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桃源郷  作者: 胡蝶の夢
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第五章 鍵師 後編

 再び扉のある廃墟に戻ったときには、もう日が暮れかかっていた。昼間でさえ薄暗い廃墟の中は、既に灯りがなくては進めないほどに暗くなっている。しかしその闇の中でも、ティセルはあることに気がついた。そして小さく舌打ちをして、カーシュールを軽く睨む。

「あんたの悪ふざけに付き合ったおかげで、まずいことになったみたいね。急いで!」

「え? どういうこと?」

 ライカがきょとんとして問いかける。

 この暗がりでは他の3人には、目を凝らしても見つけられなかっただろうが、そこには新たな足跡が残されていた。地下へ続く階段と出入り口を往復する足跡。その意味するところは、ティセルの考えていた最悪の状況が迫っているということだった。

「ここを離れている間に、見回りがあったらしいわ。往復する足跡があるってことは、援軍を呼びに行った可能性が高い。それが来る前に扉の先に進まないと、厄介なことになる」

 もし扉のある小部屋で戦闘になれば、マジックロックの解除などという繊細な仕事はできなくなる。それにどの程度の兵力が向けられるかはわからないが、逃げ場のない状況での戦闘は避けたいところだ。かと言って一旦引き揚げて日を改めても、今度は警戒も厳しくなって、更に侵入が困難になることが予想される。今、援軍が到着する前に扉を開けてしまわなければならない。

 ティセルに促されて、ライカとフムルは走り出した。しかしカーシュールだけは突っ立ったまま、怪訝な顔で腕組みをして言う。

「ちょっと待てよ。君たちはいったい何の扉を開こうとしてるんだ? こんな廃墟の地下にあって、何者かが守っている扉? まさか……」

 それを聞くと、階段を下りかけていたフムルがさっと踵を返し、カーシュールに駆け寄って背後に回る。

「仕事は引き受けるって言ったでしょ? 四の五の言ってないでさっさと行くのよ!」

 そう言ったかと思うと、フムルはカーシュールの背中を蹴り飛ばして、強引に走らせた。カーシュールは不服そうな顔をしながらも、仕方なく走る。

 しかし扉の前に立つと、カーシュールは再び腕組みをして3人の顔を見回し、軽く扉を叩いて言った。

「この先に続いてるのは、もしかしてエルデイシュタフなのか?」

「あんたには関係ない。さっさと仕事だけ済ませて、追っ手が来る前に帰って」

 にべもなくティセルが返す。

 しかしカーシュールも引き下がらなかった。

「関係なくはないさ。自分が開く扉がいったいどんなものなのか、知る権利くらいあるだろ?」

「だったらどうだって言うの? 私たちがどこへ行こうがあんたには関係のない話だわ」

「否定しないところを見ると、やっぱりエルデイシュタフか。それなら是非同行させてもらいたいものだね」

 出し抜けにエルデイシュタフへの同行を言い出す彼に、ティセルは怪訝な目を向ける。そこへフムルが口を挟んだ。

「あんたも桃源郷に行きたいって言うわけ? 冗談じゃないわよ。あんたみたいな奴の叶えたい願いなんて、想像しただけでもぞっとするわ」

 それを聞いたカーシュールは嘲るように笑った。

「桃源郷だって? DKの行動隊長殿ともあろうお方が、そんなお伽噺を信じてるって言うのか? 馬鹿馬鹿しい。僕が欲しいものはそんなものじゃない」

「馬鹿げたお伽噺を信じたわけじゃない。目的は他のことよ。でも、今はそんな話をしてる暇はないの。さっさと仕事をして」

 またフムルが余計なことを言ったと思いながら、苦い顔をしてティセルが言う。

 しかしカーシュールもまだ引き下がりはしなかった。

「僕の同行を認めてくれるならね。有能な鍵師がついて行ってやろうって言うんだ。損な話じゃないだろ?」

 そう言ってわざわざ身を屈めてティセルの顔を覗き込む。苦りきった顔でカーシュールを睨む彼女に代わって、再びフムルが口を開いた。

「行きたきゃ一人で行けばいいじゃない。それに、あんたの欲しいもの……ってのは何なのよ?」

 フムルの問いに、カーシュールは「くくっ」と肩を揺らして笑ってから答えた。

「錬金術ってのを知ってるか? 大戦のときに封じられたのは、魔神と地下都市だけじゃない。いくつかの魔道技術も同時に禁止され、それに関する書物も廃棄された。当時、世界は現在よりも発達した魔道科学で栄えていたという。それなのに、その技術を禁忌として抹消した理由は定かではない。歴史学者の一部が密かに研究する“闇の伝承”と並んで、触れることさえ禁じられた技術。それが莫大な力と富を生み出す暗黒の邪法、錬金術と呼ばれるものさ。それを手に入れれば、桃源郷だなんて馬鹿げたお伽噺よりもずっと確実に、どんな願いも叶うだろうね。僕が欲しいのはそれなんだ。エルデイシュタフへ行けば、その秘密がわかるかもしれない。いつか行こうとは思っていたけど、魔物がうようよいるようなところへ一人で乗り込むのは無謀だからね。ちょうど腕のいいボディガードでも雇おうかと考えていたところなんだ。君たちなら頼りになりそうだからね。渡りに舟さ」

「勝手なこと言ってんじゃないわよ! あたしはあんたを連れて行くなんて御免だわ」

 フムルが言って、大袈裟に身震いして見せたのと同時に、上階の方から数多い足音と共に人の声が聞こえ始めた。

「仕方ない。わかったわよ! とにかく今は、早く仕事をして!」

 ティセルはそう言い捨てると、素早く階段の陰に身を潜めて敵を迎え撃つ体勢に入る。

「ちょっと! 冗談じゃないわよ! あたしはこんな変態連れて行くのは反対よ!」

 フムルもそう叫びながらも、背に負った大斧を構えてティセルの向かい側に陣取った。

 そんな2人を尻目にカーシュールは含み笑いをして、慌てもせずに扉を丹念に調べ始める。その笑いは、自分の思い通りに事が運んだことに、満足した笑みでもあるのだろう。それと同時に、追っ手がこの部屋に入る頃には、この扉を開くことができるだろうという自信の表れでもあるかもしれない。ティセルは何度か、彼のそんな自信たっぷりの笑みを見たことがある。

 しかし予想に反して、すぐには扉は開かなかった。思ったよりも複雑な構造の鍵であったらしい。次第に足音が近づき、反響の変化でその先頭が階段に差し掛かったことがわかった。壁に耳をつけて慎重に音を探っていたティセルが、小さな声で、察知した情報をフムルに伝える。

「甲冑の剣士が先頭で来る。後は軽装6人。剣士が4、弓が2。平均的な警邏隊の編成ね。さて……実力の程はどうかしら?」

「あんた、よくそんなことわかるわね。どういう耳してんの?」

 フムルが呆気にとられてティセルの顔を見る。盗賊の中には、闇の中や壁の向こう側の情報を、音やその反響を聞き分けて探るという技を得意とする者も少なくはない。中でも彼女は特にその能力に秀でていた。戦闘力の高さもさることながら、その能力のおかげで事前に危険を回避したり、何度も奇襲を成功させたりしている。DK壊滅のときにも、たった一人で逃げおおせたのも、この能力があってこそだった。

 しかし音でわかるのはそこまでだ。相手の戦力までは刃を交えてみるまでわからない。だが、配置されていたキメラを倒したことはもちろん計算のうちに入っているだろうが、7人編成の普通の警邏隊ならば、彼女の手に余るほどの兵力とも思えない。この扉を破ろうとしたのが何者であるのか、まだ教皇庁は察していないということだろう。彼女の顔には余裕の笑みさえ見て取れた。

 先頭の兵があと数段で階段を降りきるところのタイミングで、ティセルが仕掛けた。警邏隊が、突然物陰から飛び出した人影に驚いて足を止めたところに、すかさず足払いをかける。姿勢を崩して階段を転げ落ちたその兵士の兜を蹴り飛ばし、躊躇いなくその喉笛を切り裂いた。

 後に続く兵たちは、そのいきなりの攻撃に一瞬怯んだようだが、すぐに各々の得物を構えて戦闘態勢に入る。そこへ切り込んでいったのはフムルだった。甲高い奇声を上げながら柄の長い斧を振り回し、剣の間合いに入る前に次々と兵士の手から剣を叩き落していく。

 扉が高く軋む音をたてて開いたのは、そんなときだった。思いのほか手間取ったことに、カーシュールは鼻白んだような顔をしていたが、それでもマジックロックを開錠する速さとしては天才的なものだった。

「開いたよ! ティセル、フムル、早く!」

 ライカの声が上がると、斧の軌道を読んで器用にかわしながら、後続の剣士たちを襲っていたティセルが、さっと身を翻して後退する。そのとき、しんがりを務めていた弓兵が彼女の背中を狙って矢を放った。それは難なくかわすことができたが、それを合図にしたように、次々と矢が襲い掛かる。

 ティセルは身軽にそれも避け、フムルの脇を通り過ぎて扉へと向かおうとした。しかしフムルは階段下で足を踏みしめたまま動かない。

「なにボケッと突っ立てるのよ!? 早く!」

 降り注ぐ矢を斧ではじき返しながら棒立ちになっているフムルに、彼女は苛立った声を出した。するとフムルは不意に、腫れぼったく細い目でぱちりとウィンクする。そして矢の飛来が一瞬途切れた隙を見計らって、さっと屈みこむと、喉を掻き切られ白目を剥いて横たわる甲冑の男の体を持ち上げた。そして重い鎧を纏った体格の良い男を軽々と頭上に掲げ、階段の方へ投げつける。予想外のことに逃げ損ねた剣士がその衝撃に耐えかねて階段に張り付くように倒れると、まるで将棋倒しのように全員が転倒した。一時的なものでしかないにしろ、足止めに成功したようだった。これで少しは時間が稼げる。

扉の先に見えるものは闇しかなかった。まったく光の届かぬ真の闇。しかし彼らはその闇の中に躊躇うことなく身を投じた。その先に待つものが、いったい何であるのかも知らずに。


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