第7話 後編「結ばなかったおみくじ」
風が吹き、結び所の紙が一斉にざわめいた。
「さっき読んだのと、ちょっと違う気がする」
詩音の小さな声が、冬の空気の中でかすかに震える。
「どこが違うんだ?」
佐々木が覗き込む。
詩音は、おみくじの一文を指でなぞった。
「ここ……」
ゆっくりと、声に出して読む。
「『願い事 叶う』って書いてあるけど……」
少しだけ言葉を探すように間を置いてから、
「さっきは、“何もしなくても叶う”みたいに見えたの」
その言葉に、一ノ瀬はわずかに目を細めた。
「でも今は……」
詩音は、紙を見つめたまま続ける。
「“ちゃんとやれば叶う”って感じがする」
風が止んだ。
静かな間。
その沈黙を、冷泉が穏やかに破る。
「……いい読み方ね」
「え?」
「さっきより、ずっと現実的よ」
一ノ瀬が小さく笑った。
「おみくじは変わってない。変わったのは、君の“前提”だ」
「前提……?」
「さっきの君は、“大吉だから大丈夫”って思ってた。だから言葉も、都合のいい意味に見えた」
一ノ瀬は、結び所に揺れる紙を見上げる。
「でも今は違う。“どうすればいいか”を考え始めてる」
詩音は、少しだけ驚いた顔をした。
「人はね、“安心したいとき”と、“ちゃんと向き合おうとするとき”で、同じ言葉でも全然違って見えるんだ」
冷泉が続ける。
「だからこそ、おみくじは“未来”じゃない。“選択のヒント”なのよ」
詩音は、もう一度おみくじを見た。
白い紙。短い言葉。
けれどそこに、さっきよりもはっきりとした意味が浮かび上がっている。
「……そっか」
小さく、納得するように呟く。
そして――
「ねえ」
詩音が、少しだけ顔を上げた。
「これ、結んだ方がいいかな」
佐々木が笑う。
「だからそれを悩んでたんだろ」
詩音は、少し困ったように笑い返した。
「うん。でも……」
少しだけ考えてから、
「今は、持って帰りたい」
一ノ瀬が静かに頷いた。
「理由は?」
「……忘れたくないから」
その一言は、驚くほどまっすぐだった。
「さっきみたいに、“いいことだけ見る”のじゃなくて……ちゃんと読むの、忘れたくない」
冷泉が、ほんの少しだけ目を細める。
「いいじゃない。自分で決めたなら、それが正解よ」
詩音は、胸の前でおみくじを大事そうに握った。
風がまた吹く。
結び所の紙が揺れる中で、結ばれなかった一枚だけが、彼女の手の中に残った。
それは、未来を持ち帰るためではない。
自分の選び方を、忘れないための紙だった。
「……一ノ瀬」
佐々木がぽつりと呟く。
「お前、たまにいいこと言うよな」
「たまにじゃない。常にだよ」
「そこがうざいんだよ」
二人のやり取りに、詩音が小さく笑った。
さっきまでの迷いが、少しだけ軽くなっている。
その変化を見て、一ノ瀬はほんの少しだけ視線を逸らした。
「……行こうか、冷泉」
「ええ。これ以上いると、あなたがまた余計な分析を始めそうだもの」
二人は背を向けて歩き出す。
参道には、まだ人の流れが続いていた。
その中で――
「ありがとうございました!」
後ろから、詩音の声が飛んできた。
一ノ瀬は振り返らず、軽く手を振った。
冷泉が小さく呟く。
「……あなた、子どもには優しいのね」
「合理的判断だよ。未来への投資だ」
「はいはい」
呆れたように言いながらも、その声は少しだけ柔らかかった。
境内を抜けると、冬の空気が一層冷たくなる。
けれど、その中にほんの少しだけ、温度が残っていた。
誰かの選択が、少しだけ変わったからだ。
結ばれなかったおみくじは、風に揺れることはない。
その代わりに――
小さな手の中で、確かに未来へと繋がっていた。
第7話、読んでいただきありがとうございました。
今回は少しだけ肩の力を抜いたお話でした。
派手な事件や強い感情ではなく、「どう受け取るか」という小さな選択に焦点を当てています。
おみくじって、当たる・当たらないよりも、
「その結果をどう扱うか」で意味が変わるものだと思っています。
良い結果でも不安になるし、悪い結果でも前を向ける。
結局は、自分がどう向き合うかなんですよね。
一ノ瀬の言葉も、冷泉の視点も、
少しでも心に引っかかるものがあれば嬉しいです。
さて、次回ですが――
少しだけ、物語の根っこに触れようと思います。
今まで断片的にしか語られてこなかった「遺言部」が、
なぜ存在しているのか。
その始まりの話を。
軽い話のあとに、少しだけ重たい話を。
その温度差も含めて、楽しんでいただけたら嬉しいです。
引き続き、よろしくお願いします。




