Intermission2
事態を理解した護衛軍が、生き残りの占拠者達を拘束してゆく。
そして、人質達は命が助かった事で狂喜し、涙した。
そんな人質達を、突入部隊は丁重に保護して行く。
そんな喧騒に対し、柴村早苗はさほどの興味を示さなかった。
彼女はただ、小さく息をついた。
そして、審査員の残した荒谷の料理を、おもむろに食べた。
「うん、美味しい」
恐らく救出部隊に咎められるだろうから、手早く口に運んで行く。
焙りカマスも、ウナギも、刺身も、それぞれに脂が乗っている。
ステーキも信じられないほどの柔らかさと旨味が閉じ込められているし、
それを実現させた火加減は、やはり絶妙と言うしかない。
「危険です。現場には手を触れず、救助部隊の指示に従って下さい」
予想通りの制止が、早苗の背中越しにかけられた。
その実直な声音は、今回の功労者である騎士のものだ。
「あら、すみません。ひどくお腹がすいていたもので」
早苗は名残惜しそうに、荒谷の料理から目線をはずした。
そして、淀み無い足取りでその場を去る。
もう少し、食べてやりたかったのだが。
今回、不当なジャッジを受けた、あの料理を。
「騎士キリエ、君のお陰で全滅の危機を免れた。ありがとう」
背後でルカに話しかける、大倉の声がした。
「大尉の助けがあってこそ、あのカレーライスは実現しました」
「だが、火加減を考えたのも、貴方だ。私はただ、言われたままにしただけで……」
ルカが、小さく頭を振った。
「いえ、火加減もスパイスの配合も、調理法も、全ては私の考案では有りません」
「何だって?」
「あのカレーライスは、私の叔父・桐江准将の、ご夫人の作で有ります。
私こそ、自分では何もして居ない」
つまりは、桐江聖一郎准将の妻である、桐江知枝の作だと言う。
「私は嘗て、彼女の調理する様を一度見て居ります。
その時の記憶に従って、配合や調理法をトレースしたに過ぎません」
和禰を離れて大陸へ行っても、月に一度は自分でこのカレーを作り、食べるように。
知枝はそう、ルカに厳命した。
それは、義理の甥のあまりに味気ない食生活を憂いての事だったのだが……教えた方も教わった方も、こんな所で武器になるとは思いもよらなかった。
「そ、そうか、おふくろの味が、高級料理を凌駕したと」
「私は、そう信じて居ります。
叔母上のカレーライスこそが、この場で勝利する為の武器だと」
実際は、(テレサが部下になるまでの)彼は、知枝の料理しか旨い物を知らなかっただけなのだが。
「にわかには信じられないが……しかし現実に結果は出ている。
准将夫人に感謝、だな」
おふくろの味が条理をねじ曲げ、ルカに大逆転をもたらした。
敬愛する人の想いを受け、ゆるぎなき信念を投じた事で得られた勝利。
当然、
そんな事が、現実にあるはずはない。
救出部隊にも、占領者達にも、知る由は無い真実だが。
託宣通信用語の初歩に、サブリミナル効果と言うものがある。
記憶できないほど一瞬の情報も、見聞きした者の潜在意識に影響を及ぼすと言う考え方だ。
例えば、目に留まらない程の一瞬だけ絵を見せられたとする。
それがどんな絵だったかを説明する事は、誰にもできない。
何故なら、絵の存在にさえ気付かないのだから。
しかし、意識の深い領域では、その絵に対する刺激を確かに受けていると言う。
とある劇場で放映されたとある託宣ドラマで、とある試みがなされた。
物語の最中、全く関係ない砂漠の映像を、知覚できない一瞬だけ差し挟む、というものだ。
放映終了後、劇場の売店で売られていたソーダ飲料が、過去にないほど売れたという。
砂漠の映像が視聴者の“暑い→喉が渇いた”という生体反応を引き起こした結果であるとされている。
とりわけ託宣とは、人間の五感を省略して直接“記憶”に情報を刻み込む要素だ。
洗脳というレベルにまで他人を操作する事は不可能だが、ごく軽微な印象操作としては有力な手法でもある。
いずれの国でも、サブリミナル効果を利用した広告は禁じられている。
しかし、実体を伴わない託宣情報を検証する事は難しく、看破される危険はほぼない。
肉体的な反射神経を無視出来るので、執聖騎士の前衛戦士ですら託宣のサブリミナル効果を捕まえる事は不可能に近い。
その為、託宣メディアにおいては、これを用いた印象操作が横行しているのが現実であった。
柴村早苗は、そんな初歩的な手法を用いて、ルカを勝たせたのだ。
幼き日の帰路。
家に帰ればカレーの香りがした記憶。
その喜びは、和禰人であればほぼ例外なく持っているものだ。
審査員の層が老若男女バラバラに選定された状況も、早苗にとっては幸運ではあった。
カレーライスは普遍的でありながら、ご馳走でもあると言う、相反した属性を持つ品だ。
一方、荒谷の立派な高級和食料理は、結局のところ“ご馳走”であるだけで“普遍的”では無かったのである。
当然、自らの弱点を把握していない荒谷では無かったのだろう。
だから、中学生でも素直に受け止められる、ステーキや天ぷらを繰り出して来た筈だ。
だが、早苗は、病的なまでに用心深い彼の更に上を行った。
荒谷の料理が試食されている間も、彼女は審査員達の潜在意識を刺激させ続けた。
ただし、荒谷の料理を貶したわけではない。
むしろ、その美点を審査員達が満足に味わえるよう徹底した。
そう、荒谷の料理は舌だけではなく、目をも楽しませる芸術品だった。
早苗は人知れず、彼の料理の“美しさ”をさりげなく喧伝した。
そして、彼の腕前を、ひたすら褒め称えた。
しかしながら。
花の美しさに圧倒された者が、食べる事に集中できるものだろうか?
流麗な職人芸の“腕の動き”に魅せられている間“食”への欲望がそれほどわくものだろうか?
必要以上に美化された荒谷の“芸術作品”は、知らず知らずのうち、審査員から“味”の印象を希薄にしていた。
その上。
天ぷらが出てきた辺りから、早苗は更に、荒谷の料理を“持ち上げた”。
栄養に満ち満ちた海中で育まれた海老。それは確かに至高の食材ではあろう。
だが、プランクトンまみれの濁った海中という光景を見せられて、食欲が刺激される者はまずいまい。
可能な限り美味しいものを口にしたい。
豊かな環境で育った食材は、それを叶えてくれる。
しかし、“食材の捕食する光景”など、食事中に見たいとは誰も思わないだろう。
ハタハタの食べるオキアミの群れなど、グロテスクで見たくはない。
肥料――時には人糞――を糧として、サツマイモの育つ過程など見たくはない。
切り身の肉を見て抵抗を感じる者は居ないが、生きた家畜を“潰す”光景など、必要が無ければ見たくはない。
更に。
そうして、審査員を巧みに“美味”という感覚からズレさせた上で、早苗は大胆な託宣を降ろした。
乞食と貴人。
審査員“達”がみな一様に抱いた、あのイメージだ。
誰も気付かないだけのごく一瞬、早苗は“乞食”のイメージを執拗に描写したのだ。
皮膚に浮き上がった垢。
不潔に伸びて艶を失った髪、それに付着して舞い散るフケ。
酸えたような残飯と、安酒の混ざった口臭。
雑菌とカビが極限まで繁殖した、汗・体液・食いカスまみれの着衣。
歯垢が分厚く層をなした、ボロボロの歯並び。
早苗はこれを、自分の儀式思考の中で正確に再現。
そして、椎堂百合香に頼んで、嗅覚の情報をも共有させたのだ。
無論、早苗が荒谷の部下に護られた百合香に近づく手立ては全く無かった。
だが、託宣であれば、降臨点となった者だけでやり取りが出来る。
架空の役者数人を動かしつつ、緻密な舞台描写を可能とする柴村早苗であれば、料理対決のコロシアムを描写し、上記のような印象操作をしつつ、椎堂百合香にメッセージを降ろす事は朝飯前だ。
一方の百合香に、そこまでの複数思考を出来る器は無かったが、問題にはならなかった。
荒谷のそれは、コース料理だった。
つまり、前菜からデザートまで、全ての料理が食される事で完成するものだ。
この為、荒谷の票を生け贄に送るタイミングは、最後のジェラートを食べた瞬間で良かったのだ。
つまりそれ以前の荒谷の料理が出された時点で、百合香の手は空いていた。
審査員達に乞食のイメージを植え付ける片棒を担いだ後、何食わぬ顔で投票の番人に戻れた。
そこまで生々しい乞食のイメージを見せられて、満足な食後感を得られるかどうか……言うまでもない。
安堵のあまり足腰の萎えた椎堂百合香が、へたり込む。
何も知らない救出部隊が、彼女を支える。
その光景を眺めながら、柴村早苗は物憂げな顔をしていた。
――いささか使い古された表現ではあるが――荒谷の敗因は、策に溺れすぎた事だろう。
丹念に丹念に、自分に有利な土俵を作り上げた上で、絶対に勝てる格下を相手に指名した。
(超エリートである女王護衛軍の基準では)武術・儀式戦術ともにパッとしない戦士だった荒谷仁。
そんな“弱い”彼だからこそ、武力格差を無視したフィールドを構築という、妙技で生き延びてきた。
だが、誰よりも足元を慎重に見ていたつもりだった彼は、最後の最後で足元を見なかった。
柴村早苗と椎堂百合香は、共に女王容疑者――言い換えれば、常人離れした巫女だった。
その事実を知りながら、獅子身中の虫を飼い、あまつさえ利用しようとした。
“慎重すぎる程、慎重に振舞った”という“過信”が、荒谷を殺したのだ。
こうして小女王・柴村早苗は、ただの一般人として、救出されて行った。
おふくろの味で部隊を救った、異国の騎士を目端で見送りながら。




