第29話 クロスワールド・アイドル・ライジング
東京湾岸エリアに位置する巨大なコンベンションセンター。その全域を貸し切って開催される『CROSSWORLD IDOL RISING』本戦の会場は、開場前から異常な熱気に包まれていた。
相楽ユウトは、観客の波をかき分けるようにして会場のメインエントランスへ向かった。
視界に入るすべての光景が、大手資本の圧倒的な暴力を物語っていた。コンコースの柱という柱には、純血の美を誇るハイエルフ三人組『ELDORADO』の巨大なポスターが掲げられている。会場へ向かう主要な動線上のデジタルサイネージも、五洲エンターテインメントの『CROWN LILY』と、それに続く大手事務所のアイドルたちの映像で完全にジャックされていた。
資金力のないナナホシプロが、この物理的な広告競争に参加する余地は一ミリもない。
「……見事な包囲網だ。これでは、新規の観客が俺たちのステージに辿り着く前に、他のグループに完全に絡め取られてしまう」
CIR本戦は、複数のステージで同時にライブが進行するサーキット形式だ。観客は限られた時間の中で、どのステージを見るかを選択する。この大手の広告量による「導線の独占」は、ユニティへの集客を根こそぎ奪うための合法的な圧力だった。
PAブースが併設されたユニティの楽屋テントに戻ると、ミラがノートパソコンと睨み合い、触角を青ざめさせていた。
「マネージャー、状況は最悪です。現在SNSで集計されている本戦の『話題ランキング』で、私たちは三十二位。広告投下量の差がそのまま数字に出ています」
ミラが示したグラフには、上位陣の圧倒的な話題量と、地を這うようなユニティの数値が残酷に比較されていた。
「このままでは、私たちのステージは閑古鳥が鳴きます。今からでも、残りの予算を全て突っ込んで、ネット上のターゲティング広告を一括で最適化して配信するべきです。私がアルゴリズムを調整すれば、まだいくらかの集客効果は――」
「いや、大型の広告買い合いは捨てる」
ユウトはミラの提案を即座に却下した。
「相手と同じ土俵で札束の殴り合いをしても、すり潰されるだけだ。それに、無作為にばら撒く広告では、今の俺たちの『歪さ』を理解して足を運んでくれる層には届かない」
ユウトはカバンから大量のタブレット端末を取り出し、七人のメンバーに配り始めた。
「俺たちが狙うのは、大手の広告が届かない隙間だ」
ユウトが配った端末の画面には、それぞれ全く異なるデザインのQRコードと、短い紹介文が表示されていた。
「ゴルガは建設現場のネットワークへ。カレンは地下ライブハウスの界隈。ルナは手話コミュニティ。メイプルは職人のギルド組合。それぞれのコミュニティに向けた『招待コード』だ。これを使って小規模な配信を行い、直接呼びかけてくれ」
「コミュニティごとの個別撃破ですか? それは効率が悪すぎます」
ミラが不満げに触角を揺らす。
「全体最適化された一つの強力なメッセージを発信する方が、より多くの母数にリーチできます。わざわざコミュニティごとに言葉を分けるなんて、時間の無駄です」
「ミラの言う通り、効率は最悪だ」
ユウトは否定しなかった。
「だが、俺たちは揃わない七色だ。七人がそれぞれ違う言葉を持っているのに、それを『ユニティ』という一つの綺麗なメッセージに平均化してしまうのは、俺たちの最大の武器を捨てることになる」
ユウトはミラのパソコンの画面を指差した。
「全体最適化はしないでいい。ミラ、お前のデータ分析能力を使って、各コミュニティが『今、一番欲している言葉』をリアルタイムで解析してくれ。それに合わせて、メンバーが自分の言葉を調整する」
ミラの触角が、ピタリと動きを止めた。
全体を均すのではなく、それぞれの個性を最大化するための細分化された分析。それは彼女の計算モデルを極限まで酷使する荒業だった。
「……非論理的で、泥臭いアプローチです」
ミラはそう言いながらも、口元には不敵な笑みが浮かんでいた。彼女の触角が、ゆっくりと蒼宙色から、高揚を示すピンク色へと変化していく。
「ですが、やってやれないことはありません。各コミュニティのセンチメント分析、開始します。皆さん、私の指示に合わせて言葉を変えてください」
七人はそれぞれの端末に向かい、一斉に小規模配信を開始した。
ゴルガは、田辺職長たちがいる建設現場の回線に向け、低い声で「休憩時間に、少しだけ騒がしい音を届ける」と語りかけた。
カレンは、地下の住人たちへ「表の世界で、私たちがどんな影を作るか見に来なさい」と挑発した。
ルナは、手話で「音のない世界から、一番大きな波を起こします」と力強く宣言した。
メイプルは、職人仲間に「私が打った最高の機材の音、聞き逃すなよ」と笑った。
ミラは、各配信の反応を秒単位で解析し、最も反応の良いキーワードを即座にメンバーへフィードバックしていく。
大手の巨大な看板広告の下で、小さな、しかし極めて純度の高い熱狂が各所で同時多発的に発生していた。
誰かに押し付けられた広告ではなく、自分たちと同じ言語を話す者からの直接の招待。その泥臭い導線設計は、コンバージョン率(CV率)において、競合想定の約三・四倍という驚異的な数値を叩き出していた。
PAブースでダッシュボードを見つめるユウトの目の前で、話題ランキングの順位が動き始める。
三十二位だった数字が、三十位、二十八位と、確かな足取りで上昇を始める。
広告費は大手の約七分の一。それでも、彼女たちの声は確実に届いていた。
「……見事ね。大手の包囲網を、ゲリラ戦で突破するなんて」
配信を終えたシルヴィアが、ユウトの横に並び、モニターの数字を見つめて言った。
「これで、少しは客席も埋まるでしょう。あとは、私たちがステージで本物を見せるだけよ」
彼女の翠の瞳には、かつてないほどの強い闘志が宿っていた。
だが、その直後だった。
ユニティがパフォーマンスを行う『レッドステージ』のすぐ隣。薄い防音壁一枚を隔てた巨大な『ブルーステージ』から、空気を震わせるほどの重厚な音楽が鳴り響いた。
それは、ただの音楽ではなかった。
数百年の歴史を持つ、エルフの古典旋律。
ユニティのステージの直前。一番観客が移動するこのタイミングを狙い澄ましたかのように、ハイエルフ三人組『ELDORADO』のライブが始まったのだ。
防音壁を越えて響いてくるその純血の歌声は、シルヴィアに対する、逃げ場のない宣戦布告だった。




