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映える  作者: シズ
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20/25

一億

 三月だった。年度末で、どこも人が動く。


 その週の相手を決めたのは、仁科だった。


 投資をやっている人で、四十くらいの男だった。仁科は表を作って、和彦に渡した。時刻が入っている。十三時に入り、十三時半から収録、十七時撤収と書いてあった。


「誰の紹介ですか?」


「紹介じゃない。こっちから連絡した」


 仁科はそれだけ言って、表の端を指で押さえた。紙が机に貼りついた。


      *


 男は十三時十分に来た。


 シャツの襟が硬かった。鞄が重そうで、置くときに机が鳴った。中からノートパソコンを出して、開く。画面に数字が並んでいた。緑と赤が混ざっている。


 和彦は寄って撮った。ピントが合うまでに二秒かかった。


「これ、映していいやつですか?」


「いいよ」


 男は画面をこちらへ回した。指で下のほうをなぞって、それからやめた。


      *


 十三時半の少し前に、仁科が男と話した。


 和彦は離れていたので、内容は聞こえない。男が二度うなずいて、それから笑った。仁科は笑っていない。ノートに何か書いていた。


 戻ってきて、仁科が言った。


「口座の画面は使わない」


「使わないんですか?」


「スクショだけでいい」


「どう違うんですか?」


「動いてると、日付が出る」


 仁科はノートを閉じた。閉じてから、時計を見た。


      *


 十三時半に、収録が始まった。


 陽菜が正面に座って、男が横に座る。里佳が後ろでカンペを持っていた。持ち方が下手で、途中で一度落とした。落ちる音がして、男が少し笑った。


「去年は、どれくらい増えたんですか?」


 陽菜が訊いた。訊き方は普通だった。


「一億」


 陽菜が「え」と言った。声が上がって、そこで少し裏返った。


「一億」


「うん」


 仁科が手を上げた。


「もう一回」


 止まった。男が首を回した。骨の鳴る音がした。


「いまの、もうちょっと」


「もうちょっと?」


「一億ちょうどだと、切りがよすぎるので」


 男は少し考えた。膝の上で指を組んで、また離した。


「一億ちょっと」


「はい、それで」


 もう一度回した。


「去年は、どれくらい増えたんですか?」


「一億ちょっと、かな」


「一億!」


 仁科がまた手を上げた。


「すみません、もう一回だけ」


 三回目に、男はこう言った。


「一億二千万」


 誰も、増えた理由を訊かなかった。


      *


 そのあとは、順調だった。


 男はよく喋った。喋り方に癖があって、話の終わりを少し上げる。上げると、聞いているほうが頷きやすくなる。里佳が二回、頷きすぎて笑われた。


 和彦は横のカメラを覗いていた。画面に男の手が入っている。指を組んで、また離す。組み直すたびに、右手が上になった。


「大事なのは、始めることなんですよ」


「始めること」


「そう。みんな、勉強してから始めようとするでしょ。逆なんです」


 陽菜が「なるほど」と言った。言ってから、少し口を開けたままでいた。


 男は水を飲んだ。飲んでから、コップを机の同じ場所に戻した。


「損してる人って、だいたい途中でやめるんですよ」


「途中で」


「そう。下がったときに怖くなって、売っちゃう。で、上がってから戻ってくる」


 男はコップを持ち上げて、そのまま置いた。置く音がしなかった。


「逆をやればいいだけなんです」


 里佳が後ろで「シンプル」と言った。カンペを持ったままだった。持ち方は、さっきより良くなっていた。


「短いほうは、どうなんですか?」


 陽菜が訊いた。カンペには無い。


「短いほう?」


「短期って、危ないって聞きます」


 男は笑った。笑ってから、少し前に出る。椅子が鳴る。


「全然いけますよ。短期でも、億は狙えます」


「億」


「狙えます」


 陽菜が「へえ」と言った。里佳が後ろで小さく手を叩いた。音は入らない距離だった。


「ただ、長くやるなら、話は別で」


 男が指を組み直す。右手が上になる。


「アメリカのインデックス。あれを買っておけばいいんです。それだけ」


「それだけ」


「それだけです」


 和彦はカメラを覗いたままでいた。さっきの話と、いまの話が、繋がらなかった。繋がらないまま、録れている。


 男は水に口をつけた。今度は、置くときに音がした。


「正直、僕はね」


「はい」


「投資やらない人って、バカだと思うんですよ」


 誰も、何も言わなかった。


 里佳がカンペを下ろす。瀬川が壁のほうを見る。陽菜だけが頷いている。頷き方は、さっきまでと変わらない。


 仁科は手を上げない。ノートに何か書いて、そのままにしている。


「あ、いま言っちゃった」


 男が笑う。笑ってから、仁科のほうを見る。


「大丈夫ですか、いまの」


「大丈夫です」仁科が言った。「そのままで」


      *


 十五時に休憩を入れた。大野が寄ってきた。


「俺もやろうかな」


「やればいいじゃないですか」


「いくらから?」


 和彦は分からなかったので、男のほうを見た。男が「三万でもできますよ」と言った。


「三万か」


「三万でも、十年やれば違いますから」


 大野は携帯を出して、何か調べ始めた。調べながら、缶を開けた。開ける音が部屋に響いて、瀬川がこちらを見た。


      *


 夕方までに、三時間半撮った。


 和彦は素材を持って帰って、その夜に見返した。部屋は寒くて、指が冷たくなった。


 スクリーンショットの画は、四枚あった。どれも下のほうが切れている。上には緑の数字が並んでいた。


 和彦は一枚で止めて、拡大した。


 元手が書いてある。年が書いてある。増えたぶんも書いてある。


 和彦は電卓を出した。


 一年でいくつになったかを割った。次の年も割った。三年ぶん割って、それを掛け合わせた。


 合わなかった。


 もう一度やった。今度は元手をいちばん少なく見積もった。それでも合わなかった。三度目は、年数のほうを増やしてみた。合うところまで増やすと、男が十九歳のときから始めていることになった。


 和彦は紙に書いた。四行になった。


 しばらく見てから、引き出しに入れた。鍵はかけなかった。


      *


 編集は二日かかった。


 三時間半が、十四分になった。


 「一億」のところは、三回目を使った。一回目と二回目は捨てた。捨てる前に、和彦は一回目を最後まで再生した。


 男の顔は、三回とも同じだった。


 バカだと言ったところは、切らなかった。


 一度切って、前後を繋いでみた。繋がりは、そのほうが良かった。和彦は元に戻して、その日はもう触らなかった。


      *


 翌日、サムネイルの文字を仁科が決めた。


「〈年収一億〉って入れて」


「年収じゃないですよね。増えたぶんですよね」


「そう」


「じゃあ」


「〈年収一億〉」


 仁科は画面を見たままだった。


「そっちのほうが、短いから」


 和彦は文字を打ち込んだ。打ってから、喉のあたりが少し詰まった。


      *


 出したのは金曜の夜だった。


 土曜の朝に十万を越えた。日曜には四十万になった。


 和彦はコメントを上から読んだ。画面が近いので、目の奥が重くなる。


  〈明日から始めます〉


  〈もっと早く知りたかった〉


  〈うちの親に見せたい〉


 三百件目まで読んで、そこでやめた。数字のことを書いている人は、一人もいなかった。


 和彦は引き出しを開けた。四行の紙は、そのままそこにあった。開けただけで、閉めた。閉める音が、思ったより大きかった。


      *


 撤収は十七時ちょうどだった。表のとおりだった。


 恵那は来ていない。四か月、一度も来ていなかった。待つものが無いので、片づけがそのまま打ち上げになる。


 時計は五時八分だった。


 男も残った。上着を脱いで、いちばん奥に座った。


「一万二千九百」


「はい」


 和彦が言って、瀬川が缶を配った。カメラは机の端で回っている。


 途中で、割り勘の話になった。大野が財布を出した。


「先生の分は」


「あ、いいよ。領収書だけちょうだい」


「領収書?」


「経費で落とすから」


 大野は少し止まって、それから「はいはい」と言った。


 和彦は紙を書いて、渡した。宛名を訊くと、会社の名前が返ってきた。聞いたことのない名前だった。書きながら、ペンが一度かすれた。


      *


 男は、里佳の隣に移った。


「口座、作った?」


「作ってないです」


「作るだけならタダだよ」


「はあ」


「作っといたほうがいいって。始めないと、始まらないから」


 里佳は缶を持ったまま笑った。笑ってから、和彦のほうを見た。和彦は目を合わせなかった。


 男は九時前に帰った。帰りぎわに全員と握手をして、瀬川の手だけ二回握った。


 ドアが閉まってから、瀬川が口を開いた。


「俺も、やってみようかな」


「株?」


 和彦が訊くと、瀬川は「うん」と言った。それから、下を向いて笑った。


「三万でもできるって言ってたし」


 誰も何も言わない。大野が缶を潰す音だけがした。


      *


 部屋に帰ってから、和彦は恵那に送った。


  〈今日は投資の人でした。瀬川さんが、自分もやると言っています〉


 返信は十分で来た。


  〈ランダムウォークって知ってる?〉


 和彦は打った。


  〈知らないです〉


 返信は、それきり来なかった。


 和彦は調べた。三分で読み終わる説明だった。読み終わってから、もう一度読んだ。二度目のほうが短く感じる。


 瀬川に送ろうとして、送らなかった。


      *


 その週の欄に、和彦は打ち込んだ。


   打ち上げ  一万二千九百円  大野立替  三月十九日


   出演料   〇円  なし  三月十九日


 出演料の欄に数字を書いたのは、初めてだった。今までは、空けたままにしていた。


 和彦は〇のところを、二度見た。


      *


  〈年収一億の投資家に、全部聞いてみた〉


  十四分六秒/再生 612,000


  切り抜き 十六件/いちばん多いのは 七分五十秒から


  〈参考になりました〉

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