モザイク
言い出したのは大野だった。
「溶ける水着ってあるじゃん」
「ある?」
「あるって。水につけると溶けるやつ」
「それ、どうすんの?」
里佳が訊いた。
「着てもらって、プール入ってもらう」
部屋が笑った。止める声は出なかった。恵那は画面を見たまま、指を動かしていた。
「やる?」
大野が言うと、恵那は「やっていいよ」と言った。それだけだった。
*
段取りは恵那がつけた。
貸切のプールを二時間で押さえた。撮影の許可を取って、書類を出して、保険にも入った。手続きは全部、その日のうちに終わった。
和彦は書類の控えを見た。日付が三つと、判子が二つ押してある。
「ちゃんとしてますね」
「ちゃんとしないと、貸してくれないから」
恵那はそう言って、控えを和彦に渡した。
三人にはあらかじめ言ってあった。
仕掛けるのは大野で、驚くのは三人。三人とも、それを知っている。
「知ってて驚くの?」
和彦が訊くと、里佳が笑った。
「驚くのが仕事でしょ」
「はい」
「知らないでやったら、それはもう仕事じゃないって」
陽菜が横で「あたし、知ってても驚くタイプだから大丈夫」と言った。
仁科は何も言わなかった。ノートを開いて、時刻の欄を作っていた。
*
「仁科さんも出るんですか?」
「出るよ」
「いつも撮る側ですけど」
「三人いるほうがいいって言われたから」
仁科はペンを置いた。置いてから、少しだけこちらを見た。
「なに」
「いえ」
「べつに、いいでしょ」
仁科はノートを閉じた。閉じる音がいつもより短かった。
前の日に、和彦は機材を箱に詰めた。
カメラが三台、三脚が二つ、予備の電池が六本、それから防水の袋。袋はプールで使うために新しく買った。指で開け閉めして、二回試した。堅くて、爪が引っかかった。
箱は重かった。持ち上げると、腰のあたりに来た。
*
当日は曇りだった。
室内プールで、天井が高くて、音がよく響く。水の匂いが強い。和彦は入口で靴を履き替えて、機材を運んだ。
カメラは三台にした。プールサイドに二台、水面と同じ高さに一台。三台目は瀬川が持った。
「これ、どこ撮るんすか」
「全体でいいと思います」
「全体」
「あとで切るので」
瀬川はうなずいた。うなずいてから、カメラの向きを少し下げた。
*
撮影は一時間半で終わった。
水着は本当に溶けた。溶け方は思ったより遅くて、二回目でようやく形になった。三人は驚いた。驚き方は三人とも違っていた。
里佳がいちばん大きい声を出した。陽菜は笑いながら水に沈んだ。仁科は動かなかった。動かないまま、二秒くらいしてから、両腕を胸の前で組んだ。
大野が笑っていた。瀬川はカメラを構えたまま、少し顔を横に向けていた。
和彦はカメラを止めなかった。止めるという考えが、そのとき浮かばなかった。
*
二回目のあと、仁科がプールの縁に上がってきた。
和彦はタオルを渡した。渡すとき、指が触れた。仁科の手は冷たかった。
「ありがと」
「大丈夫ですか?」
「なにが」
「寒くないですか?」
「寒い」
仁科はタオルを肩にかけた。かけてから、髪を絞った。水が床に落ちて、細い音がした。
「杉本くん」
「はい」
「あたし、変じゃなかった?」
和彦は少し考えた。
「変じゃなかったです」
「そう」
仁科はそれ以上、何も言わずに更衣室のほうへ歩いていった。歩き方はいつもと同じだった。
*
最後に、おまけを撮った。
「じゃあ、男性陣はあっち向いてて」
里佳が言った。台詞は決めてあった。
和彦と大野と瀬川が、プールの反対側を向いた。向いているあいだ、後ろで笑い声がした。三十秒くらい続いた。
カメラは一台だけ回したままにしてある。回しているのは、恵那だった。
*
編集は和彦がやった。
素材は三台ぶんで、合計四時間五十分あった。
最初に、使うところを決めた。決めてから、モザイクをかける場所を探した。
探すというのは、全部を見ることだった。
*
一コマずつ送る。
人が動くので、隠す場所も動く。四角を置いて、次のコマで少しずらして、また置く。二秒で六十コマある。六十回、位置を直す。指の腹がマウスの角で赤くなる。
和彦は最初、まとめて追いかける機能を使った。使うと、途中で外れる。外れると、外れた一瞬だけ、何も隠れていない画になる。
そこは手でやるしかなかった。
*
二日目の夜に、和彦は数え始めた。
かけたコマの数を、紙に書いた。
〈一日目 二千百四十〉
〈二日目 三千八百二〉
三日目に終わった。合計は七千九百六十一だった。
和彦は数字を三回確かめた。三回とも同じだった。
*
確認は五回した。
書き出して、通しで見て、外れているところを探す。一回目で四箇所見つかった。二回目で一箇所。三回目と四回目で、ゼロ。五回目でもう一箇所出た。
最後の一箇所は、〇・二秒だった。
和彦はそこを直して、もう一度書き出した。書き出しに五十分かかった。終わったのは三時過ぎだった。
窓の外が薄くなっていた。目の奥が乾いていて、瞬きをすると痛かった。
*
三日目の夜、和彦は途中で手を離した。
肘から先が痺れていた。指を握って、開いて、また握った。関節が鳴った。
机の上に、四角い形の残像が残っている。目を閉じても、瞼の裏で四角が動いていた。
和彦は水を飲んだ。飲んでから、また座った。
*
できたものを通した。
モザイクは全部で十九箇所ある。合計の長さは一分四十秒。
和彦は、その一分四十秒を並べて見た。並べると、そこだけ画面が四角く濁っている。
濁っているところに、目が行く。行かないようにしても、行く。
和彦は椅子の背にもたれた。肩を回すと、首の後ろで音がした。
*
和彦は一度だけ、モザイクを外して通した。
外すのは、押すだけでできる。四角が全部消えて、素材のままの画が出る。
和彦は最初の五秒で止めた。止めてから、画面を伏せた。伏せた画面の縁が、指の下で温かかった。
もう一度、モザイクを戻した。戻すのも、押すだけだった。
外したことは、誰にも言わなかった。
*
「順番、変えて」
恵那が画面を見て言った。
「どこですか?」
「あっち向いててのやつ。あれを最後に」
「いま、真ん中です」
「最後にして」
和彦は移した。移すのに三分もかからなかった。
通してみると、終わり方が変わった。
「なんで最後なんですか?」
「最後にあるものを、覚えて帰るから」
恵那は画面を指した。
「途中にあると、ただの流れになる。最後にあると、そういうチャンネルだったってことになるの」
「はい」
「中身は同じだよ」
恵那は指を離した。
「一秒も変えてない」
*
出したのは金曜の夜だった。
土曜の朝で十二万を越えた。日曜には四十万になった。前のいちばん高い回の二倍近くあった。
コメントは三千を越えた。和彦は上から順に読んだ。
〈ちゃんと配慮してるのが好感持てる〉
〈最後のやつで安心した〉
〈こういうチャンネルは伸びてほしい〉
和彦は一つ目を三回読んだ。
配慮というのは、七千九百六十一のことだった。
*
瀬川が編集の画面を覗きにきた。
「これ、全部手でやったんすか」
「半分は手です」
「時間かかりますね」
「かかりました」
「見なきゃいけないんですよね、隠すとこ」
和彦はマウスから指を離した。離してから、画面を少し倒した。
「見ないと、位置が合わないので」
「そっすよね」
瀬川はそれ以上、何も訊かなかった。訊かないまま、椅子を運びに戻った。運ぶ音が、いつもより長く続いた。
*
月曜に、仁科が来た。
「見た?」
「見ました」
「あたしのとこ、どのくらい映ってた?」
和彦は数字を思い出した。
「合計で、二十二秒です」
「そんなに」
「三人のなかでは、いちばん短いです」
「そう」
仁科はノートを開いた。開いてから、何も書かずに閉じた。
「短くしたの?」
「短くはしてないです。素材がそのくらいでした」
「ふうん」
仁科は机の端に座った。座ってから、髪を一度耳にかけた。
「べつに、いいけど」
里佳は自分の映り方を、何度も確かめていた。
「うち、ここ顎の線きれいじゃない?」
「きれいだと思います」
「ここ、切らないでよ」
「切ってないです」
「切ったら怒るからね」
里佳は笑った。笑ってから、画面を陽菜のほうへ回した。
陽菜は自分のところを見て、少しだけ黙った。
「あたし、笑いすぎだね」
「笑ってました」
「笑ってると、なんか、大丈夫そうに見えるよね」
和彦は答えを持っていなかった。
*
六時半に、恵那が帰った。
閉まってから、大野が机の下から缶を出した。プールの回は伸びたので、当然やるという言い方だった。
「四十万だよ、四十万」
「四十一万です」
「もっとすごいじゃん」
里佳が笑って、缶を配った。仁科は一本だけ取って、机の端に置いた。開けなかった。
時計は七時二十分だった。
「七千二百」
「はい」
「今日は多いね」
「人が増えたので」
「また増えたの?」
「十一人います」
大野は数えなかった。数えずに「へえ」と言った。
和彦はレシートを二つ折りにした。折り目が濡れていて、指の跡がついた。
*
水曜に、切り抜きが出た。
誰かがこの回の一部を短くして、別の場所に上げている。長さは三十秒で、モザイクは入ったままだ。
再生は十万を越えている。
和彦は数を控えた。控えてから、恵那に見せた。
「消したほうがいいですか?」
「消さない」
「でも、うちの動画です」
「うん。でも、あれが宣伝になってるから」
恵那は画面を返した。
「切り抜きは、こっちが作れないの。だから止めない」
*
その週の欄に、和彦は打ち込んだ。
プール使用料 三万八千円 杉本立替 十一月七日
打ち上げ 七千二百円 大野立替 十一月七日
保険料は、別の行にした。二千四百円だった。
モザイクにかかった十九時間を入れる欄は、なかった。
*
〈水着が溶けるドッキリしたら大変なことになった〉
十四分七秒/再生 412,000
〈ちゃんと配慮してるのが好感持てる〉




