第11話:遺したのは誰か
放課後の教室は、やけに静かだった。
誰もいない机。
消えかけたチョークの跡。
窓から差し込む、少しだけ傾いた光。
いつも通りのはずの風景なのに、どこかだけ違う。
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「ねえ」
冷泉が、机に腰を預けながら言った。
「ひとつだけ聞いていい?」
「なに」
一ノ瀬は窓の外を見たまま返す。
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「さっきのやつ、終わったでしょ」
「ああ」
「じゃあさ」
冷泉は少しだけ間を置いた。
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「結局、あんた何してんの?」
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風が、窓の外で揺れる。
グラウンドの音が、遠くで小さく跳ねていた。
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一ノ瀬はすぐには答えない。
少しだけ視線を落とす。
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「別に」
短く言う。
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「大したことはしてない」
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「ふーん」
冷泉は、それ以上追わない。
でも、目だけは外さない。
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「大したことじゃないのにさ」
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ぽつりと続ける。
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「毎回、ちゃんと終わらせるんだよね」
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一ノ瀬の指先が、机の縁で止まる。
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少しだけ沈黙。
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その間に、何かがゆっくりと重なる。
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白い部屋。
静かな呼吸音。
「うん、うん」と頷く声。
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言えなかった一言。
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一ノ瀬は、小さく息を吐いた。
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「……残るの、嫌なんだよ」
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冷泉は、軽く眉を動かす。
「残る?」
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一ノ瀬は窓の外を見る。
夕方の光が、少しずつ色を変えていく。
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「言えなかったやつ」
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少し間。
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「そのまま残ってるの、嫌いなんだ」
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「ふーん」
冷泉は相槌だけ打つ。
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でも、その声はいつもより少しだけ静かだった。
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「じゃあさ」
冷泉が言う。
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「それ、自分のためじゃん」
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一ノ瀬はすぐに否定しない。
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代わりに、少しだけ目を細める。
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沈黙。
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答えは出てこない。
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出さないまま、時間だけが過ぎる。
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「……かもな」
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小さく、それだけ言った。
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冷泉は、少しだけ笑う。
「やっと正直になったね」
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「うるさい」
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いつものやり取り。
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でも、どこか違う。
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教室の空気が、ゆっくりとほどけていく。
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夕焼けが、窓いっぱいに広がる。
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一ノ瀬は、机の上に視線を落とす。
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そこには何もない。
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でも、何もないことが、少しだけ楽になっていた。
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「ねえ」
冷泉が立ち上がる。
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「一つ分かったことあるんだけど」
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「なに」
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振り向かずに、一ノ瀬が返す。
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「結局さ」
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少しだけ間。
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「救われてんの、あんただよね」
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静かな声だった。
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一ノ瀬は、すぐには答えない。
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窓の外を見る。
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夕焼けが、少しずつ沈んでいく。
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「……かもな」
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短く、それだけ。
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冷泉は小さく息を吐く。
「ほんと面倒くさい人」
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そう言って、教室を出ていく。
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ドアが閉まる音。
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静けさが戻る。
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一ノ瀬は、ひとり残る。
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夕焼けの中で、ゆっくりと目を閉じる。
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白い部屋。
やわらかい声。
頷く音。
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そして――
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言えなかった言葉。
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しばらくして、目を開ける。
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もうそこには何もない。
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ただ、夕焼けだけが残っていた。
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――遺言ってさ。
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誰かからもらうもんじゃない。
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誰かに渡すもんでもない。
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残してしまったものを、
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どう扱うかの話なんだと思う。




