episode2-8
女王の身柄がカエサルの息子達の手に落ちた事で、和禰国に滞在していた執聖騎士団は、宮廷への立ち入りを許された。
ただし、実際に城内へ踏み入る事が許されたのは託宣支援要員のみで、実働部隊は正門を入ってすぐ、待機を命じられた。
だが。
どういう事か、ルカ・キリエの隊だけは、宮廷では無く桐江准将宅に召集を受けた。
今に至るまで、説明は一切ない。
執聖騎士ルカは、任務にどのような事情が絡もうと虚心で臨むようにしている。
だが、今回は理解し難い要素が多すぎた。
准将の血縁とはいえ、何故、自隊のみが私有地に呼ばれるのか。
こればかりは、テレサに訊いた所で答えようもあるまい。
現在、准将は装備を整えており、ルカ以下従士二名は、正門で待機していた。
「あの、ルカさん」
ミネッテが細い声で、
「リナ、ちゃんは」
そこまで言って、口を閉ざした。
その先、何を言えば良いのかがわからないのだろう。
海上祭壇での蜂起。
意図のわからぬ、この召集。
リナの失踪。
やはり、最近まで民間人だったミネッテが一番気がかりなのは、リナの事なのだろう。
まして彼女には、ヴィサと言うただ一人の弟が居る。
「……リナには武術の心得が有る。それも、指導したのは桐江聖次郎だ。
彼女自身、有事の際には機転も利く。
どんな八方塞がりの状況でも、脱出を諦める事は無い筈だ。
安心するが良い」
何故か、ミネッテの方が慰められる格好になっている。
「は、はい」
「しかし! 何故准将は、我が隊だけをこんな所に」
若干、ルカの声が上擦っているようだ。
ミネッテの不安を和らげようと、別の話題を持ち出したつもりなのだろう。
「こんな所、とは随分な言葉だな」
気配が、ほとんど感じられなかった。
桐江准将と、その妻知枝は、単に玄関から出てきただけなのだが。
ミネッテには、それこそ、二人がいきなりそこに現れたかのように錯覚され、小さく悲鳴を漏らした。
ルカは、准将に敬礼。
現地の准将と友軍の騎士として、形式張ったやり取りを一通り済ますと、
「此度、貴隊には間諜の任に就いていただく。
その性質上、これは秘密裏の任務である」
ルカらの疑問を先取りしたかのように、この屋敷に呼んだ理由を示した。
「我々が敵の防衛線を突破した後、我が護衛軍の他の潜入班と共に東口から潜入して欲しい」
ルカは表情を変えず、テレサはささやかに息を呑んだ。
ミネッテは、目に見えて息を呑んだ。
知枝がバッグからファイルを取り出し、准将に渡す。
准将はそこから三枚の書類を抜き出すと、ルカに手渡す。
「貴隊の最優先任務を告げる。
朝田たまこ、柴村早苗、椎堂百合香、鹿嶋富美子。
以上四名の人物と接触し、可能なら救出する事」
書類には、四人の女性の人相が写されていた。
この中の一人が、女王なのか?
ルカは反射的に准将を見たが、
「女王陛下の捜索、及び、救出に関して、貴隊の積極的な関与は禁じる」
やはり、ルカの内心を読んだかのように言ってきた。
今の准将の命令を額面通りに受け取るならば、四人の中に女王は居ない、と言う事になるが。
ルカは当然、額面通りに受け止め、
四人の救出を命じ、なおかつ、女王救出の関与を禁じる=四人の中に女王は居ないと解釈した。
「それと」
准将が、測ったかのように言うと、
この屋敷に向かって走る、車の音が聞こえた。
黒塗りのセダン。キリエ社のコフィンと言う、宮廷の護衛車両に用いられている車種だ。
由緒ある車体の割りには、荒い運転だが。
速度にしろ、カーブの曲がり方にしろ、法定の範疇には収まっているが……法さえ守れば良いと言うわけでも無かろう。
スモークガラス越しに、中の乗員を見て取る事はできない。
そうして、問題のセダンは桐江邸の前に颯爽と止まった。
運転席から元気良く出てきた男を見て、テレサが目をパチパチさせた。
一瞬遅れて、ミネッテが顔を強ばらせる。
降りてきたのもまた、背広姿の男だ。
それなりの背丈ながら、がっしりとした体つき。
すっきりと刈られた、黒の短髪。
頬から顎のラインにかけて、上品に切り揃えられた髭。
狼のように、鋭くも、どこか穏和さも兼ね備えた、小振りの目。
「たしか、吉井敬吾さん?」
テレサが言うと、ルカが思わず怪訝な目を向けた。
だが。
吉井本人のリアクションは、更に大袈裟なものだった。
「ちがう、敬吾じゃない!」
大股でテレサに詰め寄ると、大きく頭を振って主張する。
「ちがう! ぼくは敬吾なんかじゃい!」
「あっ、うっ!? は、はいっ! すみません!」
三十代半ばの護衛軍の顔立ちで子供のような癇癪を起こされ、テレサは目を回しかけるしかない。
そこへ桐江准将が間に割り入り、
「吉井啓太大尉。まずは名乗りなさい」
父親のように諭した。
「はい。ぼく――自分は、吉井啓太で、女王護衛軍にいます。
階級は、大尉です。
だからぼくは、敬吾じゃありません」
「最後が余分だが、まあ今はよしとしよう」
何度も准将の矯正を受けたのだろう。
吉井啓太の口ぶりは、作文の発表に近い。
とにかく、テレサとミネッテが、先日街の路地裏で出会った吉井敬吾とは別人らしい。
言われ、改めて顔を見れば――テレサの直感で言うところの――魂の形が、かなり違って見える。
顔のつくりが全く同じなので、彼女もうっかり敬吾だと思い込んでしまったが……双子の兄弟だろうか。
「女王陛下、たすけにいくんでしょ? この人たちといけばいいの? 桐江さん」
口調の矯正はかなり難航しているようだ。
准将は、軍属にあるまじきそれを咎める事は無く、首肯した。
「騎士キリエの隊は、こちらの吉井大尉の指揮下に入ってもらう」
ミネッテが、露骨に眉をひそめてしまった。
大丈夫なのか? という思いが強すぎたようだ。
「作戦行動中の決定権は大尉が持ち、騎士キリエは事実上の副官となって頂く。
異論は無いか?」
「御座いません」
ルカは、即答した。
護衛軍としての吉井啓太を、すぐさま信じたらしい。
「執聖騎士と言えど、対人間戦の指揮を他国の軍隊に委ねるわけにはいかんのでな」
潜入と言うハイリスクな任務を、何の前触れも無く言い渡され、あまつさえ和禰人に指揮権を渡せと言う。
実の叔父である事を考えても、他国の将校にここまで一方的な指示を下されれば、他の筆頭騎士であれば拒否しただろう。
だがルカは、
「承知致しました。我が隊は、これより吉井大尉の指揮下に入ります」
二つ返事で従った。
准将も、それが当然だと言う風に頷いた。
「なお、騎士デューンと自称・未来人についてだが。
突入班の尾崎隊に配置させて頂く。
この旨、執聖騎士団グランドマスターにお伝え頂きたい」
桐江准将率いる二十個の突入部隊が正面から血路を拓く。
ルカ・キリエ隊――改め、吉井隊――を含む別動隊は裏手に回り込み、手薄になるであろう東側の制圧と、人質の保護を行う。
それだけが、作戦の全てだった。
後は、准将がいかに人質を巻き込まれないよう戦線をコントロール出来るか、だった。
「吉井大尉。無理はしないように」
ふと、准将が殊更に釘を刺した。
「わかってる――ます」
吉井啓太は、やや煩わしそうに返した。
「戦闘は最小限に抑えること。今回の仕事は、直接交戦では無いのだからな」
「わかったってっ!」
「ここから出たら、口調を崩さないようにも気を付けろ。
誰が見咎めるかわからない」
子供じみた癇癪を起こしかけた啓太は、ようやく押し黙った。
「わかり、ました……」
「了解しました、だと、なお良い。敬礼も欠かすな」
「……」
流石のルカも、唇を引き結ぶ程度には表情を変えた。
護衛軍の、それも近衛隊大尉が全く軍規を守らないのは、潔癖症のルカには目に余った。
だが、吉井啓太は本作戦中は実質的な上官だ。
そして、和禰人は年長者を敬う。
シーザーやシェイのように扱うわけには断じて行かないので、見過ごすしか無い。
裏を返せば。
軍規を度外視しても近衛隊大尉に任ぜられると言うことは、それだけ並外れた実力を持つと言うことだ。
ルカはそう思い直して、吉井大尉を信じ切る事にした。
今回、ルカの隊の支援要員はミネッテ一人となる。
彼女を宮廷に届けると、吉井啓太率いるルカ隊は、三十台を越える護衛軍車両の最後尾についた。
黒光りするセダンの一団は、統制された軍隊アリのごとし。
均一な車間距離を保ちつつ、行軍する。
首都・輝路の街並みは、どこも混乱しきっていた。
国内最大のお祭り騒ぎが戒厳令に早変わりしたのだから、無理もない。
それも、女王捕縛のスキャンダルと共にだ。
全体的に穏和な気性の和禰人だが、一大祭典で上がりに上がったテンションの延長上にあった人々は、テロの気配に当てられて暴動寸前の無法地帯となっていた。
警官隊と護衛軍が、実に一〇〇〇人態勢で人波をこじ開ける。
路上に出来たスペースを、何の感情も宿さぬ黒塗りセダンが流れて行く。
市街地でカエサルの息子達が何かをしたと言う報告は無かった。
祭壇と、そこへと続く端望大橋に戦力を密集させている為だろう。
人だかりを抜けると、いやに静かな行進となった。
三車線に減った脇道から、海沿いの道に入る。
遠景、抜けるように青い海が果てしなく広がっている。
あまりに静かで、わずかな水しぶきの音まで、耳に届きそうだ。
やがて、水面に白い線が浮かんだ。
海端までの一五六キロメートルを渡す、端望大橋だ。