第25話 七人が選ぶ現在
内側から重い防音扉に鍵がかけられた地下レッスンスタジオは、息が詰まるほどの静寂と緊張感に支配されていた。
フロアの中央に置かれたパイプ椅子に、相楽ユウトはただ一人座らされている。彼をぐるりと取り囲むように立つ七人のメンバーの視線は、かつてないほど鋭く、そして冷ややかだった。世間から隔離されたこの密室で、過去に異種族を数字として切り売りした男に対する、七人だけの異端の裁判が始まろうとしていた。
昨晩ネット上に流出した、三年前の収益予測表の影響は、すでに致命的な実害をもたらしていた。
CIR予選の順位は一時『十九位』まで落ち、その後、既存ファンの継続行動で『十七位』まで戻した。さらに、決定しかけていた協賛企業からのスポンサー契約も保留状態となっている。事業として崩壊寸前の状態だ。
だが、ユウトが今解くべき最大の仕事は、世間への弁明でも企業への土下座でもなかった。目の前の七人が抱いた「再び搾取されるのではないか」という根源的な恐怖に対し、言い訳を排し、いかなる『契約と仕組み』で彼女たちの安全と尊厳を継続的に担保するかを提示することだった。
「始めるわよ」
シルヴィアが腕を組み、冷徹な声で開廷を告げた。
「私たちは、あなたの過去の罪について道徳的な反省を聞きたいわけじゃない。私たちが恐れているのは、あなたが再び数字の論理に取り憑かれ、私たちを使い潰す可能性よ」
最初に一歩前に出たのは、犬系獣人のニコだった。彼女の赤い尻尾は足の間に巻き込まれ、小刻みに震えている。
「……マネージャーさん。また数字が出なくなったら、私を『いらない』って、切り捨てるんですか?」
「切り捨てない。現在の契約には最低保証と育成継続条件が含まれている。短期的な数字の低下を理由にした一方的な解雇はできない」
ユウトは静かに、事実だけを答えた。
ルナが一歩前に出て、鋭い手話を切る。
『もし私の人気が出て、陸上での仕事をたくさん求められたら。私の息が続かなくても、売上のために三時間の安全限界を無視して立たせますか?』
「立たせない。君の出演には本人の事前同意が必須であり、安全設備費は全額事務所が負担する取り決めになっている」
「私の親父との関係を、また勝手に宣伝に使って売る気か?」
メイプルが工具を握りしめたまま睨みつける。
「使わない。私生活と家族事情の利用には、用途別の個別同意が必要だ」
「私の触角の変化を、また無理やり恋愛営業に利用するんですか」
「私の影を読む力を、安い見世物の道具にする気?」
ミラとカレンの問いにも、ユウトは一切の弁明を挟まず、現在の契約上で担保されている『本人の活動拒否権』の存在を提示して答えた。
「私は」
ゴルガが、地鳴りのような低い声で尋ねる。
「私の声を、また誰かを怖がらせるための怪物として売り飛ばすのか」
「売らない。君の声の価値は、君自身が証明した。それを捻じ曲げるようなプロモーションは俺の権限で全て弾く」
六人の問いに、ユウトは現在の契約という事実を以て答えきった。
だが、最後にシルヴィアが冷ややかなため息をついた。
「……甘いわね、相楽ユウト」
彼女はユウトの前に立ち、翠の瞳で見下ろした。
「あなたの提示した『本人の拒否権』や『個別同意』は、あなたが正気でいる間しか機能しない。もしあなたが再び数字の重圧に負けて、権力を笠に着て私たちに『同意』を強要してきたら? 立場の弱い私たちが、それに抵抗できる保証はどこにもないわ」
ユウトの現在の案を、シルヴィアは実務的な観点から容赦無く切り捨てた。
「だから、ルールを追加するわ。この条件を飲めないなら、私たちは全員このプロジェクトを降りる」
シルヴィアは、メンバーたちと事前に練り上げてきたであろう、五つの条件を提示した。
「一、本人の意に沿わない『楽曲拒否権』の明文化。二、いかなる場合でも稼働を止められる『安全停止権』の絶対付与。三、『家族情報の不使用』の徹底。四、最低一年間の『育成継続条件』。五、今後の契約会議への『メンバー代表の参加義務』」
それは、マネージャーとしてのユウトの裁量権を大きく制限し、タレント側に異例の強大な権限を渡す内容だった。通常の芸能事務所なら、社長が激怒して即座に破棄するような条件だ。
「……分かった」
だが、ユウトは一秒の躊躇いもなく頷いた。
「全て受け入れる。直ちに契約改定案を作成し、社長の決裁を取る」
その即答に、七人の間にわずかな驚きが走った。
「勘違いしないで」
シルヴィアが、念を押すように言った。
「私たちは、あなたの過去を許したわけじゃない。三年前のあなたの罪は消えないし、今でも完全に信用しているわけじゃないわ」
彼女の言葉に、他の六人も静かに頷く。安易な和解はない。お涙頂戴の許しも、劇的な絆の修復もない。
「でも、あなたは逃げずに事実を認め、私たちが突きつけた鎖をその首に巻くことを受け入れた。……だから、私たちは『今のあなた』を使うことにするわ」
シルヴィアの言葉は、主人公への隷属ではなく、対等なビジネスパートナーとしての、いや、彼女たち自身が雇い主となるかのような力強い宣言だった。
「私たちが、私たちの意思で、あなたをマネージャーとして選び直す。しっかり働きなさい、相楽ユウト」
それは、彼女たちの尊厳が完全に保たれたまま、一つの強固な関係性が構築された瞬間だった。
防音扉の鍵が開けられ、七人がスタジオから出ていく。
後に残されたユウトは、手元のタブレットを開いた。
CIR予選の順位は『十七位』。スポンサーは保留。外の世界の炎上は、未だに火の粉を上げ続けている。
だが、ユウトの腹は決まっていた。
SNSで「自分は心を入れ替えた」などという、お涙頂戴の擁護配信を行うつもりはない。そんな感情論は、悪意の前には何の役にも立たない。
ユウトは、先ほど七人と交わした契約改定案のデータと、第三者機関による労働環境の監査依頼書を開いた。
「……俺たちが戦う武器は、感情じゃない。仕組みだ」
炎上を鎮火させるためではなく、彼女たちの尊厳が守られているという事実を世界に叩きつけるため。ユウトは、武器となる数字と契約書の公開準備に入った。




