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映える  作者: シズ
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12/25

吸収

 その日の撮影は、よく撮れた。


 三本ぶんを一日で回して、どれも途中で止まらなかった。里佳が二回噛んだが、二回とも笑いになった。笑いになったほうが良かったので、そのまま残すことにした。


 終わったのは五時半だった。


 恵那は片づけの前に帰る。いつもそうだった。誰かが「先輩が帰ったら」と言ったことは、一度もない。


 その日も、恵那は五時四十分に鞄を持つ。


「おつかれさま」


「おつかれさまです」


 ドアが閉まる音がして、廊下の足音が遠くなった。


      *


 六時前に、大野が袋を提げて戻ってきた。


 缶と、袋菓子と、瓶が二本入っていた。瓶のほうは、和彦が見たことのない形をしていた。細くて、首が長い。


「なにそれ」


 里佳が訊いた。


「もらったやつ。開けないと悪いでしょ」


 大野は瓶を机の真ん中に置いた。置いた音が重かった。


      *


 その夜は九人いた。


 里佳と陽菜が並んで座って、その日の撮影の話をしていた。二回噛んだところを、里佳が自分でやり直して見せている。陽菜が笑って、笑いすぎて咳をした。


 瀬川は壁際の椅子に座っている。缶を一本持って、まだ開けていない。


 仁科はノートを開いている。開いたまま、線を引いていた。表の幅を直しているらしい。直す必要があるようには見えない。


 和彦は机の端で、レシートを数えていた。


 その週は五枚ある。二枚が撮影の経費で、三枚が打ち上げの分だ。金額を足して、電卓に打って、また足した。


      *


 部屋は暑かった。四月なのに暖房が切れていない。窓を開けると、外の空気が冷たくて、誰かが「寒い」と言った。開けたのは五分だけだった。


 缶を開ける音が、間を置いて続いていた。袋菓子の袋が破れる音が、そのあいだに一度入った。


      *


 七時過ぎに、ドアが開いた。


 恵那だった。


「あ、鍵」


 そう言って、机のほうへ来た。机の上に、鍵が一つ置いてあった。部屋の合鍵だった。


「置いてったんですか?」


「置いてった」


 恵那は鍵を取った。取ってから、帰らなかった。


 立ったまま、部屋を見ていた。


「先輩も飲んでけば?」


 大野が言った。


「いい」


「一杯だけ」


「いい」


 恵那は缶を受け取らなかった。壁の近くに立って、そのままだった。


 里佳が椅子を一つ空けた。恵那は座らなかった。


 仁科の手は止まっていない。線を引いて、定規をずらして、また引いている。


 和彦はレシートを数えていた。


 三枚目の合計が合わなかった。二回目で合った。二回目のほうが正しいのかどうか、確かめるために三回目をやった。


 顔は上げていなかった。


 部屋で笑い声がした。誰かが「まじで?」と言った。


「これさ」


 大野の声だった。


「ケツから飲んだほうが、吸収が早いんだって」


 笑いが起きた。里佳が「なにそれ」と言って、陽菜が「きたない」と言った。誰かが手を叩いた。


「ほんとだって。胃を通らないから」


「誰から聞いたのそれ」


「聞いた。前に、そういうのやってた人がいて」


 和彦は電卓を打っていた。四桁目で間違えて、消した。


「じゃあ、やってみる?」


      *


 椅子が動く音がした。


「瀬川、ちょっと」


「え」


「いいから、ちょっと」


 笑い声が続いていた。止める声は出なかった。瀬川の声が、短く一つした。


 和彦は電卓の数字を見ていた。合計が出ていた。


「それは絶対にやめなさい」


 和彦は顔を上げた。


 恵那が壁のところから、一歩だけ前に出ていた。声が高かった。


 その高さを、和彦は初めて聞いた。


      *


 部屋が止まった。


 大野が瓶を持ったまま、恵那のほうを見た。持っている手は、まだ下がっていない。


「え、なんで」


 大野が言った。


 恵那は歩かなかった。立ったまま、答えた。


「吐けなくなるから」


「吐けない」


「胃に入れば吐ける。そっちからだと、出せない」


 言い方は丁寧だ。速さも普段と同じだった。ただ、高さが戻っていない。


「意識がなくなっても、そのまま入りつづける」


「入りつづける」


「死ぬよ」


 誰も何も言い返さなかった。


 言い返さなかったのは、怒られたからではなかった。和彦にはそう見えた。


 大野は瓶を机に置いた。置くとき、底が机に当たって、短い音がした。


「はいはい」


 大野はそう言った。言ってから、椅子に座った。座って、缶を持ち上げて、口をつけずに置いた。


      *


 瀬川は動かなかった。


 椅子のところに立ったままで、片手が椅子の背にかかっている。かかったまま、動かさない。指が白くなっている。


 誰も瀬川のほうを見なかった。


 和彦も、そこで目を戻した。


 恵那は、それ以上は何も言わなかった。


 鍵を持ったまま、少し立っていた。それから、ドアのところへ行った。


「じゃあ」


 誰かが「おつかれさまです」と言った。一人だけだった。


 ドアが閉まった。


      *


 和彦は電卓を伏せた。


 手のひらが汗ばんでいて、机に跡がついた。跡はすぐ消える。消えたところを指でもう一度なぞった。


      *


 誰も喋らなかった。


 里佳が缶を持ち上げて、また置いた。陽菜が携帯を出して、画面を見て、すぐ伏せた。


 仁科のペンが止まっていた。止まってから、また動いた。動いてからは、前と同じ速さだった。


 大野が「まあ、冗談だし」と言った。


 誰も、それに答えなかった。


      *


 十分くらいして、里佳が立ち上がった。


「うち、明日一限だから」


「もう?」


「うん」


 里佳が出ていくと、陽菜も鞄を持った。持ってから、瀬川のほうを見た。見て、何か言おうとして、言わなかった。


 新しく来ていた一年の二人が、続いて出ていった。


      *


 残ったのは四人だった。


 大野は缶を一本だけ空けて、それから帰った。帰りぎわに「じゃ、また」と言った。声はいつもと同じ大きさだった。


 仁科はノートを閉じて、鞄に入れた。入れてから、机の上を一度拭いた。拭くものが置いてあったわけではなかった。


「杉本くん」


「はい」


「これ、書かなくていいから」


「なにをですか?」


「今日のこと」


 仁科は表を指した。指した欄は、空いていた。


「はい」


「うん」


 仁科は出ていった。


      *


 和彦は、恵那が言った言葉を思い出そうとした。


 三つあった。吐けなくなる。出せない。死ぬよ。


 三つとも短い。短いのに、部屋の音が全部消えた。和彦はそれまで、恵那が誰かを止めるところを見たことがなかった。


 止めたのは、行為のほうだった。


      *


 瀬川は最後まで座っていた。


 和彦はレシートを数え終えていた。数え終わっても、机の上に広げたままにしていた。


「杉本さん」


「はい」


「あれ、俺は断ったほうがよかったすかね」


 和彦は言葉を探した。探して、見つからなかった。


「断っていいと思います」


「そうすよね」


 瀬川は缶を持った。まだ開けていなかった。開けないまま、鞄に入れた。


「じゃ、お疲れさまです」


「お疲れさまです」


      *


 部屋の外で、水の音がした。誰かが廊下の流しを使っている。音は二分ほど続いて、止まった。


      *


 一人になった。


 時計を見ると、九時四十分だ。いつもは十一時を過ぎている。


 和彦は缶を集めた。九本あるはずが、四本しか空いていない。残りは、開けられないまま机に並んでいた。


 和彦はそれを袋に入れた。入れながら、瓶を見た。


 瓶は二本とも、机の真ん中にある。栓は開いていない。


      *


 電気を消して、廊下に出た。


 蛍光灯は一本切れている。階段を下りながら、和彦は段を数えた。数えようとしたのではない。


 十四段だった。


      *


 次の日、部屋に行くと、瓶は無くなっていた。


 誰が持ち帰ったのかは分からない。訊く相手も思いつかなかった。机の上は拭いてあって、輪の跡も残っていない。


 仁科の表は壁に貼ってある。その週の欄は、四日ぶんが空いたままだった。


      *


 その週の欄に、和彦は打ち込んだ。


   打ち上げ  三千二百円  大野立替  四月十日


 いつもの半分だった。


 和彦はもう一度、レシートを確かめた。金額は合っていた。


 合っているのに、しばらく打てなかった。

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