初回
編集は、和彦がやることになった。
誰かが決めたわけではなかった。撮り終えたあと、恵那がカメラからカードを抜いて、机に置いた。置いた場所が、たまたま和彦の前だった。
「これ、切れる?」
「やったことないです」
「じゃあ、覚えて」
恵那はそう言って、ノートパソコンを開いた。無料の編集ソフトを入れて、和彦のほうへ画面を向けた。それだけだった。
和彦は、やり方を訊こうとした。訊く前に、恵那は別の机へ行っていた。
*
最初の一時間は、読み込みだけで終わった。
カードの中身をパソコンに移すのに三十分かかった。移してから、ソフトが開かなかった。入れ直して、もう一度開いたら、今度は開いた。
和彦は画面の下に並んだ帯を見た。帯は横に長く、端が見えなかった。つまみを動かすと、音が先に鳴って、画が遅れてついてきた。
直し方が分からなかった。
携帯で調べた。設定の中に項目があって、そこを合わせると直った。十五分かかった。
和彦は手帳に書いた。指が強張っていた。〈音ずれ 設定→同期〉。次にやるときのために書いたのだが、次があるかどうかは、まだ誰も言っていなかった。
*
素材は三時間十二分あった。
和彦は最初、全部を通した。二時間目の途中で首が痛くなって、椅子の背に一度もたれた。首の後ろが熱かった。窓の外はもう暗かった。
三時間十二分のうち、二人が喋っている時間はそれほど長くない。
カメラを止め忘れている時間があった。それがいちばん長かった。
止め忘れているあいだ、部屋では誰も何もしていない。里佳が携帯を見ている。瀬川が椅子を並べ直している。陽菜が髪を結んで、結び直している。恵那は画面の外にいて、声だけが時々入る。
和彦は、その部分を早送りしなかった。理由はなかった。つまみに指を置いたまま、動かさなかっただけだった。
二十分ほどして、陽菜が「あー、緊張する」と言った。誰も返事をしなかった。
*
和彦はメモ帳を出して、時刻を書き出した。
○一回目 三分二十秒 ※黙る
○二回目 二分四十秒 ※笑う
○三回目 四分十秒 ※笑う
○四回目 九分三十秒
四回目だけ、長かった。
一回目から三回目までは、途中で必ず止まる。止まると笑って、笑うと最初からになる。四回目は、止まらなかった。
和彦は四回目を三度通した。三度目に、陽菜が一度だけ言葉に詰まるところがあった。〇・八秒だった。
そこは、詰まったままにしておいた。
「どれ使うの?」
恵那が後ろから覗いた。近くはなかった。
「四回目、ですかね」
「なんで」
「いちばん長いので」
「うん」
恵那は頷いて、それから画面を指した。
「ここ、いる?」
和彦は指の先を見た。里佳が画面の外から喋っている。
──初対面?
──初対面じゃないけど。
「いらないと思います」
「じゃあ切って」
和彦は範囲を選んで、消した。四秒だった。
消したあとで、前後を繋いだ。繋いだところで陽菜が笑っていて、その笑いの理由が消えていた。理由が消えると、笑いのほうは残った。
和彦はもう一度、繋いだところを再生した。
おかしくはなかった。
むしろ、前より自然だった。
和彦は一度、消したところを戻した。戻して、もう一度鳴らした。
里佳の声が入ると、部屋が広くなる。二人のほかに人がいることが分かる。分かると、二人が喋っているのが撮影だと分かる。
和彦は、もう一度消した。
消したほうは、二人しかいない部屋に見えた。
*
水曜の夜は、部屋に人がいる。
瀬川が椅子を運んでいた。四脚まとめて抱えて、壁際に置いて、高さを揃えている。誰も手伝わない。誰も見ていない。
「杉本さん、それ何すか」
「編集」
「へえ」
瀬川が肩ごしに覗いた。息が首にかかって、すぐ離れた。
「俺、映ってます?」
「いまのところ、映ってないです」
「よかったっす」
瀬川はそれ以上訊かなかった。訊かないまま、椅子をもう四脚運んだ。
仁科がノートを開いて、机の端に座っている。表を書いていた。縦に名前、横に日付が並ぶ表で、まだ半分も埋まっていない。
「杉本くん」
「はい」
「それ、何分になる予定?」
「決まってないです」
「決めたほうがいいよ」
「どうしてですか?」
「終わらないから」
仁科はそう言って、ノートに何か書いた。和彦の名前の横だった。何を書いたのかは見えなかった。
しばらくして、仁科が定規を出した。表の右端に、線を一本引いた。
「列、足したから」
「なんの列ですか?」
「編集」
和彦は自分の名前の行を見た。新しい列の、いちばん上に印がついていた。ほかの行は空だった。
「これ、俺だけですか?」
「いまのところは」
仁科はノートを回して、和彦のほうへ向けた。向けてから、すぐ戻した。
*
七分になった。
三時間十二分が、七分になった。和彦は数字を並べて書いてみた。百九十二分と、七分。割ると、二十七分の一だった。
残ったのは、二人が向かい合って喋っている九分半のうち、七分だった。
捨てたのは、黙っている時間と、笑っている時間と、里佳の四秒と、カメラを止め忘れていた一時間四十分だった。
和彦は、嘘をついていないと思った。
実際、一言も足していない。順番も変えていない。喋っていないところを詰めただけだった。
「題、どうします」
恵那は机に肘をついて、画面を見ていた。
「〈初めて撮ってみた〉」
「それでいいですか?」
「うん」
「もう少し、なんか」
恵那は指で机を一度叩いた。
「いらない」
恵那は画面から目を離さなかった。
「一本目は、中身で見られない。誰が出てるかでも見られない。何もないところから見る人はいないから、題は短いほうがいい」
「はい」
「短いと、押しやすいの」
和彦は打ち込んだ。八文字だった。
「書いたやつ、あります?」
「なにを」
「いまの話です。紙で、もらえますか?」
「ない」
恵那は紙を出さなかった。メモも渡さなかった。言って、それで終わりだった。
和彦は自分の手帳に書こうとして、途中でやめた。書くほどのことでもない気がした。
*
書き出しに四十分かかった。
途中で一度止まって、やり直した。二度目は最後まで通った。ファイルの大きさは千二百メガあった。
部屋を出たのは十一時過ぎだった。廊下の蛍光灯は一本切れていて、そこだけ暗い。靴の音が思ったより響いた。手すりは冷たかった。階段を下りながら、和彦は段を数えた。数えるつもりはなかった。
十四段だった。
*
出したのは木曜の朝だった。
和彦は一限の前に、ロビーの椅子に座った。椅子は冷たかった。携帯の再生数の欄に、0と出ている。
十時には、4になっていた。
昼には、11だった。
和彦は数えた。四人と、七人。七人がどこから来たのかは分からない。四人のほうは、たぶん分かる。
三限のあいだに一度だけ確かめた。14だった。
*
夕方、部屋に行くと、陽菜がいた。
「杉本くん、見た?」
「見ました」
「あたし、あんな喋り方してる?」
「してました」
「うそでしょ」
陽菜は笑って、それから携帯を出して、もう一度自分の顔を見た。見ながら、髪を耳にかけた。かけてから、また下ろした。
「顔、丸くない?」
「丸くないです」
「丸いって」
陽菜は画面を近づけたり離したりした。
「ここ、あたし変なとこで詰まってる」
「詰まってました」
「切れなかったの?」
「切れました」
「なんで切らなかったの」
和彦は少し考えた。
「そこだけ、本当っぽかったので」
陽菜は画面を見たまま「ふうん」と言った。それから、もう一度その部分を再生した。二回再生した。
*
里佳が入ってきて、鞄を机に置いた。
「見たよ、うち」
「どうだった?」
「ふつう」
「ふつうって」
「ふつうって意味だよ」
里佳は椅子に座って、足を組んだ。
「でも、うちが喋ってるとこ無かったね」
和彦は画面を見ていた。目は上げなかった。
「入れてもよかったのに」
「すみません」
「べつに、いいけど」
里佳はそれきり、その話をしなかった。かわりに、陽菜の携帯を覗き込んで、「ここ、もっと寄ってもよかったんじゃない」と言った。
*
六時に恵那が来た。
来て、画面を一度見て、数字を確かめた。そのとき14が23になっていた。
「もう一本、いつ撮る?」
「来週ですかね」
「今週でよくない?」
「今週ですか?」
「間が空くと、忘れられるから」
恵那は鞄を持ち直した。持ち直しただけで、まだ帰らなかった。
「和彦くん」
「はい」
「切ったところ、覚えてる?」
「四秒のところですか?」
「うん」
「覚えてます」
「そう」
恵那はそれ以上、何も言わなかった。
七時前に、鞄を持って出ていった。ドアが閉まる音がした。
閉まってから、誰かが「飲む?」と言った。
大野だった。上着を着たまま、椅子の背に手をかけていた。座りはしなかった。
「一本目、出たんでしょ。じゃあ打ち上げじゃん」
「打ち上げ」
瀬川が繰り返した。
「打ち上げだよ。ふつうやるって」
誰も反対しなかった。
「うち、ビール」
里佳が言った。
「あたしも」
陽菜が続けた。仁科はノートを閉じて、鞄に入れた。閉じたが、鞄には手を置いたままだった。
和彦は時計を見た。七時二分だった。
*
大野が両手に袋を提げて戻ってきた。ビニールの鳴る音がした。缶と、袋菓子と、レシートが一枚。
レシートは机の上に置かれた。置いてから、大野は自分の缶を開けた。
「四千二百」
「はい」
「経費だよね、これ」
「経費だと思います」
「じゃ、頼むわ」
和彦はレシートを二つ折りにして、財布に入れた。指先が濡れていて、紙が少しよれた。
「これさ」
大野が携帯を出した。画面には再生数が出ている。
「これ、いくらになんの」
「いくらって」
「金。一回いくら」
大野は缶を持ったまま、画面を近づけた。
「まだ、たぶん零です」
「零?」
「ある数まで行かないと、つかないので」
「いくつ」
「千です。登録者が」
大野は缶を口から離した。
「じゃあ今、五十八人が、ただで見たってこと?」
「そうなります」
「へえ」
大野はそれ以上訊かなかった。訊かないまま、袋菓子を開けて、机の真ん中に置いた。
*
十時までいた。
誰も帰らなかった。誰も、帰ろうとも言わなかった。里佳が同じ話を二回して、二回目のほうが長かった。瀬川は缶を一本しか開けなかった。仁科は途中から画面を見ていて、指がキーの上にあった。
九時ごろ、山内が来た。段ボールを二つ運んできて、廊下に置いて、そのまま帰った。飲みませんかと和彦が言うと、「明日、早いので」と言った。
「あの人、いつも運んでるね」里佳が言った。
「そうですね」
「なにを?」
「知らないです」
陽菜が「あたし、次もう少し上手くやる」と言った。
「上手くなくていいよ」里佳が言った。「上手いと嘘っぽい」
「そうかな」
「そうだよ。さっき詰まってたとこ。あれがいちばんよかった」
「え、あれ恥ずかしいんだけど」
「恥ずかしいのがいいんだって」
和彦はそれを聞いていた。聞きながら、七分の動画のことを考えていた。上手くはなかった。上手くなかったところを、二十七分の一まで削った。
削ったあとのものは、上手くはなかった。
*
帰りに、和彦は駅まで歩いた。
踏切の音がして、足を止めた。待つあいだに携帯を出した。再生数は58だった。コメントが一つついていた。
〈二人とも、緊張しすぎててかわいい〉
和彦は、それを二回読んだ。
次の日、120になった。その次の日は204だった。それから、上がり方が緩くなった。
和彦は毎日、同じ時刻に確かめるようにした。夜の十一時にした。理由は、その時刻なら必ず起きているからだった。
一週間で、311だった。
*
月曜に、恵那が数字を確かめた。
「三百十一」
「はい」
「一本目にしては、いい」
「そうですか」
「うん。誰も知らないんだから」
恵那は画面を閉じた。
「和彦くん、なんで見られたと思う?」
和彦は答えを探した。
「短かったからですかね」
「それもある」
「ほかに、なんですか?」
「暗くしたから」
和彦は打つ手を止めた。
「カーテン閉めて、蛍光灯一本消したでしょ。あれ」
「明るいほうが、よくないですか?」
「明るいと、部屋が映るの」
恵那は椅子から立った。
「部屋が映ると、大学生が撮ってるって分かる。分かると、最後まで見ない」
「はい」
「暗くすると、顔しか映らない」
それだけ言って、恵那は自分の鞄を取った。
*
その週の欄に、和彦は打ち込んだ。
打ち上げ 四千二百円 大野立替 七月十一日
項目名の欄には「会議費」と入れた。ほかに入る欄がなかった。
欄の下に、その日の時刻を入れる場所はなかった。
*
〈初めて撮ってみた〉
七分二秒/再生 311
〈部屋の感じが好き〉




