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映える  作者: シズ
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9/25

三ヶ月で変わる

 瀬川を撮ることになったのは、大野が言い出したからだった。


「地味な男を三ヶ月で変えるってやつ。あれ伸びるよ」


「あれって?」


「見たことない? 前と後で並べるやつ」


 里佳が携帯を出して、似た動画を探した。すぐ見つかった。三本目で、再生が百万を越えているものが出た。


「ほんとだ、伸びてる」


 恵那は画面を覗いた。覗いて、それから瀬川を見た。


 瀬川は椅子を運んでいた。四脚まとめて抱えて、壁際に置いている。


「瀬川くん」


「はい」


「三ヶ月、うちに預けてくれる?」


「いいっすよ」


 考える時間は、二秒もなかった。


      *


 最初に撮ったのが、前の画だった。


 和彦がカメラを構えた。瀬川は部屋の白い壁を背にして立った。


「どうすればいいすか」


「立ってるだけでいいです」


「笑います?」


「笑わなくていいです」


 瀬川は立った。手は体の横に下ろしている。動かなかった。


 和彦は三十秒撮った。撮って、止めた。


      *


 撮っているあいだ、部屋は静かだった。空調の音だけが低く続いている。


 瀬川の靴が、床を一度だけ鳴らした。鳴らしてから、また止まった。


 和彦はレンズの中の顔を見た。顔は何も言っていない。目だけが、時々、右のほうへ動いた。動く先には、恵那が立っていた。


      *


 その日から、三ヶ月が始まった。


 髪を切った。眉を整えた。服を買いに行った。歯を白くする通院が八回あった。里佳が食事の管理をして、大野がジムの会費を出した。


 全部、和彦が欄に入れた。


   美容室   八千円       里佳立替


   衣料    四万二千円     大野立替


   歯科    十二万四千円    大野立替


   ジム会費  三ヶ月ぶん 二万七千円 大野立替


 合計は十九万一千円になった。項目名の欄には「企画費」と入れた。


      *


 瀬川は文句を言わなかった。


 言われたところへ行き、言われたものを着た。ジムには週に三回通って、一度も休まなかった。


「きつくないですか?」


「きつくはないっす」


「毎日やってますよね」


「言われたんで」


 瀬川はそう言って、椅子を運んだ。運ぶ手つきは、前と同じだった。


      *


 一か月が過ぎたころ、和彦は前の画を確かめた。


 三十秒しかない。白い壁の前に立って、動かないだけの三十秒だった。


 和彦はそれを恵那に見せた。


「これ、足りますか?」


「足りない」


「三十秒あります」


「そうじゃなくて」


 恵那は画面を止めた。止めた場所は、瀬川が瞬きをしたところだった。


「これ、地味じゃないの」


「地味だと思いますけど」


「立ってるだけだから、なんとも見えない」


 恵那は画面を戻した。


「前の画って、ひどくないと意味がないの」


      *


 和彦は素材を探した。


 部屋で撮ったもののなかに、瀬川が映っているところがある。椅子を運んでいるところ。机の端で飲み物を配っているところ。カメラの後ろにいるところ。


 どれも短くて、どれも背中だった。


 顔が映っているのは三箇所だけで、そのうち二箇所は、もう髪を切ったあとだった。


 和彦は残った一箇所を切り出した。四秒あった。


 四秒では、足りなかった。


      *


「もう一回、撮ろう」


 恵那が言った。


「前の画をですか?」


「うん」


「でも、もう変わってます」


「戻せばいい」


 和彦は意味が分からなかった。分からないまま、聞いていた。


「髪はワックス落とせば戻る。服も、前のやつがあるでしょ。眉は伸びてないけど、画では分からない」


「本人には」


「言うよ。言わないと着てくれないから」


 和彦は自分の手のひらを見た。汗ばんでいて、机の縁に跡がついた。


 言われたことは分かる。分かるが、口の中が乾いていた。水を飲んでも、すぐまた乾いた。


      *


 瀬川は着替えた。


 前の服は、部屋の隅の紙袋に入ったままだった。捨てていなかった。捨てる理由がなかったからだと、瀬川は言った。


 髪を濡らして、分け目を戻した。眼鏡を掛けた。眼鏡はもう使っていないもので、度が合っていなかった。


「これ、見えないっす」


「立ってるだけなので」


「まあ、そうすね」


 瀬川は同じ壁を背にして立った。


 和彦はカメラを構えた。


「もう少し、猫背でお願いします」


「猫背」


「はい」


 瀬川は背中を丸めた。丸めてから、少し戻した。


「これくらいですか?」


「もう少しです」


 瀬川はもう少し丸めた。手が体の前で組まれた。組んでから、また下ろした。


 和彦は撮った。二分撮った。撮っているあいだ、指がシャッターの縁に当たって痛かった。


 撮りながら、和彦は自分が何を撮っているのか分からなくなった。分からないまま、止めなかった。


      *


 撮り終わってから、瀬川が眼鏡を外した。


「これ、いつのやつになるんすか」


「三ヶ月前のことになります」


「今日っすけど」


「はい」


 瀬川は眼鏡をポケットに入れた。レンズがシャツに擦れて、短い音がした。入れてから、少し笑った。


「まあ、いいっすけど」


 和彦は何か言おうとした。喉のところまで来て、そこで止まった。舌の奥が苦かった。


      *


 その夜、和彦は二本の三十秒を並べた。


 三ヶ月前のものと、五日前のもの。壁の位置が少し違う。光の入り方も違う。和彦は色を合わせて、明るさを下げた。下げると、二本の差が消えた。


 差が消えると、どちらが古いのか分からなくなる。


 和彦は五日前のほうを選んだ。理由は、そちらのほうが猫背だったからだった。


      *


 編集は五日かかった。


 前の画と、後の画を並べる。並べるときは、同じ位置に立たせて、同じ大きさにする。切り替えると、同じ人が別人になる。


 和彦は切り替えの速さを何度も直した。速すぎると気づかれる。遅すぎると効かない。


 〇・四秒に落ち着いた。決めるまでに、耳のほうが先に慣れた。


      *


 途中の三ヶ月は、四分に収めた。


 髪を切るところ。ジムで持ち上げるところ。服を選ぶところ。歯の色が変わっていくところ。


 どれも本当にあったことだった。全部、その順番で起きている。


 嘘は一つもない。


 和彦はそう思って、それから、最初の二分のことを思った。


「タイトルは?」


「〈地味な男が、三ヶ月で変わる〉」


 恵那が言った。それだけだった。


「三ヶ月ですか?」


「三ヶ月でしょ」


「はい」


 和彦は打ち込んだ。数え直したら、九十四日あった。


      *


 出したのは日曜の夜だった。


 月曜の朝に三万。夜に十八万。火曜で六十万を越えた。


 コメントは八千を越えた。和彦は上から読んだ。


  〈別人すぎる〉


  〈努力って裏切らないんだな〉


  〈最初の写真の人がかわいそうになってきた〉


 和彦は三つ目で指を止めた。肩の力が抜けて、背中が椅子に当たった。


 最初の写真の人は、九十四日前ではなかった。五日前だった。


      *


 月曜の夜、部屋に瀬川が残っていた。


 暖房が切れかけていて、空気が冷たい。缶を開ける音が、遠くで一度した。


 瀬川は新しい服を着ていた。袖の丈が合っている。前は合っていなかった。


      *


 瀬川は、その動画を何度も見ていた。


 部屋の隅で、携帯を横にして、音を出さずに見ている。同じところで止めて、また最初から流した。


「杉本さん」


「はい」


「これ、俺っすよね」


「瀬川さんです」


「どっちも?」


「どっちもです」


 瀬川は画面を伏せた。伏せてから、また表に返した。


「なんか、後ろのほうは、覚えてないんすよ」


      *


 その週から、瀬川に人がつくようになった。


 コメントに名前を書く人が出て、切り抜きが五つ出た。恵那が「次から前に出て」と言って、瀬川は「はい」と言った。


 椅子を運ぶ役は、新しく来た一年生に移った。


      *


 六時半に、恵那が帰った。


 閉まってから、大野が缶を出した。六十万いったから当然だという言い方だった。


 里佳が瀬川の肩を叩いた。乾いた音がした。叩かれた瀬川は笑ってから缶を持った。持ったまま、開けなかった。


 時計は七時九分だった。


「六千百」


「はい」


「瀬川、モテるようになったろ」


「そうすかね」


「なるって。顔じゃないんだよ、あれは」


 大野が言った。


「並べ方だよ、並べ方」


 誰も、それを否定しなかった。


      *


 三月に、和彦はフォルダを整理した。


 「使わない」の中に、最初に撮った三十秒が残っている。本当に三ヶ月前の三十秒だった。


 和彦はそれを開いた。白い壁の前に、瀬川が立っている。手は下ろしている。背中は丸めていない。眼鏡も掛けていない。


 地味には見えなかった。ただ立っているだけだった。


 和彦はそのファイルを閉じた。消しはしなかった。


      *


 その週の欄に、和彦は打ち込んだ。


   打ち上げ  六千百円  大野立替  二月十三日


 和彦は、その上に並んだ「企画費」の四行を見た。合計は十九万一千円のままだった。


 瀬川の欄は、そこには無かった。


      *


  〈地味な男が、三ヶ月で変わる〉


  九分五十秒/再生 618,000


  〈最初の写真の人がかわいそうになってきた〉

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