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映える  作者: シズ
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22/25

付き人

 六月に入って、仁科が人を呼んだ。テレビで見たことがある人だった。


 名前は出てこなかった。顔は分かる。何かの番組で、端のほうに座っていた人だった。声のほうが先に思い出せた。低くて、少し掠れている。


「いまは、あんまり出てないみたい」


 仁科はそう言って、時刻の入った表を出した。十三時に入り、十三時半から収録、十六時撤収と書いてある。


      *


 当日、二人で来た。約束の時刻より十分早かった。


 一人が本人で、もう一人は事務所の人だった。事務所の人が先に名刺を出した。両手で出して、少し腰を折った。


「今日はよろしくお願いします」


「こちらこそ」


 和彦は名刺を受け取った。厚みがあって、指で持つと角が硬い。机の端に置いた。会社の名前は聞いたことがなかった。


 事務所の人は椅子を勧められても座らず、壁際に立った。鞄を足元に置いて、そのまま動かなかった。


      *


 収録が始まった。窓は閉めてある。外の音は入らない。


 陽菜が正面に座って、その人が横に座る。里佳は後ろでカンペを持っていた。


「テレビって、いつから出てるんですか?」


「二十二からですね」


「若いですね」


「若いですよ。何も分かってなかったです」


 その人はよく笑った。笑うとき、肩が一度上がる。息の音が、笑いより先に出た。


      *


 十分ほどして、陽菜が訊いた。


「あの、これ訊いていいのか分からないんですけど」


「なんでも訊いてください」


「銀次さんの付き人だったんですか?」


 その人は水を飲んだ。飲んでから、コップを机に置く。底が当たる音がした。


「ええ」


 それから、少し前に出た。


「あの人ね、静かに見えるでしょ。怒らせたらやばいんですよ」


 里佳がカンペを下ろした。紙が膝に当たって、乾いた音を立てた。


      *


 そこから十分ほど、話が変わった。誰も戻さなかった。


 現場に入る時間のこと。楽屋の並び方のこと。誰が先に挨拶するかのこと。全部、銀次の話だった。


「一回、灰皿飛んできましたからね」


「え」


「いや、こっちにじゃないですよ。壁に」


 大野が「へえ」と言った。缶を持ったままだった。


「で、そのあと何て言ったと思います?」


「なんて言ったんですか?」


「ごめんね、って」


 少しの間があった。里佳が「へえ」と言った。


 その人は、笑うところで自分から笑った。声が部屋の中で止まって、それだけだった。


      *


 しばらくして、その人が身を乗り出した。椅子が床をこすって、短い音がした。


「あと、これはあんまり言っちゃいけないんですけど」


「言っちゃってください」


 里佳が言った。


「一回ね、撮影現場にヤクザが乗り込んできたことがあって」


「乗り込んできたんですか?」


「揉めたんですよ。で、取っ組み合いになって」


 その人は自分の襟のあたりを掴んでみせた。指が布を握って、すぐ離れた。


「追い返しちゃったんですよ、銀次さんが」


 誰も声を出さなかった。


「一人でですか?」


「一人で」


 陽菜が頷いた。頷いてから、里佳のほうを一度見た。


「そのあと何事もなかったみたいに撮影に戻って。すごいでしょ」


「すごいですね、それ」


 言ったのは陽菜だった。声の高さが、いつもと同じだった。


      *


 しばらくして、瀬川が壁際から言った。


「あの、すみません」


「銀次さんって、どういう人でしたっけ」


 その人は一瞬止まった。止まってから、笑った。


「知らない?」


「すみません」


「いや、いいんです。もう出てないから」


 和彦はレベルのつまみに指をかけた。針が振り切れかけていたので、一つ下げた。指の腹が、つまみの溝で少し滑った。


      *


 しばらくして、その人がコップを置いた。


「でもね、いい人なんですよ」


「いい人?」


「お世話になってたんで、俺。ある日、飲みに連れて行かれて」


 その人はコップを両手で持った。持ったまま、しばらく喋らなかった。


「今日はお前の付き人卒業の日だ、って言って」


「え」


「手紙くれたんですよ」


 部屋の音が止まった。エアコンだけが残った。


「泣きましたよ、俺」


 里佳が「うわ」と言った。言い方が、さっきまでと違っていた。


「それで、分厚い封筒も一緒にもらって」


「封筒?」


「中に百万入ってたんですよ」


 大野が「まじで」と言った。二回言った。この日、部屋がいちばん動いたのはここだった。


 和彦は、その金額をどの欄に入れるかを考えた。考えてから、自分の帳簿ではないことに気づいた。


「それが今でも使えなくて」


「使えない?」


「まだ家の引き出しに、手紙と一緒にとってあるんですよ」


 誰も、次の言葉を出さなかった。


 陽菜は何も言わなかった。膝の上で、指を組んで、また離した。


      *


 部屋の隅で、和彦は横のカメラを覗いていた。


 画面に、事務所の人が入っている。壁際に立ったままだった。表情は変わらない。メモも取っていない。


 止めもしなかった。壁にもたれもせず、まっすぐ立ったままだった。


      *


 撤収は十六時ちょうどだった。表のとおりで、一分も違わなかった。


 和彦は素材を持って帰って、その夜に通した。一時間四十分あった。


 途中で、和彦は二つの数を分けて書いた。


  ○その人の話   二十二分


  ○銀次さんの話  六十八分


 残りは、雑談と、間だった。部屋が静かな時間が、思ったより長い。


 和彦は、その二つの数をしばらく見ていた。指が机の上で止まっていた。


      *


 編集は三日かかった。二日目の夜に、一度全部やり直した。


 一時間四十分が、十四分になった。


 銀次の話は、そのうち九分あった。灰皿のところも、ヤクザのところも、丸ごと残した。


      *


 十六時半に、事務所の人が先に帰った。


 本人は残った。上着を椅子の背にかけて、缶を受け取る。指先が濡れていた。


 時計は五時十五分だった。


「一万四千二百」


「はい」


 缶を配ったのは瀬川だった。冷えていて、指が濡れた。カメラは机の端で回っている。


「YouTubeって、どうやったら伸びるんですか?」


 その人が訊いた。訊き方が、さっきの喋り方と違っていた。


「毎日出すことですかね」


 和彦が答えた。


「毎日?」


「はい」


「それ、しんどくないですか?」


「しんどいです」


 その人は缶を持ったまま、しばらく黙っていた。


「テレビは、月に二本なんですよ。いま」


 返事はなかった。大野が袋菓子を開けて、机の真ん中に置いた。


      *


 その週の欄に、和彦は打ち込んだ。


   打ち上げ  一万四千二百円  大野立替  六月五日


   出演料   八万円  なし  六月五日


 出演料の欄に金額が入ったのは、初めてだった。前は〇と書いた。その前は、空けたままだった。


 金額は向こうが言ってきた。仁科は値切らなかった。


「うちは、この額なので」


 和彦はそのまま打ち込んだ。


      *


 出す前の日、部屋に事務所から連絡が来た。


 仁科が電話を受けて、和彦のところへ来た。


「銀次さんのところ、抜いてほしいって」


「全部ですか?」


「全部」


「九分あります」


「うん」


 仁科は時計を見た。それから、指で机の縁を一度叩いた。


「抜いて」


      *


 抜いた。九分ぶんを選んで、消して、前後を繋いだ。


 十四分が、五分になった。


 残ったのは、その人がテレビに出始めたころの話と、いまの本数の話だった。


 手紙の話も、抜いたほうに入っていた。


 和彦は通しで見た。五分は短い。短いが、繋ぎ目は分からなかった。


「これで出しますか?」


「出す」


 仁科はノートに何か書いた。四つ目の欄だった。


      *


 出したのは金曜だった。夜の八時に出した。


 土曜に一万八千を越えた。日曜は二万一千で止まった。


 その週の平均は九万だった。二万一千は、その四分の一に届かない。


 和彦は数字を三度打ち直した。三度とも同じだった。目の奥が重かった。


 コメントは百二十件だった。上から読んだ。


  〈この人、誰でしたっけ〉


 和彦はそれを二回読んだ。喉の奥が渇いていた。


      *


 月曜に、仁科が数字を確かめた。


「二万一千」


「はい」


「そう」


 仁科はそれだけ言って、表に線を引いた。手は止まらなかった。


 線を引き終わってから、顔を上げずに言った。


「なんで男って、武勇伝好きなのかな」


 和彦は答えを持っていなかった。


 仁科はそれ以上、訊かなかった。次の行に、また線を引いた。


      *


 和彦は、抜いた九分をゴミ箱に入れなかった。


 別のフォルダを作って、そこに移す。


 名前を付ける欄があった。


 日付だけ入れた。


      *


  〈元付き人が語る、テレビの裏側〉


  五分二十秒/再生 21,000


  〈この人、誰でしたっけ〉

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