止めて」
フロアの中央で、シルヴィアが鋭く手を叩いた。
「相楽ユウト。あなたの頭の中の理屈は分かったけれど、素人が三次元の空間を無視して図面を描かないで。これじゃMVどころか、怪我人が出るわ」
銀髪のエルフはユウトからホワイトボードのマーカーを奪い取ると、図形を素早く修正し始めた。長命種として培ってきた彼女の豊富な舞台経験が、ユウトの未完成な案を実用レベルへと昇華させていく。
「いいこと? 視線を渡すにしても、基準となる『柱』が必要よ」
シルヴィアはゴルガを指差した。
「ゴルガ、あなたは動かなくていい。その重い声が私たちの中心よ。ルナの水環境とメイプルの機材スペースも固定。ミラとカレンはその左右の空間を使って」
シルヴィアの指示に、メンバーたちがそれぞれの定位置へと散らばっていく。
「そして、ニコ」
シルヴィアの翠の瞳が、ニコを真っ直ぐに射抜いた。
「あなたはセンターよ。誰よりも速く、長く動けるあなたが、私たち全員の隙間を縫って走りなさい。バラバラの点と点を、あなたの動線が繋ぐのよ」
「私が……皆を繋ぐ?」
ニコの尻尾が、期待と緊張で小さく揺れた。一番価値のある人間が立つ場所ではなく、皆を繋ぐための結節点。それが、ユウトが彼女に求めたセンターの意味だった。
「もう一度、頭から通すわよ」
シルヴィアの合図で、再びビートが鳴り響く。
今度は違った。
ゴルガが定位置で深く重い声の柱を立てる。メイプルの機材を叩く金属音から、ルナの柔らかな手の動きへと視線が渡る。ミラのデジタルなリズムと、カレンの影のようなステップ。その間を、ニコが弾けるような笑顔で駆け抜けていく。
そして、ニコの視線の先で、シルヴィアが優雅なターンと共にメインボーカルを響かせる。
誰一人として、同じ動きをしていない。振付は完全にバラバラだ。しかし、流れるような視線の受け渡しと、ニコの無尽蔵の運動量が接着剤となり、見事に一つの『生き物』のようなパフォーマンスを作り上げていた。
「……すごい」
防音ガラスの向こうで、ユウトは息を呑んだ。
彼が提示した不完全な地図を、シルヴィアの現場知識と、ゴルガの重み、ニコの明るさが見事に正解へと導いたのだ。
数日後。
ユウトは、完成した振付の練習風景を、意図的に荒い画質の短いクリップとしてSNSへ投稿した。
揃っていないのに、絶対に目が離せない。そんな異常なパフォーマンスの片鱗は、既存のアイドルファンと異種族コミュニティの双方に強烈なフックとして突き刺さった。
期待感は数字となって即座に表れた。
楽曲の先行ダウンロードと、ファンクラブへの新規加入が加速する。ダッシュボードの推しポイント(pt)は『6,700』へ到達した。
深夜の事務所。ユウトのパソコンの画面には、完成したばかりのデビュー曲の映像データが取り込まれていた。
派手なCGも、豪華なセットもない。廃工場を借りて撮影した、予算の少なさが透けて見える手作り感満載のMVだ。だが、そこに映っている七人の存在感は、どんな高価な演出よりも強い熱を放っていた。
ユウトは静かに息を吸い込み、公開予約のボタンをクリックした。
明日の朝、この少予算の手作りMVが世界に向けて放たれる。ここからが、本当の戦いの始まりだった。




