第22話 白鳥さくらの嫉妬
汗と機材の熱気、そして床のワックスの匂いが染み付いたナナホシプロの地下レッスンスタジオ。
そのむさ苦しい空間に、場違いなほど洗練されたフローラルな香りが漂っていた。
「突然の訪問、お許しください。近くで撮影があったもので、ご挨拶に伺いたくて」
スタジオの入り口で、透き通るような白い肌を持つ少女が、完璧な角度でお辞儀をした。
無地の白いブラウスに、流れるような黒髪。一切の装飾がないにもかかわらず、彼女がそこに立っているだけで、周囲の空気がスポットライトを浴びたように明るく錯覚する。
五洲エンターテインメント所属、『CROWN LILY』の不動のセンター。白鳥さくらだった。
彼女の訪問に、ユニティのメンバーたちは息を呑んで立ち尽くしていた。
相楽ユウトは、手元のタブレットから視線を上げ、警戒を解かずに彼女へ向き直った。
CIRの予選が始まって数日が経過している。
ユニティは五万ポイント作戦の勢いを維持し、現在の予選順位は『十五位』まで上昇していた。だが、本戦へ進めるのは上位十二位まで。ここから先の壁は、単なる話題性や同情では越えられない、純粋な「パフォーマンスの質」が問われる領域だ。
そして現在、圧倒的な実力で予選ランキングの一位に君臨しているのが、目の前にいるさくらたちのグループだった。
「ご丁寧にどうも。だが、トップアイドルのセンターが、わざわざ十五位の弱小グループを偵察に来る理由はないはずだが」
ユウトの言葉に、さくらは柔らかく微笑んだ。
「偵察だなんて。ただ、純粋に興味があったんです。皆さんのあの『揃わない』パフォーマンスに」
さくらはユウトの横を通り抜け、スタジオの中央に立つメンバーたちへ近づいた。
彼女の目は、獲物を観察する研究者のように鋭く、そして熱を帯びていた。
「ゴルガさん。あなたのあの低音、胸腔の共鳴だけでなく、オーク特有の骨格の反響を利用しているんですね。ルナさんの水槽での動きも……陸上では出せない水棲種族の関節の柔らかさが、あの特異な表現を生んでいる」
さくらの視線が、メンバーの一人一人を舐め回すように動く。
「本当に、素晴らしいわ。私たち人間がどれだけ血の滲むようなレッスンを重ねても、絶対に手に入らない『身体』を持っている。……羨ましいほどに」
「……へえ」
その時、スタジオの隅から低く冷たい声が響いた。
ダークエルフのカレンが、壁から背中を離し、紫色の瞳を細めてさくらを見据えていた。
「ずいぶんと綺麗な言葉でコーティングしてるけど、要するに私たちの体が珍しくて仕方ないんでしょ?」
カレンの視界には、さくらの足元に伸びる『影』がはっきりと映っていた。
表向きは完璧な笑顔を浮かべているさくらだが、その影は激しく揺れ動き、複雑な色を渦巻かせていた。深い青緑色の「純粋な憧れ」と、泥のように濁った赤黒い「強烈な嫉妬」。
さくらは、血を吐くような努力で「純白の統一美」を作り上げてきた。だからこそ、生まれ持った種族の特性だけで、理屈を無視して観客を圧倒するユニティの姿が、どうしようもなく妬ましいのだ。
カレンの口元が歪む。
以前の彼女なら、迷わずその事実を言葉にして突きつけていただろう。「あんた、本当は私たちが妬ましくて仕方ないんでしょ」と。他人の隠したい感情を暴き、優位に立つ。それがカレンの身を守るための戦い方だった。
だが、カレンはユウトの方をちらりと見た。
『君の感情を売り物にしない』
彼女の能力をただの集客ツールにせず、一人の表現者として尊重してくれたユウトの言葉が蘇る。そして、不格好でも絶対に互いを殺さない、今の六人の仲間の顔が浮かんだ。
カレンは、さくらの影から視線を外し、彼女の目を真っ直ぐに見返した。
「……言っておくけど、私たちは生まれつきの体だけで勝負してるわけじゃないわ」
カレンは、嫉妬という言葉を飲み込んだ。相手の感情を暴いて勝った気になるような、安い占い師の真似事はもうしない。
「私たちは、泥水すすって、傷だらけになりながら、このバラバラの音を無理やり繋ぎ止めてるの。あんたたちが精密な時計なら、私たちは暴走するエンジンよ。あんたのその純白のドレス、私たちの泥で汚れないように気をつけることね」
能力を使わず、一人のアイドルとしての純粋な宣戦布告。
そのカレンの言葉に、さくらの完璧な笑顔が一瞬だけ崩れ、すぐに、心底楽しそうな、好戦的な笑みへと変わった。
「……泥、ですか」
さくらはカレンへ一歩踏み出し、凛とした声で返した。
「いいでしょう。なら、その泥が届かないほど、私たちが圧倒的に眩しい純白を見せつけます。どんな個性も、究極の完成度の前にはひれ伏すのだと、CIRのステージで証明してみせますわ」
さくらは再び完璧な角度でお辞儀をし、スタジオを後にした。
防音扉が閉まった瞬間、カレンは大きく息を吐き出し、その場にしゃがみ込んだ。
「……あー、疲れた。何よあのプレッシャー」
「カレン」
ユウトが近づき、スポーツドリンクを差し出した。
「よく堪えたな。相手の感情を断定して、安易に踏み込まなかった」
「……あんたのマネジメントのおかげよ。能力なんかに頼らなくても、言い返せるって分かったから」
カレンは照れ隠しにそっぽを向きながら、ドリンクを受け取った。
ユウトは手元のタブレットを開いた。CIR予選の順位は『十五位』のまま。王者との差はまだ果てしなく遠い。だが、相手を貶すことなく、自分たちの『歪さ』を武器として掲げたカレンの姿勢は、グループにとって何よりの成長だった。
その時、スタジオの壁に設置された大型モニターの画面が、突然切り替わった。
流れていたCIRの予選ダイジェスト番組が中断され、特別報道のテロップが踊る。
『緊急参戦! 異世界資本ミスリル・エンターテインメントが送り出す、究極の美!』
モニターに映し出されたのは、眩いばかりの金糸の装飾が施されたステージと、そこに立つ三人の女性だった。
長く尖った耳、透き通るような金髪と、神々しいまでの美貌。
ハイエルフの三人組グループ、『ELDORADO』。
画面の中央に立つリーダー格のハイエルフが、マイクに向かって冷ややかに宣言する。
『私たちは、エルフの真の美しさを証明するためにこのステージへ来ました。純血こそが至高。下等な種族と混ざり合い、美学を劣化させた哀れな同胞に、現実を教えてあげます』
それは、明らかにユニティ――いや、シルヴィア・エーデルシュタインへ向けられた、明確な敵意だった。
「……レオン」
シルヴィアが、血の気が引いた顔でモニターを睨みつける。彼女の唇から漏れたのは、かつて彼女を縛り付けた元婚約者候補であり、名家の文化事業を担う男の名前だった。
純白の王者に続き、今度は純血を掲げる刺客。
十五位からの逆転を狙うユニティの前に、新たな巨大な壁が立ち塞がった。




