第五章 鍵師 前編
エルデイシュタフとは2千年前のかの大戦で、魔神アンサルヴィエを封じたと言われている地下洞窟だ。フムルたちが調べた文献によれば、それは天然の洞窟ではなく、かつてドワーフの都だった地下都市の遺跡だということがわかった。
現在ではその風習も廃れ、地上で暮らすドワーフも多くはなっているが、本来、ドワーフは伝統的には地底で暮らす種族だった。その短躯・筋肉質の無骨な外見に似合わず手先の器用な彼らは、地下で鉱物を採取し、それを加工して物を作ることを生業にしてきた。そのため自然と住居も地底に作るようになっていったのだ。2千年前当時、そこはドワーフの王が住む世界最大の地下都市だった。地下深くに築かれた巨大な街。まるで木の根のように複雑に張り巡らされた地下道は、さながら迷路のようだという。
2千年前の大戦では、魔神アンサルヴィエをこの地下都市の最深部まで追い立て、そこから更に深い地下に埋め込むようにして封印したと、伝承されている。こうして魔神アンサルヴィエと共に、歴史から姿を消した地下都市がエルデイシュタフなのだ。
そして都市ごと封印を施し、その上に今の教皇庁を中心とした聖都が建てられた。まるで災いの元を閉じ込めた地下空に蓋をするように。その光の射さぬ場所には未だ魔神の強烈な魔力と怨念が渦巻いている。それがエルデイシュタフ、古い言葉で“災いの眠るところ”と呼ばれる所以だ。
そこへ通じる道はいくつかある。一番有名で大きなものと言えば、教皇庁本部の地下にあるという、「災厄の扉」と呼ばれる地下へ続く大門だろう。しかしそこから忍び込むというのは無理がある。フムルたちは他の入り口を目指していた。
聖都には2千年前からある古い街がもうひとつある。貧民街だ。大戦までは各種族がいがみあってきたとは言っても、全く交流がなかったわけではない。内心では他種を快く思わなくても、細々ながら交易というものは行われていた。それに特に仲の悪い種族もあれば、逆に友好的な関係にある種族もそれぞれにあったのだ。その例として、互いに信仰心の厚いドワーフとノームは友好関係にあり、ノームの街の地下にはたいていドワーフの街があるものだ。逆もまた然り。封印されたドワーフの地下都市の上にも、やはりノームの街があったのだ。聖都が建てられ、様々な種族が混在して新しい居を構え暮らすようになり、次第に寂れて捨てられたノームの街。それが貧民街だったのだ。
それゆえ貧民街にはエルデイシュタフに張り巡らされた地下道に通じる道がいくつか残っている。桃源郷を目指した先人たちも、そこから忍び込んだという記録がいくつか残っていた。その中で、はっきりと場所が特定できたのはひとつだけだった。フムルとライカはそこへ向かっていた。
貧民街は聖都の北側に位置し、その南端は高い石垣で囲まれている。その石垣部分がエルデイシュタフの蓋にあたり、古い街を埋め立てたその上に聖都の新しい街が造られたのだ。そして雑種が聖都に濫りに入り込まぬよう、聖都と貧民街を結ぶ、関所を設けた橋が1本だけかけられている。
まだ人目につきにくい早朝、フムルとライカはその橋に程近い廃墟に忍び込んだ。そこは半ば崩れた古い集合住宅だったが、あまり聖都の近くに住みたい雑種もおらず、自然と廃墟となっていた。所どころ崩れた石壁の隙間から差し込む光が、埃っぽい空気に縞模様をつけている。一歩足を進める度に、長年の間に降り積もった埃が舞い上がって更に埃っぽくなり、フムルは思わず大きなくしゃみをした。
「汚いところねぇ……」
フムルはきょろきょろと辺りを見回して呟く。ライカも同じように忙しく視線を動かしていた。
貧民街には闇市を除けば商店というものが存在しないが、そこはどうやら昔は商店で、その上に住居が設けられている形の建物だった。既に朽ち果てて痕跡のみを留めるカウンターや陳列棚があり、なにか土器のようなものが割れて床に散らばっている。その破片もかなり古いもののようで、風化して脆くなったそれは、踏むと、まるで砂のようにさらさらと崩れた。
「あれ?」
埃の積もる石畳の床の上を見渡していたライカが、不意に小さく声をあげた。フムルが怪訝な顔でライカを見る。
「足跡が……」
ライカの指差す先には確かに、まだ新しい足跡が残されていた。建物自体は封鎖されているわけでもなく、誰でも容易に入ることができるし、エルデイシュタフに通じる道は全てなんらかの形で教皇庁が管理しているため、見回りの兵が出入りしていることは考えられる。現に他にも足跡はいくつもあったが、他のものは足跡の上にまた埃が積もって、床にまだらな模様を描いたようになっている。この新しい足跡の意味することを考え、2人は顔を見合わせた。
「初っ端からいきなり一仕事みたいね」
フムルはそう言いながらも、嬉しげに両腰に下げた手斧を抜き取る。足跡の主はどうやら一人。どんな屈強な兵士が待ち受けていようと、フムルは負ける気はしなかった。むしろ戦闘を心待ちにするかのように、にやにやと笑いながら足跡を辿っていく。
すると足跡の先には板石を持ち上げた跡があり、その下には地下への階段が続いていた。
「板石で階段を隠してあったんだね。これってもしかしていい道案内?」
「みたいね」
2人は互いに顔を見合わせてくすっと笑った。そしてその階段をゆっくりと下りていく。
「でも、フムル一人で大丈夫? ティセルも来てくれると良かったのになぁ……」
長い階段を中程まで下りたところで、地上の光が届かなくなり、ライカは用意してきたランプに火を点しながら言った。先を行くフムルは軽く振り向き、「さぁね」とだけ言って、また歩みを進める。
階段を降りきるとすぐに、細い通路が左に曲がって伸びている。その先が更に右に曲がっているのが、ランプの光でぼんやりと見えた。先へ進み、通路を右に曲がったとき、初めてその先に明かりが灯っていることに気がつく。おそらく足跡の主が灯した明かりだろう。ライカが小さく生唾を飲み込む音が聞こえた。
2人はランプを消し、足音を殺して静かに進む。通路の先はどうやら小部屋になっているようだ。しかし明かりに照らされて見えるものは壁だけで、そこにある物も人の姿も見えない。フムルは通路の端まで行くと、そっと明かりの方向を覗き込んだ。
と、そのときだった。2人がそこに潜んでいるのを察していたかのように、その足元に何かが投げつけられる。小さな敷石の目地に突き刺さったそれは、小型のナイフだった。
「遅い!」
いきなりの攻撃に驚きはしたものの、すぐに斧を構えたフムルが飛び出そうとした瞬間、聞き覚えのある声がそう言った。
声の方を見やると、小部屋の左側には頑丈そうな太い鉄格子があり、その奥の壁に赤錆の浮いた大きな扉がある。鉄格子につけられた大きな錠前が外され、格子の扉は開いていた。そして奥の扉に背をもたせて、仏頂面のティセルが腕組みして立っていた。
「ティセル!!」
ライカが歓喜の声を上げて駆け出す。
「何よ!? あんた、来ないんじゃなかったの?」
フムルは床に突き刺さったナイフを足先で蹴散らしてヒステリックな声を上げたが、その顔は嬉しげに笑っていた。
ティセルはそんな2人を一瞥だけすると、軽く顔を上げて天井を睨むようにして言った。
「別に桃源郷の伝説なんて信じたわけじゃない。ただ、リオンがそこに何かあると言うなら、きっと何かはある。あいつ、甘いことばかり言って、一見ロマンチストに見えるけど、実際はそうでもない。歴史だとか証拠だとか難しいことばかり言って、どちらかと言えば理論的に物を考える性質だわ。そんなリオンが桃源郷伝説なんて信じていたとも思えない。そしてリオンが目指していたもの……教皇庁が作り出した歴史の嘘を暴くこと。きっとそこには、そのための証拠がある。だから行くのよ。教皇庁をひっくり返してやるために」
それからティセルは足元に転がっていた何かを蹴り上げる。そこには奇妙な生き物が倒れていた。大型の肉食獣程の大きさで、羽毛に覆われた体に鹿のような脚、二股に分かれた首にはそれぞれ黒い犬のような頭がついている。キメラと呼ばれる魔道合成獣だ。おそらく教皇庁がこの扉を守るために配置したものだろう。しかしそれは既に息絶え、黒犬の牙の隙間からは、だらしなく赤い舌が垂れ下がっていた。
「こんなものを配置してまで、人をエルデイシュタフへ入らせたくない理由があるはずだわ」
「確かにそれも一理あるわね」
フムルは軽く頷いてみせる。それから悪戯っぽい笑みを浮かべて言う。
「リオンの敵討ちってわけよね?」
するとまたフムルの鼻先を掠めて小型のナイフが飛ぶ。
「危ないじゃない!」
「リオンは関係ない! やられっぱなしじゃ悔しいからよ!」
そのティセルの剣幕に呆れながら、フムルは笑った。
「まったく、素直じゃないんだから……」
そんな2人のやりとりを、ライカは楽しげに眺めていた。




