episode2-7
リナが帰って来ない。
彼女の、いつもの帰宅時間である十八時を過ぎた時点で、准将夫妻はそう判断した。
速やか、かつ、内密に捜査の網を都内全域に張り巡らせる。
(元々、カエサルの息子達を探る捜査網を、そのまま行方不明者の捜索に転用しただけだが)
高校にも、各習い事の施設にも、リナはいないらしい。
ものの数分、陽も落ちていない時点で、叔父は姪の失踪を確信した。
彼女の日頃の行動が、非常に規則正しかった事が幸いした。
寄り道の一つでもするような普通の娘であったなら、もう数時間は断定が遅れた事だろう。
十九時になる直前、知枝の意識に一報が入った。
「聖さん。リナちゃんの目撃情報があった。
誰か、わたしくらいの歳の女性に連れられて、歩いていたって」
「情報源は?」
「……、…………宮廷の、特情(特別情報)科。
堂島中尉が、たまたま見かけたって」
出来すぎている。
わざわざ護衛軍関係者に姿を見せ付けたとなれば、カエサルの息子達の可能性はますます高い。
どうやって堂島を護衛軍――それも情報科の人間――と見分けたのか、と言う疑問も残る。
やはり内通者が居たか、あるいは堂島自身が……。
何しろ、海上祭壇を占拠したのは、これまで女王護衛軍として国に尽くしてきた者達が中心だったからだ。
和禰人の子を拾い育て、巧みに身元を作り、女王護衛軍の狭き門を潜り抜けさせて、
今日、いよいよそれが実を結んだわけだ。
やはり、人生の長さを無限大として捉えているだけあり、凄まじい執念だ。
宮廷が、ただそれを見過ごしていたとは、准将にはどうしても思えなかったが……事は起きてしまった。
そして、彼の姪を巻き込んでしまった。
「私のせい、だろうな」
准将が、静かに呟いた。
護衛軍准将、そして、人類三位の剣士でもある桐江聖次郎の家族を人質に取る。
リナが拐かされる理由としては、他に考えられなかった。
「准将として、最善の行動をお願いします」
知枝がそれだけを言うと、准将は、
「……元より、敵の埋伏者の発見と、拉致された市民の捜索はセットの事柄だ。
私達は、揚国刀の奪取を確認次第、女王陛下の救出を実行するのみだ」
桐江准将は、冷静にそれだけを告げた。
託宣オペレータ、朝田たまこは、つい半日前まで自分が担当していた部隊長に監視され、デスクに留められていた。
今年、五十歳を迎えた彼女は和禰人としても丸顔で、垢抜けていないメイクと小さくつぶらな目をしている。
茶色のスーツを着た姿は、平和な中小企業の事務員に見える。
武装した軍人――それも味方だと思っていた相手が剣をちらつかせてくる窮地にあって、たまこは落ち着き払った態度だった。
――彼女が、女王か?
彼女の背後で、処刑人が思索する。
女王容疑者としての条件は合う。
朝田たまこは、平凡な主婦然とした外見ながら、護衛軍でも随一の託宣要員だ。
生還がほぼ絶望的なこの状況にあって、これだけ平静を保てる人間もそうは居ない。
例えば、日頃から世界の情報通信インフラと和禰国そのものを背負っているような人物であれば、話は別だが。
部隊長はそう考えた。
「お互い、長らく隠し事をしながら暮らしてきたのだろうか」
裏切りの部隊長――朝田大地が、妻でもあるたまこに背後から語りかけた。
「あたしは、なにも隠してない」
その声は、微かに震えてはいる。
だが、他の非戦闘員に比べれば、やはり剛胆なものだ。
戦闘を伴う業種では、親しい仲間や親子、恋人、夫婦でチームを組むケースが少なくはない。
一般の業界でそれをすれば、甘えと弱みを作ってしまうと思われがちだが、命懸けの戦場では、親い人間の存在は、奇跡の降臨規模に大きく作用する。
この風習、朝田たまこにとっては最悪の結果を招いてしまったようだが。
「お前の反応が予想以上に薄かったものでな。
日頃から規格外の重圧に耐えてきたような、何かしらの役割を背負っているか、自分の人質としての利用価値が高いと自負しているような。
それくらい、今のお前は堂々として見える」
「あたしがどの程度の人間か、あんたが一番よくわかってるでしょうに。
あたしは、あんたが思っている以上でも以下でも無い、ただの、宮廷勤めのおばちゃんよ?」
「そのように、巧みに演じていたとすれば?」
「だとして、二十うん年一緒にやってきて見抜けないほど、あんたは間抜けだったの?」
「騙されると言うことは、それが真実であると思い込む事だ。
思い込み無くして、謀る事も、謀られる事も成立しない」
「自分がそういうことをしてきたもんだから、そうして疑心暗鬼にならなきゃいけないのよ。
他人が何を隠しているか。
いつ、ひどいことをしてくるか。
その可能性を、あんたは一番よくわかっているから、あたしの腹にも何か一物があるんだと疑わざるをえない」
「あるいは、そうかもしれんな」
部隊長は、軽く息をついた。
「あんた、旦那に剣を突きつけられたショックが大きすぎて、怯える気力すら出ない人間の気持ちがわからない?」
「何故だ? お前がここで協力的になれば、来世でお前と翔、風太の復活を上獅子に嘆願するつもりだ。
お前は、今と未来のどちらが大切なんだ?」
筋金入りだ。
息子二人をもうけた程の関係でありながら、ついに見抜けなかった事が、たまこには不思議でならなかった。
「今が大切に決まっているでしょ」
いや、本当は見当がついている。
恐らく、夫にとっては家族四人の生活もまた、真実だったのだ。
それが例え、上獅子への想いを家族の誰にも告げずに欺くものであったとしても。
家族を思う事と、上獅子を思う為にすべてを犠牲にする事。
夫の中で、それは矛盾してはいないのだ。
柴村早苗は、現代和禰の芸能界では、最も著名な女優かもしれない。
顔立ち、鼻立ち、肩からのライン、脚線美、決め細やかな栗色のロングヘアー。
全てにおいて「すらりとしている」と形容され、彼女の通った後には清涼な薫風がそよぐと言われる。
女優と言う職業上、人目に触れるのは、実体を持たぬ託宣イメージである事がほとんどなのに、である。
世間では、柴村早苗の事をこう呼ぶ。
小女王。
そこには、二つの意味が含まれている。
第一に、その洗練されたルックスと凛とした立ち振舞いを形容する意味。
第二に、彼女自身が熟達した巫女であり、稀代の演出家である事だ。
柴村早苗は、製作会社を介する事なく、一人で番組を製作出来る。
その、騎士に迫る程の記憶力と空間把握センスは、自分以外に三人程度の、架空の役者を作り出す事が出来る。
(現実の誰かをモデルとする為、本人の許可は必要だが)
そして、自分の演技をしながら、彼ら彼女らにも演技をさせられる。
女優として事務所に所属したのは、自身よりもむしろ、この仮想役者達の演技力を向上させる為では、とすら囁かれてきた。
一度訪れた場所は細部まで完璧に記憶している為、現地に居ずにして背景も作り出せる。
無論、仮想役者が草原を歩けば草を踏みしめる音が聴こえる。
踏まれた草は、ちゃんと折れる。
この日、柴村早苗は、お忍びで海上祭壇を訪れていた。
無論、海上祭壇を記憶に留める為だったと言っているが、
――彼女が、女王か?
カフェレストランを制圧した裏切りの護衛軍少佐・荒谷は、柴村早苗の扱いをもて余していた。
彼女の能力は、充分女王クラスに値する。
最近、メディアでの露出が減ったと言う点でも、女王としての条件を備えている。
よりによって、厄介な人物が女王容疑者に挙がったものだ。
彼女が柴村早苗であると知れた途端、人質達は自分の危機も忘れたかのように沸き立った。
いや、上獅子派の右派組織に捕まると言う、死に等しい状況だからこそ、悲喜こもごもの、異常な高揚感をもたらしたのだろう。
暴徒と化した連中の制圧には、ひどく手を焼かされた。
今も、柴村早苗の動向次第で、大勢の人質にどんな変化が起こるかがわかったものでは無い。
そのデリケートな均衡を守らねばならない荒谷としては、早々に始末してしまいたかった。
だが、正体のわからないまま殺してしまうわけにはいかない。
女王である――もしくは女王では無いと言う――揺るぎない証拠を得た上で無ければ、仮に本物の女王を殺したとしても、カエサルの息子達には意味がない。
むしろ、殺してしまってからでは永久に証拠を得られない危険さえあった。
名実ともに女王である事を証明せねばならない以上、拷問で自白させる意味も無いだろう。
本作戦の総司令であるバジルも、拷問と、意図の説明できない民間人殺害は禁じている。
八方塞がりだった。
護衛軍だろうがカエサルの息子達だろうが、割りを食わされるのはいつも末端だ。
荒谷は、柴村早苗を改めて見た。
たった半日程度の拘禁で、頬が削げたかのように見える憔悴を浮かべていた。
五年は老け込んだように見え、メイクが剥がれかけているような錯覚さえ覚える。
それでいて、目付きは猛禽のように鋭い。
ただの強がり、と言うには無謀な程の眼力。
――どちらが、本心だ。
荒谷とて、元は護衛軍の一員。他人の顔色から心を読む術は心得ている。
だが、敵もまた、一流の役者だ。
見た目の印象に惑わされてはならない。
そして荒谷は、堂々巡りに悩まされる。
――この分では、救助隊が攻め込んでくる方が早いかな。
桐江聖次郎の弟子の一人として、彼を敵に回した事の恐ろしさは肌身に染みて理解している。
彼を見れば、その時点で自分は死ぬだろう。
いよいよ、と言う時には、柴村早苗らを道連れにするしかない。
そこまで頑張れば、上獅子は自分を責めまい。
荒谷は既に現世での未練をほとんど捨て去っていた。
同じく、荒谷に制圧されたカフェレストラン。
その厨房で、椎堂百合香は震えていた。
彼女は、若くして宮廷の調理員を務めている。
だが、彼女には巫女としての、知られざる側面もあった。
今は、柴村早苗に注意が向いているからまだ良い。
だが、何らかの拍子に、百合香の過去の託宣的功績が知られたなら……女王の容疑をかけられる事は避けられない。
カエサルの息子達に捕まった以上、女王であろうがなかろうが、殺される危険は高いのだが……女王容疑がかかれば、真っ先に殺される気がする。
百合香は、ひたすら自分が一級巫覡である事がばれないように祈った。
あくまでも調理員として、言われるままに、占拠者達の食事を作るのだ。
――彼女が、女王か?
裏切りの護衛軍達は、密かに百合香の背中を見つめる。
元々が同じ宮廷勤め。
彼女の過去の功績は、とっくに漏れている。
だが今は、柴村早苗に気を取られる振りをした方が良いだろう。
油断してボロを出すかもしれない。
鹿嶋富美子は、女王となる事に六十四年の生涯を捧げてきたと言っても過言ではない。
きっかけは、子供の頃、和禰国の成り立ちを絵本で知った事だった。
ただ、それだけだ。
常人が皆備えている“分不相応な夢を風化させる”という能力が、彼女には欠如していたのだ。
それ以来、女王に選抜される事だけを目標に生きてきた。
そして、国内最難関とも言われる輝路大学託宣科の教授にまで上り詰めた。
そこまで達するまでに趣味も持たず、結婚もしなかった。
ただただ、寝ている時以外は託宣の事を、そして、女王となった自分の姿を思い描き続けた。
そして、ついに宮廷へと招かれるに至ったのだ。
それからも彼女は、託宣と巫覡の発展を求め続けた。
――彼女が、女王か?
元護衛軍の占拠者が三人、豪奢な客室に居た富美子を軟禁し、厳しく観察していた。
富美子が宿泊していたこの部屋は、端望会執行場の櫓と同じフロアにある。
通常、託宣データは視覚と聴覚(の幻)にのみ限定されている。
だが彼女は、なんと、触覚・嗅覚・味覚の感覚を他人に想起させる技術をも開拓しつつある。
宮廷入りしてから、その研究は九割がたまで進んだと言う。
民間に普及するのはまだ先の事だろうが、技術が確立したなら、鹿嶋富美子の名は教科書に残る事だろう。
また、彼女の教え子で、宮廷入りした巫覡は幾人にも及ぶ。
一見して、富美子が女王である可能性は最も高い。
だが、あからさま過ぎる。
女王には、同格の実力を持つ影武者が置かれる事を忘れてはならない。
結局のところ、女王である証拠か、女王では無い証拠を掴まねばならない。
だが、自白が意味を為さないこの問題を、どう解決するのか。
少なくとも、富美子を見張る三人には見当もつかない。
女王の証明とは何なのかさえ、元護衛軍達にはわからないのだから。
桐江准将は背広に身を固め、長短様々な四本のサーベルを全身に装着していく。
五本目の剣は大人の背丈ほどもある。
これは妻の手助けを得、背中に装備。
祝福異常発症後、アマド・バレーラ宅でルカが使った物と、構造は同じだ。
金具で鍔を固定し、ベルトで刀身を締める。
使用の際、固定具を分離させる事で、剣を手にするのだ。
「今更、だな」
妻しか居ない今のうちに、本音を漏らす事にした。
「近衛隊のトップが、事が起きるまで自宅待機などと」
その声に、感情はあまりこもっていない。
「何の為の、女王護衛軍か」
妻の手が、長剣のベルトをきつく締めてから、軽く背中を叩いた。
「お国の為でしょう」
出動準備は整った。




