第14話 ミラの最適解
薄暗い配信スタジオの中央で、まるで明滅するネオンサインのような光が放たれていた。
カメラの前に座る星系連合民のミラ・ノヴァリス。その頭部から伸びた二本の触角が、普段の知的な蒼宙色から、目まぐるしくホットピンク色へと変色を繰り返している。
『いまピンクになった!』
『ミラちゃん、絶対照れてるでしょwww』
『クールな顔してしっぽ振ってる犬みたいで可愛い』
画面横を滝のように流れるコメント欄には、視聴者からのからかいや好意的な言葉が溢れ返っていた。
ミラの触角の色は、彼女の自律神経と完全に連動している。本人は極めて冷静なデータアナリストとして振る舞っているつもりだが、数千人の視線を浴びる羞恥心と動揺が、生体反応として容赦なく画面の向こうへ筒抜けになっていた。
「……訂正します。私の触角の変色は、室内の温湿度変化に対する一時的な毛細血管の拡張に過ぎません。これを『照れ』という非論理的な感情と結びつけるのは、地球人特有の認知バイアスです」
ミラが早口でまくし立てると、さらに触角が鮮やかなホットピンクに発光し、コメント欄は爆発的な盛り上がりを見せた。
三十日間の『五万ポイント作戦』が始動して数日が経過していた。
初ワンマンライブを終え、現在の推しポイント(pt)は一万二千八百六十。残された三万七千百四十ポイントを稼ぐため、ユウトは連日、無料の話題性を有料のアクションへと変換する導線作りに奔走していた。
その中核エンジンとなっているのが、ミラの発案したこの『触角リアクション配信』だった。
異種族の奇妙な生態を、視聴者がリアルタイムで観察し、干渉できるエンターテインメント。ミラの目論見通り、配信の同時接続数はこれまでのナナホシプロの記録を軽々と塗り替えていた。
一時間の配信が終わり、カメラのランプが消えた瞬間、ミラは机に突っ伏した。
「……地球人の、視線による、精神的ハッキング……おそろしい……」
「お疲れ様、ミラ。想定以上の反響だったな」
ユウトが冷えたミネラルウォーターを差し出すと、ミラはそれを受け取り、すぐに手元のノートパソコンを開いた。画面には、先ほどの配信の視聴維持率と、各種リンクへの遷移率のグラフが表示されている。
「マネージャー。データが出ました。極めて興味深い傾向です」
ミラの触角が、少しだけ青みを取り戻し、アナリストの顔に戻る。
「私の触角がピンク色に変色した瞬間、つまり視聴者が『照れ』や『好意』と解釈した瞬間に、画面下のリンクのクリック率が通常の四倍に跳ね上がっています。彼らは、配信者との疑似的な恋愛関係や、感情を支配しているという優越感に最も財布の紐を緩めるようです」
ミラはグラフを指で叩き、ユウトを真っ直ぐに見上げた。
「次の配信から、この数値を最大化するための『最適解』を実行します。マネージャー、あなたが画面外から私に対して、恋愛を匂わせる言葉や、過剰にからかうような指示を出してください。私の自律神経はそれに強く反応し、触角は常に深いピンク色を維持するはずです。いわゆる『恋愛営業』の構造を作れば、CVRは現在の比ではありません」
それは、データが導き出した冷酷なまでに正しい正解だった。
加入直後に無告知のA/Bテストを退けられた時とは違い、今回は自分自身が同意している。ミラはそう区別し、目標の五万ポイントへ届かせるための「研究」として許容しようとしていた。
かつての五洲商事時代のユウトなら、この最適解を迷わず採用し、彼女の感情を限界まで搾り取っていただろう。
「却下だ」
ユウトは、ミラのパソコンを静かに閉じた。
「……なぜですか? これは私の同意の範囲内です。論理的な欠陥はどこにもないはずですが」
「君の手が、震えているからだ」
ユウトの言葉に、ミラはハッとして自分の手元を見た。キーボードに置かれた彼女の指先が、微かに、しかし確かに震えていた。頭の触角も、自分では制御しきれない赤みがかった色で点滅している。
「君は地球の文化を研究対象として客観視しようとしているが、君自身の感情は機械じゃない。羞恥心や動揺を、数字を稼ぐための『商品』として意図的にコントロールし始めれば、必ず君自身の心がすり減る。俺は、君の感情を売り物にしない」
「……不合理です。そんな感情論で事業のKPIを落とすなんて」
「いいや、君の分析自体にエラーがある」
ユウトは再びパソコンを開き、コメントのログデータを画面に映し出した。
「視聴者は、君をからかって支配欲を満たしているだけじゃない。このコメントを見てみろ」
ユウトが指し示したログには、『ミラちゃん、一生懸命で応援したくなる』『照れ隠しの早口解説、めっちゃ勉強になるし面白い』といった言葉が並んでいた。
「彼らが惹かれているのは、君の作られた恋愛感情じゃない。慣れない環境で、それでも一生懸命に自分を保とうとする君の『生真面目さ』に対する善意だ。不確実な感情を、無理に安い色恋沙汰の枠にはめ込む必要はない」
ユウトはキーボードを叩き、ミラの分析データに注釈を書き加えた。
『要因:過度な恋愛営業への誘導は不可。本人の羞恥と視聴者の善意に基づく、等身大のリアクションを維持する』
「……データに、本人の恥ずかしさと視聴者の善意を注記するなんて。そんなの、ノイズだらけのポンコツ分析モデルですよ」
ミラは呆れたようにため息をついた。だが、彼女の触角は、怒りや動揺のピンク色ではなく、深く穏やかな、それでいて温かみのある蒼宙色に輝いていた。
「分かりました。不確実な感情のノイズを許容したまま、このバズを正しい導線へ導く修正案を実行します」
その後の配信で、ミラは無理な恋愛営業を行うことなく、ただ素のままの自分で視聴者と向き合い続けた。
専門的なデータ解説の途中で予期せぬコメントに触角をピンクに染め、それを懸命に誤魔化そうとする彼女の等身大の姿は、多くの熱狂的なファンを生み出した。
バズは一時的な消費で終わることなく、ユウトの設計した導線へ見事に流れ込んでいった。
週末の夜。事務所のダッシュボードの数字が更新される。
ミラの配信をフックにした新規のファンクラブ登録者が四百二十人。これで八千四百ポイント。
グループの過去の楽曲データのダウンロード販売が六百八十件で、二千四十ポイント。
さらに、次回の小規模ライブのオンライン配信チケットが百枚売れ、千ポイント。
合計、一万一千四百四十ポイントの純増。
推しポイント(pt)はついに『24,300』へと到達した。
折り返し地点が見えてきた。五万ポイント作戦は、極限のスケジュールの中で確実に成果を上げている。
だが、息をつく暇はない。
翌日、ユニティは都内の屋外イベントスペースでの無料ライブを迎えていた。
空は朝から分厚い鉛色の雲に覆われ、冷たい雨がコンクリートの地面を叩きつけている。
テントの下で待機するユウトの視線の先で、ダンスセンターを務めるニコの犬耳が、パラパラと降り注ぐ雨音と、反響するスピーカーの重低音に耐えきれず、限界を示すように痛々しく垂れ下がっていた。




