第8話 魔王軍から正式な招聘状が届きました
魔王軍から、正式な招聘状が届きます。
勇者パーティーの復帰要請より、だいぶ書類が整っているようです。さすが魔王。魔王は何者なのでしょう。
第8話 魔王軍から正式な招聘状が届きました
魔王軍の使者が帰ったあと、辺境神殿の受付には、しばらく誰も声を出さなかった。
机の上には、焼き菓子の箱。
その横には、魔王軍第三軍団から渡された分厚い書類束。
そして、受付の端には、まだ勇者アレクシス・グランヴェルが座っている。
状況だけ見れば、神殿ではなく会議室だった。
「ロレンツ」
アレクシスが低い声で言った。
「はい」
「お前、魔王軍の菓子を食うのか」
「検査上は問題ありません」
「そういう問題じゃない!」
「では、どういう問題ですか」
「敵からの菓子だぞ!」
「手土産です」
「敵からの手土産だ!」
アレクシスは立ち上がり、受付机を指さした。
「しかも、魔王軍からの書類まで受け取った!」
「事前確認資料です」
「言い方を変えるな!」
「変えていません。表紙にそう書いてあります」
俺は書類束の表紙を見せた。
『今後の権能使用申請に関する事前確認資料』
文字は整っている。
紙質も悪くない。
綴じ方も丁寧だ。
少なくとも、勇者パーティーが戦闘後に出していたしわだらけの報告書より、ずっと読みやすい。
賢者セドリックが、横からぼそりと言った。
「表紙があるだけで、かなりましだな」
「セドリック!」
「事実だ」
戦士ライネルも腕を組んだまま言う。
「俺たち、地図もだいたい現地で描いてたしな」
「ライネル!」
聖女ルシアは何も言わない。
ただ、焼き菓子の箱を少しだけ見ていた。
リナリアが小声で聞く。
「あの、ロレンツさん」
「はい」
「焼き菓子、本当に食べて大丈夫なんですか」
「毒物反応、呪詛反応はありませんでした」
「甘味強化反応は?」
「微弱です」
「微弱なら大丈夫ですか」
「食べすぎなければ」
リナリアは少しだけ真剣にうなずいた。
「では、勤務後に一個だけ」
「何を納得している!」
アレクシスの声が神殿に響いた。
その時、水晶板が震えた。
俺は画面を見る。
差出人は、魔王軍第三軍団副官エルバート。
件名はこうだった。
《正式招聘状送付の件》
受付の空気が止まる。
アレクシスの顔が、見る見るうちに赤くなった。
「正式招聘状だと?」
「そのようです」
「見るな!」
「届いたので確認します」
「確認するな!」
「確認しないと処理できません」
俺は水晶板を開いた。
本文は、思ったより長かった。
《ロレンツ・アシュフォード殿》
《先般の黒炎結界承認、および本日の来訪対応について、魔王ザガン陛下は貴殿の職務遂行能力を高く評価しております》
《つきましては、魔王軍第三軍団管轄地域における権能使用申請の適正化を目的として、貴殿に一時的な権能管理顧問としての出向を要請いたします》
「出向」
セドリックが呟いた。
「魔王軍に?」
ライネルが眉を上げる。
ルシアは黙って画面を見ていた。
リナリアは、小さく口を開けている。
アレクシスだけが叫んだ。
「却下だ!」
「まだ審査前です」
「審査するな!」
「内容を確認します」
「魔王軍に行くつもりか!」
「まだ行くとは言っていません」
「なら見るな!」
「見ないと、行くかどうかも判断できません」
アレクシスは言葉に詰まった。
俺は続きを読んだ。
《身分:神殿省所属を維持したままの一時出向》
《期間:初回三十日》
《勤務地:魔王軍第三軍団管轄地、および魔王城権能管理室》
《職務内容:権能使用申請の事前確認、様式整備、条件設定、使用後報告確認、違反時の申請停止勧告》
《権限:承認権限は神殿省所定範囲内。魔王軍による干渉不可》
俺は、少しだけ黙った。
「どうした」
セドリックが聞く。
「権限の独立性が書いてあります」
「独立性?」
「魔王軍は、私の審査に干渉できない、ということです」
セドリックは目を細めた。
「……本当に書いてあるのか」
「はい」
「敵にそれを明記されるのは、なかなか複雑だな」
俺もそう思った。
続きを確認する。
《報酬:神殿省給与とは別に、危険手当および出向手当を支給》
《宿舎:個室。鍵付き。寝具、机、書架あり》
《食事:一日三食。人族向け食事対応可》
《勤務時間:原則、日中八時間以内》
《休日:七日に一日》
《夜間対応:緊急案件のみ。翌日代休》
《護衛:非干渉型護衛二名。ただし執務室内への立入不可》
リナリアが画面を覗き込んだ。
「個室、あるんですね」
「ありますね」
「鍵付き」
「はい」
「一日三食」
「はい」
「休日もあります」
「ありますね」
リナリアは、なぜか感心した顔になった。
「すごいですね、魔王軍」
「感心するな!」
アレクシスが叫んだ。
だが、リナリアは小さく反論した。
「でも、勇者様のところには、勤務時間も休日もなかったんですよね」
アレクシスは固まった。
セドリックが横を向いた。
ライネルは天井を見た。
ルシアは、少しだけ目を伏せた。
俺は言った。
「勇者パーティー同行時は、勤務時間の定めがありませんでした」
「黙れ!」
「事実です」
「事実でも言うな!」
「必要なら、当時の勤務実態を報告できます」
「報告するな!」
俺は水晶板に戻った。
招聘状はさらに続いている。
《安全保障:出向期間中、貴殿への敵対行動を禁止》
《撤退条件:貴殿が職務遂行不能と判断した場合、即時帰還可》
《神殿省本庁が出向停止を正式命令した場合、これに従う》
《ただし、口頭要請、非公式圧力、勇者個人の要請は停止理由としない》
「最後、何か書いてあったぞ」
アレクシスが不穏そうに言う。
「勇者個人の要請は停止理由としない、と」
「ふざけるな!」
「書いてあります」
「読むな!」
「読みました」
リナリアが小さく言った。
「先回りされてますね」
「リナリア!」
アレクシスは完全に赤くなっていた。
俺は最後まで読む。
《なお、本招聘は貴殿個人の同意、神殿省所属長の承認、神殿省側受入責任者の確認を前提とします》
《無理な引き抜きではなく、正式な出向要請です》
《回答期限:三日以内》
《添付資料:職務範囲表、宿舎図面、食事対応表、護衛規程、緊急帰還手順、申請様式改善案》
「添付資料が多い」
ライネルが言った。
「多いですが、必要です」
「勇者パーティーに戻るのに、こんな資料はいらないだろ」
アレクシスが言う。
俺はそちらを見た。
「復帰要請書は、まだ差戻し中です」
「今それを言うな!」
「本人同意欄が空白です」
「戻ると言え!」
「同意していません」
「なぜだ!」
「条件が提示されていません」
「仲間だろう!」
俺は少しだけ考えた。
そして言った。
「職務上の関係です」
受付がまた静かになった。
ルシアが、かすかに目を伏せる。
アレクシスは口を開きかけて、閉じた。
セドリックが低く言う。
「アレクシス。さすがに、それは俺たちが悪い」
「何がだ」
「追放した」
「それは……」
「そして戻れと言った。条件も謝罪もない」
セドリックの声は淡々としていた。
「魔王軍の招聘状より、俺たちの復帰要請の方が雑だ」
アレクシスは黙った。
ライネルも言う。
「俺も、雑だったと思う」
ルシアは静かにうなずいた。
「私もです」
アレクシスは三人を見た。
裏切られたような顔だった。
だが、誰もアレクシスを責めるために言っているわけではない。
ただ、事実を確認しているだけだった。
それが一番痛いこともある。
俺は招聘状を保存した。
「この件は、神殿省本庁へ報告します」
「本庁に?」
リナリアが不安そうに聞く。
「はい。私だけでは判断できません」
「ですよね」
「正式な出向要請です。神殿省側の判断と、受入責任者の確認が必要になります」
「受入責任者って、誰になるんですか」
「……まずは本庁に確認します」
「ですよね」
そう言った瞬間、水晶板がまた震えた。
差出人は神殿省本庁。
件名は、予想どおりだった。
《魔王軍からの招聘状について》
本文は短い。
《ロレンツ・アシュフォード殿》
《魔王軍第三軍団より貴殿宛てに招聘状が送付されたことを確認しました》
《当該招聘状の内容、受領経緯、貴殿の意向について、至急報告してください》
《なお、現時点で本庁は本件について正式判断を行っていません》
俺は画面を見た。
「本庁から照会です」
リナリアが両手で頭を押さえた。
「早いです」
「魔王軍からも本庁に連絡が行っているのでしょう」
「ちゃんとしてますね……」
「はい」
アレクシスが低く唸った。
「ちゃんとしていると言うな」
リナリアは黙った。
俺は返信欄を開く。
受領経緯。
魔王軍副官エルバート来訪後、水晶板にて正式招聘状を受領。
内容。
一時出向要請。
神殿省所属維持。
期間三十日。
職務範囲、権限独立性、勤務条件、安全保障、撤退条件の明記あり。
貴殿の意向。
俺はそこで手を止めた。
「どうしたんですか」
リナリアが聞く。
「意向を聞かれています」
「どう答えるんですか」
アレクシスが立ち上がった。
「断ると書け!」
「まだ内容確認中です」
「だから、それを書くな!」
「事実なので」
俺は入力した。
《貴殿の意向:内容確認中》
《現時点で承諾、拒否のいずれも行っていません》
《正式判断には、所属長確認および神殿省本庁の方針確認が必要と考えます》
送信。
水晶板の光が消えた。
受付には、また沈黙が戻った。
机の上には、魔王軍の招聘状。
焼き菓子。
勇者の差戻し中の復帰要請書。
そして、まだ処理できていない橋の補強願い。
俺は深く息を吐いた。
「……まず、橋ですね」
リナリアが遠い目をした。
「この状況で、橋ですか」
「橋が危ないので」
「そうでした」
俺は橋の補強願いを手に取る。
南の小川の橋。
昨日の時点では場所が曖昧だった。
リナリアが村人に確認して、地図を添えてくれている。
これなら通せる。
《橋補強:条件付き承認》
《対象:南小川二号橋》
《範囲:橋脚および踏板》
《期間:補修完了までの七日間》
《使用後、状態報告を提出》
送信。
小さな橋の申請が、ようやく一件片づいた。
その横で、世界の大きな話は、まだ片づいていない。
魔王軍から正式な招聘状が届いた。
神殿省本庁は慌てている。
勇者は怒っている。
俺はまだ、返事をしていない。
ただ一つだけ、はっきりしていることがある。
勇者パーティーの復帰要請より、魔王軍の招聘状の方が、ずっと書類として整っていた。
ここまでありがとうございます。
魔王軍から正式な出向要請が届きました。
給与、宿舎、勤務時間、休日、権限の独立性まで書いてあるあたり、かなり本気です。
一方、勇者様の復帰要請はまだ差戻し中です。
次回、神殿省本庁が慌てます。
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