episode2-18
さて、メニューに制限がないと言う事は、献立から考えねばならないと言う事だ。
あらかじめ、この勝負を想定していた荒谷は既に構想を固めているらしい。
少しも立ち止まる事なく保冷庫に行くと、手際よく材料をかき集めている。
そう、荒谷と違い、ルカの方は材料に何があるかも知らなかったのだ。
まずは食材を把握し、そこからメニューを考えなければならない。
これだけでも、相当のタイムロスだ。
調理に許された時間は、六〇分しか無い。
こんな所でも、勝負は荒谷が有利となるように仕組まれている。
この持ち時間の差で、荒谷は一、二品余計に作れるだろう。
とにかくルカも、保冷庫へと駆け込む。
冷気の靄が石造りの床にわだかまり、溶けては生まれてを繰り返している。
この冷気を呼び降ろし、維持させているのは、防寒具姿の作業員だ。
こんな状況でも、彼は食材の保冷と言う日常業務をこなさねばならないのだ。
縋るような作業員の目に、ルカは力強い首肯で応じた。
―—必ず、解放して見せる。
さすがに、端望会の時期と言う事もあり、保冷庫では、食材の山が連峰を築き上げていた。
肉、魚、野菜、果物、乳製品……。
牛肉、豚肉、鶏肉、鹿肉、熊肉、イノシシ肉……。
胴体の肉が丸々吊るされたものもあれば、小分けにされた肉や肝も保存されていた。
イワシ、かつお、サンマ、ハタハタ……魚は、およそ旬のものが、各ケースにひしめいている。
一方、野菜と果物は、キャベツ、レタス、トマト、茸類、玉ねぎ……と、何でも揃っている。
気象操作による、季節外栽培が普及し尽くした現代では、あらゆる種類の野菜がいつでも収穫できるからだ。
豆腐や油揚げと言った、加工食品も揃っている。
目にした食材を〇・三秒で全て頭に叩き込むと、ルカはひとつ頷いた。
次に、調味料や香草類が入った常温の倉庫へ。
塩、胡椒、砂糖、醤油、オリーブオイルから味噌まで。ワインもブランデーも和禰の清酒もある。
ミントもあるし、バジルもある。果ては、パクチーやコリアンダーまで。
今回の助手である、女王護衛軍中尉・大倉の心配そうな無表情をよそに、ルカはまたひとつ、頷いた。
「問題無い。食材は揃って居ります」
調理開始。
対面の荒谷は、既に二品ばかり仕上げたようだ。
助手の大倉はどうにか荒谷の料理の出来を盗み見ようとしているが、ルカは一瞥もしない。
武力対決で無いのなら、敵の出方を窺う必要はない。
自分がベストを尽くす事だけを考える。
ルカはそう結論付けていた。
動線の一本たりともロスの無い動きで材料を揃え、几帳面に並べる。
そして、滑らかな手付きで、包丁の白刃を流す。
ニンジン、玉ねぎ、ジャガイモ等が、見る見る姿を変えて行く。
――やはり、大した事は無いな。
対戦相手には目もくれないルカとは反対に、荒谷は敵情観察を怠らない。
確かにルカ・キリエの包丁さばきは流麗、かつ、丁寧ではある。
だがそれは、刃物を能率よく振るうと言う広範技術に過ぎない。
執聖騎士ともあれば、できて当然の事。
包丁から、いっぱしのアートを生み出す域には程遠い。
象と蟻のごとき、圧倒的有利の環境を作る。
そして、象たる自分は、蟻を踏み潰すのにも手は抜かない。
それが、荒谷仁がここまで生き延びてきた、秘訣だった。
カレーライス。
それが、ルカの選択であるらしい。
材料が揃い、騎士の作ろうとしているものがわかるにつれ、助手・大倉の顔は雲っていった。
確かに、カレーならば必ずしも具の見た目にこだわる必要は無い。
包丁捌きの実力差は誤魔化せるだろう。
大倉は先程、荒谷の料理をちらりと見てしまった。
大皿に、大輪の花が咲き乱れているかと錯覚した。
少なくとも、盛り付けや彩りから言えば、荒谷のそれは芸術作品とすら言える。
仮にルカが同じ方向性で挑んだとしても、まず勝ち目はあるまい。
むしろ荒谷の料理との対比で、余計に不味く感じられる危険さえあった。
格の違う敵に対し、正面対決を避けたと言う点は評価できる。
だが、それだけだ。
味で勝たねばならない事に、変わりはない。
カレーと言う料理に、見た目で魅せる可能性が皆無とは言わないが……どう贔屓目に見ても、ルカが作るそれは一般家庭のカレーにしか見えない。
鍋に投じられたスパイスが溶け込み、いよいよカレーの香りを放ち始めた。
馬鹿げた事だが、この、巨大な釜で煮えたぎるダークブラウンの食品次第で、部隊全ての生死が決まる。
いよいよ迫る死の予感に、流石の女王護衛軍も震えを覚えた。
「火力が落ちて居ります! 降臨規模の維持を!」
ルカの鋭い指摘に、ほつれかけていた大倉の意識は引き締まった。
カレーの煮込みは、火力が命。
一般家庭にあり得ない大鍋と、大火力で煮込まれたカレー。
それが旨いことは、大倉にもよくわかる。
またこの騎士キリエ、どうやらカレーの火力調整に関しては、意外とわかっているらしい。
ただ大火力一辺倒なわけではなく、弱火にするべき所では、かなり細かい指示を出してくる。
自信は、あるのだろう。
だが、荒谷の腕前は、政治家御用達の料亭でも通用して余りある域だ。
あの騎士は、旨いカレーなんぞでこの状況を打破できると、本気で考えているのか。
人を疑う事を知らないルカの碧眼を、大倉には測る事ができない。
舟のオールのようなヘラで、山盛りの玉ねぎを飴色になるまで炒める。
たちまち、甘く濃密な玉ねぎの芳香が漂った。
これが甘味と旨味の一端となる。
ニンニクと生姜を加えると、辛くも爽やかで、旨味の濃縮されたような香りが絡み合う。
大鍋一杯に、トマト果汁がなみなみと満たされる。
水は、野菜の焦げ付きを押さえるのに少量使っただけだ。
カイエン、ターメリック、コリアンダー……等々……等々。
いずれも過不足なく、
ルカの確信に従い、正確な比率で混ざり合う。
刺激的な芳香と、甘く不思議な芳香が混ざり合う。
今や鍋の中は、馴染み深いダークブラウンに満たされている。味の深みを表現しているようだ。
瑞々しい野菜が、惜しげもなくカレーの中へなだれ込んで行く。
灼熱のルーの中で、野菜達が甘味と旨味と香りを染み出してゆく。
ひとしきりカレーらしくなった所に、牛乳を大胆に投入。
豊かではあるが、どこかトゲのあった香りが、柔和で丸くなってゆく。
隠し味に、豆から淹れたコーヒー。
牛乳の介入で緩んだルーが、再び引き締まり、深遠な薫りを含む。
もう一つの釜で、白米が炊けた。
甘みを帯びた熱が、カレーとは違う芳香となって漂う。
和禰人にとって、カレーライスは食卓の一大イベントであり、郷愁の象徴。
普遍的にして、ご馳走でもある。
すでに、この香りを嗅ぎ付けた人質や護衛軍や、テレサの「ほうっ」という吐息が聞こえてきている。
そして。
ルカは大倉を呼ぶと、おもむろに保冷庫へと引き返した。
そして二人がそれぞれ担ぎ出したのは、中で吊るされていた牛の枝肉だ。
そこから、脇辺りの肉だけを切り取って、また保冷庫へ戻した。
それも一度ではない。
五往復した所で、ようやく終わった。
と言うことは都合一〇頭の枝肉からそれを切り取った事になるのだが、調理台に残ったのは(一〇頭もの牛を使ったにしては)微々たるものだ。
脇腹の稀少部位・カイノミ。
大倉に頼んでこれを軽く炙り焼きにし、惜しげもなくカレーに投入した。
自分の食べる分には質素清貧を旨とするルカ・キリエだが、他人に食べさせる料理勝負となれば、この限りに無いようだ。
とうとうルカは、カレー一品のためだけに、与えられた時間全てをつぎ込んだのだった。
審査の時が来た。
男四人、女五人。
大人、壮年、老人、学生。
人質の中から選ばれた九人は、いずれも死刑執行前のように無気力な面持ちをしていた。
人質と、救助に来てくれた部隊全員の命が、自分達の味覚に左右されるのだ。
とても、食に興じようなどと言う気にはなれないだろう。
だが、他に助かる道は無い。
荒谷がどんなに素晴らしい料理を出して来ようとも、あのルカ・キリエと言う騎士の料理が上だと、感じてみせる。
無駄と知りつつも、人質達は、そう念じずにはいられなかった。
「カレーなのだろう? 冷める前に、貴様が先攻するが良い」
荒谷の、嘲り混じりの言葉を受けて、ルカは黙って頷いた。
大倉を伴って大鍋の所に行くと、一皿一皿、丁寧にカレーを盛り付ける。
人質の中で、一番若い女子中学生が、「あっ」と言った。
遅れて、他の人質達も、強張っていた表情を各々に変化させていた。
不幸にも審査員にされてしまった九人。
その老いも若きも男も女も、一様に、同じことを考えた。
学校を終えて、暮れなずむ夕日を見ながら家に帰ると、カレーの匂いがした時の、えも知れぬ喜び。
ささやかな、一大イベント。
食べ終えるのが勿体なく、しかし、沢山食べたいと言う、幸福なジレンマ。
監禁されてからここまで、食事がろくに喉を通らなかったのも原因だろう。
人質達は、とても腹を減らしていた。
ルカのカレーが目の前に置かれた瞬間、審査員達の顔には生気が戻っていた。
「それでは、始めてください」
荒谷の部下が告げると、審査員は、すぐさまライスにスプーンを潜らせた。
まずは具を避けて、ライスとルーのみで食べる。
これだ。
甘く、ほのかに酸味があり、徐々に辛さがにじむ。
野菜と肉と幾種ものスパイスから溶け出した味が複雑怪奇に絡み合い、しかし、見事に調和している。
ライスも隙がない。
和禰人には馴染み深い、短粒米を、硬めに炊き上げている。
下手に本格ぶって長粒米を使ったり、ターメリックライスにしなかったのは、この審査員達にとっては正解だった。
カイノミの肉を口に運ぶ。
贅沢きわまりない味だ。
バラ肉としての脂気がありながら、ヒレ肉の柔らかさと上品な旨味が同居している。
カレールーに浸かっていたにも関わらず、口の中で溶けるような食感。それ自体が、上質なステーキとして通用するくらいだ。
懐かしい。それでいて、贅沢。
これに勝る至福が、この世にどれほどあろうか。
今や審査員達は、我を忘れてカレーライスを貪っていた。
空腹は最高のスパイスだ、とは良く言ったものだ。
スプーンが皿を叩く音が、軽快に鳴り続けている。
全ての審査員が完食するのに、数分とかからなかった。
審査員が空腹である事の優位性を、わざわざ敵に委ねた荒谷。
敵のカレーが勢い良く平らげられた様を、しかし荒谷は嘲笑をもって見届けていた。
カレーライスと言う選択は、確かに、騎士キリエがこの場で出来る最善の手だったろう。
だが、それが限界だ。
当然、先攻を譲ったのは、初心者への手加減からでは無い。
また一手、勝つ為の布石である。
「それでは、こちらの料理を披露しようか」
欠片も臆した風もなく、荒谷が宣告した。
象が全力をもって蟻を踏み潰す、その瞬間を。
荒谷の作品が並べられるにつれ、審査員は言葉を失った。
圧倒されているのだ。
それはまさしく、高級料亭のコースだった。
だが、この九人のうち、果たして何人が実際にこうした料理を目にした事があるのか。
最初の小鉢には、乳白色と薄桃色、エメラルドグリーンで彩られたものが入っていた。
審査員が恐る恐るそれを一口すると、驚愕に目が見開いた。
これは、梨と無花果と葡萄の白和えだ。
前菜にフルーツが出てくるとは、彼らも夢想だにしなかった。
次の鉢。鮮やかに赤い球体が目を引く。
トマトにホタテムースを鋳込んだ物。
生ハムとすだちが添えられ、淡くも豊かな色彩を演出している。
ここまで、やや物足りなさを感じていた審査員達。
しかし、それを見計らうかのように、飴色の蒸し物が来た。
里芋の蒸し物を下層として、焦げ目のついたカマスと、松茸が豪快にのせられている。
人間の思考が火力に直結する儀式調理において、これだけ繊細な焼き目を入れるのは絶技と言える。
そして、冷気の靄に包まれた皿が一つ。
マカジキ・カンパチ・炙りサンマ・ホタテ・海老のお造りだ。
放射状に飾られた刺身が、大輪の華を描いている。
刺身の鮮度を最高のままに保ち、細胞を破壊しないほどの低温。
荒谷はこれを、現在進行形で維持し続けている。
決して戦場映えはしないが、超人的な儀式思考である事は言うまでもない。
審査員は、これを、それこそ花弁を摘むように平らげてゆく。
敵であるルカさえも、荒谷の作り上げた作品を目の当たりにしては、放心するしかなかった。
美味を知る量が違いすぎる。
他人の味覚を掌握する手管が違いすぎる。
それを実現する為の経験値が違いすぎる。
カレーライスと言う選択が苦し紛れであった事は、ルカも認めざるを得ない所だった。
素人が、職人に勝てるはずが無い。
わかりきっていた筈の事だ。
荒谷は、無慈悲に次の料理を運ばせる。
まだ半分も、コースは出ていないのだから。
天ぷらが運ばれてくると、審査員達は立場も忘れて、つい、感嘆の吐息を漏らしてしまう。
一番に目を引いたのは、海老だ。
肥大化したロブスターのごとき巨大海老を、惜し気もなく天ぷらにしたのだ。
栄養に満ち満ちた海中で、ウニや魚をたらふく食べたこの海老には、さぞかし身が詰まっているに違いない。
ハタハタとさつまいもの天ぷらも、同様。
幾万のオキアミを貪欲に飲み込んで肥えたハタハタ。
土壌の養分をゆっくりと吸い上げ、身を大きくして行ったさつまいも。
審査員達は今、その全てを、口にしている。
海の恵み、大地の恵みとは、このような事を言うのだろう。
少々、上品すぎるくらいの前菜を経てのお造り。
華麗さと充足感を兼ね備えたお造りを越えて、審査員に突き付けられたのは、極上の天ぷら。
既に、一国の要人・大企業の役員にも相当するもてなしを受けた彼ら彼女らの前に、一杯の蕎麦が置かれる。
イノシシ肉の蕎麦だ。
琥珀色の透き通ったつゆだ。
麺の色は、蕎麦というにはあまりにも白く、真珠じみている。
その、これまでの流れを絶ちつつもメインディッシュへの期待を高まらせる采配に、九人の審査員は誰もが沸き立った。
今や、自分がルカの味方をしなければ滅ぶ、という想いも揺らぎつつあった。
荒谷の手腕は、人質の死生観すらも超越してしまったのだ。
審査員は、これを一心不乱にすすった。
贄と捧げられたイノシシの肉――筋肉質な豚肉にも似たそれ――からは、大地からしみ出した味わいがいかんなく感じられる。
蕎麦も荒谷の手打ちだろう。
もっと食べたいが、ここで腹を膨らませては、メインを味わえない。
そして満を持して現れた、A5等級黒毛和牛のステーキ。
これに、素揚げしたニンニクの薄切りを添えたもの。
それ以外に、形容できない。
だがそれは、現代和禰人にとって、もっとも身近で、もっとも大きな贅沢でもある。
最高級の肉を、ただ焼いただけ。
そのシンプルな一品が、一〇〇の品を凌駕する事は疑いようもない。
特に、審査員の中でも若い者の受けが良かった。
先ほど、ルカのカレーライスに「あっ」と第一声を放った女子中学生などは、わかりやすい例だ。
天ぷら以外の料理は、彼女にとっては少々難しいものだった。
それでも、最高級の牛肉を、理想的な火加減で焼いただけの一品には、屈服するに足るだけのものがあった。
ルカと、その助手大倉中尉は、ここにきてようやく悟った。
荒谷の料理は、この“コース”そのものが、剣の一振りだったのだと。
カレーライス一品で勝負を仕掛けたルカに対し、荒谷は、多角的な“美味”をもって、審査員を攻めた。
彼の料理はもはや“味覚”や満足度という枠から飛び出し、芸術としても通用する域に到達している。
いわば、審査員の“目”をも満たしているのだ。
そして、幼いが故にその機微を感じ取れない審査員が居たとしても――厳選素材の天ぷらと牛ステーキを目の当たりにしては、認めざるを得まい。
荒谷は、その圧倒的な技量でルカを圧倒し、
なおかつ、全方位的に、九人の審査員に対して“票”を取る戦術を展開してきている。
ルカと大倉がそれに気づいたときにはもう、荒谷のコースはフィナーレを迎えようとしていた。
次に運ばれてきたのは、ウナギのお茶漬けだ。
ウナギは夏に食べる風習が根強いが、実のところ、この一〇月から一二月にかけての期間こそが旬である。
彼ら彼女らもまた、冬眠の為に栄養を蓄え込むからだ。
酒が飲めれば、良いシメになった事だろう。(審査員の味覚が狂うので、あえて出さなかった)
そして。
「次の品をもって、俺のコースは完成とする」
荒谷が宣言すると、その部下が一人ずつ、ルカと荒谷の側に立つ。
生け贄だろう。
不死身のルカの耐久力をもってすれば、この距離で自爆に巻き込まれても生還は可能だ。
だがそれは、剣を用いた実戦での話に過ぎない。
料理対決で敗北したなら、ルカの思考は生存をよしとはしないだろう。
それは、充分な降臨規模=防御力を得られない事を意味する。
まして、この勝負には、テレサや他の突入部隊の命もかかっている。
荒谷さえも、負ければ確実に死ぬリスクを負っている中、自分だけが生き残る選択など、ルカには無かった。
にわかに、冷気が放射した。
最後のメニューが、冷たい靄に包まれ、運ばれてくる。
水物・梨とすだちのジェラートだ。
遠目で見ただけでも、その自然な甘さと清涼感がわかる。
時に繊細、時に豪快。
そのコースの終着点に、このジェラート。
爽やかな食後感を約束してくれるのは間違いないだろう。
――乞食と貴人。
ふと、審査員達は、そんなイメージを抱いた。
自分達を救おうと奮闘してくれた騎士キリエに対して、ひどい事を考えているとは思いながらも、その印象は頭にこびりついてしまった。
ルカのカレーライスと荒谷の料理には、それほどの貴賤が存在してしまっていた。
弱者には搦め手も許されず、強者たる荒谷は一切の手加減をしなかった。
このジェラートを全員が口にした時点で、勝敗が決まる。
そして、恐らくは荒谷の勝利となるだろう。
ジェラートが溶けるまで待つ、のも無意味だろう。
デザートが無かろうと、ここまでの料理は、カレーライス一つで太刀打ち出来る代物では無かったのだから。
もはや、万策は尽きた。
審査員は、次々にジェラートを口にする。
一人目が、
二人目が、
三人目と四人目と五人目が、
六人目、七人目……。
それを横目でうかがっていた八人目と、
九人目がついにジェラートを口にした。
そして、余韻を感じた。
ついに、生け贄へ、票が送られた。
より不味い料理を作った方へと。
爆轟。
とてつもない密度を伴った発破は、範囲内の一切合切を粉砕し、飛び散る肉片を宙で燃やし尽くした。
一瞬の出来事だった。
誰かの呼び込んだ旋風によって、煙が瞬く間に拭われた。
とにかく勝敗は決し、荒谷の決めた通り、敗者の陣地のみを消し飛ばしたのだ。
勝者の陣地は、判で押したかのように、無傷だった。
そして。
そこに荒谷仁、以下、占拠者達の姿は無かった。
代わりにあるのは、蒸発を免れて乾いた、血糊ばかり。
そして、
ルカ・キリエは無傷で立っていた。
誰よりも唖然とした顔で。
テレサや、護衛軍の者達も、全くの無傷。
それはつまり、
ルカ・キリエのカレーが勝利したのだ。




