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映える  作者: シズ
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10/25

彼女ができたことがない

「瀬川くん、彼女いたことある?」


 恵那が訊いたのは、企画の打ち合わせのときだった。


「あります」


「何人?」


「二人っす」


「いつ?」


「高校と、去年」


 恵那は指を止めた。止めてから、また動かした。


「じゃあ、いないことにしよう」


「いないことに、ですか?」


 和彦が訊いた。


「うん。一回も」


「本当は二人いますけど」


「そこだけ変える」


 恵那は画面を伏せた。


「あとは全部、本当のことでいく」


      *


 企画は、瀬川と里佳を組ませるものだった。


 二人で一日過ごして、それを撮る。買い物をして、飯を食って、帰る。台本はない。行き先だけが決めてあって、それも口で言われただけだ。


「付き合ってることにするんですか?」


「しない」


「じゃあ、なんですか?」


「一緒にいるだけ」


 恵那は鞄を持った。


「付き合ってることにすると、嘘が二つになるでしょ」


      *


 撮影の前に、瀬川が和彦のところへ来た。


「あれ、言うんすよね。彼女いたことないって」


「言うことになってます」


「高校のやつ、知ってる人いるんすよ」


「同じ大学ですか?」


「いや、地元っす」


 瀬川は指で机の縁をなぞった。なぞってから、手を下ろした。


「まあ、見ないっすかね」


「見ないと思います」


「そうすよね」


      *


 当日は晴れていた。


 駅前で待ち合わせて、そこから撮り始めた。里佳が先に来ていて、瀬川があとから来た。来たとき、里佳が「おそい」と言った。


「五分前っす」


「うちは十分前に来てるから」


「それは早いっす」


 二人が笑った。和彦はカメラを回していた。回しながら、後ろについて歩いた。


      *


 駅前は人が多かった。放送の音と、車の音と、誰かの笑い声が重なって、和彦のマイクが何度も割れた。


 和彦は音を諦めた。諦めて、二人の後ろ姿だけを追った。人の肩が何度も間に入る。入るたびに、和彦は半歩ずれた。歩きながら撮ると、腕の付け根が痛くなる。


      *


 買い物は一時間半かかった。


 里佳が瀬川に服を選ばせた。瀬川は三着持って、鏡の前で迷った。迷っている時間が長かった。


「これでいい?」


「うちに訊かないでよ」


「訊いてるんすけど」


「自分で決めな」


 瀬川は真ん中の一着を戻した。戻してから、また取った。


 和彦は、そのやりとりを撮った。撮りながら、これは本当だと思った。


      *


 店の中は暖かくて、上着を脱ぐと背中に汗が残っている。焼けた油の匂いがして、隣の席の話し声が近い。


      *


 昼を食べた。


 カメラは机の端に置いた。二人は普通に喋っていた。バイトの話と、テストの話と、それから知らない誰かの話をした。


 和彦は箸を持ったまま、二人を見ている。手が止まっていることに、しばらく気づかなかった。


 三十分ほどして、里佳が「杉本くんも食べなよ」と言った。


「食べてます」


「食べてないでしょ、それ」


 和彦は自分の皿を見た。半分残っている。冷めた油が縁で白くなっていた。


      *


 帰りに、公園を歩いた。


 夕方で、風が冷たかった。里佳が上着の前を合わせて、腕を組んだ。


「寒い」


「貸します?」


「いい」


「寒いんすよね」


「いいって」


 里佳はそう言って、少し先を歩いた。瀬川が追いついた。追いついてから、並んだ。


 二人はしばらく黙って歩いた。靴の音だけが、前を行ったり後ろへ来たりしている。


 和彦は後ろから撮っていた。撮っているものが何なのか、そのときは分からなかった。


      *


 ベンチは冷たかった。座ると、その冷たさが腿の裏から上がってくる。里佳が「うわ」と言って、少し腰を浮かせた。


 風が鳴っている。木の上のほうで、ずっと鳴っていた。和彦はマイクの向きを変えた。変えても、音は入りつづけた。


      *


 最後に、瀬川に一つだけ訊くことになっていた。


 ベンチに座らせて、カメラを正面に置いた。


「瀬川くん、彼女って、いたことあるんですか?」


 訊いたのは里佳だった。訊き方は普通だった。


 瀬川は少し黙った。膝の上で、指が一度だけ動いた。


「ないっす」


「一回も?」


「一回も」


 里佳が「うそでしょ」と言った。言い方が本当に驚いていた。


「いや、ほんとに」


「いまの瀬川なら、絶対いるじゃん」


「いないっすよ」


 瀬川は笑った。笑い方は、いつもと同じだった。


 嘘は、その一言だけだった。


 ほかは全部、その日に起きたことだ。服で迷ったのも、飯を食ったのも、公園が寒かったのも、二人が黙って歩いたのも、全部本当だ。


 一緒にいた時間は、七時間ある。


 その七時間は、一秒も作っていない。作れるものでもない。


      *


 撮り終わったあと、瀬川は少しのあいだ座ったままでいた。膝に手を置いて、正面を見ている。


 里佳が先に立ち上がって、手を差し出した。瀬川はその手を取らずに、自分で立った。立ってから、ズボンの後ろを払った。


 和彦はカメラを下ろした。下ろすとき、肩の力が抜けて、腕が重く感じた。


      *


 編集は三日かかった。


 七時間が、十二分になった。


 和彦は最後の場面をいちばん後ろに置いた。置くと、そこまでの十一分が、その一言のための時間に見える。


 置き方を変えて、真ん中にしてみる。真ん中にすると、ただの一日になる。


 和彦は後ろに戻した。戻してから、こめかみを指で押した。


「タイトル」


「〈彼女ができたことがない男と、一日過ごしてみた〉」


 恵那が言った。


「長くないですか?」


「長くていい。今回は中身で見られるから」


 和彦は打ち込んだ。


「サムネは?」


「二人が並んで歩いてるところ。顔は見えなくていい」


「見えなくてですか?」


「うん。顔が見えると、どっちの動画か分かっちゃうから」


      *


 出したのは金曜の夜だった。


 土曜に二十万を越えた。日曜には七十万になった。


 コメントは一万を越えた。和彦は上から読んだ。


  〈この距離感がリアルすぎる〉


  〈作ってない感じがいい〉


  〈本間さんのほうが好きになってそう〉


 和彦は二つ目を三回読んだ。読むたびに、喉の奥が少しずつ締まった。


 作っていないのは本当だった。作ったのは、一言だけだった。


      *


 月曜に、里佳が来た。


「うち、あれ本気に見えた?」


「見えました」


「困るんだけど」


「困りますか?」


「困らないけど」


 里佳は椅子に座った。座ってから、足を組んだ。


「あの日、普通に楽しかったからさ。それが困る」


 和彦は返事を持っていなかった。


「楽しかったのは本当なんだよね」


「本当だと思います」


「じゃあ、なんも嘘ついてないじゃん、うち」


「ついてないです」


「だよね」


 里佳は笑った。笑ってから、少し黙る。指で机の縁を二度叩いて、それからやめた。


      *


 瀬川は、その週から連絡が増えたと言った。


 コメントに名前を書く人が増えて、切り抜きが十二出た。いちばん多いのは、最後のベンチのところだ。


「あそこばっかりっすね」


「あそこが効いてるので」


「嘘のとこっすね」


 瀬川はそう言って、椅子に座った。運ぶ役はもう別の人になっていた。


「べつに、いいんすけど」


      *


 水曜に、地元の人からコメントが来た。


 短い文だ。〈高校のとき彼女いたよね?〉と書いてある。


 和彦はそれを恵那に見せた。


「消しますか?」


「消さない」


「でも」


「消すと、本当だったことになるから」


 恵那は画面を返した。


「放っておけば、下に落ちる」


      *


 三日後に、そのコメントは見えなくなっていた。


 消えたのではない。新しいコメントが上に積もって、下に行っただけだ。


 和彦は下まで送って、それを探した。八百件目のあたりにある。返信は一つもついていない。


 和彦は画面を閉じた。閉じた指が、そのまま机の上に残った。


      *


 六時二十分に、恵那が帰った。


 閉まってから、大野が袋を提げて戻ってきた。七十万いったからやるという言い方だった。


 里佳と瀬川が並んで座っていた。並んでいるのは、その日が初めてではなかった。


 時計は六時五十分だった。


「五千五百」


「はい」


「おまえら、付き合っちゃえば?」


 大野が言った。


「付き合わないっす」


「なんで」


「なんでって」


 瀬川は缶を持ったまま、少し笑った。


 里佳は何も言わなかった。言わないまま、缶を口に運んだ。


      *


 その週の欄に、和彦は打ち込んだ。


   打ち上げ  五千五百円  大野立替  三月六日


   撮影経費  九千八百円  杉本立替  三月一日


 撮影経費は、二人の昼と、電車代と、公園の自販機の分だった。


 七時間の欄は、なかった。


      *


  〈彼女ができたことがない男と、一日過ごしてみた〉


  十二分四秒/再生 728,000


  〈作ってない感じがいい〉

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