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映える  作者: シズ
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8/25

時計

 企画は「お金持ちの家を見せてもらう」だった。


 相手は美容外科の医師で、三十七歳。個人でクリニックを二つ持っている。写真を見て、里佳が「イケメンじゃん」と言った。


「これ、加工?」


「本人が撮ったやつだって」


「加工でしょ、これは」


 恵那は写真を伏せた。


「加工でも、来た人には分かるから」


      *


 家は都心のマンションの十七階にある。


 玄関を入ると、廊下が長い。靴の音がしない。壁に何も掛かっていなくて、そのぶん奥行きが分かりにくかった。


「どうぞ、適当に撮ってください」


 桐谷はそう言った。声はよく通る。歩き方が速くて、途中で一度、こちらを振り返って待った。


 和彦はカメラを構えた。構えると、廊下の端が入りきらなかった。


      *


 時計は、寝室の隣の部屋にあった。


 箱がガラスの棚に並んでいる。棚は三段で、一段に十二本ずつ入っている。開けると、小さな金属の音がした。


「いくつあるんですか?」


 里佳が訊いた。


「三十四本です」


「三十四」


「集め始めて、八年目ですね」


 桐谷は一つを取り出した。手つきが慣れている。


「これがいちばん高いです」


「いくらですか?」


「聞きます?」


「聞きたいです」


 桐谷は笑った。それから、金額を言った。


 里佳が声を上げた。陽菜も上げた。和彦はカメラを構えたまま、数字を頭の中で繰り返した。


      *


 棚の前は涼しかった。空調が別に入っているらしく、風の音が低く続いている。


 桐谷が蓋を開けると、革の匂いがした。時計は少し重かった。持たせてもらった里佳が「重い」と言って、手首に載せた。金属が肌に触れて、里佳が肩をすくめた。


「冷たい」


「そうなんですよ。冬は冷たい」


 桐谷は笑って、それを受け取った。受け取る指が、ガラスに触れないように動いた。


      *


 撮影は二時間かかった。


 桐谷はよく喋った。時計の話をして、そのあと仕事の話になった。


「うちに来る人って、みんな悩んでるんですよ」


「悩みって、どういう?」


「顔のこととか、体のこととか」


 居間には白いソファがある。桐谷はそこに座り直した。


「でも僕は、悩んでるなら変えていいと思ってるんです」


「変えていい」


「服は変えるじゃないですか。髪も変える。じゃあ顔は? って話です」


 里佳がうなずいた。深くうなずいた。


「変えたら、その人が変わるんですよ。性格まで変わる。ほんとに変わります」


 陽菜が口を開いた。


「わたしも、変われますか?」


「変われますよ」


「どこがいいと思いますか?」


 桐谷は陽菜を見た。見て、二秒くらい置いてから答えた。


「宮下さんは、いまのままでも十分ですけどね」


 陽菜が笑った。笑い方が、いつもより少し高かった。


 画面の中で、陽菜の肩が少し前に出ていた。和彦はそれを撮っていた。


 恵那は最後まで画面に入らなかった。


 入らないまま、部屋の隅に立っていた。時計の棚も見なかった。桐谷が金額を言ったときも、顔が動かなかった。


 帰りのエレベーターで、里佳が「すごかったね」と言った。


「うん」


「恵那さん、興味なさそうだったけど」


「あるよ」


「どこが?」


「単価」


 恵那はそれだけ言って、階数の表示を見た。


      *


 帰りの車で、陽菜は窓のほうを向いていた。


「杉本くん」


「はい」


「いまのままでも十分って、どういう意味だと思う?」


 和彦はハンドルを握っていた。信号が赤になって、足がブレーキに乗った。


「そのままの意味だと思います」


「そうかなあ」


 陽菜は窓に額を近づけた。ガラスが曇って、指で拭いた。


「営業だったら、変えたほうがいいって言うよね、ふつう」


 和彦は答えを持っていなかった。信号が青になって、足を動かした。


      *


 編集は二日で終わった。


 二時間十分が、十六分になった。


 和彦は時計が映っている時間を測った。三十四本のうち、画面に出たのは十九本。いちばん長く映ったのは、四番目に高いものだった。


 いちばん高いものは、二十二秒だった。四番目のは、一分七秒あった。


 理由は、桐谷がそれをいちばん長く喋ったからだった。金額の順ではなかった。


 和彦はその二つの数字を、紙に並べて書いた。書いてから、線で消した。消しても、下に残った。


      *


 出したのは土曜の朝だった。


 日曜には二十万を越えた。月曜は五十万。火曜に八十万で、そこから緩くなった。


 コメントは五千を越えた。


  〈考え方が好き〉


  〈悩んでるなら変えていいって言葉に救われた〉


  〈この先生に相談したい〉


 和彦は三つ目のところで指を止めた。止めて、また動かした。


 クリニックの問い合わせが増えたと、桐谷から連絡があった。


 礼の文が長い。和彦は恵那に見せた。恵那は「よかったね」と言って、それで終わりだった。


 その週、うちの塾の問い合わせも十一件あった。仁科が両方を表に入れた。


「関係あるの?」


「関係ないと思います」


「じゃあ、なんで増えたの?」


「見た人が、そのまま他の動画も見たからです」


 仁科は数字を丸で囲った。囲ってから、横に線を引いた。


      *


 二か月後だった。


 最初に見つけたのは陽菜だった。携帯を持って部屋に入ってきて、画面をこちらへ向けた。


「これ、あの先生じゃない?」


 記事は短い。手術のあとに患者が救急搬送され、いまも回復していないと書いてある。クリニックの名前は出ている。医師の名前は、そのときはまだ無い。


 三日後に、名前が出た。


      *


 部屋は静かだった。


 里佳が「うそでしょ」と言って、それから何も言わなかった。大野が「まじか」と言って、缶を置いた。瀬川は画面を見ていた。


 仁科はノートを開いた。開いて、何も書かずに閉じた。


 和彦は自分の動画を出した。再生数は九十四万になっている。


      *


 翌日、管理の画面に警告が来た。


 文面は短い。この動画が方針に触れる可能性があるので、確認してほしいと書いてある。消せとは書いていない。


 和彦はそれを恵那に見せた。


「消して」


「消すんですか?」


「うん」


「訂正を出すとか、そういうのは」


「いらない」


 恵那は画面を見ていなかった。鞄の中を探していた。


「訂正すると、こっちが何か言ったことになるから」


「はい」


「何も言わないのが、いちばん早い」


      *


 その日、部屋には誰もいなかった。


 暖房が切れていて、床が冷たい。和彦は上着を着たまま座った。指がかじかんで、キーを押し間違えた。押し間違えたところを消して、また打った。


 外で救急車が通った。音が近づいて、遠くなった。遠くなってから、しばらく耳に残った。


 和彦は削除の画面を開いた。


 押す前に、確認が出る。この操作は取り消せません、と書いてある。


 和彦はもう一度、その一行を読んだ。読んでから、押した。


 九十四万は、その場で消えた。コメントの五千も消えた。〈悩んでるなら変えていいって言葉に救われた〉も消えた。


 時間は一秒もかからなかった。


      *


 作ったのに、十九時間かかった。


 和彦はその数字を思い出して、それからやめた。並べても、何にもならなかった。


      *


 次の日、和彦は探した。


 切り抜きが残っている。七つある。


 いちばん長いのは三分で、桐谷が「変えていいと思ってるんです」と言うところが入っている。再生は四十万を越えている。


 和彦は七つの再生数を足した。合計で六十一万だった。


 消したほうより少なくて、消えていないぶんだけ多かった。


 和彦はその数を手帳に書いた。書いてから、恵那に言った。


「残ってます」


「そうだろうね」


「消せますか?」


「消せない。うちのじゃないから」


      *


 恵那は、そのあと一度も桐谷の話をしなかった。


 和彦も訊かなかった。訊く理由が見つからなかった。


 その月、恵那は実習で二回いなかった。いない日は、部屋がいつもより早く暗くなる。


      *


 三日後、里佳が言った。


「あの人、悪い人じゃなかったよね」


「そうですね」


「言ってたことも、間違ってなかったし」


「はい」


「なんかさ、運が悪かっただけって気がする」


 誰も、そのあと何も足さなかった。


 和彦は自分の膝の上を見た。手のひらが乾いていて、指を握ると、関節のところが白くなった。


      *


 六時に、恵那が上着を着た。


 閉まってから、大野が缶を出した。今日は何の打ち上げかと誰も訊かなかった。訊かないまま、里佳が缶を配った。


 時計は七時前だった。


      *


「四千四百」


「はい」


「今日、少ないね」


「人が少ないので」


「減った?」


「八人です」


 大野は数えなかった。数えずに缶を開けた。


 和彦はレシートを二つ折りにした。折り目のところが、少し破れた。


      *


 その週の欄に、和彦は打ち込んだ。


   打ち上げ  四千四百円  大野立替  一月十六日


 和彦は、その上の行を見た。十一月に打った「取材交通費」の行が、まだそこにある。


 消す欄は、なかった。


      *


 二月に、和彦は報酬を振り込もうとした。


 金額は撮影の前に決めてあった。桐谷は「いらないですよ」と言ったが、恵那が「出します」と言って、それで通っていた。


 銀行の画面で、口座番号を打ち込む。名義を打って、金額を打って、確認を押した。


 弾かれた。


 もう一度打った。同じところで止まる。指がキーの上に残った。


 画面に出ているのは短い文だった。この口座はご利用いただけません、と書いてある。


 和彦は理由の欄を探した。無かった。


      *


 次の日、和彦は恵那に画面を見せた。


「凍結されてるみたいです」


「そう」


 恵那はそれだけ言った。手は止まらなかった。


「どうしますか?」


「置いといて」


      *


 その週の欄に、和彦は出演料を入れなかった。


 通っていないものは、精算ではない。和彦はそう思った。思ってから、その理屈をどこで覚えたのかを考えた。


 思い出せなかった。


      *


 三月に、桐谷から一度だけ連絡が来た。


 短い文だった。動画を消してくれてありがとう、と書いてある。それだけで、ほかには何もない。


 和彦は返事を打とうとして、打たなかった。打つ言葉が見つからない。恵那にも見せなかった。


 その文は、いまも管理の画面に残っている。


  〈この動画は削除されました〉


  十六分二秒/再生 940,000(削除時)


  切り抜き 七件/合計 610,000

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