アンケート
封筒で来た。
差出人は制作会社の名前だった。中に紙が四枚入っている。番組の説明が一枚、収録の場所と時間が一枚、そしてアンケートが二枚。
「これ、書くんですか?」
陽菜が紙をめくった。
「書くみたい」
里佳が横から覗いた。
「質問、二十七個ある」
アンケートには、こう書いてあった。
〈これまでで、いちばん恥ずかしかった失敗を教えてください〉
〈自分の見た目でコンプレックスに思っているところはありますか〉
〈家族に言われて傷ついた一言はありますか〉
陽菜は机に紙を広げて、ボールペンを持った。持ったまま、しばらく動かなかった。
「難しい?」
「難しくはないけど」
「けど?」
「なんて書けばいいのか分かんない」
和彦は横で数字を打っていた。打ちながら、聞いていた。
「本当のこと書けばいいんじゃないですか?」
「本当のことって、どれ?」
陽菜はペンの先で紙を叩いた。
「恥ずかしかった失敗なんて、いっぱいあるじゃん」
「じゃあ、いちばん恥ずかしいのを」
「いちばん恥ずかしいのは、書けないよ」
陽菜は笑った。笑ってから、一つ目の欄に何か書いた。書いてから、二重線で消した。
結局、里佳が横についた。
「これは、あれでいいじゃん。高校のとき体育祭で転んだやつ」
「あれ、そんなに恥ずかしくないよ」
「恥ずかしいことにすればいいの」
「するの?」
「そういうもんでしょ」
里佳が言うと、陽菜は書いた。書く速さが上がった。二十七個を一時間で埋めた。
和彦は紙が机の上を滑る音を聞いていた。
コンプレックスの欄には「声」と書いてあった。
和彦はそれを見て、目を戻した。見たことは誰にも言わなかった。
*
里佳が帰ったあと、陽菜はもう一度アンケートを読み返した。読みながら、二か所だけ書き直した。
書き直したのは、家族の欄と、見た目の欄だった。
「これ、本当に読まれるのかな」
「読まれると思います」
「じゃあ、やっぱりこっちにしとく」
陽菜はペンを置いた。置いてから、置いた場所を少し直した。ペンが机の縁と平行になった。
*
収録は木曜だった。
付き添いは一人までだと言われて、和彦が行くことになった。恵那は来なかった。来ない理由は言わなかった。
局の入口で紙を渡された。首から下げる札と、地図と、それから香盤という紙だった。
時刻が縦に並んでいる。十三時二十分、十三時四十五分、十四時十分。横に、誰が何をするかが書いてある。
和彦はそれを畳んで、鞄に入れた。入れてから、もう一度出した。
*
通された廊下は長かった。壁に番組の看板が並んでいて、床は靴の音がしない材質だった。歩いていると、自分の足音だけが消える。
途中で、別の出演者らしい人と擦れ違った。向こうが会釈をして、陽菜も会釈をした。誰なのかは分からなかった。
*
控室は狭かった。
鏡と、椅子が二つと、ペットボトルが四本。壁に段取りの紙が貼ってある。陽菜が座って、髪を触った。触ってから、また同じところを触った。
「杉本くん」
「はい」
「あたし、なんて言えばいいんだっけ」
「アンケートに書いたことでいいと思います」
「そうだよね」
陽菜は鞄からアンケートの写しを出した。里佳が「持っていきな」と言って、前の日に作らせたものだった。
声に出して、二回読んだ。
スタジオは思ったより小さかった。
天井が低くて、機材の熱で暑い。床にテープが貼ってあって、そこに立つように言われた。
観客席には四十人ほどいた。
和彦は数えた。四十三人いた。全員が女だった。男は一人もいない。年齢はばらばらで、前のほうに若い人、後ろに年上の人が座っている。
係の人が前に立って、手を叩く練習をさせた。
「はい、じゃあここで笑ってくださいね。大きめでお願いします」
四十三人が笑った。まだ何も始まっていなかった。
*
本番前に、司会の人が下りてきて、陽菜に挨拶をした。
「宮下さん、よろしくお願いします」
「よろしくお願いします」
「アンケート、面白かったですよ」
「ありがとうございます」
「体育祭のやつ、そのまま訊きますんで」
司会の人はそう言って、戻っていった。歩き方が速かった。
陽菜は和彦のほうを見た。見て、少し笑った。何かを言おうとして、言わなかった。
*
収録が始まった。
司会の人が陽菜に訊いた。
「宮下さんは、これまででいちばん恥ずかしかった失敗って、なんですか?」
和彦は鞄の中のアンケートを思い出した。一問目だった。
「高校の体育祭で、リレーのアンカーで転びました」
言い方まで、書いたとおりだった。
観客席が笑った。手を叩く音が続いた。和彦は数えた。四回だった。
*
そのあと、司会が「今日は暑いですね」と言った。
四十三人が笑った。
手を叩く音が重なって、一つの音になった。前のほうで、のけぞっている人がいる。足を踏み鳴らす音も入った。隣どうしで顔を見合わせて、また笑った。
笑いは八秒続いた。
和彦は、暑いですね、をもう一度、頭の中で言ってみた。
そういうことが、何度もあった。
司会が水を飲んだだけで笑いが起きた。出演者が椅子を直しただけで起きた。誰かが咳をしたときも起きた。
いちばん長かったのは、司会が言葉に詰まったときだった。十二秒あった。前列の人がハンカチで目を押さえていた。
二問目も同じだった。三問目も同じだった。
紙に書いてある順番のとおりに訊かれて、書いてあるとおりに答えた。答えたあと、司会が一言足す。足したところで、観客席が笑う。
和彦は間隔を数えた。
答えの終わりから笑いまで、〇・五秒。毎回、同じだった。
和彦はもう一つ数えた。一時間で、笑いは四十一回あった。そのうち、和彦が笑ったのは二回だった。
作られた笑い声だというのは、見ていれば分かった。合図があって、そこで起きて、決まった長さで終わる。
分かったうえで、和彦は、何が面白いのかが分からなかった。
分からないまま、数だけ数えていた。
*
休憩に入った。
和彦は袖のほうへ寄って、横に立っている係の人に訊いた。
「あの」
「はい」
「みなさん、何がそんなに面白いんですか?」
係の人は一度、和彦の顔を見た。見てから、少し笑った。
「そういうものなんで」
「そういうもの」
「はい。そういうものです」
係の人は袖のほうへ戻っていった。手には丸めた紙を持っていた。
途中で、司会が観客席に振った。
「みなさん、こういう経験あります?」
四十三人が同時に手を挙げた。挙げてから、笑った。挙げた手の高さも、ほとんど同じだった。
和彦は壁際に立っていた。立ったまま、手は下ろしていた。
隣に立っている係の人が、手を叩いていた。仕事なのだと思った。
和彦は叩かなかった。
*
和彦は笑いの数を数えつづけた。
一時間で、四十一回あった。そのうち三十七回は、司会が一言足したあとに起きている。残りの四回は、出演者の誰かが言葉に詰まったときだった。
詰まったときのほうが、笑いは大きかった。長さも、そちらのほうが長い。
和彦は手帳に書いた。〈詰まると、笑いが伸びる〉。書いてから、部屋の編集のことを思った。詰まったところは、いつも切っている。
*
休憩に入った。
陽菜が下りてきて、水を飲んだ。飲んでから、和彦のほうを見た。
「あたし、ちゃんとできてた?」
「できてました」
「そう?」
「書いたとおりでした」
「うん。書いたとおりに訊かれるから、楽だった」
陽菜はそう言って、また上へ戻った。
*
二本目の収録が始まった。
出演者が一人増えていた。名前は聞いていない。その人が喋ると、観客席の笑いが少し短くなった。長さの差は、和彦の耳でも分かった。
係の人が袖から手を上げると、笑いの長さが戻った。上げる高さで長さが変わるらしかった。和彦は袖のほうを見た。誰も、そちらは見ていない。
*
和彦は控室に戻って、香盤をもう一度出した。
紙の隅に、細かい字で書き込みがある。誰かの手書きだった。「ここ、拍手」「ここ、詰める」。
紙を裏返すと、裏にも印刷があった。同じ時刻の表が、もう一部あった。
和彦は鞄の中を見た。番組の説明が一枚。場所と時間が一枚。アンケートが二枚。香盤が一枚。台本の抜粋が二枚。
七枚あった。
和彦は、部屋のことを思った。あの部屋には、紙が一枚もない。
*
収録は五時半に終わった。
スタッフが並んで頭を下げた。陽菜も下げた。和彦も下げた。
帰りの電車で、陽菜は座ったまま黙っていた。窓の外が流れて、そのうち暗くなった。
「杉本くん」
「はい」
「あたし、声のこと訊かれなかった」
「はい」
「書いたのに」
陽菜は膝の上で指を組んだ。組んで、また離した。
「いらなかったんだね」
和彦は返事をしなかった。返事の代わりに、鞄の紐を持ち直した。
*
部屋に着いたのは八時前だった。
恵那がいた。画面を見て、数字を確かめていた。
「どうだった?」
「書いたとおりに訊かれました」
「そう」
「全部です。順番も」
「そうだろうね」
恵那は驚かなかった。指も止まらなかった。
「うちは、ああいうの書かないんですね」
「書かない」
「どうしてですか?」
「残るから」
恵那はそこで、画面を閉じた。
「向こうは、あれが仕事なの。何十人も動いてるから、紙がないと動けない」
「はい」
「うちは、私が言えば動く」
「それだけですか?」
「それだけ」
恵那は鞄を持った。
「和彦くん、あっちのほうがちゃんとしてるでしょ」
「そう思います」
「うん。ちゃんとしてる」
恵那はドアのところで、一度止まった。
「うちは、あとでやるだけ」
それだけ言って、出ていった。
*
閉まってから、大野が「今日、やる?」と言った。
テレビに出たのだから打ち上げだと大野は言った。里佳が笑って、缶を数えた。陽菜が「あたし、まだ放送されてないよ」と言った。
「関係ないって」
時計は八時十四分だった。
「四千八百」
「はい」
「陽菜、なに訊かれたの?」
大野が訊いた。
「体育祭で転んだ話」
「それだけ?」
「あと、家族に言われて傷ついた一言」
「なんて答えたの」
「書いたやつ」
陽菜は缶を持ったまま、少し笑った。笑ってから、口をつけた。
誰も、その中身を訊かなかった。
*
次の日、部屋で仁科が訊いた。
「テレビって、時間どのくらいかかるの?」
「入りから出まで、六時間くらいでした」
「使われるのは?」
「たぶん、五分か十分です」
仁科はノートに数字を書いた。書いてから、割り算をした。
「割に合わないね」
「合わないですね」
「でも、出るんでしょ」
「出ます」
「じゃあ合ってるってことだよ」
仁科はペンを置いた。置いた音が短かった。
*
放送は三週間後だった。
部屋のテレビで、全員で見た。陽菜が映るのは合計で四分十秒だった。和彦は測った。
転んだ話は、そのまま入っていた。笑いも、そのまま入っていた。
和彦は自分の耳で聞いた音と、テレビから出てくる音を比べた。同じだった。四十三人の笑いは、そのままそこにあった。
「うまく撮れてるね」
里佳が言った。
*
部屋でも、笑いが起きた。
里佳が笑った。大野が笑った。陽菜も、自分が映っているところで笑った。瀬川は口の端だけ動かした。
和彦は、やっぱり何が面白いのかが分からなかった。
スタジオで分からなかったものが、テレビからも同じように出てくる。出てきて、部屋の四人が笑う。
和彦は今度は、誰にも訊かなかった。
*
観客席は、テレビには映らなかった。
入っているのは笑い声だけだった。四十三人が全員女だったことは、見ている人には分からない。
和彦は、そこを三回巻き戻して確かめた。一度も映らなかった。
*
その週、和彦は〈テレビ出ました〉を作った。
素材は六時間ぶんあった。局が撮った分は使えないので、控室と、行き帰りと、放送を見ている部屋を撮ったものだった。
八分四十秒にした。
*
和彦は、二つの数字を並べて書いた。
局は、六時間を四分十秒にした。
和彦は、六時間を八分四十秒にした。
どちらも、捨てたぶんのほうが多い。
いちばん多く使ったのは、陽菜が喋っているところだった。
声が通るので、音を上げなくてよかった。上げると、部屋の空調まで上がる。上げずに済む素材は、それだけで手間が減る。
和彦は、アンケートの三問目を思い出した。
声、と書いてあった。
*
放送の翌日、チャンネルの登録者が九千増えた。
和彦は増え方を時間ごとに書き出した。放送のあった二十一時台がいちばん多く、二十三時までに七割が入っている。そのあとは、ほとんど動かない。
増えた人が最初に押した動画は、テレビの話ではなかった。オランダの回だった。
和彦はそれを恵那に言った。恵那は「そうだろうね」と言った。
「なんで分かるんですか?」
「テレビを見た人は、テレビの話をもう知ってるから」
*
その週の欄に、和彦は打ち込んだ。
交通費 二千二十円 杉本立替 十月十七日
打ち上げ 四千八百円 大野立替 十月十七日
和彦は自分の名前を打つとき、少し止まった。止まってから、打った。
鞄の中の七枚は、捨てなかった。捨てる欄が、そもそも無かった。
*
〈テレビ出ました〉
八分四十秒/再生 96,400
〈テレビの陽菜ちゃんも変わらなくて安心した〉




