第24話 収益予測表流出
深夜の事務所のモニターに、無機質な表計算ソフトの画面キャプチャが映し出されていた。
画面の上部には『エルフ種タレント・シルヴィア・エーデルシュタインに関する収益予測および最適拘束期間の算出』という冷酷なタイトルが印字されている。
『長命種特有の容姿劣化の遅延を考慮した場合、最低十年間の高収益資産として運用可能』
『他社流出および母国への帰還リスクを低減するため、優先交渉権付きの三年間の育成契約による法的拘束を推奨する』
その書類の右下には、作成者として『五洲商事ゲートエンタメ戦略室 相楽ユウト』の署名がはっきりと残っていた。
相楽ユウトは、スクロールしきれないほどの速度で流れていくSNSのタイムラインを、ただ静かに見つめていた。
『異種族を守る熱血マネージャーの正体は、エルフを家畜扱いしてた元エリート様でした』
『これ、三年前の五洲の契約紛争の裁判記録から漏れた本物らしいぞ』
『結局、今のグループも数字稼ぎの道具なんだろ。吐き気がする』
かつての過去が、最悪の形で切り取られ、拡散されていた。
誰が流出させたのかは想像がつく。異議申し立てという正攻法に加え、世論の力でユニティを内部から崩壊させようとする、あちらの『支援者』の仕業だろう。
だが、出所がどこであれ、切り抜きであろうと、この書類を作成したのがユウト自身であることは紛れもない事実だった。
デスクのスマートフォンが震え、七星社長からの着信を告げた。
「見たわよ、相楽くん」
七星の声は、怒りよりも冷徹な事実確認のトーンだった。
「CIR予選の順位は、昨晩から急落して『十九位』まで落ちたわ。それに、今回の騒動を受けて、来月予定していた協賛企業が一社、スポンサー契約を『保留』にすると連絡してきた。このままでは、本戦出場の十二位以内は完全に絶望的よ」
それが、この炎上がもたらした具体的な実害だった。ファンの熱狂を裏切るスキャンダルは、積み上げてきた数字をいとも簡単に破壊する。
「申し訳ありません。書類は本物です。俺が過去に作り、シルヴィアの三年間の自由を奪った根拠になったものです」
「言い訳も犯人探しもしないのね。で、どうするの?」
「……これ以上、彼女たちに泥を被せるわけにはいきません。俺がすべての責任を負って、辞任を発表します」
ユウトは決断を口にした。自分がスケープゴートになって炎上を背負い込み、グループ本体への延焼を食い止める。それが、事業責任者として最後に打てる唯一の『損切り』のプランだった。
翌朝。
重苦しい空気が立ち込めるレッスンスタジオに、七人のメンバーが集められていた。
ユウトは全員の前に、ネット上で拡散されている収益予測表のプリントアウトを並べた。
「すでにネットで見たと思うが、すべて事実だ」
ユウトは一切の弁解をせず、真っ直ぐに七人を見渡した。
「俺は三年前、五洲商事でこの資料を作った。異種族の寿命や特性を『資産価値』として数値化し、縛り付けるための契約を作った。その結果、シルヴィアは三年間、歌いたい歌を歌えず、他社からのオファーも断られ、帰国すら制限された。俺は、彼女を数字の奴隷にした張本人だ」
スタジオに、痛いほどの沈黙が落ちた。
ニコの赤い尻尾が、恐怖と混乱で足の間に巻き込まれている。ルナは信じられないというように両手で口を覆い、メイプルはプリントアウトされた資料の冷酷な文面を睨みつけて顔をしかめていた。ゴルガはただ、悲しそうにユウトの顔を見つめている。
「マネージャー。このデータの出所を追跡することは可能です。法的措置をチラつかせれば、拡散の速度は――」
「しなくていい、ミラ」
ユウトは、青ざめた触角を揺らすミラを制止した。
「切り取られたものだとしても、俺が書いた事実に変わりはない。それに、この過去を隠したまま君たちのマネジメントを続けることは、欺瞞だ」
ユウトは深く頭を下げた。
「俺は今日付けで、ナナホシプロを辞任する。俺がすべての責任を認めて表舞台から消えれば、世間の批判は俺個人に向かい、グループへのダメージは最小限に抑えられるはずだ。新しいマネージャーには、俺より優秀な人間を社長に手配してもらう」
自分が身を引くことで、七人を守る。
それが、数字を操る男が最後に選んだ、最も被害の少ない合理的な計画だった。
「……逃げるのね」
頭を下げるユウトの頭上に、氷のように冷たい声が降ってきた。
シルヴィアだった。
彼女はゆっくりと歩み寄り、机の上に置かれた収益予測表を手に取った。三年前に彼女の人生を狂わせた、忌まわしい紙切れ。
「あなたは三年前もそうだった。自分の作った契約で私が苦しんでいるのを知りながら、責任から逃げるように会社を辞めた。そして今度も、自分が悪者になって綺麗に辞めれば、私たちが守られると思っている」
シルヴィアは、その書類をユウトの胸に乱暴に叩きつけた。
「ふざけないで。そんな自己満足の謝罪で、この事態が終わると思っているの?」
「……俺が残れば、君たちは『搾取者に飼い慣らされた哀れなアイドル』というレッテルを貼られ続ける。スポンサーも離れる。CIRの予選も突破できない」
「だから、辞めて楽になりたいんでしょう! 自分の罪悪感から逃げるために!」
シルヴィアの激しい怒声が、スタジオに響き渡った。
「あんたの影、相変わらず真っ黒ね」
壁際から、カレンが静かに歩み出てきた。彼女の紫色の瞳は、ユウトの足元に伸びる影を冷ややかに見据えている。
「でも、そこに『保身』の色はないわ。本当に私たちが心配で、自分が消えるのが一番合理的だと思い込んでる。……そういう頭の固いところが、最高にムカつくのよ」
カレンの言葉に、他のメンバーたちも次々と立ち上がった。
「マネージャーさんがいなくなったら、誰が私の耳を守ってくれるんですかっ!」
ニコが涙声で叫ぶ。
「私のマイクの価値を証明してくれたのは、あんただろ」
メイプルが工具を握りしめながら睨みつける。
ルナも手話で『あなたがいないと、私はただの喋れない水棲種族に戻ってしまいます』と、強い力で空気を切る。
「ユウト。私は、オークである私を隠さずに名前を呼んでくれたあなたを、信じている」
ゴルガの低音が、スタジオの空気を震わせた。
ユウトは顔を上げた。
七人の目は、決して彼を無条件に許しているわけではなかった。過去の所業に対する嫌悪や不信感は、確かにそこにある。だが、それ以上に、この数ヶ月で共に戦い、尊厳を守り合ってきた『現在』の時間が、彼女たちを突き動かしていた。
「相楽ユウト」
シルヴィアが、メンバーの前に立って宣言した。
「あなたがこのグループに残るか去るか。それを、あなたの都合や世間の声で勝手に決めさせない。私たちを数字で測ったあなたを、今度は私たちが評価するわ」
ユウトの「辞任して守る」という計画は、本人の意思によって完全に破棄された。
彼女たちは、守られるだけの存在であることを拒絶したのだ。
「これから、私たち七人だけであなたを審問する。あなたが本当に私たちのマネージャーとして相応しい人間なのか、私たちの手で決めるわ」
予選順位十九位。協賛企業の保留。外の世界では大炎上が続いている。
だが、スタジオの防音扉には内側から重い鍵がかけられた。
世間の声も、ネットの数字も一切届かない閉ざされた空間で、七人のアイドルによる、マネージャーの続投を決めるための審問が幕を開けた。




