episode2-14
ビワアンコウ。
矮雄であり、メスが一・二メートルにまで成長するのに対し、オスは一〇センチから一五センチ程度の体躯に留まる。
その生殖法は非常に特殊である。
オスがメスに噛み付くと、両者の身体はそこから融合してゆく。
そうして、オスが寄生する形で栄養分を共有し、共に過ごす。
メスが繁殖期を迎えると、融合したオスは放精し、子を為すのである。
深海は広大だ。
雌雄が都合よく、繁殖期に出会うとは限らない。
だからあらかじめ伴侶に寄生しておき、繁殖期まで共生する。
合理的といえば、非常に合理的な手法ではある。
だが。
メスと融合したオスに、未来はない。
融合が進めば、脳までメスに取り込まれ、彼の意識はそこで終わるのだから。
その存在意義は、生殖の為だけ。
メスに食われて自我を失うためだけに、生まれてきた存在。
もしもビワアンコウという種に“個”という概念がないのであれば、それでもよかっただろう。
だが。
少なくとも、あらゆる生物から派生する、競合種という存在は……個々が自然界の頂点を目指して生きる事となる。
ビワアンコウのオスにそうした執着が生まれた時、彼がどのように進化するのか。
結果は今、テレサ達の目前に示されている。
チョウチンアンコウに寄生し、逆に脳をジャックし、自らは労せず養分を得続ける。
外敵も、宿主が全て排除してくれる。
ビワアンコウは、強力な競合種の腹の中で一生を安泰に過ごすのだ。
そして、その安全地帯たる宿主が破壊されたとき。
ビワアンコウは、自ら戦わねばならない。
生きるために。
自らの“個”としての生を、自らの意志で全うするために。
宿主の体であった肉を根こそぎ飲み込み、競合種としての真の姿を現すのだ。
ビワアンコウの長大な触覚が、大振りに旋回する。
鞭、と言うよりは、柱が横薙ぎに襲ってきたような猛威。
海底に鎌を突き立てたテレサが、それを辛うじて受ける。
テレサの意思と接続された路面と岩がビワアンコウを迎撃する。
多少の抵抗にはなったか。
渦のような余波で、テレサの身体は軽々と弾き飛ばされた。鎌が手から離れた。
巨岩の横殴り雨で滅多打ちにされたはずのビワアンコウは、ほぼ無傷。
軽い裂傷こそあったが、競合種の超代謝によりすぐさま完治。
吉井が、すかさず符を放つ。
だがそれは、返す触覚であえなく破られた。
流石に、符が儀式起点だと学習したらしい。
別の競合種が寄生している事を予測せず、切り札を見せてしまった、吉井のミスだ。
もう、同じ戦術は通用しない。
手の内を読まれた吉井、鎌から引き離されて丸腰のテレサ、有効な攻撃手段を持たないルカ。
ビワアンコウの触覚が、再びテレサを襲う。
大地が隆起し、主たる彼女の前に立ちはだかる。
吉井は静観、ルカは儀式で援護。
断層のようにテレサを護った大地は、焼き菓子のように、簡単に砕かれた。
テレサは……後方に高く跳躍して、触覚を回避。
だが、これで万策は尽きた。
テレサは、水中に浮いた状態で、丸腰の身をさらす格好となっている。
先程のように、足場となる岩は無い。
ビワアンコウが触覚を振るえば、彼女にそれを止める手だてはない。
ルカの援護があっても、被撃は免れない。
それを生き延びたとしも、ビワアンコウは手のひらを返すようにして、テレサを肉塊に変えるだろう。
泳いで降りようとしても、到底間に合うまい。
ルカは、極度の緊張から、思わず肺に蓄えた空気を絞り出してしまう。
だが、その手は、叔父から託された演習刀へと延び――、
膨大な量の泡が砕けた。
全身にまとわりつく水を通して、振動が伝う。
破砕。
文字通り、小山じみたビワアンコウの身体が、途方もない力によって歪み、綻び、肉と体液を水中にぶちまけた。
ルカの手は、
演習刀の柄を掴んだまま。
抜刀はしていない。
つまり、今の一撃は、ルカが行ったものではない。
吉井は動いていない。
テレサも、悪あがきとして水を蹴り、降下していただけ。
どうやら、ビワアンコウに生じた異変と破壊が、ひとまずテレサの退避を許したようだ。
だが。
この三人で無いとすれば、誰が?
あるいは、何が起きたのか?
脇腹が大きく裂けたが、致命傷では無いらしい。
砕け散った肉を傷口へ吸い込み、再構成。
ビワアンコウもさるもの。一息の間に負傷を完治した。
融合に特化した生物ならではの、驚異的な治癒力と言えよう。
更にテレサへ追いすがると思われていたビワアンコウが、不意に彼女に背を向けた。
その視線はルカや吉井も越えて、遠くを睨み据えているようだ。
また、凄まじい力学的エネルギーが爆ぜた。
ビワアンコウが二度、三度と痙攣。
身体のあちこちが裂けては、癒える。
今度は、テレサの目には見えた。
――槍……? ちがう、すごい大きな矢だ!
都合四度、ビワアンコウを撃ったものの正体は、攻城兵器クラスの矢だった。
また一撃。
今度は、ビワアンコウの額に直撃。
貫通はせず、山のような体躯をいくらか押し戻したに留まる。
宿主だったチョウチンアンコウの失敗から学んだらしく、頭蓋の装甲はとりわけ堅牢に造られていたようだ。
尖塔のように突き立った破城矢は、冗談のように振れたあと、静止した。
ついにビワアンコウは、テレサも他二人も無視して飛び立った。
水も音も影も絶する速さで、要塞じみた巨躯が向かった先には。
もう一つ、要塞じみた威容があった。
ただし、ビワアンコウとは対照的、その表面に岩壁じみた凹凸はない。
それは、光さえも飲み込む純白に塗り固められていた。
表面の質感は、磨き抜かれた真珠のように滑らかだ。
それは途方もなく巨きな建造物――いや、カプセルのように閉じた、艦だ。
全体的に丸みを帯びた、女性的なフォルムだと言うのが、テレサの受けた印象だった。
――ハイデマリー、艦隊……。
複雑な眼差しで見上げたルカが、心中でその名を呟いた。
現教皇モノレ・モレリことグレゴリオ・ストローブが、各地に所有する孤児院・無垢なる家。
その中から、教皇自身が選定した少年兵、一〇〇人超。
それを、巨大戦艦と言う法外な物量の祭具群に収めたもの――の姿を借りた“活動”そのもの。
それが、ハイデマリー艦隊だ。
乗員の全てが、二次性徴を終えたか終えていないかという子供で構成されている。
破滅的な光が、海中を満たした。
先の、吉井の呼んだ爆轟にも劣らぬ熱エネルギーが、ハイデマリー艦へ肉迫していたビワアンコウを叩き落とした。
地形が破断し、崩落した岩が、山のようなビワアンコウを巻き込んで潰す。
幾人かの乗員が連携し、祈った結果だ。
複数人がかりとは言え、戦略級の火力を降臨させる子供とは、いかなる育てられ方をしたものか。
巨塔のごとき攻城戦矢が、二発、三発、四発と、ビワアンコウを撃つ。
矢は、艦体側面に開いた射出孔から放たれているようだ。
一体、一矢射るのに何人の子供が動員されているのか。
《こちら、ハイデマリー・フォン・グリューネヴァルト。
吉井敬吾大尉の応答を願う》
全員の意識に、託宣イメージが降りた。
緩やかに波打つプラチナブロンドを長く伸ばした、痩せぎすの娘が一人。
彼女が、この艦の司令塔のようだ。
――幼い。ヴィサくらいの歳だろうか。
弟を連想して、ミネッテは重く唇を結んだ。
一方、
ハイデマリーの援護を認知した三人は、既に車内へと戻っていた。
正確には、さっさと戻った吉井に、テレサもルカと慌てて追従した格好だ。
ハイデマリー艦隊は、一隻で競合種と渡り合える。
吉井は、それを信頼し切っているのだろうか。
「……、貴隊の所属の開示を求める」
その割に、慎重な応答だが。
《所属は、無い。
私個人が、貴隊を支援したに過ぎないと認識して頂く》
淡々と、ハイデマリーは告げた。
およそ、艦隊の構成員が言う言葉でない。
だが。
海底を揺るがしながら、ビワアンコウが頭をもたげはじめた。
討議の暇は無い。
《あの競合種は、私が消去する。
貴隊は、祭壇へ》
元より選択肢もない。
「援助に感謝する。
従士バーンズ、戦域から離脱して下さい」
規律よりも道義よりも、自らの保身を第一とする吉井だからこそ、即座に応じた。
「ぅ、えっ? いいんですか?」
「問題ありません」
躊躇うテレサも、しかし、ここで立ち往生する愚は犯さない。
瓦礫も同然となった道を、強引に突き進む。
悪路にシェイクされる車内。
ルカは、未だ未練を帯びた目で、ハイデマリー艦を見つめていた。
――あの様に幼い子供が、何故。
後方、ビワアンコウが、ようやく地中から這い出した。
それだけで、山と谷の地形が移ろう。
歴史を早回しにしたかのように。
束ねた縄のような電流が生まれ、ビワアンコウへと殺到した。
海中が激しく明滅し、低い振動音が海水を震わせる。
電流のなだれ込んだアンコウの筋肉が微妙に収縮し、その動きを鈍らせる。
直接神経を苛まれるアンコウの泳ぎには、先のような精彩がない。
苛立たしげに暴れる競合種に、容赦のない儀式戦略の奔流と攻城矢が叩き込まれてゆく。
戦争と戦争がぶつかり合う、末期めいた光景を背に、テレサの車は悪路を行く。




