第16話 炉心物販
『アイアンベルの家名は名乗るな。見世物になる娘など持った覚えはない』
無骨な便箋に記された短く冷たい一行を、メイプル・アイアンベルは乱暴に丸めてゴミ箱へ投げ捨てた。
ナナホシプロの事務所の片隅。彼女の定位置となっている作業デスクの上には、先日の雨天ライブの際に急遽組み上げた特製イヤーマフの余り材と、マイクのハウジングを削り出した際に出た特殊合金の破片が散らばっている。
普段ならすぐに次の機材設計に取り掛かる彼女だが、今日ばかりは腕組みをしたまま、ノートパソコンの画面を忌々しそうに睨みつけていた。
画面には、プロジェクトの公式オンラインストアのダッシュボードが映し出されている。
先日のライブ会場の片隅で、彼女が気まぐれに並べた手作りの鉱石アクセサリーと、合金の端材で作った小型パーカッション。それが、SNSでのライブ映像の拡散と共に爆発的な話題を呼び、現在、オンラインストアには『1,550件』という異常な数のバックオーダーが積み上がっていた。
「見事な数字だ」
背後から歩み寄ってきた相楽ユウトが、画面の数値を冷静に読み上げた。
「単価三千円のアクセサリーと小型楽器が千五百五十件。予約総額は四百六十五万円。ただし、これは単発のバックオーダーで、複数月の継続月商とは見なされない。物販の推しポイント換算は千円につき2ptだから、九千三百pt。CIR新人枠へのエントリー条件である五万ptに向けた、巨大なブーストだ」
「……喜べないね」
メイプルはドワーフ特有の太い指で、机をトントンと叩いた。
「私は職人だ。一つ一つ、音の響きと手触りを確かめながら打っている。いくら徹夜して炉心に火を入れ続けたって、一日に作れるのはせいぜい三十個だ。千五百件を捌くには二ヶ月近くかかる。待たせている間に熱は冷めるし、何より、粗悪品を量産して客に送りつけるなんて真似は絶対にしない」
「その通りだ。だから、徹夜生産はさせない」
ユウトはタブレットを操作し、ストアの設定画面を開いた。
「在庫上限を『一日三十個』に固定し、毎朝十時にその日の生産分だけを販売する受注方式に切り替える。希少性を過剰に煽る意図はない。君の睡眠時間と、アイドルとしてのレッスン時間を確保するためだ。納期を急がせて君の手元を狂わせるようなマネジメントはしない」
ユウトの即断に、メイプルは少しだけ目を見張った。五万ptという絶対のノルマが迫る中、これほどの売上を前にして、生産効率の向上や外注への切り替えを要求しないとは思わなかったのだ。
「もう一つ、確認したいことがある」
ユウトはタブレットの画面をSNSのタイムラインに切り替えた。
そこには、ある音楽系インフルエンサーの投稿が表示されていた。
『ユニティのドワーフの子、アイアンベル工房の家出娘らしい。伝統的な職人の親父と喧嘩してまで、自分の音を証明するためにアイドルやってるとか、ロックすぎるだろ』
その投稿は数万回リポストされ、メイプルのアクセサリーに対する熱狂をさらに加速させていた。伝統との決別、父娘の確執。それはエンターテインメント市場において、極めて消費しやすい「美味しい物語」だった。
「この噂が広まってから、注文のペースが三倍に跳ね上がっている」
ユウトは静かに事実だけを告げた。
「事務所として、この『親との不和』というストーリーを公式に肯定し、宣伝材料として使えば、さらに数字は伸びる。……君は、どうしたい?」
問われた瞬間、メイプルの表情から一切の感情が消え、冷たい鉄のような眼差しになった。
「ふざけるな」
地を這うような低い声だった。
「私は親父の技術を否定して家を出たわけじゃない。ただ、自分の打つ鉄の音を、ステージの上で鳴らしたかっただけだ。親父との喧嘩を安いお涙頂戴のストーリーにして、同情で物を買わせるなんて……そんな薄汚い真似をするくらいなら、私は二度とハンマーを握らない」
激しい怒り。それは職人としての、そして一人の人間としての絶対的な尊厳だった。
「分かった」
ユウトは迷うことなく頷いた。
「事務所の公式アカウントから、直ちに声明を出す。『タレントの家族事情やプライバシーに関する一切の言及を控え、これを宣伝に利用することはない』と。メディアからの取材もすべてシャットアウトする」
「……いいのかい? 美味しい宣伝のネタを捨てることになるんだぞ」
「俺たちが売るのは、君の作られた不幸じゃない。君が鍛え上げた本物の技術だ」
数分後、ナナホシプロからの毅然とした声明文が公開された。
一時的に注文のペースは落ち着いたものの、逆に「純粋に本人の技術と音楽だけを見てほしい」という事務所の姿勢がファンからの強い信頼を生み、キャンセルは一件も発生しなかった。
毎日三十個限定で追加されるメイプルの物販は、毎朝十時になるたびに数秒で完売するプラチナチケットと化した。
「……カァンッ! カァンッ!」
翌日のレッスンスタジオ。メイプルは自ら鍛え上げた特製マイクスタンドの横で、激しいビートに合わせて小型パーカッションを叩き鳴らしていた。
その顔に迷いはない。
「私は職人の道も、アイドルの道も捨てない! 私が打った鉄の音そのものが、私の表現だ!」
彼女の宣言に呼応するように、ゴルガの低音が響き、ニコが笑顔でステップを踏む。
誰も自分の根源を曲げることなく、ステージの上で一つの熱狂を作り出していく。
その日の深夜。
ユウトは一人、事務所のデスクで電卓を弾いていた。
メイプルの物販がもたらした継続的な売上と、それに伴う楽曲ダウンロードの相乗効果。
推しポイント(pt)は『35,900』。
目標の五万まで、残り一万四千百。
「メイプルの物販による粗利で、ようやく次の設備投資の目処が立ったな」
ユウトの呟きに、隣で図面を引いていたメイプルが顔を上げた。
「ルナの水棲種族用・高出力加湿ポッドと、酸素補助機器のアップグレード費用かい? 確かに、これだけの資金があれば最高級のパーツが組める。私に任せておきな、ルナが陸上で少しでも長く歌えるように、最高の機材を……」
言いかけて、メイプルは手元の仕様書とルナの生体データに目を落とし、ピタリと動きを止めた。
彼女の太い眉が、限界まで寄せられる。
「……どうした、メイプル」
ユウトが尋ねると、メイプルは図面の一部を指差し、重々しい声で告げた。
「マネージャー。どんなに私が機材を強化しても、ダメだ。水棲種族の呼吸器が陸上の空気に耐えられる安全限界は……きっちり三時間。それ以上は、絶対に持たない」




