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桃源郷  作者: 胡蝶の夢
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第六章 祈り 中編

 幅が10mはあろうかという大階段の両脇に、篝火は炊かれていた。火の粉が舞い踊り、薪の弾ける音がする。それ以外には何も聞こえない、暖色の明かりのもと、ティセルは立ち尽くしていた。炎の照らし出す階段の上には、教皇庁の紋章を刻んだ、巨大な扉がそびえている。そして、その扉に取り縋るように、折り重なって白骨が積み上げられていた。階段の上の方は、助けを求めるように手を伸ばしたままの形の骸が埋め尽くし、下の方でも、諦めたように横たわるもの、蹲ったまま骨と化しているものもあった。

「可哀そうに……。この人たち、生き埋めにされたのね」

 フムルが言った。白骨のいくつかを見る限り、歪んだ骨格、純血種にはありえない、羽根や尾の骨も残っているところからして、雑種なのだろう。地下を封印するに当たり、見捨てられ、そのまま閉じ込められ、助けを求めて扉に取りすがった者たちのようだ。骸に埋め尽くされた大階段を、ティセルは呆然と眺めていた。

「これは……」

 カーシュールが、囁くように呟いた。彼は階段下にある神像の前で、祈るような姿勢で骨になっている、子供とも思える小さな遺体を覗き込んでいる。

「こいつは驚いた。これは、エルファンだ」

 エルファン、教皇庁の設立に反対したという、初代五賢者の一人で、教皇庁の秘密を記した書を残したノーム。その死には諸説あるが、まさか、こんなところでその名を聞こうとは思わなかった。

「どうしてそんなこと、わかるのよ?」

 フムルもその骸を覗き込んで、訊ねた。

「エルファンは、生まれつき片方の眼球がなかったが、義眼の代わりに、知恵を司ると言われるサファイアを埋め込んでいたらしい。眼球程の大きさのあるサファイアだ。そうそうあるもんじゃない」

 確かに、その小ぶりな頭がい骨の片眼には、磨き上げられた、丸いサファイアがはめ込まれていた。それからカーシュールは屈みこみ、神像の足元に刻まれた文字を読み上げた。

「我らは神を冒涜した。神よ、許したまえ」

 エルファンが刻んだものであろうか。硬い大理石の敷石に、不格好な文字でそう書かれていた。誰かが、溜息をつく音がした。


 ティセルも、祈り続けたまま、そのまま死んでいったエルファンの遺体に圧倒されて、ただそれを眺めていた。祈り続けて、何が起きたのだろうか。何も起こりはしなかった。教皇庁は設立され、今の世が出来上がり、彼らはただ打ち捨てられて死んだのだ。いや、祈ることで、魂の安らぎは得られたのだろうか。祈ることしか、できなかったのだろうから。そんなことを考えていたが、ふと大階段を見上げて、また新しい事実に気がついた。

 どれも朽ちかけて、どれが誰の骨だかわからないほどに折り重なっているが、その中でも、特にバラバラになって、原形を留めない部分がある。それは、扉の前から階段を下りる道筋をまっすぐになぞっていた。あたかも、誰かが踏みしだいた跡のように。そして、この篝火を焚いたのが誰であるかに思い至った。

「早くここを離れた方がいい。追手が近くにいる可能性が高い」

 ティセルが言った。ここがアンサルヴィエを沈めた場所、つまり教皇庁の真下だと言うのなら、この大扉は、災厄の扉に違いない。ここから追手が差し向けられ、帰りの道標のために篝火を焚いたものだろう。

「良い勘をしているな。だが、こんなにすぐに見つけられるとは、運が良い」

 まさにそのとき、含み笑いと共に、背後で低い声がした。振り返ると、そこには重厚な鎧をつけたドワーフの男を先頭にした、兵士の一団の姿があった。エルファンに気を取られていて、迂闊にも接近に気がつかなかったのだ。

 舌打ちをするティセルの前に、フムルが進み出て、言った。

「まあ、いいじゃない。魔物だろうが、追手だろうが、ぶっ潰すまでのことよ」

 そしてフムルは、細い目で軽くウインクすると、颯爽と飛び出した。長斧を振りかざし、黄色い奇声を上げながら、一気に敵陣めがけて駆けていく。しかし、突然フムルの動きが止まった。

「きゃぁっ! 何よ、これ!?」

 フムルは闇の中で、何か見えない糸にでも縛られたように、もどかしそうに身をよじっている。そこに、後方の兵が弓を射かけた。

 咄嗟にティセルが飛び出し、フムルに当たる寸前のところで、矢をはじき落とす。そして、近寄って見て、フムルを縛っているものの正体を知った。蜘蛛の巣だ。巨大な蜘蛛の巣が、フムルの身をからめ捕っているのだ。獣のような息遣いを感じ、ティセルが振り向くと、そこには全身を毛で覆われた、巨大な紫色の蜘蛛が、今にも飛びかからんと、身を低くしているのが目に入った。人を丸のみにできるかと思われる程の大きさだ。

「ひひひ……、驚いたか? 貴様らゴミ共など、この虫使いのゲオ様が片付けてくれよう」

 敵陣の後方から、悪趣味なローブに身を包んだ、ノームの男が進み出て言った。暗褐色のマーブル模様のローブに、房のついた骸骨の杖。いかにも虫使いらしい風体だ。

 虫使いというのは、召喚魔法を使う魔導師の一種だ。召喚魔法には、使役するものによって、虫使いや獣使い、竜使いなどの種類がある。

「悪趣味ね」

 呟いて、ティセルがフムルを捕えている糸を切るのと同時に、大蜘蛛が地を蹴って飛びかかってきた。ティセルとフムルは、それぞれ違う方向に飛び退いて攻撃をかわす。そして、二人とも間髪を入れず、大蜘蛛に斬り返した。短刀と斧が同時に、交差するように大蜘蛛の腹を斬り裂いた。白いネバついた脂のようなものが、傷口から飛び出す。

 しかし、使役虫がやられたというのに、虫使いは余裕の笑みを浮かべている。ティセルは、何か足元に蠢くものの気配を感じて、さっと飛び退いた。すると、敷石の上に散った大蜘蛛の体液から、手のひらほどの大きさの蜘蛛がうようよと湧いてくる。

 それは俊敏に飛び跳ね、1匹がティセルの膝がしらに取りついた。途端、激痛が走る。慌てて蜘蛛を振り払ったが、噛まれたところの皮膚に、赤い膨疹ができ、脈打つような疼痛を伴った。

「本当に怖いのは、その子蜘蛛の方さ。強烈な毒を持っているんだ。5カ所も噛まれれば、あの世行き。さあ、どうする?」

 虫使いが、けたたましく笑った。子蜘蛛は、次々と大蜘蛛の体液から生まれ出て、素早い動きで四方から飛びかかってくる。ティセルは足の痛みを堪え、どうにか襲いくる蜘蛛を払い落してはいるが、なんと言っても数が多い。何か手立ては……、と考えつつ、ふとフムルの方を見ると、全く蜘蛛に襲われている様子が無い。

「こいつら、結構グルメなんだよな。皮膚の硬い奴は食わないの。それが難点だな~」

 ティセルの疑問に答えるように、虫使いがぼそりと呟いた。それを聞いたフムルが、甲高い声を上げる。

「何よ!! このあたしのやわ肌の、どこが硬いっていうのよ!!」

「いや、今はそんなことで怒ってる場合じゃ……」

 離れたところで、呆れ顔で呟いたライカの肩を、カーシュールが叩いた。

「お前、多少の魔法が使えるんだったな。氷も使えるのか?」

「多少……は余計だよ」

 不服そうな顔をしながらも、ライカはこくりと頷いた。

「火炎の奔流みたいな難易度の高い大技は必要ない。もっと小技でいいから、氷系を打ちこめ。虫系の弱点は冷気だ」

 それを聞いたライカは、喜色満面で、勢いよく戦場に飛び出してきた。走りながら短く詠唱し、足を止める間もなく術を発動する。

「ブリザード!」

 ライカが両手の間に描いた魔法陣から、吹雪が吹き出した。カーシュールの言った通り、蜘蛛は冷たい風を嫌って、見る間に引き下がっていく。ライカは、ティセルの周りに群がっていた蜘蛛を一掃すると、得意満面にニヤリと笑った。

「ティセル、大丈夫?」

「ありがと……」

 言いかけて、ティセルは、はっと息を呑んだ。子蜘蛛は冷気で追い払えても、さすがに大蜘蛛には効かないらしい。手傷は負わせたものの、まだ死んではいなかったのだ。大蜘蛛の牙が、目の前に迫っている。

 ティセルは、ライカを突き飛ばした。しかし蜘蛛の毒のせいか、左膝から下の感覚が鈍く、自分も飛び下がるつもりが、バランスを崩して膝をついてしまった。致命傷は避けられたものの、右腕を鋏角に挟まれた。腕を切断するような鋭いものではないが、大きさだけの力はあるようで、骨が軋む程の圧力で締め付けられる。

「あたしのお肌は……硬くないわよーーーー!!」

 そこへフムルが、そんなことを喚きながら突進してきた。しかしその行く手を、後方に控えていた兵団が遮る。

「いいだろう。そっちの硬い奴には、こっちも硬いのを用意してやろうじゃないか」

 その様子を見て、虫使いはケタケタと笑いながら、呪文の詠唱を始めた。何か新たに召喚するつもりらしい。

「させるかっ!」

 いきなり突き飛ばされて目を丸くしていたライカが、はっと我に返ったように、立ち上がり、叫んだ。そして猛然と走って、虫使いに飛びかかった。

「うわっ! 何をする!? 呪文が……魔法陣が途中で……」

 詠唱を中断され、虫使いは飛び跳ねて怒った。しかしどうしたものか、描きかけの魔法陣が赤い光を放ち、虫の羽音が聞こえてくる。そして、そこから何やら小さな虫が無数に飛び出した。そしてそのうちの1匹が、虫使いの鼻にとまる。

「て……てんとう虫……。こらぁっ! このガキが! 最強の巨大カブトムシを出すはずが、普通のてんとう虫になっちゃったじゃないか!!」

 予想外の出来事に、思わず、といった風に、ライカが噴き出した。ティセルも呆気にとられて、無害な可愛らしい甲虫の群れを眺めていた。

 しかし、突然大地を揺るがすような野太い悲鳴が上がった。

「ぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!! てんとう虫!!」

 フムルだった。顔色を失くして、絶叫しながら斧を振り回して、走り回っている。

「助けて! あたし、てんとう虫だけはダメなの!! きゃぁぁぁっ! あっち行って! 来ないで!」

 叫びながら、無暗に斧を振り回し、周りの建物や床を破壊していく。

「きゃっ! 危ない!」

 闇雲に走り回るフムルは、ティセルとライカの傍でも大暴れして、危うくティセルも斧で斬られそうになった。そのおかげで大蜘蛛は、ばっさりと両断されたのだが。しかしそれでもフムルの暴走は止まらず、破壊の限りを尽くしたかと思うと、フムルはいきなり、ばったりと倒れた。白目を剝いて、口から泡を吹いている。

 やっと珍騒動が治まったかと思えば、不意に床面がグラグラと揺れ始めた。もともと大穴が開いて不安定になっていた床面に、更に衝撃が加わったことで、崩落が始まったのだろう。ティセルは、自分が跪いた辺りも、崩落に巻き込まれることは感知していた。しかし、左膝と右腕の負傷で、咄嗟に動こうにも動くこともできなかった。

 どのくらいの高さがあるのかわからないが、このまま落ちたら、死ぬかもしれない。ふと、ティセルはそんなことを思った。途端、いくつかの情景が胸を過った。リオンの言葉の数々、その手のひらの温もり。ライカの無邪気な瞳、フムルの不細工な笑顔。その感情は突然訪れた。死にたくない。まだ、死にたくない。しかし無情にも、なすすべもなく、闇の中に吸い込まれるように落ちていった。


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