第3話 戻ってこいと言われましても
第3話です。
辺境神殿でも、ロレンツは書類を見ています。
勇者側も、そろそろ直接動きます。
第3話 戻ってこいと言われましても
リナリアが戻ってきたのは、それから一時間ほど後だった。
神殿の扉が勢いよく開く。
「ロレンツさん!」
栗色の髪を乱した神官見習いが、息を切らして駆け込んでくる。
「熱、下がりました!」
「そうですか」
俺は書類から顔を上げた。
「意識は?」
「あります! 水も飲めました! お母さんが泣いてました!」
「では、あとで経過を書いておいてください」
「はい!」
リナリアは大きく頷いた。
それから、少し不思議そうな顔をする。
「あの、ロレンツさん」
「はい」
「すごいですね」
「何がですか」
「普通、治癒のお願いって、もっと時間がかかるんです。神官様に見てもらって、順番を決めて、祈って、それから……」
「今回は急ぎでした」
「急ぎだと通るんですか?」
「通る理由があれば通ります」
俺は次の書類に目を落とした。
『畑への祝福申請』
申請者は村長。
内容は、東側の小麦畑に低位の豊穣祝福を求めるもの。
ただし、範囲が広すぎる。
村全体。
これでは通らない。
「リナリアさん。この畑、全部が弱っているんですか」
「えっと、たぶん東の方だけです。村長さんは心配性なので、いつも大きめに書きます」
「なるほど」
俺は申請書の範囲欄を直した。
村全体。
それを、東側小麦畑三面に変更する。
「これなら通せます」
「え、削るんですか?」
「必要なところだけにします」
「多めにお願いした方が得じゃないですか?」
「多めにお願いすると、通りません」
「なるほど……」
リナリアは真剣な顔で頷いた。
俺は携帯端末の水晶板を操作する。
《低位豊穣祝福:条件付き承認》
《対象:東側小麦畑三面》
《範囲外使用は禁止》
水晶板が淡く光った。
「通りました」
「はやい!」
「申請が直れば、早いです」
「すごい……」
リナリアの目がきらきらしている。
少しやりづらい。
王都では、書類を通しても感謝されることは少なかった。
通って当然。
遅いと怒られる。
差し戻すと嫌な顔をされる。
勇者パーティーでは、そもそも書類の必要性を理解されなかった。
だが、ここでは違う。
書類一枚で、誰かの熱が下がる。
畑に祝福が届く。
井戸の調査が始まる。
小さい。
だが、小さくはない。
「次に行きます」
俺は次の書類を取った。
『井戸水をきれいにするお願い』
水の状態が書かれていない。
どの井戸か。
いつからか。
濁りか、匂いか、味か。
全部足りない。
「これは差戻しです」
「やっぱりですか」
「はい。水が変な味です、だけでは通りません」
「村の人、だいたいそう書きます」
「だいたい差し戻されます」
俺は差戻し理由を書いた。
《差戻し》
《理由:井戸の場所、水の状態、発生日を書いてください》
リナリアが覗き込む。
「優しい差戻しですね」
「次に直せるように書くだけです」
「なるほど……!」
この子は、なんでも素直に感心する。
王都にはあまりいないタイプだった。
さらに次の書類を取る。
『古い祠の修繕相談』
添付された簡単な写し絵には、森の入口に立つ小さな祠が描かれていた。
屋根が傾き、扉が半分外れている。
申請者欄には、近隣住民十二名の名前。
祀られている神、不明。
誰のものか、不明。
誰が世話しているのか、不明。
「これは面倒ですね」
「やっぱり駄目ですか?」
「駄目とは言っていません」
「通ります?」
「すぐには通りません」
リナリアは少し肩を落とした。
「村の人、気にしてるんです。昔からある祠なんですけど、誰のものか分からなくて」
「分からないものを、分からないまま直すのが一番危ないです」
「祟りますか?」
「祟るかどうかも分からないので、まず調べます」
俺は書類の余白に書き込んだ。
現地確認。
近くの家への聞き取り。
昔の修繕記録の確認。
どの神の祠か分からないため、祝福ではなく確認扱い。
「これは保留です」
「保留」
「捨てるでも、直すでもなく、まず確認します」
「なんか、ロレンツさんが来てから、書類が動いてます」
「山にしておくものではありませんから」
俺はそう言って、印を押した。
その時だった。
鞄の中の水晶板が震えた。
また神殿省本庁かと思った。
だが、表示された差出人は違った。
《勇者アレクシス・グランヴェル》
俺は少し黙った。
「どうしました?」
リナリアが首を傾げる。
「元職場からです」
「勇者様ですか?」
「はい」
水晶板には、短い文章が表示されていた。
《ロレンツ》
《至急戻れ》
《聖剣が使えない》
用件だけは分かりやすい。
だが、必要なものが何もない。
謝罪。
説明。
離脱手続。
担当者の変更届。
どれもない。
俺は返信欄を開いた。
《依頼内容が不明確です》
《正式な復帰要請であれば、神殿省を通してください》
《なお、現在私は辺境神殿勤務です》
送信。
すぐに返事が来た。
《ふざけるな》
《俺は勇者だぞ》
俺はため息をついた。
リナリアがおそるおそる聞く。
「あの、大丈夫ですか?」
「大丈夫です」
「勇者様ですよね?」
「はい」
「怒ってませんか?」
「怒っていますね」
「大丈夫なんですか?」
「怒っていても、順番は変わりません」
俺は水晶板を閉じようとした。
その直前、もう一通届いた。
今度は神殿省本庁からだった。
《緊急連絡》
《勇者アレクシス一行が、辺境神殿へ向かっています》
《到着予定:明日午前》
リナリアが固まった。
「え」
俺も少しだけ固まった。
勇者パーティーが、ここへ来る。
辺境神殿の狭い受付。
未処理の書類の山。
古い祠の修繕相談。
橋が危ないので何とかしてください、という申請書。
そして、聖剣が使えず怒っている勇者。
俺は水晶板を見つめた。
それから、深く息を吐く。
「リナリアさん」
「は、はい」
「明日の午前、来客があります」
「勇者様ですよね!?」
「はい」
「どうしましょう!」
「まず、入口で止めてください」
「止めるんですか!?」
「話を聞く前に、神殿を壊されると困ります」
リナリアはしばらく俺を見ていた。
それから、小さく言った。
「ロレンツさん、本当に落ち着いてますね」
「慌てても、聖剣は戻りません」
俺は次の書類を手に取った。
『家畜小屋の魔除け』
勇者が来る前に、少しでも未処理を減らしておきたかった。
ここまでありがとうございます。
勇者パーティー、辺境神殿へ向かいます。
ロレンツの仕事は、あまり減りません。
よければブクマ・評価などいただけると励みになります。




