第4話 ホットピンクの触角
ナナホシプロの薄暗いオフィスに、チカチカと場違いなネオンカラーが明滅していた。
深夜の静寂の中、パソコンのモニター光源だけが頼りの室内で、その発光源はひときわ異彩を放っている。
「……ミラ。眩しいんだが」
相楽ユウトがコーヒーカップを置きながら指摘すると、デスクに齧り付いていた女性がビクッと肩を揺らした。
彼女の頭部から生えた二本の滑らかな触角が、警告灯のように激しい明滅を繰り返している。
「す、すみません。思考のクロック数が上がると、どうしても自律神経への漏洩が防げなくて」
星系連合民のミラ・ノヴァリス、二十二歳。
地球の感情消費文化を研究するために留学してきた彼女は、昨日、カレンの持ち込んだ莫大な視聴データを解析する「共同研究」という名目で、このプロジェクトにデータ分析補助として入り込んだ。
通常、彼女の触角は知性を思わせる落ち着いた蒼宙色をしている。しかし今は、高揚と隠し切れない動揺を示すホットピンク色に染まっていた。
「気にしなくていい。それより、解析の結果は出たか?」
ユウトの問いに、ミラの触角が少しだけ青みを取り戻す。彼女はプログラマー特有の流れるような指さばきで、モニターに幾つかのグラフを呼び出した。
プロジェクト始動から四日目。
七日目までに公式アカウントのフォロワー数を五千に届かせなければ、初動の要となるミュージックビデオ(MV)の制作予算が凍結される。現在のフォロワー数は三千百。残り三日で、千九百人を新規に獲得しなければならない。
「結論から言います。地球人の感情バグ……いえ、共感性を利用した導線設計が完了しました」
ミラは得意げに二つのサムネイル画像をモニターに並べた。
一つは、ゴルガの巨体と牙を極端に暗い照明で際立たせ、「野獣の涙」という煽り文句を入れたもの。もう一つは、カレンが地下ライブで顔を歪めた瞬間を切り抜き、「呪われたエルフの絶唱」とテロップを被せたものだった。
「カレンさんの提供データを基に、人間が最もクリックしやすい視覚的刺激を抽出しました。彼らは『恐怖が感動に変わるギャップ』と『他者の不幸な物語』を好んで消費します。この二つのパターンをランダムに表示させるA/Bテストを無告知で実施し、反応率の良い方に広告予算を全振りします」
ミラは淀みなく解説する。
「種族特性を極端な記号としてパッケージ化すれば、CVR(コンバージョン率)は現在の二・五倍に跳ね上がります。三日で二千フォローなど余裕です。さあ、今すぐ配信にかけましょう」
それは、数字を最大化するための完璧な『最適解』だった。
かつての五洲商事時代のユウトなら、迷わずそのエンターキーを叩かせていただろう。
「却下だ」
ユウトは短く告げた。
ミラの触角が、ピタッと動きを止めた。
「……理由を伺っても? 私の計算モデルに、統計学的な瑕疵はありません」
「データは正しい。だが、見せ方が間違っている」
ユウトはモニター上の煽り文句を指差した。
「確かに数字は跳ねるだろう。だが、ゴルガは『野獣』として見られたいわけじゃない。カレンも『呪われた悲劇のヒロイン』として同情を買いたいわけじゃない。本人が望まない見せ方で瞬間的な数字を稼いでも、ファンの定着率はいずれ落ちる。何より、騙し討ちのようなA/Bテストは信頼を壊す」
「信頼? そんな数値化できない不確実なものを、事業のKPIより優先するんですか?」
ミラは不満げに触角を揺らした。彼女は感情を、解析して利用すべきリソースのように語る。不合理な配慮はノイズだと、本気で考えているようにユウトには見えた。
「そうだ。俺たちの商品は『本人たちの選択』そのものだ」
ユウトはミラの目を見た。
「テストを行うこと自体はいい。だが、実施する前に必ずメンバーへ内容と期間を説明し、同意を取る。視聴者にも『現在、見せ方のテスト配信を行っている』と明記する。その制限の中で、一番数字の取れる導線を探してくれ」
「……同意の範囲内で、ですか。そんな非効率な制約をかけたら、せっかくのバズが台無しになりますよ」
口では反論しながらも、ミラの触角は再び強烈なホットピンクに染まっていた。
合理性だけで動かないユウトの選択を前に、ミラの反論は少しだけ勢いを失う。強く明滅する触角は、計算外の何かに本人も戸惑っているように見えた。
「いいでしょう。そこまで言うなら、不確実性という『誤差』を許容した別のアプローチを再計算します」
ミラは不満を隠すようにモニターへ向き直り、凄まじい速度でログを洗い直し始めた。
数十分後。彼女の指が止まる。
「……マネージャー。奇妙なデータを見つけました」
ミラが指し示したのは、ゴルガとカレンの過去の配信アーカイブの視聴維持率グラフだった。
「通常、言葉で煽る演出を排した場合、離脱率は高まります。しかし、ある特定の条件下でのみ、異常な完走率を記録しているクリップ群があります」
「条件とは?」
「『無音』です」
ミラが再生した十秒ほどの動画は、音声トラブルで意図せず無音になってしまった配信の一部だった。
音がない。だからこそ、視聴者は画面を注視する。ゴルガの息遣いによる胸の上下動、カレンの瞳の細かな揺れ。言葉や種族の偏見といったノイズが削ぎ落とされ、ただ純粋な『表現者の存在感』だけがそこに残っていた。
「……これだ」
ユウトは立ち上がった。
「種族の特性を過剰に飾る必要はない。そのままの姿に惹きつけられる層が、確実に存在する。ミラ、この無音クリップを繋いだ十五秒のティザー動画を作ってくれ。キャッチコピーは一切不要。同意を取った上で、これを各SNSの導線に配置する」
「了解しました。……無音の魅力なんて、計算式には組み込めないんですけどね」
ミラは文句を言いながらも、その口元には微かな笑みが浮かんでいた。ホットピンクに染まった触角も、小さく弾むように揺れている。少なくともユウトには、彼女がこの非効率な仕事を嫌っているようには見えなかった。
翌日、無音のティザー動画が公開されると、静かな波紋が広がった。
派手な煽りがない分、爆発的なバズにはならなかったが、映像の美しさと謎めいた静寂に惹かれた層が、着実にファンクラブの登録フォームへと流れ込んできた。
ユウトのタブレットが更新音を鳴らす。
カレンの時からの継続的な流入と、今回の導線改善が重なり、数字が跳ねた。
推しポイント(pt)『1,600』。
そして、公式フォロー数は一気に『4,800』へと到達した。
「MV予算の凍結回避まで、あと二百フォロー」
ユウトは小さく息を吐いた。ギリギリだが、首の皮一枚つながった。
「マネージャー。今回の無音動画のデータを見ていて、気付いたことがあります」
背後からミラが声をかけてくる。
「視覚情報への集中力が高い層を開拓できた今なら、声帯を使わないコミュニケーション……たとえば、手話や身体表現に特化したタレントがいれば、強力なシナジーを生めるはずです」
「声を出さない表現者か」
ユウトの脳裏に、以前リストアップしていた候補者の一人の資料が浮かんだ。
陸上では呼吸器の都合で声を出せない、水棲種族の少女。
次の一手は、決まった。




