分かってくれてる
その週から、コメントを読むのも和彦の仕事になった。
「全部読むんですか?」
「全部」
「一万あります」
「じゃあ、上から千」
恵那はそう言って、紙を一枚も出さなかった。
*
和彦は表を作った。縦にコメントの種類を並べて、横に本数を並べる。種類は自分で決めた。決めるのに、二日かかった。
○顔のこと
○中身のこと
○自分の話
○悪口
○その他
千件を分けると、いちばん多いのは顔のことだった。四百三十一。次が中身で、二百二。悪口は五十四だった。自分の話は、百十七あった。
読むのは、思ったより疲れた。
千件を送るのに、指を六百回ほど動かす。途中で親指の付け根が痛くなって、和彦は途中から人差し指を使った。画面が近いので、目の奥が重くなる。
二百件を過ぎたころ、和彦は窓を開けた。外の音が入ってきた。車と、誰かの自転車のブレーキと、遠くの工事の音だった。
自分の話というのは、こういうものだった。
〈わたしも去年、同じことがありました〉
〈職場の人間関係で悩んでいて、この動画に救われています〉
〈高校のとき、似たようなことを言われたのを思い出しました〉
どれも長い。顔のことを書く人は一行で終わるが、自分の話をする人は五行も六行も書いた。和彦は文字数を数えた。平均で百四十七字ある。顔のことの平均は、十九字だった。
「これ、どうしますか?」
和彦は表を見せた。恵那は上から順に見て、自分の話のところで指を止めた。
「これ、増やして」
「増やすんですか?」
「うん」
「どうやってですか?」
「人を下げないこと」
恵那は指を離した。
「下げると、その場では笑う。でも次の日には忘れられてる」
「下げないと、何をするんですか?」
「見る」
「見る」
「人のこと、ちゃんと見て、そのまま出す」
恵那は椅子に座らなかった。
「そうすると、見てる人が自分の話を始めるの」
「自分の話ですか?」
「うん。それが、いちばん強い」
*
その月から、企画が少し変わった。人を並べて順位をつけるものが減って、人に話を聞くものが増えた。街で声をかけて、そのまま十分喋ってもらう。編集はほとんどしない。
和彦は最初、それを不安に思った。切るところが無い。切らないと、間が残る。間が残ると、間延びして見える。
出してみると、伸びた。
前より遅い。それでも落ちなかった。二週間経っても、まだ数字が動いている。
「これ、なんで落ちないんですか?」
「保存されてるから」
「保存?」
「あとで見返す人がいるの。顔の動画は見返さないでしょ」
恵那は画面を指した。
「一回見て終わるものと、何回も見るものは、伸び方が違う」
和彦は数字を書き出した。
顔の動画は、三日で八割が入る。話を聞く動画は、三日で四割だった。残りが、そのあと二か月かけて入ってくる。
「分かってくれてる」というコメントが出始めたのは、三本目からだった。
最初は一件だった。次の回で七件、その次で二十四件になった。和彦は数え続けた。
○一本目 一
○二本目 七
○三本目 二十四
○四本目 六十八
○五本目 百三十一
増え方が、前に見た数字と逆だった。上がり方が日ごとに大きくなっている。前は、日ごとに小さくなった。
街で声をかける撮影は、寒い日が多かった。
和彦はカメラを持って、手袋をしなかった。手袋をすると、ボタンの位置が分からなくなる。指が赤くなって、そのうち感覚がなくなった。
断られるほうが多い。十人に声をかけて、二人が立ち止まる。立ち止まった人のうち、一人が最後まで喋る。
喋り出すと、みんな長かった。
*
四本目のあと、長いコメントが来た。
千二百字あった。書いたのは、たぶん若い人だった。学校のことと、家のことと、それから病院のことが書いてある。最後に「陽菜さんの動画だけが救いです」と書いてあった。
和彦はそれを三回読んだ。読んでから、陽菜に見せた。
陽菜は画面を持って、途中で一度、目を上げた。
「これ、どうしよう」
「返しますか?」
「返したほうがいいよね」
「たぶん」
陽菜はその場で打ち始めた。打っては消して、また打った。三十分かかった。
*
できたのは二行だった。三十分かけて、二行になった。
〈読みました。無理しないでね〉
「これでいいかな」
「いいと思います」
「短くない?」
「短いですけど」
和彦は言葉を探した。
「長いと、また書いてくると思います」
陽菜は画面を見た。しばらく見てから、送信を押した。
押したあと、携帯を伏せた。伏せてから、また表に返した。
*
次の日、恵那が来た。
「返信、一件だけにして」
「一件ですか?」
「うん。一本の動画につき、一つ」
「たくさん来ますけど」
「たくさんに返すと、返してもらえなかった人が出るでしょ」
恵那は鞄を机に置いた。
「一つだけなら、選ばれた人がいることになるの」
「選ばれなかった人は」
「次があると思う」
*
その週から、返信は一件になった。どれに返すかは、陽菜が決めた。決めるのに毎回三十分かかって、そのあいだ陽菜は何も喋らなかった。
和彦は横で数字を打っていた。打ちながら、選ばれなかったほうの数を数えた。
四本目のときは、千百九十九だった。
*
三月に、陽菜宛の封筒が届いた。
部屋の住所は出していない。大学の名前で調べたらしかった。中に便箋が四枚と、写真が一枚入っている。
写真は、陽菜の動画の画面を撮ったものだ。画面の縁まで写っていた。
「気持ち悪くない?」
里佳が言った。
「気持ち悪くはないけど」
陽菜は便箋を最後まで読んだ。読んでから、封筒に戻した。
「この人、たぶんほんとに困ってるんだと思う」
「でも会ったことないよね」
「ないよ」
「じゃあ、この人が知ってる陽菜って、誰?」
陽菜は答えなかった。封筒の角を指で何度も折っていた。
封筒は厚みがあった。手に取ると、思ったより重い。糊のところが二重に貼ってあって、開けるのに時間がかかった。
紙の匂いがした。新しい便箋の匂いだった。
和彦は、その封筒を預かった。
机の引き出しに入れて、鍵をかけた。鍵は自分が持った。
入れるとき、便箋の一枚目が少し見えた。丁寧な字で、行が曲がっていない。和彦は引き出しを閉めた。
*
和彦は選ばれなかったコメントを、しばらく読んでいた。
千百九十九のうち、返信を求めているものは少なかった。ほとんどは、ただ書いてある。答えを待っていない。書いて、それで終わっている。
和彦はその中の一つを開いた。三百字あって、最後に「読んでもらえなくても大丈夫です」と書いてあった。
和彦は画面を閉じた。閉じてから、机の上で指を組んだ。組んで、また離した。
*
その月、登録者が十万を越えた。
恵那は数字を確かめて、それだけだった。里佳が「なんか言ってよ」と言うと、「よかったね」と言った。
「それだけ?」
「うん」
「十万だよ」
「知ってる」
恵那は鞄を持った。
「次は、五十万」
和彦は表を作り直した。
千件のうち、自分の話は百十七から四百二十六に増えていた。顔のことは、四百三十一から二百八になっている。悪口は十一だった。
和彦は増えたほうと減ったほうを並べて書いた。
書きながら、思ったことがあった。
この四百二十六人は、陽菜のことを何も知らない。学部も、実家も、朝に何を食べるかも知らない。声を出すときに肩が上がる癖も、知らない。
それでも、分かってもらえたと書いている。
和彦はその行を書きかけて、消した。消した下に、字が残っている。指で擦ると、紙の毛羽が立った。
*
その夜、和彦は自分の動画を一本、最初から見た。
街で声をかけた回だった。喋っているのは知らない人で、名前も出ていない。仕事の話をして、途中で少し笑って、最後に「まあ、こんなもんです」と言って終わる。
和彦はその十分を、切らずに出した。切るところが無かったからだった。
コメントの一つ目に「この人、分かってくれてる」と書いてある。
書かれているのは、喋った人のことではない。撮った側のことだった。
和彦は誰にも、その違いを言わなかった。
*
六時に、恵那が帰った。
閉まってから、大野が「今日、やる?」と言った。十万いったからやるという言い方だった。
瀬川が缶を配った。配る役は、いつのまにか瀬川になっていた。
時計は六時二十五分だった。
「六千八百」
「はい」
「陽菜、ファンレター来たんだって?」
「来た」
「見せてよ」
「やだ」
陽菜は笑った。笑ってから、缶を持ち上げた。
「あれ、返事書けないもん」
「なんで」
「なんかさ、あたしのこと、あたしより分かってる感じで書いてあるんだよ」
誰も、それに答えなかった。
*
その週の欄に、和彦は打ち込んだ。
打ち上げ 六千八百円 大野立替 三月二十七日
和彦は引き出しの鍵を、財布の中に移した。便箋の欄は、そこには無かった。
*
〈街で声かけて、十分だけ話を聞いてみた〉
二十一分八秒/再生 486,000
〈この人、分かってくれてる〉




