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桃源郷  作者: 胡蝶の夢
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第五章 鍵師 中編

 しかしエルデイシュタフへの侵入はそう容易くは進まなかった。分厚く頑丈そうではあるけれど、見た目はありふれた鉄の扉。それがどう頑張っても一向に開かないのだ。鍵穴もなければ、扉の開閉のための仕掛けらしきものもない。扉の破壊も試みたが、フムルの力を以ってしても扉にも壁にも傷ひとつつかないのだ。どうやら魔法で守られているらしい。

「これは……マジックロックだね。どうしよっか?」

 そう言って、ライカは腕組みをして座り込む。しかし何か打開策を考えている様子でもなく、ただ諦めて座り込んでしまったに過ぎないようだった。フムルもずいぶん長いこと斧で扉を打ち続けていたが、大きな溜息をついて額の汗を拭い、斧を放り出して座り込んだ。

「諦めるってのも癪よねぇ」

 マジックロックとは、文字通り魔法の力を使って扉に鍵をかけるものだが、これだとすると開錠は困難だ。単に魔力に反応して作動するものから、扉そのものを魔法で保護しているもの、扉の中に埋め込まれた物理的な鍵を魔力を使って作動させるもの、それらを複合したものまで、種類があまりにも多様なのだ。そのため魔法の中でもマジックロックは特殊な分野で、高度なものになると専門家にしか扱えない。盗賊とはいえ魔法を使えないティセルには専門外だし、魔法使いのライカも鍵の知識がなくては開けることはできない。

――リオンがいたら、きっと嬉しそうにマジックロックの種類とか機能とかについて話すんだろうな……。

 ティセルはふとそんなことを思った。同時に、ともするとリオンのことを考えている自分に、なんとなく腹が立って、苛立ち紛れに扉を蹴りつける。そんな彼女を嘲笑うかのように、扉は鈍い金属音を響かせただけだった。

 ライカが大きな欠伸をした。張り切って朝早くから出てきたというのに、鉄の扉と対峙したまま一向に先に進めないままで、緊張感を欠いてきている。フムルもただ手持ち無沙汰に、太く無骨な指先で、器用に手斧をくるくると回している。ティセルだけがなにやら難しい顔をして扉を睨みつけていた。

「マジックロックか。あいつなら……」

 ティセルの呟きに、ライカが眠そうな目を上げた。互いの目が合うと、彼女は大きな溜息をついて言う。

「マジックロックの専門家に心当たりがあるわ。あんまり会いたくはない奴だけどね」

 それから彼女に促され、その専門家の所へ向かうことになったのだった。


 貧民街は地形的に四方をなんらかの障壁に囲まれていて、まるで街自体が雑種を閉じ込めるための巨大な牢獄のようになっている。東側には大河、西側には大型の肉食獣が多く生息する密林、北には切り立った山。そして南側には聖都がある。ティセルが向かったのは、貧民街と聖都を隔てる石垣の東端だった。

 貧民街の中でも人が住んでいるのは聖都に続く橋の辺りを中心にした一角だけで、どの方角も端に行けば行くほど、街並みも寂れて荒れてくる。河が見える辺りまで来ると、もうすっかり人の住む場所ではなくなっていた。

 石垣の端には下部に巨大な水車を擁する給水塔がある。最先端の魔道科学を駆使して動く水車が、聖都全域に潤沢な水を供給しているのだ。その給水塔を見上げる位置に、建物自体はもう朽ち果てて柱などの痕跡だけを残している場所があった。ティセルは一面に散らばる瓦礫を踏み分けながら、何かを探しているようだ。

「確かこの辺りに……」

 呟く彼女に、フムルが苛立ちを隠せない声で言う。

「ちょっと、こんなところに何があるって言うの?」

 フムルが苛立つのも無理はなかった。マジックロックの専門家を訪ねると言って、問題の場所を一旦出てから、もう半日近くもただ歩き続けてきたのだ。出発したのは早朝だというのに、まだエルデイシュタフに踏み入ることも出来ないまま、太陽の位置はもう頂点を過ぎている。加えて東から吹きつける川風は、凍てつくような冷たさで、さすがのフムルでさえ身震いをするほどの寒さだ。

「何度か組んで仕事をしたことがある奴だけど、ちょっとした変り種でね。人目を避けてこんなところに住んでるのよ」

 ティセルも寒そうに身をすくめながら答える。そして言い終わるのと同時に、何かを見つけた様子で立ち止まった。手招きでフムルとライカを呼び寄せる。そこには瓦礫に隠れるようにして、地下へと続く階段があった。

 階段を下りると、古びた金属製の扉があるが、地上部分の朽ち方と比べると、明らかに新しいものだとわかる。確かにこんな辺鄙なところに誰かが住んでいる様子だった。

「カーシュール、開けて。頼みたい仕事があるの」

 ティセルは一度だけ強く扉を叩いてから、声をかける。扉の向こうで人が動く気配がして、格子のついた覗き窓が僅かに開いた。その隙間からダークブラウンの瞳が覗き、ややあってから、扉は開かれた。

「これは珍しい客人だな。DKの行動隊長殿じゃないか。とっくに捕まって処刑されたものだと思っていたよ」

 中から現れた中肉中背の男は、薄笑いを浮かべながら言う。彼の姿を見て、フムルとライカは驚きの目を向け、ティセルはあからさまに嫌な顔をした。

 年の頃はフムルと同じか、少し下かもしれない。病的に見えるほど青白い肌に、瞳と同じ色の少し癖のある髪。病的な青白さと対照的に、艶やかな赤い唇が中性的な魅力を放つ美青年だ。半裸の姿で出てきた彼の両手は血に汚れ、顔にも体にも所々にまだ新しい血糊がついている。そしてその左肩には、鉤十字の形をした火傷の痕があった。左肩に鉤十字の焼印。それは死刑囚の証だった。しかしフムルとライカが驚いたのは、その異様ないでたちでも、死刑囚の烙印でもなかった。

「こいつ……純血種じゃないか!」

 そうなのだ。彼は純血のヒューマンだった。ライカが目を剥いて後ずさる。フムルも剣呑な表情で腰の手斧に手をかけた。

「そんな怖い顔で見るなよ。純血種がそんなに珍しいか?」

 男は薄笑いのままで言うと、手についた鮮血をぺろりとひと舐めする。

「悪いけど、あまりのんびりしている時間はないの。本題に入らせてもらっていい?」

 険悪な雰囲気で対峙する彼らの間に、ティセルが割って入った。彼女にしても友好的な態度ではないが、時間がないことは確かだ。フムルも渋々、引き下がる。エルデイシュタフに侵入しようとした形跡を、教皇庁に見つかる前に戻らないと厄介なことになる。今は争っている場合ではないということは、フムルにもよくわかっていた。

「まあ、せっかくこんな辺鄙なところまで訪ねてきたんだ。そんなに慌てることもないだろ? 入れよ」

 カーシュールは「くくっ」と短く、意地の悪い笑い声をたてて言った。ティセルがあまり時間がないと言ったことを踏まえて、わざと時間を取らせてやろうということだろう。しかし今、頼りになるのは彼しかいない。仕方なく彼の招きに従って、部屋の中へと足を踏み入れた。玄関の脇に壁一枚を隔てて簡素な水周りの設備があり、その奥に一段高く設えた居室が続く。

「僕は裸足でいるのが好きなんでね。靴を脱いで上がってくれ」

 まるで親しい友人でも迎え入れるように、カーシュールは笑顔を作って言った。しかし笑っているのは口元だけで、眼は鋭くこちらを観察するような冷たいものだった。

 赤々と炎の燃える暖炉のおかげで、室内は心地良く暖かい。室内を見渡して、フムルはふと既視感を覚えた。なにか懐かしいような、ほっとするような気持ちになる。

 紫を基調とした調度品や装飾。ベルベットを敷き詰めた床。大きな姿見の鏡。白と淡い紫を重ねた天蓋のついたベッド。

――ああ、ここは……。お父様とあたしが暮らした部屋に似ているんだわ。

 ただ違うことには、白と淡紫の天蓋の中が湯殿ではなく大きなベッドであること。そして漂う香りも甘いローズオイルのそれではなく、生臭い鉄錆のような臭気が淀んでいることだった。それはよく知った臭い。血の臭いだった。

「ちょうど取り込み中でね。そのへんに座って、もう少し待っていてくれないか?」

 カーシュールは部屋の中央あたりにあるソファを手で示して言う。しかしティセルはそれを聞くなり、顔をしかめて大きな溜息をついた。

「あんたの悪趣味に付き合う気はないわ。ここで待ってるからさっさと済ませてきて」

 そう言って玄関の方へ引き返そうとする。

「待てよ。どうせならこっちも君に頼みたいことがあるんだ」

「私はあんたの頼みを聞く気はないわよ」

 ティセルは振り向きもせず、肩にかけられたカーシュールの手を振り払った。しかしカーシュールは薄笑いを浮かべて、勝ち誇ったように言う。

「それじゃ、こっちも君の頼みを聞く義理はないね。だいたい仕事と言ったって、逃亡者の君にまともな報酬が払えるのか? 今やDKという後ろ盾もない、ただのコソ泥にさ。僕の報酬が安くないのは知ってるだろ?」

 彼は再びティセルの肩に手をかけ、部屋の中に引き戻そうとする。が、ティセルもそう簡単に言いくるめられるほど甘くはないようだ。

「DKの隠し財産はまだ見つかってない。その場所を知ってるのは、いまや私だけよ。報酬なら今までの倍額くれてやるわ。それでは不満? 同じクズでも純血じゃ、仕事をくれる組織もどれだけあることかしらね?」

 ティセルの言葉に、一瞬カーシュールは言葉に詰まったようだった。マジックロックの解除を専門に引き受ける彼ら鍵師という職は、たいてい盗賊団からの依頼を受けて仕事をする。しかし同じ貧民街を根城にする犯罪者でも、腕は確かだとしても、純血の彼を信頼して仕事を依頼する組織は少ないだろう。得意先のDKも壊滅してしまった今、安定した収入を保つのは難しくなることは予想される。しかしそれであっさり引き下がる男でもないようだった。

「倍額とは魅力的な話だが……。その態度が気に入らないね。DKの隠し財産なんて、本当にあるかどうかも疑わしいしね。こっちの要求を呑まない限りは、仕事はしない。わかったら言うとおりに、そこへ座れよ」

 カーシュールは完全に意固地になってしまったようで、それだけ言うと部屋の奥へ行ってしまった。

 ティセルは苦虫を噛み潰したような顔をして、深い溜息をつきながらも、仕方なく言われたとおりにソファに腰を下ろした。傍でそんなやりとりを訝しげに見ていたフムルとライカも、それに倣って席に着く。

 そして座るなり、なぜティセルがそこへ行くのを嫌がったのかを、フムルは理解した。入ってすぐの場所からは死角になっているが、ソファに座ると異様なものが目に飛び込んでくる。少し窪んだ形の壁際のそこだけベルベットの絨毯ではなく、むき出しの石畳になっており、まるで小さな舞台のように木の枠が据え付けられている。木枠は藤棚のような形になっており、そこに吊るされたものに目が行くと、ライカが小さく悲鳴を上げた。ソファはその舞台を眺めるために置かれたものであるらしい。

 そこには、全裸の男が両手首を鎖で繋がれ、梁からぶら下げられていたのだ。生きているのか死んでいるのか、全身傷だらけの男は目を半開きにしたままぐったりとして動かない。筋肉質の逞しい体つきをしているが、その皮膚は血の気が失われて青黒くなっている。その脇腹には深々とナイフが突き立てられたままで、ナイフの柄を伝って血が滴り落ちていた。

「いい男だろ? こんな厳つい顔をして、実にいい声を聞かせてくれるんだ。喘ぎ声も、悲鳴もさ」

 カーシュールはその血溜の上に立ち、男の顎を掴んでフムルたちの方へ向ける。無精ひげに覆われた顔は、殴られた痕なのか、元の顔がわからないほどに紫色に腫れあがっていた。男が苦しげな呻きをもらす。

「そんな情けない声を出すなよ。久しぶりの観客だ。もっといい声を聞かせてやってくれ」

 カーシュールは甘い声でそう囁いて、吊るされた男の首筋に接吻をした。そして背後から男の体に腕を回すと、その性器を弄び始める。

「いい加減にして。言ったはずよ。あんたの悪趣味に付き合ってる暇はないの。私に頼みたいことって言うのはなんなの?」

 苦りきった顔つきでティセルはそこから目を背け、苛立ちのこもった低い声で言った。するとカーシュールはにやにやと笑いながら答える。

「初心な少女にはお気に召さないとみえるな。まあいい。こいつにも飽きてきたところでね、そろそろ棄てようと思っているんだ。しかし次の玩具もまだ見つからないことだし、もう少し遊ぶことにしたんだよ」

 そう言いながら彼は男の腰を撫でるように手を滑らせて、今度は背後から臀部をまさぐる。

「ここの穴にも飽きてきたからさ、新しい穴を開けてみることにしたんだ。でも、どうにも巧くいかない。大きく切りすぎたり、深く刺しすぎたりして、どうしても気に入る穴が開かないんだよ。こんなふうにさ……」

 カーシュールは男の脇腹に刺したナイフを抜き取ると、その傷口に指を挿しこみ、抉るように傷を広げて見せる。男はその激痛に絶叫したかと思うと、体中を痙攣させながら気を失った。

「やっぱりこれもダメだな。深すぎる。人間の体に穴を開けるってのは、案外難しいな。場所によって硬さも違うから、力加減がよくわからないんだよ。得意だろ? ティセルは。ナイフの扱いにかけては、右に出るものはいない。ひとつ手本を見せてくれないか?」

 言いながらも、まだ傷口を指で抉っては覗き込んだりしている彼に、フムルは戦慄した。フムルとて夕闇の殺人鬼として、手にかけた人間は数知れない。しかし、この陰湿で執拗な残虐性は、そんなフムルにさえ異常なものに感じられる。ライカも青い顔をして俯き、胸を押さえて込み上げてくる吐き気を堪えているようだった。

「異常だわ……。あんた、狂ってるわよ!」

 フムルが低く呻くように言葉を吐いた。その言葉を聞くと、カーシュールはさも可笑しげに声を上げて笑う。

「僕は至って正常さ。狂ってるのはこの世の中の方じゃないか」

 なおも高笑を響かせる彼を前に、フムルはヒステリックな声を上げてティセルに詰め寄る。

「ちょっと、あんた! こんな奴だって知ってて、頼ってきたわけ!? あたしは嫌よ! こんなイカレた男と、もう一秒でも一緒にいたくないわ。他の鍵師を探しましょう」

 しかしティセルは渋面を作ったまま、両肩を掴んで揺さぶるフムルを押しのけた。そして諦めを含んだ重苦しい口調で言う。

「鍵師なんてそうざらにいるわけじゃないのよ。他にDKの専属も1人いたけど、そいつは死んだ。私の知る限りではもうこいつしか残ってないの。それに、腕だけは確かよ」

 鍵師というのは、高度な魔法と鍵の知識を必要とするため、誰でも簡単になれるようなものではない。それに開閉のためにわざわざ専門家を使わなければならないため、マジックロックは実用性が低い。そのため使われている場所も限られているのだ。ゆえに鍵師の需要もそう多くはなく、必然的に数が少ない。

 エルデイシュタフへの扉を開くためには、嫌でも彼に従うしかなさそうだ。ティセルは腰のホルダーに差したサバイバルナイフを手に取ると、瞑目し、深く息をついた。その様子を見て、カーシュールは含み笑いをしながら言う。

「どうした? 今さら人を刺すのが怖いってことはないだろ? それとも裸の男が怖い? なんならやめてもいいよ。その代わり……そこのデカイのを僕にくれるならね。頑丈そうだし、なかなか楽しませてくれそうだ」

 そうして指をさされたフムルは激怒した。顔を真っ赤にしてカーシュールに掴みかかる。

「てめぇ! このまま首を圧し折られたくなきゃ、こっちの言うとおりにするんだよ!」

 目を剥き、どすを利かせた声で凄むフムル。しかしカーシュールはとり澄ました態度で、ふっと妖艶な微笑を浮かべた。それから血に濡れた白い手を片方、フムルの頬に当てると、そのまま指先で唇を撫でながら、手のひらで顎を包むように滑らせていく。そしてカーシュールは、予想外の行動に戸惑うフムルの耳元にそっと囁きかける。

「僕を楽しませてくれるなら、大切にするよ。こんな酷いことはしない。僕を飽きさせないで」

 生臭い血の臭いに混じって、彼の体からは仄かに香水の匂いがした。眩暈を誘うようなその香りと甘い声に、思わずフムルの彼の肩を掴む手の力が緩んだ。その瞬間、不意にフムルの唇に柔らかな感触が触れた。驚きのあまり、フムルは目を見開いたまま硬直してしまう。

「意外と初心だね。可愛いじゃないか。本気で惚れそうだよ」

 カーシュールはフムルの唇から自分の唇を離すと、あでやかに笑った。甘い蜜の香りで餌を誘う食虫植物のように、危険な香りを孕んだ微笑だった。

「ふざけんじゃないわよ!」

 やや遅れて我に返ったフムルが、慌ててカーシュールを突き飛ばす。その勢いで彼はよろけ、吊られた男にぶつかって床に尻餅をついた。それでも彼はにやにやと笑いながらフムルを眺めている。その粘りつくような視線に、フムルは背筋に冷たいものが走るのを感じながらも、我知らずのうちに頬が紅潮し、鼓動は早鐘を打つようだった。

「どいて」

 そんな2人の間を割って入るように、ティセルが吊られた男の前に進み出て、座り込んだままのカーシュールの膝を軽く蹴った。カーシュールは短く笑って、立ち上がり場所を空ける。

「惜しいね。こんな使い古しよりも、こっちをくれる方が嬉しかったんだけどな。まあいい。このへんに頼むよ」

 男を吊った鎖にぶら下がるように体重を預けながら、カーシュールは男の肩に自分の顎を乗せ、男の脇腹を指し示す。ティセルはそれを一瞥してからナイフを逆手に構えると、躊躇うことなく突き出した。しかしナイフはカーシュールが示した場所とは見当違いの方に向けられている。鋭利な刃先は彼の鼻先を掠めて、男の首筋を切り裂いた。切断された頚動脈から鮮血が噴き出して、カーシュールの頬を打つ。

「手元が狂って悪かったわね。でも、お望みの穴は開いたわよ」

 ティセルは自らの顔にもかかった血飛沫を手の甲で拭い、冷めた目をして踵を返す。そんな彼女の背中を、カーシュールは恨めしそうに睨んで、大きな溜息をついた。

「無粋な真似をしてくれるじゃないか。これだから短気な女は嫌だね。愉しむって事を知らない」

 振り返ったティセルは鋭く彼を睨むと、低い声で言う。

「いい加減にして、カーシュール。なんなら警察にこの場所の情報を流してもいいのよ。鍵師はあんた一人じゃない。急ぎじゃなければ他を探すところだわ」

「僕を脅すつもりか? この世界で密告はタブーだぞ」

 言い返しはしたが、ティセルの有無を言わせぬ言い様に、カーシュールは苦い顔をして舌打ちした。しかしティセルは顔色を変えずに、ただ真っすぐに彼を威圧するような視線を返す。カーシュールは少し考えるような仕草をしてから、諦めたように軽く息をついた。

「いいだろう。仕事は引き受ける」


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