第26話 数字は盾になる
数日後。
絶え間なく鳴り続ける固定電話のコール音が、狭いナナホシプロの事務所を重苦しいノイズで満たしていた。
七星今日子社長が受話器を置き、深くため息をつく。
「……また抗議の電話よ。収益予測表の流出から、完全にサンドバッグ状態ね。協賛企業だけじゃなく、イベントのイベンターからも冷ややかな問い合わせが来ているわ」
相楽ユウトは、デスクに積み上げられた分厚いファイルから顔を上げた。窓の外は白み始めている。徹夜での作業が続いていた。
現在のCIR予選順位は、十七位。一時の十九位からは戻したが、通過圏内にはまだ遠い。
「社長、申し訳ありません」
「謝罪はいらないわ。あなたが腹を決めた以上、この炎上をどうやって鎮火させるか。そして、あのハイエルフたちが突きつけてきた『古典旋律の伝承文化利用認証への異議』をどう跳ね除けるか。それが今解くべき課題よ」
炎上の火種は「異種族を搾取している」という世間の疑念だ。そしてELDORADO側の狙いは、文化財利用という大義名分を使った楽曲の差し止め。この二つの圧力を前に、感情的なお涙頂戴の弁明や論破など何の役にも立たない。ユウトは、徹底的な『事実と仕組み』の公開によって、この逆境を反転させなければならなかった。
ユウトは手元の資料を社長と、立ち会っているシルヴィアの前に広げた。
「第三者機関による労働環境と財務の監査結果が出ました。これを基に、疑念を晴らすための情報公開を行います」
ユウトが広げたのは、第三者監査で使った内部用の完全版と、外部公開用の要約版だった。完全版には資金繰り、個人収入、医療記録、家族情報まで含まれるが、公開版からはすべて除かれていた。
シルヴィアは二つの資料を見比べ、念を押す。
「個人収入も医療情報も、家族事情も出さない。監査を受けた事実と、契約の仕組みだけを示す。そういう線引きね?」
「その通りだ。七人と七星社長が公開版を確認するまで、外には出さない」
「公開するのは、契約の要約と第三者監査の結果のみ。本人による活動拒否権と安全停止権の存在。最低保証に加え、安全設備費は事務所負担とし、将来収益からの天引きはしないこと。そして、公開可能な直接経費を控除した後、アーティスト側に五十パーセント、制作スタッフに三十パーセント、事務所に二十パーセントという利益配分の原則だけを示す」
「それでいいわ」
シルヴィアが頷き、自らのカバンから古びた羊皮紙の束を取り出した。
「ELDORADOからの楽曲差し止めに対するカウンターは、私が用意したわ。これが故郷の原典の公証と、私自身の伝承者資格の証明書よ。彼女たちの『純血の美学』に付き合う義理はない」
「助かる。それに加えて、この数週間の『編曲ログ』を提示する」
ユウトはタブレットでデータを示す。
「原典のメロディをベースにしつつも、ゴルガの低音、メイプルの打撃音、ミラの電子音など、七人で作り上げた新規の創作過程がすべてログとして残っている。文化の所有権を争うのではなく、伝承文化の『利用同意』と、七人による『新規創作部分』を法的に完全に分離する。これで、彼らの申し立ては無効化できる」
その日の午後、ナナホシプロの公式アカウントから、詳細な契約要約と第三者監査の報告書、そして楽曲の権利に関する公式声明が一斉にリリースされた。
最初は「また言い訳か」と冷ややかだった世間の反応は、公開された文書が疑問に具体的な答えを返していると知るにつれ、少しずつ変化していった。
『え、アーティスト配分50%? しかも安全対策費は事務所持ち?』
『ルナちゃんの水槽やメイプルちゃんの機材代、天引きされてないの!?』
『拒否権が明文化されてるアイドル契約なんて初めて見たぞ』
『楽曲も、伝統をパクったんじゃなくて自分たちで編曲して権利取ってるじゃん』
炎上は一夜で消えたわけではない。それでも、冷徹な数字と仕組みという『盾』が、少なくとも具体的な疑問を一つずつ弾き返した。搾取を疑う声の傍らで、「タレントの権利を仕組みで守る運営」への支持が広がっていく。
ELDORADO側の代理人からも、新規創作部分を条件とした楽曲の利用が正式に承認されたという通知が届き、法的な障害もクリアされた。
「……ユウト」
シルヴィアが、モニターに流れる好意的なコメントを見つめながら、ぽつりと呟いた。
「数字は、人を縛る鎖だけじゃないのね。こうして私たちを守る、強固な盾にもなる」
「ああ。君たちが選んでくれた現在を、数字で守り抜く。それが俺の仕事だ」
ユウトがダッシュボードを更新する。
炎上の鎮火と支持の拡大は、凄まじい勢いで推しポイントを押し上げていた。
画面に表示されたCIR予選順位。
十九位まで落ち込んでいたユニティの名前は、一気に『十三位』へと急浮上していた。
予選通過ラインである十二位の背中が、ついに手の届く距離まで迫ってきた。
だが、話題性によるブーストはここまでだ。予選決勝の熾烈な争いの中で最後の壁を打ち破るには、既存の楽曲だけでは足りない。
ユウトは、七人のメンバーを見渡して力強く告げた。
「あと一つ順位を上げれば、本戦進出だ。だが、今のままでは頭打ちになる。予選決勝で十二位以内に入るには、観客に七人全員の顔と、それぞれの音を完璧に覚えてもらうための曲が必要だ」




