伝説のヤンキー
九月に入って、初めて外から人を呼んだ。
相手は登録者が二万八千いた。
「向こうから来たんですか?」
「こっちから出した」
恵那は画面を回して、和彦のほうへ向けた。チャンネルの名前は片仮名で三文字だった。並んでいる画は、どれも同じ男が腕を組んでいる。
「この人、何やってる人ですか?」
「昔の話をしてる」
「昔の話」
「それだけで二万八千いる」
*
戸倉という男だった。
三十を少し過ぎている。背は高くない。首が太くて、肩から腕にかけての線がまっすぐだった。半袖のシャツの下に、消えかけた線が見えた。和彦はそれを見て、すぐ目を戻した。
「どうも、戸倉です」
声は低くて、丁寧だった。靴を脱いで上がって、椅子を勧められる前に立っていた。
「今日はよろしくお願いします」
里佳が「あ、こちらこそ」と言った。言ってから、少し笑った。笑い方が普段と違っていた。
*
撮影は二時間の予定だった。
カメラは二台にした。一台は和彦が回して、もう一台は三脚に載せた。三脚のほうは瀬川が見ることになったが、瀬川はほとんど画面から目を離さなかった。
「じゃあ、昔の話からお願いします」
恵那が言った。それだけ言って、画面の外へ下がった。
*
戸倉はよく喋った。
中学のとき、隣の中学と揉めた話。高校に行かなかった話。夜に集まる場所があって、そこに三十人いた話。
「相手が四人だったんですよ。こっちは一人」
「一人?」
大野が身を乗り出した。
「三人までは勝てるんですけどね」
「三人まで」
「四人だと、さすがにボコボコにされちゃって」
戸倉は笑った。笑ってから、自分の顎のあたりを指でさわった。
「ここ、二回折れてます」
里佳が「痛そう」と言った。陽菜が顔をしかめた。
「で、次の日に仕返し行ったんですよ」
「行ったんですか?」
「行きました。一人ずつなら勝てる自信あったんで」
「一人ずつ」
「呼び出して、順番に」
戸倉はそう言って、また笑った。
「勝ちました」
部屋が沸いた。里佳が手を叩いて、陽菜が「え、すご」と言った。瀬川は画面を見たまま、口の端だけ動かした。
「そしたら今度は、そいつらと俺らとヤクザで、三すくみみたいになっちゃって」
「ヤクザ」
「あの辺のですけど。名前は言えないですね」
「三すくみって、どういうことですか?」
「向こうがこっちに来ると、ヤクザが出てくるんですよ。で、ヤクザが出てくると、今度は……あれ、逆かな」
戸倉は少し考えた。指で机を二回叩いた。
「まあ、そんな感じで。しばらくぐちゃぐちゃで」
「へえ」
「上の人が話つけて、一回収まって、また揉めて」
「大変じゃないですか」
「大変でしたね。バイトも行けなくなって」
里佳が笑った。大野も笑った。
「で、そうこうしてるうちに、俺捕まっちゃって」
「捕まったんですか?」
「捕まりました」
部屋がまた沸いた。
*
「え、もしかして人殺したんですか?」
陽菜だった。声が大きかった。
部屋が一瞬、静かになった。
「いや」
大野が笑った。
「それだったらニュースになるでしょ」
「あー、たしかに」
「なるなる。名前も出るって」
里佳も笑った。戸倉も笑った。笑ってから、水を飲んだ。
「そうっすよね」
陽菜がそう言って、自分の頬を軽く叩いた。
話はそこで終わった。次の話になった。
和彦はカメラを構えていた。構えていると、顔の半分がレンズの後ろに入る。そこから見ると、笑っている顔がよく見えた。
*
一時間ほどして、戸倉が水を飲んだ。
「まあ、そのあと捕まったんですけどね」
「え、捕まったんですか?」
「捕まりました。何回も」
「少年院とかですか?」
訊いたのは陽菜だった。悪気はなかった。
戸倉はコップを置いた。置いてから、少し笑った。
「少年院じゃなくて、刑務所」
「刑務所?」
「少年刑務所ってとこ。行ったことある人、あんまいないでしょ」
部屋の誰も声を出さなかった。それでも、空気は落ちなかった。むしろ、そこで一段上がった。
「何年いたんですか?」
大野が訊いた。
「二年ちょっと」
「二年」
「長かったっすね」
戸倉はそう言って、話を戻した。戻したあとは、また抗争の話になった。
*
終わりぎわに、戸倉が座り直した。膝に手を置いて、背を伸ばした。
「最後に、若い子に言っときたいことがあるんですけど」
「どうぞ」
恵那の声が画面の外から入った。
「俺みたいになるなって言うと、たぶん誰も聞かないんですよ」
戸倉は一度、自分の手のひらを見た。指の付け根に古い傷がある。
「だから、そうじゃなくて。自分が何やってるか分かんなくなったら、それは危ないから。俺はずっと分かんなかった」
部屋が静かになった。里佳が姿勢を直したのが、画面の端で分かった。
「いまは分かるんですか?」
「分かります。分かるようになるまで、時間かかりましたけど」
戸倉は笑った。笑い方が、それまでと違っていた。
和彦は構えたまま、その顔を最後まで撮った。
*
撮り終わったのは八時前だった。
戸倉は靴を履きながら、里佳と話していた。里佳は玄関のところに立って、笑っていた。
「今日ありがとうございました」
「こちらこそ。いい話が撮れました」
恵那が言った。声は動かなかった。
戸倉は一度、部屋の中を振り返った。振り返ってから、頭を下げて出ていった。
*
編集は三日かかった。
二時間三十八分あった。使ったのは十九分。抗争の話が中心で、捕まった話は真ん中に置いた。
和彦は真ん中の部分を何度も通した。
順番はこうなっている。四人にやられた。仕返しに行って、勝った。しばらく揉めた。そのあと捕まった。刑務所に二年いた。出てきて、いまは働いている。
繋がっている。何も足していない。順番も変えていない。
それでも、和彦は手を止めた。
伝票を打つ仕事を、和彦は知らない。まだ知らない。
ただ、数字を並べたときに合わないと分かることは、もう覚えていた。合わないと分かるのは、数字が小さすぎるか、大きすぎるかのどちらかだった。
喧嘩で、二年。
和彦は紙に書いてみた。
○三人までは勝てる。四人でやられた
○次の日、仕返しに行った。呼び出して、順番に。勝った
○そいつらと、俺らと、ヤクザで三すくみ。ぐちゃぐちゃ
○そうこうしてるうちに捕まった
○少年刑務所 二年ちょっと
和彦は四行目を見た。
そうこうしてるうちに、と書いてある。何が起きたかは、書いていない。
戸倉は一度も言っていなかった。訊かれてもいなかった。
繋がっているように聞こえたのは、順番のせいだった。
*
仁科が横を通って、紙を覗いた。覗いて、すぐ離れた。
「なにそれ」
「順番を書いてます」
「順番なら、動画にあるでしょ」
「あるんですけど」
和彦は紙を裏返した。裏返してから、また表に戻した。仁科はもう見ていなかった。
*
和彦は調べた。
喧嘩で人を殴った十代が、どうなるかを調べた。書いてあることは、どれも同じだった。まず家庭裁判所へ行く。多くは保護観察になる。重ければ少年院になる。少年刑務所という言葉は、なかなか出てこない。
出てくるのは、二つの場合だった。
一つは、罪がずっと重いとき。もう一つは、二十歳になっているとき。
和彦は二つ目を読み直した。審判の前に二十歳になれば、少年法の対象から外れる。外れると、検察官に送られる。送られると、大人と同じ裁判になる。
条文の番号が二つ並んでいた。和彦はそれを手帳に写した。写しながら、字が濃くなっているのに気づいた。力が入っていた。
*
名前は聞いていた。
和彦は打ち込んだ。姓と、名と、市の名前を並べた。
三件出た。
二件は同姓同名の別人だった。一件は、九年前の記事だった。短い記事で、四行しかない。市の名前と、年齢と、罪名と、判決が書いてある。
ニュースには、なっていなかった。
四行の記事が一つあるだけだった。テレビでも、大きな記事でもない。九年経って、上のほうには出てこない。
それでも、名前は出ていた。
大野が言ったことは、半分だけ当たっていた。
和彦はコメントを開き直した。
上から三百まで送って、それを見つけた。
〈ある意味伝説だよ(笑)〉
動画の題は〈伝説のヤンキーに、全部聞いてきた〉だった。
和彦はその一行を、しばらく見ていた。返信は無かった。いいねが四つ付いている。
年齢は、二十歳だった。
和彦は日付を二つ書き出した。
一つは事件の日。もう一つは、記事に出ている誕生日の月。並べると、あいだが十一日しかなかった。
十一日。
和彦は椅子の背にもたれた。天井を見た。喉が渇いていたが、水を取りに行かなかった。
十一日早ければ、名前は出ていない。記事もない。和彦が打ち込んでも、何も出てこない。
罪名は二つ書いてあった。
一つは窃盗。何件かある。もう一つは、和彦の知らない言葉だった。漢字が六つ並んでいて、口に出すと硬い音がした。
調べると、いまの名前と違っていた。九年前は、その名前だった。その前は、また別の名前だった。呼び方は十年ごとに変わって、中身は変わらない。
和彦は三つの言葉を並べて書いた。書いてから、二本線で消した。消しても、下に残った。
万引きだけでは、二年にならない。
*
動画では、その話は出ていない。
出ていないのではなかった。誰も訊いていない。訊かれていないから、答えていない。
戸倉は嘘を一つもついていなかった。四人にやられた話も、仕返しに行った話も、本当かもしれない。刑務所にいたのも本当だった。二年いたのも本当だ。
ただ、それは繋がっていない。
和彦は自分の作った十九分を、もう一度通した。
繋がっているように見えた。繋げたのは、和彦だった。
*
金曜に、恵那が来た。
和彦は画面を閉じずに待っていた。恵那が横に立ったところで、手帳を開いた。
「恵那さん」
「うん」
「戸倉さんのことなんですけど」
「なに」
「捕まった理由、たぶん喧嘩じゃないです」
恵那は画面を見たまま、少し首を傾けた。
「調べたの?」
「名前を入れただけです」
「そう」
返事はそれで終わりだった。恵那は驚かなかった。怒りもしなかった。手も動かなかった。
「知ってましたか?」
「知らない」
「じゃあ」
「でも、そうだろうなとは思ってた」
和彦は言葉を探した。喉の奥が乾いていて、一度、咳をした。
「出すの、やめますか?」
「なんで?」
「嘘は言ってないですけど」
「言ってないなら、いいでしょ」
恵那は椅子に座らなかった。鞄を持ったままだった。
「和彦くん、その人はいまなにしてる?」
「働いてます」
「働いてる人が、昔の話をしてる」
「はい」
「それだけのことでしょ」
和彦は、それでも言おうとした。言おうとして、言うことが見つからなかった。
嘘は無い。誰も訊かなかった。訊かなかったのは自分たちだ。訊いていれば答えたかもしれない。訊けばよかったのかどうかも、分からない。
「和彦くん」
「はい」
「編集って、なにをすることだと思う?」
「切ることですかね」
「切ったら、切ったところが無くなるでしょ」
恵那は鞄を持ち直した。
「無くなったところは、誰も探さないの」
和彦は記事を印刷しようとした。
紙が出てくる音がして、途中で止めた。止めても、半分は出ていた。四行のうち上の二行だけが出ている。年齢のところで切れていた。
和彦はその紙を折って、鞄の底に入れた。入れてから、鞄を閉じた。
その紙は、そのあと一度も出さなかった。捨てもしなかった。
*
出したのは土曜の朝だった。
昼までに一万を越えた。夜には四万八千になった。翌日は十二万だった。
コメントは千を越えた。和彦は上から順に読んだ。半分ほど読んだところで、指が止まった。
〈この人、ちゃんと反省してるのが伝わってくる〉
〈ある意味伝説だよ(笑)〉
〈昔悪かった人のほうが、人の痛みが分かる〉
和彦は三つ目を三回読んだ。三回読んで、画面を伏せた。
二つ目は、読み飛ばしていた。
*
月曜に、陽菜が来た。携帯を両手で持っている。
「杉本くん、あたし泣いちゃった」
「どこでですか?」
「最後の。若い子に言いたいことってやつ」
「あそこですか?」
「うん。あれ、いい人じゃん」
和彦は返事をしなかった。返事をしないでいると、陽菜は自分でうなずいた。
「なんかさ、ああいう人のほうが、ちゃんとしてるよね」
「そうかもしれないです」
「ね」
陽菜は携帯を鞄に入れた。入れる手が、少しだけ止まった。止まってから、また動いた。
*
十日ほどして、コメントが一つ付いた。
〈キボウシって地元の掲示板に書かれてますけど。〉
和彦は、その言葉を知らなかった。
打ち込んで調べた。出てこなかった。地名でもなかった。店の名前でもなかった。人の名前かどうかも分からなかった。
和彦は、そのコメントをしばらく開いていた。返信は付いていない。次の日も付いていなかった。
記事は四行しかなかった。
掲示板には、もっとあるのだと思った。
和彦は、その掲示板を探さなかった。探し方は分かる。名前と、市の名前を並べればいい。前と同じことをすればいい。
和彦は、そこで手を止めた。
*
三日後に見たら、そのコメントは下に落ちていた。
消えたのではない。新しいコメントが上に積もっただけだった。
和彦は下まで送って、それを探した。四百件目のあたりにある。返信は一つもついていない。
*
塾の問い合わせが、その週だけで十四件あった。
仁科が表に書き込んだ。数字を丸で囲って、横に線を引いた。
「戸倉さんの回、効いてるね」
「そうですね」
「また呼ぶ?」
「恵那さんが決めます」
「決まってるでしょ、それ」
仁科は定規を置いた。置いてから、ノートを閉じた。
*
六時二十分に、恵那が鞄を取った。
閉まってから、大野が缶を出した。買ってきたのではなく、机の下に置いてあったものだった。
「戸倉さん、また来るんでしょ」
「たぶん」
「あの人、いい人だよな」
里佳が言った。誰も否定しなかった。
和彦は缶を持っていた。開けずに持っていた。指の腹が結露で濡れて、そのうち手のひらまで冷たくなった。
*
その週の欄に、和彦は打ち込んだ。
打ち上げ 六千三百円 大野立替 九月十二日
謝礼 三万円 戸倉様 九月九日
謝礼のほうは、項目名の欄に「外注費」と入れた。
和彦は、手帳に書いた二つの日付を消さなかった。消す欄が、そもそも無かった。
〈伝説のヤンキーに、全部聞いてきた〉
十九分四秒/再生 312,000
〈昔悪かった人のほうが、人の痛みが分かる〉




