第11話 名前で呼ぶ
無数の匿名アカウントが吐き出す悪意と、無責任な同情の言葉。それらが秒単位でタイムラインを埋め尽くしていく光景は、控えめに言っても異常だった。
前夜、七人が自分たちで選んだのは、反論声明ではなく、名前と意思を届ける自己紹介動画だった。
相楽ユウトは会議室の片隅に簡素な照明とカメラを設置し、七人と最後の確認をする。
「台本はない。公開前の確認と取り下げも、一人ずつの権利として保証する。君たちの名前、得意なこと、どんな舞台に立ちたいか。それを自分の言葉と手段で表現してくれ」
事務所が用意した綺麗な言葉で取り繕うのではなく、生身の本人たちの意思を晒す。それが、ユウトが導き出した炎上に対する最適解だった。
撮影が始まると、メンバーたちは戸惑いながらも、次々とカメラの前に立った。
シルヴィアはエルフの純血主義という枷を自ら語り、それでもこの七色の場所を選んだと誇り高く宣言した。カレンは他人の痛みを勝手に暴く占い師にはならないと冷ややかに笑い、メイプルは持参したハンマーで鉄を打ち鳴らして職人の意地を示した。ルナは一切の声を出さず、流麗な手話の動きだけで「水の中なら誰よりも自由に歌える」と伝えた。
それぞれの個性が、誰かに強いられたものではなく、自らの武器であることが記録されていく。
そして最後。カメラの前に座ったゴルガは、長い沈黙に陥っていた。
大柄なオークの体躯を限界まで丸め、琥珀色の瞳が不安げに揺れている。
「……私は、何を言えばいい?」
ゴルガの地鳴りのような低音が、ひどく頼りなく響いた。
「ネットの言葉を見た。私の牙が、声が、体が……皆を怖がらせている。私が裏に隠れれば、少なくとも同情や批判の半分は消えるはずだ。自己紹介なんてすれば、もっと火に油を注ぐ」
彼女は自分自身を、グループの欠陥品だと思い込もうとしていた。
ユウトはカメラの録画を一時停止し、自分のカバンから一通の封筒を取り出した。
「昨日、事務所のポストに届いていた手紙だ。君宛てだよ」
「私に……?」
ゴルガは太い指で不器用に封を開けた。中に入っていたのは、少し歪な、しかし一生懸命に書かれた鉛筆の文字だった。
それは、ハナという十二歳のオークの少女からの手紙だった。
手紙には、学校での日常が綴られていた。同級生よりも頭一つ分以上大きな体。女の子らしくないと言われる低い声。それが恥ずかしくて、ハナはいつも背中を丸め、なるべく声を出さないようにして生きてきたという。
だが、昨日公開されたMVを見て、彼女の世界は一変した。
『ゴルガさんのひくい声、とってもかっこよかったです。おなかの底までひびいて、すごく強そうでした』
ゴルガの視線が、その次の一行でピタリと止まった。
『だから今日、じぶんのへやで、すこしだけゴルガさんの声をまねして、大きな声でうたってみました』
「……真似、した……?」
ゴルガの呟きに、ユウトは深く頷いた。
「君の声を『怖くないよ』と慰める人間はいくらでもいるだろう。だが、あの映像を見たその子は、君の声に憧れて、同じ声を出したいと願ったんだ」
ゴルガの肩から、余計な力がすっと抜けた。
彼女の目に涙はなかった。代わりに、丸まっていた背筋がゆっくりと伸び、二メートル近い本来の堂々たる体躯が、真っ直ぐにカメラと向き合った。
「録画を回してくれ。ユウト」
カメラの赤いランプが点灯する。ゴルガはカメラを真っ直ぐに見据え、深く息を吸い込んだ。
「私の名前は、ゴルガ・マロウ」
一切セーブすることのない、腹の底から響く極低音。空気を震わせるその声は、もう迷いや怯えを含んでいなかった。
「ベースボーカルを担当している。私はオークだ。この声も、この体も、生まれ持った大切なものだ。誰かの恐怖を煽るためではなく……誰かの心を落ち着かせ、支えるために、私はこの声を最大まで響かせる」
謝罪の言葉は一つもなかった。ただ、自らの尊厳をそのままの形で叩きつけた。
その日の夜、七人の自己紹介を繋ぎ合わせた簡素な動画が公開された。
動画は、炎上の熱を一気に呑み込んだ。相変わらず悪意のコメントを書き込む層もいたが、それ以上に、彼女たちの圧倒的な当事者としての言葉と、媚びない姿勢に心臓を撃ち抜かれた層が確実に存在した。
『無理やりやらされてると思ってたけど、全然違った』
『オークの人の声、めちゃくちゃ安心するんだけど』
『手話での自己主張、美しすぎるだろ……』
炎上によるインプレッションの濁流が、見事に濾過され、純粋なファンとしての行動へと変換されていく。
ユウトのパソコン画面で、ファンクラブの有料登録数とチケットの購入通知が次々とポップアップした。
ダッシュボードの推しポイント(pt)は、一気に『10,800』を突破した。
炎上の危機を乗り越え、彼女たちの名前は確かに世間に刻み込まれた。
そして迎えた、初ワンマンライブの当日。
キャパシティ百席という小規模な地下ライブハウス。
ユウトは開演十五分前のPAブースから、フロアの様子を見下ろしていた。
炎上からの鮮やかな逆転劇を経て、チケットの予約数は跳ね上がっていた。だが、ネット上の数字と、実際に足を運ぶ人間の熱量は必ずしもイコールではない。
ユウトの視線の先、薄暗いフロアの後方には、開演直前だというのに、まだ幾つかの空席がぽっかりと口を開けて待っていた。




