サムネ
「サムネ、作って」
恵那はそう言った。三本目を出した次の日だった。
「サムネって、あの、最初に出てる画ですか?」
「うん」
「あれ、勝手につくものだと思ってました」
「勝手につくよ。勝手につくと、真ん中の一コマになる」
和彦は自分の出した三本を思い出した。どれも真ん中の一コマだった。中身は違うのに、並べると同じ動画に見えた。
恵那は携帯を出して、画面を和彦のほうへ向けた。三本目の画は、陽菜が口を開けているところで止まっていた。目が半分閉じている。
「これ、押す?」
「押さないです」
「でしょ」
和彦は動画をもう一度通した。
二十八分ある。使えそうな顔を探した。探すというのは、止めて、進めて、また止めることだった。
一時間で十一枚を書き出した。
並べてみると、どれも似ている。喋っている途中の顔は、たいてい口が歪んでいる。笑っている顔は、目が細くなって誰だか分からなくなる。
残ったのは二枚。
顔を切り抜くのに、輪郭をなぞる必要があった。髪の先が背景と同じ色で、そこだけ何度もやり直した。指が痛くなって、和彦は一度、マウスから手を離して開いたり閉じたりした。三十分やって、髪の一房が残った。
一枚は、陽菜が話を聞いているところ。何もしていない。もう一枚は、笑い終わったあとで、口が閉じかけている。どちらも本人には見えない顔だ。
和彦は二枚を並べて、しばらく置いた。
どちらがいいのかは分からなかった。分からないので、両方を縮小して、携帯の画面と同じ大きさにしてみた。小さくすると、聞いている顔のほうは何をしている顔なのか読めなくなった。もう一枚のほうは、口の形だけが残った。
和彦は椅子の背にもたれた。首の後ろが凝っていて、片手で肩を押した。天井の蛍光灯が、視界の端で一度またたいた。
「どっち?」
仁科がノートから顔を上げた。机の端に座っている。
「まだ決めてないです」
「二枚あるなら、両方出せば?」
「両方は出せないです」
「なんで?」
「一本に一枚しかつかないので」
「じゃあ、順番に付けたら」
和彦は打つのをやめた。
「途中で変えられるんですか?」
「知らない。できるんじゃない」
仁科はそう言って、またノートに戻った。ペンの音が続いた。
*
できた。
管理の画面に、差し替えの欄がある。押すと、その場で変わる。動画そのものには何も起きない。長さも、中身も、音も、一秒も動かない。
和彦は手帳を出した。
〈サムネは、あとから変えられる。本体は変わらない〉
書いてから、少し見た。書くほどのことではない気もした。それでも消さなかった。
*
「文字、入れないんですか?」
和彦は訊いた。ほかのチャンネルは、たいてい大きな字が乗っている。
「入れない」
「入れたほうが、分かりやすくないですか?」
「分かりやすいと、読んで終わる」
恵那は指で画面を一度叩いた。
「読んで、内容が分かったら、押さないでしょ」
「はい」
「分からないほうがいいの。顔だけ」
和彦は文字の入った案を消した。消すのは一秒だった。指がキーの上に残った。
*
金曜に、一枚目を付けた。
聞いているほうの顔にした。理由は、そちらが自然だったからだった。
三日で、再生は九百二十で止まる。
*
月曜に、二枚目に替えた。
口が閉じかけているほうにした。切り抜いて、少し大きくして、顔だけが入るようにした。背景の本棚が消えた。消すと、撮った場所が消えた。
替えた直後は、何も変わらなかった。和彦は三十分おきに画面を開いて、閉じて、また開いた。同じ数字が三回続いたところで、指が止まった。指の腹が画面の油で滑って、押したつもりが押せていなかった。
*
火曜の夜、和彦は数字を確かめた。
千七百八十だった。
もう一度、確かめた。
*
水曜に恵那が来た。
「二倍になってます」
「うん」
「動画は、一秒も変えてないです」
「そうだね」
恵那は椅子に座らなかった。鞄を机に置いて、画面を覗いた。
「和彦くん、これどういうことだと思う?」
「サムネのほうが、良かったってことですかね」
「じゃなくて」
恵那は画面の数字を指した。
「八百六十人が、月曜まで押さなかったの」
和彦は数字を見た。
「押さなかった人が、押したってことですか?」
「そう。中身は同じなのに」
「はい」
「だから、中身を良くしても、その人たちには届かない」
恵那はそこで一度、言葉を切った。
「届かせてから、中身の話をするの」
新しい人が二人来ていた。
名前は聞いた。顔も見た。挨拶もした。二人とも一年生だと言って、机の端に並んで座っている。片方が缶を配る係になり、もう片方は何もしていなかった。
どこから来たのかは、和彦は知らなかった。訊く機会はあった。訊かなかった。
*
その週から、和彦の仕事が一つ増えた。
一本につきサムネを三枚作る。出すときに一枚。三日で数字を見て、伸びていなければ二枚目に替える。それでも伸びなければ三枚目にする。
仁科が表に列を足した。「サムネ①②③」と書いて、線を三本引いた。
「替えた日、ここに書いて」
「はい」
「替える前の数字も」
「両方ですか?」
「両方。じゃないと比べられない」
仁科は定規を置いた。
*
オランダの回は、火曜の朝で四万を越えた。
前のいちばん高いのが五千。八倍だ。
和彦は数字を打ち込むとき、前の数字を消そうとした。
「消さないで」
恵那が横から言った。
「え」
「その横に書いて」
和彦は消しかけた行を戻して、横に四万と打った。五千と四万が、同じ行に並んだ。
「なんで残すんですか?」
「残さないと、上がったことにならないから」
その回のサムネは、一枚目のままだった。
和彦は三枚作ってあった。二枚目も三枚目も、使わずに残っている。
「今回、替えなくていいですか?」
「いい」
「伸びてるからですか?」
「そう。伸びてるときは触らない」
恵那は画面から目を離さなかった。
「触ると、効いた理由が消える」
*
木曜に、恵那が一本ぶんのサムネを確かめた。三枚並べたうちの真ん中を指した。
「これ」
「それ、いちばん暗いです」
「うん」
「暗いと、見えにくくないですか?」
「見えにくいと、近づけるでしょ」
和彦は画面に顔を寄せた。寄せると、目の位置が分かった。離すと、分からなくなった。
「顔全部が見えると、判断される。半分だと、確かめたくなる」
「はい」
「確かめるのが、押すってこと」
恵那は指を離した。爪の先が画面に触れた跡が、うっすら残った。和彦は袖でそこを拭いた。
*
夕方、陽菜が来た。
「杉本くん、あれあたし?」
「陽菜さんです」
「顔、こんな大きい?」
「切り抜いたので」
「切り抜いたって」
陽菜は携帯を近づけた。それから、遠ざけた。
「あたしの顔って、これなんだ」
「これです」
「なんか、知らない人みたい」
陽菜は笑った。笑ってから、もう一度画面を近づけた。
「でも、これのほうが可愛くない?」
「そうかもしれないです」
「じゃあ、これでいいや」
陽菜はそう言って、携帯を鞄に入れた。入れてから、また出した。
*
里佳が入ってきて、鞄を椅子に置いた。
「うちの顔は、使わないの?」
「里佳さんは、後ろのほうにしか映ってないので」
「じゃあ前に出るわ」
「出ますか?」
「出る出る。次から前」
里佳は笑った。それから、真面目な顔で言った。
「でもさ、うち切り抜かれたら分かんないと思う」
「どうしてですか?」
「顔が動いてないと、うちって分かんないタイプだから」
和彦は返事をしなかった。返事の代わりに、手元の画面を閉じた。閉じるとき、指が一度すべった。
里佳は自分の頬を両手で挟んで、上に持ち上げた。持ち上げてから、離した。頬は元の位置に戻った。指の跡が、しばらく白く残っていた。
「動いてないと分かんないって、たぶんいいことじゃないよね」
「そうですか」
「そうだよ」
里佳は笑って、鞄から缶を出した。開ける音が部屋の端まで届いた。
*
瀬川が椅子を運んでいた。四脚まとめて抱えて、壁際に置いている。
「杉本さん、俺のサムネって、ないんすよね」
「まだ、ないです」
「作ったら見せてくださいよ」
「出さないかもしれないですけど」
「それでもいいっす」
瀬川は椅子をもう四脚運んだ。運び終わってから、こちらへ来た。
「顔って、切り抜けるんすね」
「切り抜けます」
「へえ」
瀬川は自分の頬を一度さわった。さわってから、手を下ろした。
*
その週、和彦は三本ぶんのサムネを九枚作った。九枚のうち使ったのは三枚で、残りの六枚はフォルダに入ったままになった。
フォルダを開くと、同じ顔が並んでいる。並べると、どれが本人なのか分からなくなる。和彦は目の奥が重くなって、一度、瞼を指で押さえた。押さえてから、フォルダを閉じた。
消しはしなかった。消す理由もなかった。
*
六時半に、恵那が鞄を持った。
「和彦くん」
「はい」
「三枚のうち、いちばん本人に似てないのが、いちばん伸びるよ」
「そうなんですか」
「たぶんね」
恵那はドアを開けた。閉まる音がした。
閉まってから、大野が「今日は?」と言った。
「今日は、なに」
「打ち上げ」
「四万いったんでしょ。じゃあやるって」
止める人はいなかった。里佳が缶を数えて、二本足りないと言った。大野が出ていって、袋を提げて戻ってきた。ビニールの鳴る音がした。
時計は七時十五分だった。
「五千七百」
大野がレシートを机に置いた。
「今日、多いね」
仁科が言った。
「人が増えたから」
「増えた?」
「新しい子が二人来てるでしょ」
和彦は部屋を数えた。九人いた。前は七人だった。
レシートは二つ折りにして、財布に入れた。
*
打ち上げのあいだ、瀬川が自分の携帯を見ていた。画面を横にして、また縦にした。
「なにしてるの?」
里佳が訊いた。
「自分の顔、切り抜けるかなと思って」
「切り抜いてどうすんの?」
「どうもしないっす」
瀬川は携帯を伏せた。伏せてから、缶を持ち上げて、口をつけずに置いた。
*
九時ごろ、山内が来た。段ボールを三つ運んで、廊下に積んだ。積んでから、上の一つを開けて、中を確かめて、閉じた。
「飲んでいきませんか?」
和彦が言うと、山内は「明日、早いので」と言った。声は低くて、短かった。それだけ言って、帰った。
廊下に積んだ段ボールは、朝には無くなっていた。
*
十一時前に、和彦は駅まで歩いた。
風が首に当たった。信号で止まって、携帯を出した。
オランダの回のコメントが、二百を越えていた。上から順に読んだ。
〈この人の顔がタイプすぎる〉
〈内容も良かった〉
和彦は、二つ目のほうを二回読んだ。
*
次の日から、和彦は毎日十一時に数字を確かめるようになった。
四万二千百。四万二千八百。四万三千百。上がり方は日ごとに小さくなって、四日目には百も動かなくなった。
和彦は差を書き出した。千百、七百、三百、九十。
その並びを見ていると、終わりが分かる気がする。分かっても、することは何もない。
*
その週の欄に、和彦は打ち込んだ。
打ち上げ 五千七百円 大野立替 七月二十五日
項目名は「会議費」にした。前と同じにした。
人数の欄は、なかった。
*
〈オランダ、日本と違いすぎた〉
二十八分四秒/再生 41,200(前 5,120)
サムネ①のまま/替えなし
〈この人の顔がタイプすぎる〉




