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オークの歌で、現場が泣いた。――数字で傷つけた元商社マン、解散寸前の異種族アイドル七人を武道館へ  作者: 他力本願寺


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第27話 七色の名前

三千人を収容する特設ライブ会場の熱気は、これまでの地下ライブハウスとは比べ物にならないほど濃密で、肌を刺すような圧迫感があった。


 CIR予選決勝。ここまでの戦いで、ユニティはかつての炎上を支持に反転させ、十三位まで順位を上げていた。だが、本戦へ進出できるのは上位十二位まで。そのたった一つの順位の壁が、ひどく分厚く高くそびえ立っている。


 直前にパフォーマンスを終えた上位陣――とりわけ『CROWN LILY』の残した熱狂は、会場の空気を完全に彼女たちの色に染め上げていた。一糸乱れぬ純白の完成度。それに比べれば、これからステージに立つ七人は、あまりにも不格好で歪な存在に見えるだろう。


 PAブースに立つ相楽ユウトは、インカムのスイッチを切り、ステージの袖で待機する七人の背中を見つめた。


 十二位の壁を越えるための課題は明確だ。圧倒的な完成度を誇る上位陣の直後に、ただ歌って踊るだけでは絶対に記憶に残らない。この一曲の間に、観客全員に『七人全員の顔と、固有の音』を脳裏に焼き付けさせること。それが、この予選を突破するための唯一の仕事だった。


 ステージの照明が落ち、静寂が訪れる。


 やがて、スポットライトがステージの中央に立つ大柄なシルエットを撃ち抜いた。


 ゴルガだ。彼女はマイクスタンドを両手で握りしめ、深く、深く息を吸い込んだ。


 直後、会場の床そのものを震わせるような、極低音のオーク語の発声が響き渡った。それはメロディというよりも、観客の心臓を直接掴んで揺さぶるような圧倒的な音圧だった。


 その重い響きに、ざわついていた三千人の観客が息を呑み、ステージに釘付けになる。


 予選決勝のために用意された新曲『七色の名前』。


 この曲に、複雑な歌詞や高度なメッセージ性はない。ワンフレーズごとに一人ずつが前に出て、自らの最大の武器を見せつけ、そして客席がその『名前』を呼ぶ。ただそれだけを繰り返す、自己紹介のための特化型楽曲だ。


 しかし、この曲の構造は、完成に至るまでに大きな修正を経ている。


 制作段階で、ユウトは七人を平等に目立たせるため、一人につき「きっちり八小節ずつ」の見せ場を割り振るという、極めて論理的で規則正しい構成を提案した。


 だが、その案はメンバーたち自身の手によって完全に破壊された。


『オークの呼吸と、私の細かいステップを同じ尺に収めるのは無理よ。ノリが死ぬわ』というカレンの指摘。『一定のBPMテンポは聴衆に安心感を与えますが、同時に予測可能になり、飽きを生みます』というミラのデータ分析。


 結果として、この曲のテンポは一定ではない。誰かの見せ場が終わるたび、急加速し、急停止し、リズムが不規則にうねる。音楽のセオリーを無視したその構成を成立させているのは、イヤモニから流れるクリック音ではなく、ステージ上で彼女たちが交わす『視線の受け渡し』だけだった。


「――ゴルガ!」


 ゴルガの低音が響き渡った後、煽るようなバックトラックに乗り、観客の一部が彼女の名前を叫んだ。


 ゴルガが視線を送った先、ステージの右端で、メイプルが自身の持ち込んだチタン製の小型パーカッションを全力で叩き据えた。


 カンッ、カンッ! という鋭い打撃音が、不規則な変拍子となって会場の空気を切り裂く。


「メイプル!」


 職人の鉄の音が鳴り止むと同時に、メイプルの視線がステージ後方へ飛ぶ。


 そこには、特殊な照明によって水面のように照らされた空間で、ルナが立っていた。彼女は陸上での短い稼働時間を惜しむように、一切の声を放たず、全身を使った流麗な手話だけで『歌』を表現する。無音の表現が、逆に観客の目を強烈に引きつける。


「ルナ!」


 ルナの手が止まり、今度はミラのデジタルな声と、激しく明滅するホットピンクの触角が観客の視線を奪う。


「ミラ!」


 続いて、カレンが影の中から這い出るようにして現れ、誰かの痛みを撫でるような鋭く尖った即興のフェイクを突き刺す。


「カレン!」


 そして、そのダークな空気を一瞬で払拭するように、犬系獣人のニコが弾けるような笑顔と無尽蔵の運動量で、ステージの端から端までを猛スピードで駆け抜けた。


「ニコ!」


 観客たちは、次第にこの楽曲の『ルール』を理解し始めていた。


 次は誰が来るのか。どんな異常な音が鳴るのか。


 予測不能な不規則なリズムのうねりに振り回されながら、彼らは無意識のうちに、次の『名前』を待つようになっていた。ただ与えられるものを眺めるだけではない。観客自身が、パフォーマンスのパズルを完成させるための一つのピースとして機能し始めている。


 CROWN LILYが見せたのが、美術館に飾られた触れられないほど完璧な絵画だとするなら。


 ユニティが今このステージで作り上げているのは、泥臭くて、荒々しくて、誰もが一緒に飛び込んで騒ぎたくなるような、熱狂的なキャンプファイヤーだった。


 ニコがステージの中央で高くジャンプし、振り返って視線を送る。


 最後にスポットライトの中心に立ったのは、銀髪のエルフ、シルヴィアだった。


 これまでの六人が作り上げた不規則で混沌としたエネルギーの渦。それを彼女は、透き通るような、それでいて芯のある圧倒的なロングトーンで、たった一本の美しい糸へと紡ぎ直した。


 混沌を統べる、リーダーの歌声。


「――シルヴィア!」


 三千人の観客が、一つになってその名前を叫んだ。


 曲が終わり、最後の音がスピーカーから消え去っても、会場の熱気は収まらなかった。それは、完璧な芸術に対する上品な拍手ではない。息を乱し、拳を突き上げ、彼女たちの名前を呼ぶ、地鳴りのような歓声の連続だった。


 誰一人として同じ動きをしていない。だが、間違いなく彼女たちは『ユニティ』という一つの強烈な存在として、観客の脳裏に焼き付いていた。


 全グループのパフォーマンスが終了し、PAブースの裏側で、ユウトはスマートフォンを握りしめていた。


 やがて、会場の大型モニターにCIR予選の最終結果が映し出される。


 一位は不動のCROWN LILY。そこから順位が下へ向かって発表されていく。


 ユウトの鼓動が早くなる。十三位だった順位は、あのパフォーマンスでどこまで動いたのか。


 そして、モニターにその名前が表示された瞬間、会場からどよめきと歓声が上がった。


『第十二位 NANAIRO UNITY』


 最下位通過。首の皮一枚。


 だが、間違いなく、彼女たちの「七色の名前」は本戦への切符をもぎ取っていた。


「……やったな」


 ユウトは小さく息を吐き出し、控え室へ向かうためにPAブースを出た。


 翌週。本戦に向けた調整を行うため、ナナホシプロは郊外の貸しスタジオで短期の強化合宿を行っていた。


 本戦のステージはさらに規模が大きくなる。各メンバーの演出も、本番環境を見据えた大掛かりなものへと移行する必要があった。


 だが、その合宿所に、見慣れないスーツ姿の男たちが数人、クリップボードを手に無遠慮に足を踏み入れてきた。


「相楽ユウトさんですね。CIR運営委員会、および会場の安全管理部から参りました」


 先頭に立つ初老の男が、感情の読めない事務的な声で告げた。


 男たちの視線の先には、合宿所のフロアに運び込まれた、ルナのパフォーマンス用に試作された巨大なアクリル水槽があった。


「本戦において、貴社が提出したこの水槽演出の機材申請ですが……現在の構造では、会場の安全基準を満たしているとは言えません。直ちに監査を実施させていただきます」


 本戦を目前に控えたこの時期の、突然の安全監査。


 それは単なる手続きの遅れではない。何者かの意図的な圧力が、ルナの生命線とも言えるステージ演出そのものを封じ込めようと、静かに牙を剥いた瞬間だった。

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